5話「それは月下の出会い、水氷の舞姫」
月からエルスへ堕とされ、地上の森林へ墜落した茨月は、森林の中を彷徨っていた。
「畜生、何処我がこのような目に会わないといけないのだ…」
木々が月の光を遮り、視界が暗く安定しない森の中をひたすら同じ方向へ進み続ける。たまに木々の隙間から光が差す場所があり、それを辿るようにして進んでいく。
「この辺りは穢れが濃すぎる。魔の者共が湧いてくるかもしれぬな…」
月にいる時間が長かった茨月はこの森に滞留する穢れの多さをすぐに感じ取ることができた。穢れの多い場所には魔族が湧く。
魔族は月の加護を受けることを拒否し、地上で悪逆非道の限りを尽くす残酷な種族だ。そんな魔族がいるかもしれないこの森ではいつ自分が襲われてもおかしくはない状況だった。
だが、幸いにも腰に差した刀は月から堕ちてきてもそこに有った。万一襲われるようなことがあっても斬り倒すことができる。
更には幸運なことに今は夜、つまり月の光が地上を照らす時間だ。魔族は月の光を嫌う。つまり木漏れ日のように月の光が木々の隙間から差し込む場所はこの森における休憩地点とも言える。
「ふむ、ここらで一休みとするか。」
森の中を進むこと数十分、大きく開けた場所を見つけた。周りに木もなく、月がはっきり見えるほど上方も開けている絶好の休憩地点だ。
茨月は月に向かって手を掲げた。
「月黄泉命め…覚えているがいい。」
茨月は月の力の支配・征服を試みた。それは赦されざる大罪であり、極刑とも言える月からの永久追放を課せられた。月の最高神である月黄泉命によって、彼は霊の穢れを浄化することなく強制的に輪廻転生され、月での姿(つまり武人としての姿のまま)の人間として地上に産み落とされたのだ。
彼は今、月の光を浴びながら、月黄泉命への復讐を果たすために地上でどう生きていくかを考えているのだった。
茨月は一時の休息を取ると再び森の奥へ進みだした。月の光の当たらない闇の中へと足を踏み入れると、小さな魔族が茨月を狙っているのが見えた。刀を構えた瞬間、魔族は茨月の首元目掛けて飛びついてきた。
「遅いな。」
ヒュンという風切り音と共に、茨月が目にも止まらぬ速さで刀を一振りする。襲ってきた魔族はその刀によって両断された。その死体は黒い影となり、やがて霧散した。
「穢らわしい餓鬼め。」
襲ってきた魔族はエルスでは小餓鬼と呼ばれる位の低い鬼型の魔族だった。他の生物を食らって生きる魔族だが、特殊な力も持たず、最も弱いとされている魔族である。しかし、基本的に単独行動はせず、群れる習性があるため、1匹見つけると複数匹相手をせざるを得ない。つまり———
「ガアアアアァッ!!」
「…ちっ、面倒だ。」
そう、ここは小餓鬼の群れの住処だった。前方に見える小餓鬼の数は軽く二十以上はいるだろうか。流石にこの数を相手にするのは武に長けた者でも骨が折れるだろう。しかし、彼は顔を歪めることなく、寧ろ不適な笑みを浮かべていた。
「丁度良い、地上でも使えるか試してみるか。」
茨月は刀を縦に切り下ろす構えから、横に大きく斬り払う構えに持ち変える。
「弧月斬」
「グギャァァァァ!!」
ブンッと鈍い音を鳴らす大振りな斬撃。その一振りは周囲の木々ごと薙ぎ倒し、小餓鬼の群れの半数を斬り捨てる。残りの十数匹は一目散に逃げ出すが、倒れてきた木を避けきれず押し潰されてしまう。四方八方から耳障りな断末魔が聞こえ、次第に複数の黒い影が霧散していく。
「ふむ、力は奪われていなかったか。」
茨月は魔族の気配が消えたことを確認してから、刀に付着した穢れた血を振い落とし、鞘にしまう。そして周りの木が倒れ、月の光を遮るものがなくなったことにより、周辺に月の光が差し込んでくる。明るく照らされた周囲を見ると、元々の進行方向は倒木で塞がれていた。
「…進めぬな。力加減を誤ったか。」
倒木をどかすのは一苦労だ。仕方あるまいと別の方向へ進もうとする。
右の方向は木が多く進みづらそうだ。そして左の方向はというと…
「…不思議だな、何故かこちらの方向へ進めと言われているような気がする。」
まるでここを通れと言わんばかりに開けた道がそこにはあった。ほんのりと月の光に照らされ、通りやすいよう軽く整備された小径だ。ようやく森を抜け出せるかもしれないと思い、茨月はその小径を進むことにした。
だが、その先にある景色は、茨月の予想とは違うものだった。
「ここは…湖か?」
それはとても大きく、美しい湖だった。
満天の夜空に輝く月が明瞭に見え、それが澄んだ水面に映る光景はまさに絶景と言える。魔族が多く棲息しているこの森の中で、月の光を遮るものがないこの湖は唯一安全な場所と言えるだろう。
「ここならば、魔族に襲われる心配は無さそうだな。」
茨月は湖畔に腰を下ろし、目の前の水面に映る月を眺めながら休息を取る。
地上に堕とされてから初めて気を緩めることができる場所を見つけ、美しき景色に目を奪われていた。
「…月がこんなにも美しく感じるとはな…」
そうだ、我が物としようとした月という星は、こんなにも神聖で、穢れなきものだった。
だからこそ、この星の力はやはり我が支配したい。その為にはあの月の神を討ち取らねばならない。
こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。地上からでも月へ干渉する術があるはずだ。そう考えた茨月はすぐに立ち上がり、湖の周辺を調べ始める。
大きな湖の畔を半周くらいを歩いたところでふと湖に目を向けると、そこには水上で舞を踊る女性の姿があった。
湖と同じように透き通った水色の長髪、菊を基調とした水色の着物を着た若い女性が扇子片手に水上で舞を踊っている。月の光に照らされ、どこか儚げで悲しげな表情で踊るその女性を見て、茨月は一言、名も知らぬはずのその女性に呼びかけた。
「星華…?」
「…?貴方は、どちらさま?」
何故お前がここにいる。と驚愕し、呆然と女性を見つめる茨月。その視線に気づいた女性は、舞をやめ、まるで水面に歩く道があるかのようにチャプチャプと歩き岸に戻ってくる。
「こんな危険な森の中を一人で訪れたの?ぱっと見、肢体は鍛えられてて強そうだけど…」
「(…いや、そんなわけがあるまい)」
先程までの曇った表情から一変、興味深そうに茨月の身体をじろじろと見つめる女性を横目に、茨月は首を振る。お前が地上にいるわけないのだ、と自分に言い聞かせる。
改めて女性の顔を見ると、それは自分が思い浮かべた女性のものとは似て非なるものであることを確認した。茨月は女性に名を問う。
「お前、名は?」
「私?菊澱花 雪花。貴方は?あまり見かけないお顔だけれども…」
「真白 茨月だ。お前こそ、魔族が蔓延るこんな森の中で何をしている?」
あ、聞こえてたのね、と雪花は手をパチンと合わせる。
「私はこの湖の近くに住んでるの。この辺は魔族が寄ってこなくて安心だから。」
「…お前、もしかして人間ではないのか?」
「んー、半分正解ですわ。」
雪花は扇子を閉じ、それを自身の頬に当てながら語り出す。
「私、人霊なの。」
「人霊…?」
「そ、謂わば半人半霊ってやつ。人間でもあり、霊でもある存在ですわ。」
「ふむ、魔族ではないのだな。」
「まあ、私が勝手に自分を人霊と呼んでいるだけなのだけど。半人半霊って言いにくいじゃない?」
雪花は頬に当てていた扇子を茨月に向けた。
「そういう貴方はどうなの?見た感じ只者では無さそうだけれども。」
「我は武士ではあるが人間だ。」
「へぇ、まあ確かに強そうではあるわね。力のある人ほど魔族に襲われやすい。貴方もさぞ沢山の魔族に襲われながらここまで来たことでしょう。」
その通りだ、と茨月は頷くのみで返す。
「んでんで、さっき呟いていた星華って誰なの?」
「…聞こえてたか。お前には関係のないことだ。」
零れる程度の声だったはずなのに、雪花にはしっかり聞かれていた。あまり話したくないという素振りを見せる茨月に、雪花はえ〜気になる気になる〜!と地団駄を踏む。茨月ははぐらかすように雪花に尋問を続ける。
「お前、湖上で何をしていた?」
「ん?踊ってただけだけど。」
「踊っていただけ…水上でか?」
質問に対して何か?と開き直る雪花。程なくして思い出したかのように掌の上に拳をポンと重ねる。
「あーそうか、普通、人間は水の上に立つことすらできないもんね。忘れてた。」
「?」
「私、水を自由自在に操れるの。そして凍らせることもできる。」
やってみせた方が早いと、雪花は湖へと戻った。水上を音を立てながら歩いていく。
本当に人間が水面を歩いている。その光景に茨月は驚きを隠せなかった。
「びっくりした?こうやって水の上を歩くこともできるし、更に、それっと!」
雪花が扇子を開き、水面を仰ぐと、たちまち水面から渦が発生し、宙を舞いながら雪花の周りを覆っていく。まるで天女の羽衣を纏い舞っているかのような麗しい姿に、茨月は思わず見惚れてしまう。
「どう、凄いでしょ?これが私の能力ですわ。」
「その力は人霊の力なのか?」
「いいえ、これは月の加護を得て発現した力。まあ人霊になってから得たという意味では、人霊の力ではあるかもね。」
「ほう…人間には成し得ぬ力ではあるな。」
月の神の神力や、魔族が使う魔術や魔法といった奇怪な力の類なのだろう、茨月はそう結論づけた。雪花は続けて湖の水を操っていく。
「それっ!これぞ、水氷の大輪咲き!なんちゃって。」
纏っていた水が一瞬で凍りつき、まるで大きな菊の花が咲いたかのように綺麗な形を作る。すぐに氷の花は割れ、水となり湖の水と混じっていった。
ただ一枚の花びらを残して。
「死にたくなかったら、避けてね。」
「…っ!!」
美しいその氷花に釘付けになっていた茨月は、彼女の表情が険しく豹変したことに気づいていなかった。
一枚残された氷の花弁は、矢の如く鋭い氷弾へと形を変え、茨月の顔目掛けて放たれる。それを茨月は間一髪、頬を掠める程度で避けた。
氷弾は森の深い闇の中へとそのまま消えていくのだった。




