3話「それは気づきの夜、二人の復讐①」
昼食を終え、海斗と楓音は日々のルーティーンをこなしていた。海斗は少し離れた街へ買い物に出ており、楽園で留守番中の楓音は食事後の食器を洗った後、楽園の花々へ水やりをしていた。楓音はどこか浮かない表情で花たちに話しかけるようにボソリと呟く。
「海斗にはああ言ったけど、正直不安だなぁ…」
今の海斗と私は生きているのか、死んでいるのかすら曖昧なかなり不安定な状態だと思う。あの女の人の言っていたことを私は概ね信用している。でも、あの女の人がまた現れて、今度こそ私たちを殺してしまうかもしれない、そんな恐怖に怯えながらの生活は望んでいない。人間にとっては望んでも叶うことのない、不老不死という存在になったかもしれないという一握りの希望と天秤にかけた時に、私にとっては恐怖の皿が傾いてしまう。怖いよ海斗、早く戻ってきて。そんなことを心の中で呟いていた時、数少ない楽園に訪れる見知った顔が現れた。
「どうもー!今日の月見伝報ですよーっと!…あれ、海斗さんはいらっしゃらない??」
「あ、どうも…」
それは海斗宛てに伝報を届けてくれる妖精さんだった。綺麗な光を帯びた6枚の羽が腰の辺りから生えている、私よりもはるかにお姉さんな感じのフレッシュな女性だ。月見伝報を届けにきた時間が普段よりも早かったため、海斗が買い物からまだ戻ってきていなかったのだ。
「海斗はまだ街に…」
「あちゃー、まだ買い出し中だったんすね!早くきすぎちゃいました!」
私は極度の人見知りだ。海斗とは仲の良い妖精さんだが、私とは話したことはないし、何を話せばいいかも分からない。戸惑っていると、妖精さんの方から話しかけてきた。
「そういやお話しするのは初めてっすよね!あっしはしがない星妖精のリゲルっす!貴女は楓音さんっすよね!」
「ど、どうして私の名前を…?」
あれ、私名乗ったことあったっけ?と首を傾げる。
「そりゃ、海斗さんから毎っ日のように聞かされてるっすからね!大事な家族だーだの、かけがえのない存在だーだの。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるっすよ、ホントに!」
「そ、そうなんですか…」
びっくりしちゃった。海斗が誰かに私のことをそんな風に話して回っていただなんて…もう海斗ったら!と顔を赤くし、照れ隠しに少し俯いてしまう。
「あはは!お二人ともアツアツなんすねぇ、いいじゃないっすか!」
「ち、違っ、海斗はそんな存在じゃ…」
「いいんすよ、照れなくても!んじゃ、伝報確かに渡したっすからね〜!」
そう言うと、リゲルさんは飛び去っていった。ふぅ〜緊張した、と息を吐き、水やりを再開する。
「…海斗って、私のことどう思っているんだろ…」
海斗と私は血の繋がりはない。同じ楽園に生まれ、まるで家族のように一緒に育ってきたが、二人とも親はおらず、幼少期を誰に育ててもらったのかも分からないという。抑々エルスに生まれる私たちにとっては月が生みの親なはずなのだから、誰かに育ててもらうという概念がないのかもしれないけれど。
私は楽園の外の世界を知らない。私は海斗から聞いた話からしか知識を得られない。海斗が私の全てだ。これはある種依存のような状態なのだろう。だから私は知りたい、楽園の外の世界を。海斗だけが知っていることをもっと知りたい。そして、海斗が私のことをどう想っているのか。私自身が海斗のことをどう想っているのか。さっきリゲルさんに言われたことをを思い出し、また赤面する。
「私、海斗のこと…」
この感情を表す言葉を私はまだ知らない。いや、まだ知らなくていい。今はそれどころじゃないんだということくらいは私も理解している。きっとこの気持ちを海斗に伝えるのは当分先にすべきなんだと心の中で言い聞かせることにした。
日が落ちてきた頃、海斗はようやく家に帰ってきた。楓音は夕飯の支度をすでに始めていた。
「おかえりー海斗、今日は遅かったね。」
「ああ、買い出しついでに街で情報を集めてきたんだ。」
「情報?」
海斗は食料や日用品と共に、数枚の資料と数冊の書物を持って帰ってきた。
「これは人間以外の種族の図鑑、その本は月の神に関する伝記、こっちは霊に関する資料だよ。」
「なんだか難しそうな本や資料ばっかり…」楓音には理解できなさそうなものばかりだ。
「今の俺達に起きている現象について、過去に同じ現象が起きた人がいなかったかとか、少しでも何か正確な情報を得られないかと思ってな。色々借りてきたんだ。」
「もしかして、海斗はまだあの人の言ってたことが正しいと思えないの?」
海斗は首を横に振る。
「あの女の言うことは今は信用せざるを得ない。けどどうしてもその中でも不安に感じていることが一つだけあるんだ。」
「それって?」
海斗は一つの資料を取り出しこう続ける。
「俺達は本当に死ななくなったのかだ。」
その資料は霊に関しての研究資料だった。
「ここには霊は死後、月に還り、生前の穢れを浄化された後に輪廻転生を受けると書いてあるんだ。」
「うん、それは私も知ってる。」これはエルスに生を受けた者全てが生まれつき刻まれている共通認識だ。
「その下には更にこう書いてあるんだ、『過去に数十年に渡り、死後霊をエルスに留まらせる研究をした者がいるが、全て失敗に終わっている。』と。」
「それって、今の私達と同じ状況を実現しようとした人がいるってこと?」
「そうなるな。」海斗が頷く。
「でも失敗しちゃってるんだよね、その研究って…」
「ああ、つまり俺達は研究者が長い時間をかけて辿り着けなかった、現状実現不可な状態にあるかもしれないんだ。こんなことあり得ると思うか?」
「それは…」
理解力に乏しい楓音でもこの不自然さはなんとなく理解できた。確かに現実的ではないだろう。
「つまり、俺達はまだ生きているのかもしれない。」
「もしそうだとしたら…!」
「ああ、あいつの言葉は全て嘘になる。でも嘘か本当かを確かめる為には、一度死ぬしかない…いやしかし、嘘ならそのまま…」
またぶつぶつとぼやきながら考え込んでしまう海斗を見かねた楓音は、海斗の手を握る。
「海斗、また悪い癖が出てるよ。」
「…っ…ああ、ごめん。」
謝る海斗を慰めるかのように楓音は続けた。
「あの女の人の言葉が嘘であっても本当であっても、このまま普通に生きていくことはできるじゃない?私は海斗といつも通り、このままずっと楽しく生きていたいよ。」
「楓音…」
「私だって不安なことはあるよ。でもそれは生きているか死んでいるか分からないこの状態よりも、あの人がもう一度私たちを襲ってこないかの方の不安が勝っちゃう。」
楓音の言葉に海斗はハッとする。
「そうか、その可能性もあるのか。」
女は海斗と楓音の人生を奪った後、姿を消している。
いつまた二人の前に現れるかは分からない。
そして次現れた時に女は二人に何をするのか。
想像すればするほど海斗の思考はネガティブになっていく。このままでは楓音をまた不安にさせるだけだ。海斗は頬を両手でペチっと叩き、気合いを入れる。
「…海斗?」
「…俺が弱気になってちゃいけないよな。俺は楓音を守るんだ。」
悩みの種は尽きないが、一つずつ解決していくしかない。海斗は覚悟を決めた。とにかく楓音を守らないと。それを第一に考えていくことにした。
「それにしても、楓音は今回の一件に関してすごく頼もしく感じるな。」
「だって、海斗が私以上に深刻そうな顔するんだもの。私が少しでも励ますしかないじゃない。」
俺の顔そんなになっていたのか…?と海斗は少し反省する。その上、強がる楓音の手が震えているのが見えてしまったのだ。こんな姿を見せられたら一層気合を入れてことを進めていくしかない。
「あ、そうだ海斗、リゲルさんが月見伝報持ってきてくれたよ。」
「お、受け取ってくれてたのか。ありがとう。」
楓音がリゲルから受け取った月見伝報を海斗に渡す。
「帰りが遅くなっちゃったからな。リゲルには明日謝っとくよ。」
受け取った月見伝報の表紙を見る。そこには一面大きな写真とその写真に関する特集記事が組まれていた。
「なになに?満月に映る二つの黒い影、一つは消滅、一つは森林へ落下。その正体はーーー」
「これって、昨夜の話?ってことはあの女の人を見た人が他にいたんだね。」
気になった海斗は記事を読み進める。だが結論、記事には黒い影の正体に関しては不明としか記載はなかった。見出し詐欺じゃないのかこれ。
「おそらく、消滅したとされている影はあの女の物で間違いなさそうだ。もう一つの影はなんなんだろうな。」
「月から他にも人が降りてきたのかな…?」
「そうかもな。近くの森林に落ちたらしいし、見つかればいずれ話題になるだろう。」
海斗からすると大きな情報は得られなかったが、もう一つの影の正体は少し気になる。明日こっそり調査しにいってもいいかもしれないと考えていた。楓音も興味を示したのか海斗へ提案する。
「私、その森を見に行きたい!海斗、連れていって!」
「ダメだ楓音、森林には月の光を避けて生きている魔族がいるんだ。危険だよ。」
珍しく強気で希望を伝える楓音を海斗は否定する。魔族は月の光の加護を拒絶し、穢れの力を取り込み人々を襲うと噂される、エルスで最も危険な存在だ。月の光が届きにくい森林や洞窟を根城にし、滅多に街には現れないが、森林に迷い込んだ人が魔族に襲われるという被害が多発しているのだ。
「でも、そこに月から人が落ちてきたかもしれないんでしょ!?その人から何か情報を得られるかもしれないし、魔族がいるなら、その人が襲われたら大変だよ!」
「少なくとも、今の俺達は身の危険を避けて生きるべきだ。俺は魔族に見つかっても逃げ切れる自信はあるが、楓音はそんな自信あるのか?」
「だ、大丈夫だよ!そこまで私はひ弱じゃない!…多分。」
楓音は最初は自信たっぷりに切り出したが、結局最後は言い淀んでしまった。
「大丈夫だよ楓音、伝報にこうやって載った以上は既に傭兵団が森林調査に入っているはずだ。その人が魔族に襲われる前に見つかれば保護されているはず。」
「そ、それならいいけど…」
「とりあえず、今日はもう遅いし、晩飯食って、月の加護を受けたら寝ようぜ。」
「そうだね、今日はシチューだよ!海斗、お皿出して!」
気づいた頃には既に空には月が浮かんでいた。腹減った〜と呟きながら体を伸ばした後、海斗は配膳を進める。楓音は鍋に再度火を点け、作り置きしていたシチューを温め直す。二人は今日も談笑を弾ませながら、平和に、幸せな食事を堪能した。
そして、これが楽園での最後の至福の食事となるのだった。
ーーーその夜、二人の絶望の声が闇に虚しく響く。
「どうして、どうしてなの…!?」
「月の加護を…感じない!!」




