2話「それは堕ちし武人、もう一つの罪」
月。エルスに生を与えし恵みの星。
エルスに生まれしものは死後霊となった後、月に還り新たにエルスに生を受ける輪廻転生までの間、生前の姿のまま月で暮らす。月の光によって霊が浄化されるまで輪廻転生することは赦されないからである。浄化にかかる時間やその間の環境は、生前エルスにてどれだけの徳を積んだかによって変わる。生前善行の限りを尽くした者は月では豊衣足食な暮らしが約束され、次の輪廻転生までにかかる時間も短くなる(月での生活を手放したくないからと輪廻転生を拒否する者もいる。任意のタイミングで輪廻転生は可能である。)
特に積んだ徳の多い者は月の最高神によって神に為ることを認められ、月の安寧と秩序を保つ役割を果たしながら、筆舌に尽くしがたい至高の祝福を得られるのだ。
逆に、生前悪逆非道の限りを尽くした者は、月では最底辺の扱いを受け、貧困と飢えに苦しみながら永遠にも近い時間を過ごすことになる。そうなった者の大半は贖罪を重ね、少しでも月の加護を受け苦しみから逃れようとするものだ。月にて罪を犯すなどもってのほかだ。
だが、ここに月にて大層な地位にありながら、大罪を企てるものがいた。
「…そろそろ頃合いか。」
彼の名は真白茨月。月の一番都市の衛兵長を任される男だ。長身で女性のように長い黒髪、肌白な上に白い袴がそれを惹き立たせる。彼は月の中で最も腕の立つ武士だ。それは月の神の圧倒的な神力をもってしても、容易に抑えることはできないほどの実力だという。
そんな彼が企てた大罪は「月の力の支配」。
それは月の力をを我がものとし、月の加護を独占するというもの。月の加護を独占さえしてしまえば、月の神であっても敵わぬ存在となり我が月の最高神となれる、彼はそう考えていた。一番都市の衛兵長を務めながら、数十年もの時間をかけて計画を練っていたのだ。衛兵長を務めていた理由は月の加護を受けやすい一番都市に居付きやすいからだ。また、一番都市の中央に聳え、月の神々が座す月宮殿の情報を得やすかったり、自身の武力を鍛えるための設備や環境も整っている。彼にとっては天職であり、最適な居住地であった。
そしてこの夜、彼は月の最高神である月黄泉命を討ち取るために単身、月宮殿に乗り込むつもりだった。今日はエルスの地上から見て満月の夜。この日は月の神々がエルスの生物達に加護を与えるため、月の各地へ赴く日だ。各々の神力を用いて月、そしてエルスに加護を与えるのである。
加護とは一言に言っても多種多様であり、傷や疲労の治癒、作物の豊穣、財貨の恵み、どれも月の神々から与えられる加護であり、エルスの生物は良い行いをし、徳を積むことでそれぞれが望む適切な加護が与えられるようになっている。
月黄泉命は月の神々が与える加護を管理し、適切に、無駄なく与えられるよう振り分ける役割と神力を持っていると言われている、月の神の中でも最高位の存在である。茨月は、月黄泉命を屠り、その神力を自身に宿すことで、月の神の加護を自分の都合の良いように利用することができると考えていたのだ。
ただ、茨月がいくら月で一番の武士であったとしても、神を相手にするのは骨が折れる。ましてや、月黄泉命は最高神。月宮殿の奥に籠り、滅多に外には現れない。最奥に辿り着くまでに多くの神を相手にしないといけないのだ。本来ならばーーー
そう、今日は神々が加護を与える為に月宮殿を離れ月の各地に散らばる日だ。つまり月宮殿には今は月黄泉命しかいない。この絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。今日まで綿密に調査をし、月宮殿に座す神々全ての情報を得、容姿も全て記憶した。それらが全て月宮殿を出て、各地へ発ったことも先ほど確認した。
今こそ月黄泉命を討ち取る時だ。茨月は長物の刀を腰に差し、月宮殿に侵入する。入り口には警備兵がいるが、衛兵長である茨月は日頃から神への謁見を許されている身分だ。神への叛逆など考えもしないであろう存在を警備兵は易々と通してしまう。そして、誰もいない静まり返った宮殿の中を更に奥へと進んでいく。最奥の部屋の前の大扉を開くと、そこには美しき最高神の姿があった。
「ようこそ、茨月。待っていたわ。」
神秘的な光を放つ神座に座るのは、黒く美しき髪に同じく黒く品格のある着物を纏った女神、月黄泉命。顔馴染みのある茨月の来訪をまるで予知していたかのように立ち上がり、茨月を迎え入れる。
「突然の謁見、失礼致します、最高神様。」
茨月は月黄泉命に敬服するように頭を垂れる。それを見た月黄泉命は冷たく鋭い眼差しで一言放つ。
「ええ、今日貴方が来ることは分かっていたわ。」
その言葉に、茨月の肩がピクリと跳ね、背筋が凍る。頭を上げた先に見えた女神の表情は、とても冷酷で非情なものだった。
「茨月、貴方の目論見は全て把握しているわ。」
「な、何を仰っているのです…?我はただ…」
未だかつて見たことのない冷たい女神の顔を拝んだことにより、茨月は慌てふためいた声で否定の姿勢を見せる。何故だ、どこかに書き記したわけでも、言葉にして話したわけでもなく、ただ自分の脳内で全てを企てた計画が、どうして神にバレているのだ。茨月の思考は完全に停止していた。
「貴方の邪悪な思考は月を通して伝わってきているのよ。」
「…月から…だと?」
「そう、私は月の力そのものを神力として扱えるの。」
「なっ…!」
茨月は二つの失態を犯していた。
一つは月黄泉命の神力の「正確な能力」を知らなかったこと。抑々神力とは月から放たれる生命の力を月の神々が宿し特殊な力を発揮するものだ。そして月黄泉命の神力は、茨月が知っていた月の神々の神力による加護を管理し、与えられた加護を地上に分配する力だけではない。月の力の全てをその身に宿し、月に存在する神から貧民まで、あらゆる輪廻の霊の存在から思考まで、月に存在するありとあらゆる事象を感知し、管理することができる力だ。
月は清廉かつ秩序の保たれた星であらねばならない。穢れなどあってはならない。月黄泉命の神力がある限り、月に存在する者の邪な思考は全て彼女に筒抜けになるのだ。
「…ならば、武を持って制するのみ!」
茨月は刀を抜き、素早く女神に斬りかかる。茨月は冷静さを欠いていた。計画がバレているのであれば早々に始末してしまえばいいと考え、最高神相手に真っ向から仕掛けにいくという愚行に出てしまったのだ。だが、神といえ、武力では劣らない実力の持ち主だ。少なからず勝ち目はある、茨月はそう踏んでいた。
しかし、それは彼のもう一つの失態でもあった。それは自分の武力を過信しすぎていたことだった。目の前にいるのは月の力を最大限受けることのできる最高神だ。その圧倒的な神力は、時に人智を超えた力を発揮する。
「残念だわ、茨月。」
月黄泉命が手に持った杖の先で床を叩くと、杖に付いている鈴がシャンと甲高い音を鳴らす。その刹那、茨月の視界は宮殿内部から、満天の星空に切り変わる。茨月は彼女の力によってエルスと月の間にある宇宙空間に放り出されたのだ。経験したことのない浮遊感を感じながら静かに堕ちていく感覚。だが目と鼻の先には未だ佇んでいる女神の姿があった。その表情はどこか憂いを帯びたものだった。今ならまだ、構えた刀を振り下ろせば、彼女を斬ることができただろう。だが、何故か腕に力が入らない。
「真白茨月、貴方に永遠の罪を与えます。」
「…何故だ、何故届かない…っっ!!」
茨月の身体から力が抜け、少しずつエルスに向かって落下していく。討つべき対象との距離がどんどん遠く離れていく。だが、その声は確かに聞こえていた。
「貴方を月から永久に追放します。地上にて終わることのない罪を背負い続けよ。」
女神の最後の言葉を聞いた後、茨月の体はエルスに向け速度を上げ、墜落していく。
「…何故だ、何故だ何故だ何故だぁあああああ!」
月の力を支配するという計画を叶えるべく、数十年の時を費やしたにも関わらず、こうも呆気なく無に帰すことになるだなんて。その絶望感から茨月は悲痛の叫びを上げることしかできなかった。
かくして、月への叛逆を企てた大罪人、真白茨月はエルスに堕とされることとなった。
「…分かって頂戴ね、茨月。今はまだその時でないのよ。」
堕ちていくその姿を見届けた月の最高神、月黄泉命は、何か含みを持たせた言葉を呟き、月宮殿へ戻って行った。




