7話「それは決意の朝、旅立ちの刻」
月の神への復讐を誓った海斗と楓音。二人はその夜、なかなか寝付けずにいた。
「月の加護を受けれないなんて、なんかそわそわしちゃうね。」
「俺たちにとっての至高の一時を奪われたんだ。日々のルーティンが崩れるのはすごくもどかしいな…」
珍しく海斗は落ち込んでいた。海斗は頭の中で組み立てた順序通りにことが進まないとこうして凹む時がある。
こんな時は、私がポジティブにならなきゃ!と楓音は何か励ましの言葉を考えるが、思いつかなかった。どうしようどうしようと内心あたふたしていると、海斗は楓音の手をそっと握ってきた。
「大丈夫だ、楓音は何があっても俺が守るからな。」
「はうっ…!!…いや、そ、そうじゃなくて…!!」
咄嗟のことに楓音は驚き、軽く肩が上がってしまった。どうやら楓音の手は目に見えて震えていたらしい。海斗は楓音が不安がっているのかと勘違いし、そっと手を握ったのだが、手の震えは不安だからではなく、どうにかしなきゃという焦りからくるものだったのだ。
「違うの海斗、不安なわけじゃないの。寧ろ海斗が落ち込んでいるように見えて、何か声をかけなきゃと思ったんだけど言葉が浮かばなくて…えっとえっと…」
楓音は慌てて手を振り解き、まるでコメディアンのように手をわちゃわちゃと動かし、必死に誤魔化そうとする。
その姿を見て、海斗は思わずクスッと笑ってしまった。
「な、なんで笑うの〜!」
「ごめんごめん、つい反応が面白くて、ぷっ、あははははっ!!」
海斗は堪えきれず、大笑いしてしまう。楓音はもう〜〜!と叫びながら真っ赤になった顔で海斗の頭をポコポコと叩いた。海斗は痛がるふりをするも、全然痛みは感じていなかった。
「ありがとうな楓音。俺を心配してくれたんだな。でも大丈夫だ。」
「海斗…」
「俺は楓音を守るために、月の神を倒すために強くなる。そのためには奴の言っていた通り、俺だけの能力を会得しなきゃな。」
「そうだね、私も頑張る!海斗を支えれるような力だといいなぁ。」
二人の顔には笑みが浮かぶ。夜の寝室を窓から差し込む月明かりが優しく包み込む。
「加護は感じなくても、月の光はやっぱり癒されるな。」
「そうだね、私たちの一番の癒しだよね。」
二人はそのままベッドに向かい、おやすみと一言交わすと、月の光を浴びながら安らかな眠りについた。
翌朝、二人が目覚める頃には月は隠れ、日の光がエルスを照らしていた。
「ふあぁ〜おはよう楓音…」
「おはよ〜海斗。もう朝ごはんできてるよ。」
海斗が起きると、既に楓音がキッチンで朝食を作っていた。今日の朝食はコーンスープとパンだった。
顔を洗ってきてからね、と楓音は海斗にタオルを渡して洗面所へ向かわせた。その間に二人分のスープをよそい、テーブルに並べると、程なくして顔を洗ってきた海斗が戻ってきた。
「お、今日のスープも美味そうだな。」
「ふふん、今日も上出来だよ〜!」
普段の弱気な性格から一変、自信満々にドヤ顔を見せる楓音。
それもそのはず、彼女の料理の腕前はかなりのものだ。街に店を出せば繁盛間違い無しなレベルであり、特に汁物が得意料理である。
毎朝日替わりで作るスープと共に朝食を食べるのが海斗の毎日の楽しみの一つだった。
「さて、早速いただくとするか。」
「はーい、おかわりもあるからね。いっぱい食べて体力つけないと。」
「だな。」
海斗はスプーンでスープを一掬いし、口の中へ運ぶ。
まろやかで、甘味と塩味のバランスが絶妙な至高の液体は、それだけで飽き足らず、もう一口、もう一口と口に含む度に舌が蕩けるような感覚を与えていく。
すぐに皿の中のそれは尽き、海斗は楓音へおかわりを所望する。
「今日のコーンスープは一段と美味いじゃないか。また腕が上がったな。」
「えへへ、隠し味にとあるものを入れてみたんだ。」
「何を入れたんだ?」
「何だと思う?」
急に出された難題に海斗が頭を捻っている間に、楓音はスープのおかわりを足すために皿を引き上げる。料理に関してはあまり詳しくない海斗には正解がわからなかった。海斗は悩むことをやめ、潔く分からないと白旗を揚げた。
スープをよそいにキッチンに向かった楓音からの正解発表が後ろから聞こえてきた。
「正解は、赤味噌でした!」
「なるほど、塩味の正体はそれだったのか。」
「そう、コクが生まれてより濃厚な味になるんだ〜」
嬉しそうに語る楓音の表情は晴れており、海斗もそれを見て安堵する。
しかし、二人だけのゆったりとした朝食の時間を過ごせるのも、今日が最後になるかもしれないと思うと、海斗の表情は若干険しくなった。そして、それを楓音も見逃していなかった。
「海斗ったら、まーた考え事してるでしょ。スープのおかわりあげないよ?」
「わー待った待った!スープを人質に取るのはずるいんじゃないか、楓音!」
「だって、また一人で考え込んじゃって、一人で解決しようとしてるもん。私だって頑張るって決めたんだから、考えてることがあるなら聞かせて欲しいな。」
「…分かってるよ。ちゃんと話す。」
海斗はこれからの行動について、あることを迷っていた。
「俺たちはこれから強くなるための旅に出ることになるだろ?」
「そうだね、私も正直少し不安は残ってるけど、頑張るよ!」
「そこなんだ、楓音。」
そう、危険な目に合わせるかもしれないこの修行の旅に楓音を本当に連れていっていいのか、海斗はそれを迷っていたのだ。
「俺が強くなって、俺が月の神を倒せば、それでいいんじゃないかって。楓音に危ない橋を渡らせる必要はないんじゃないかって。そう思ってしまうんだ。」
「海斗…」
海斗の漏らした悩みは楓音を想ってのことなのは彼女も十分理解していた。
しかし、その時その言葉を聞いた彼女の気分は良くないものだった。
楓音はスープの皿をテーブルに置いてから海斗に迫り、彼の頭を軽く小突いた。海斗は思わず痛っ、と声を漏らした。
「何でこの期に及んで私を置いて行こうとするの?」
楓音の語気が強くなる。海斗が何か反論しようとするがそれを遮り楓音は捲し立てる。
「私がいちゃだめなの?頼りない私は必要無い?私は海斗の隣で強くなって支えたいと、頑張ろうと思っているのに、海斗にとって私は足手まといなのかな…」
「違う、そうじゃ———」
「分かってる、海斗が私のために一人で頑張ろうとしてるんだって。でも、私だって海斗のために戦えるように一緒に強くなりたいの!ずっと側にいたいの、いて欲しいの!!分かってよ!!!」
楓音は目に涙を浮かべながら、これまでに無いほどの圧のある口調で海斗に訴えかける。
彼女はこれから先、どんな危険な目に会おうとも彼の側にいたいと思っていた。その意思を、覚悟を無碍にされたのだと感じたが故に、未だかつて無いほど、楓音は海斗に強く意見したのだ。
「…ダメだな俺は。楓音にここまで言わせてしまうなんて。」
「ごめんね海斗。私、今回ばかりは海斗に我儘を言わせて。」
「俺こそごめん。楓音がこんなにも俺のために覚悟を決めてくれていたのに、それを受け止めれていなかった俺が悪いんだ。」
海斗は楓音の涙をそっと指で拭い、手を握る。
「いいんだな、俺と一緒で。終わりのないかもしれない旅になるかもしれないぞ?」
「うん、もちろん。どこへでも付いていくから。」
ああ、楓音は本当に強くなったんだな、と改めてその意思と覚悟を受け止め、海斗は彼女と共に歩みを進めることを決意する。
「さあ、スープが冷めちゃうよ。私も食べるから一緒に食べよ?」
「ああ。食べ終わったら、旅の準備を始めようか。」
楽園での最後になるかもしれない朝食の時間はいつもより長く感じたのだった。
「さて、朝食も済んだし、粗方準備もできたな。」
「まずはどこにいく予定なの?」
「まずは街の外れの森林の調査だ。あの夜目撃されたもう一つの影についての手がかりが欲しいからな。」
「よーし、早速出発しましょ!」
「おう!」
二人は楽園の我が家を後にした。
長い旅になるだろう、暫しの別れを告げ、街へ向かう。
「森へは街を通っていくんだよね?」
「そうだな。楓音は街に行くのも初めてだろうから、案内するよ。」
森林の入り口がある街へは楽園を出てから十分ほどで到着した。この街は人間が多く住み、妖精などの一部の人間と交友の深い種族が共生している。
街へ到着してすぐに、見知った妖精に声をかけられた。
「おや、海斗さん、こんにちわっす!今日は楓音さんもいるんすね!」
「やあリゲル、楓音とも随分仲良く話してくれたそうじゃないか。」
「こ、こんにちは。」
星精霊リゲル・ブロッサム。
実はこの街一の情報通であり、月見伝報を発行する出版社を海斗へ紹介したのもリゲルだ。
「リゲル、聞きたいことが二つあるんだがいいか?」
「なんすか?あっしに分かることなら何でも答えるっすよ!」
リゲルならあの黒い影について何か知っているかもしれない。海斗はまずその影についての見覚えがないかを尋ねた。
「ああ、昨日の記事に出てたやつっすよね。あっしはその夜酒場で飲んでたのでみてないんすよね…」
「そうか…」
街一の情報通であるリゲルから情報が得られないのは少し惜しいが、仕方がない。やはり実際に森に入って確かめる必要がありそうだ。
「で、もう一つの聞きたいことはなんすか?」
海斗は楓音に聞かれないようにリゲルに耳打ちする。
「お前、楓音と何を話ししたんだ?」
「何って、そんな大したことは話してないっすよ?ね?」
リゲルは楓音にアイコンタクトをとる。楓音には何の話かわからなかったが、ね?ね?と目で訴えてくるリゲルに対して、とりあえず頷いてみせた。
「まあいいや。とりあえず森へ行ってみるとするか。」
「あ、お二人とも、森の中へ行こうとしてるんすか?なら今はやめたほうがいいっすよ。」
「どうしてだ?」
「ほら、そこを見てたら分かるっすよ。」
リゲルの指差す先にはあるのは街の傭兵団の基地だ。
そこへひどくボロボロに汚れたり、傷を負った数人の傭兵が戻っていくのが見えた。
「なんでも、森の中心付近で中規模ながら戦闘の形跡が発見されたとかで、調査に行った傭兵さんが魔獣に襲われたらしいっすよ。」
「魔族同士の縄張り争いがヒートアップしたとかじゃないのか?」
魔族が多く棲息する森では縄張り争いで魔族同士が森の中で暴れる事件がたまに勃発する。滅多に人が踏み入らない森なだけあって傭兵団も滅多に調査をすることはないのだが、今回はどうやら規模が調査が必要なレベルだったようだ。
「どんな争いがあったのやら、森の木数十本が薙ぎ倒されてるのを見つけたらしいんすよ。」
「そんなことが起きるほどの戦いがあったんですか…?」
「森の中に落ちたとされる黒い影と関連してるかもしれないな。気になる…」
街中は朝からその話で持ちきりだとリゲルは言う。先ほどの傷ついて撤退してきたであろう傭兵達の姿も鑑みて、今も森の中で何かが起きていることは間違いないだろう。
「今の森の中は危険な気がするっす。おすすめはしないっすよ。」
「忠告ありがとうリゲル。でも、俺達はあの夜森に落ちていった影の正体を知らなければならないんだ。」
「え、マジで言ってるんすか!?どうなってもあっしは知らないっすよ!?」
リゲルは驚愕した。自分の持つ情報と、目の前の惨状を見せられた上で、危険だと分かりきっている場所へ二人は行こうとしているのだから当然だった。
「危険なのは分かってます。でも私たちは行かなきゃいけないんです…!」
「…なにか訳ありっぽいっすね、ならあっしは止めないっすよ。」
「すまないなリゲル。」
「いいんすよ。でもお二人が心配なので、これだけは持っていって欲しいっす。」
リゲルは海斗に細長い紐のついた筒を渡した。
「救援用の発煙筒っす。助けが必要な時にその紐を引くと煙を上げながら空向けて飛んでいくっす。万が一森から煙が上がってるのを見たら救援をすぐ手配できるようにしとくっすよ。」
「ありがとうリゲル、助かるよ。」
「行ってきます!」
「無事を祈ってるっすよ!」
二人は街の外れから森の中へ向かっていった。




