プロローグ「それは満月の夜、一つ目の罪」
星世界「エルス」。
そこは地球とは似て非なる星であり、人間や動植物は地球に存在するものと同一でありながら、魔獣・神・悪魔など、我々が想像しうる多種多様な幻想的存在が混在する世界である。それぞれの種族がそれぞれの文明や拠点を繁栄させながらこの世界に在り続けており、それらが総じて、この世界からも見える「月」の加護を受けている。
この世界に於ける「月」はそれらに生と力、さらに恵みをももたらし、死後は魂、肉体共に月へ還ることになる。エルスに存在する全ての生命は月を神格視し、自身が死するその時まで決して触れず、決して脅かしてはならない存在だと認知しているのだ。
また、地上の現世で徳を積み、清純なる心で生を終えた者は死後、月の幽世にて神に為るとされている。神に為ったものは、月の安寧と秩序を保つための存在となり、死後もなお月の加護を最大限受け、至高の祝福を得られるのだという。逆に生前悪逆非道の限りを尽くした者は、月の純然たる光の力により浄化されるまで、永劫に凄惨な苦しみを受けることになるのだ。これは月からエルスに産み落とされ、生を受けた者全てが生まれながらにして植え付けられる「共通認識」なのである。
ーーー
地上の人間が住む領域の中で、最も清らかで、穢れのないとされる場所、「楽園」。そこには二人の少年少女が暮らしていた。
癖っ毛だが澄んだ青色の頭髪、右目が青、左目が緑のオッドアイの少年、篠懸 海斗と、ふわりとしたショートカットで緑色の頭髪、右目が緑、左目が青と海斗と真逆のオッドアイを持つ少女、遥 楓音。歳は海斗が18で楓音は16。二人とも月からこの楽園に生み落とされた人間である。その時の楽園には他に誰も人間は住み着いておらず、育ての親もいなかった。二人の血の繋がりも当然無いが、海斗は楓音を妹のように想い、楓音も海斗のことを第一に慕っている。
「楓音、今日はお月様が満ちる日だそうだよ。」
「わぁ…楽しみだなぁ…!」
毎日、楽園の外に住む妖精が持ってきてくれる月見伝報(月に関する情報が記された新聞のようなもの。楽園の外にある人間の住宅街で流行中)を片手に、海斗が今日の月見予報(今夜の月の見え方の予報)を楓音に知らせる。海斗は冷静沈着で、頭も切れる頭脳派タイプ。定期的に楽園の外にある街に出向き、様々な情報を仕入れてくる。月見伝報のことも街で出会った人間から聞いたものだ。海斗のそれらの行動は全て楓音に喜んでもらうためのもの。海斗にとって唯一の親愛なる存在なのだ。
「海斗、あのね…?」
「どうしたんだ、楓音?」
不安げに声をかけてきた楓音に、海斗も少し身構える。楓音は海斗と違い、他の人間とすら関わろうとしないほどの臆病な性格だ。基本海斗の言うことに従い、海斗の言動が全て正しいと思ってきた楓音が、生まれて初めて自分の意思を伝えようとしているように海斗は思えた。その気持ちを無駄にしたくは無いと、海斗も真剣な表情で楓音の次の言葉を待った。
「明日、外の街に行ってみたい。」
「!!」驚く海斗の表情を伺いながら、楓音は続けた。
「怖いけど、海斗と一緒なら、行けると思うの。だめ…かな?」
「…ああ!いいとも!街は楽しいものがいっぱいあるからな!」
ちょっと照れくさそうにおねだりをする楓音の頭を撫でながら、海斗はニカっと微笑んだ。楓音が初めて俺にお願いをしてくれたんだ。嬉しく無いわけがない。海斗は心の中でガッツポーズをしていた。
「そうと決まれば、今夜は満月からの加護をもらったら、早めに寝ないとだな。」
「ダメだよ海斗。満月の夜はお月様からの加護を一番いただける日なんだから。長めにお月見しないと。」
「夜更かしすると明日体力がもたなくなっちゃうぞ?」
「もう…そんなに脆くはないよ私。」
「はは、そうだといいけどな。」
二人のたわいも無い会話が楽園の中にポツリと建つ一軒の家の中に響く。二人は日々こういった楽しい人生を過ごしていた。
そう。ただ楽しく人生を謳歌していただけだったのだーーー二人の「人生」は、この夜、終わりを告げることになる。
月の加護を最も受けられる満月の夜。月の光が夜に咲く花々を照らし、美しく幻想的な景色を二人で眺めていた時だった。遠い遠い満月の中心から一人の人影が見えてきた。
「海斗、あれ誰だろう。妖精さんかな?」
「…いや違う、羽が生えてない。人間…なのか?でも、あんな人は見たことがない。」
満月の光に照らされ、顔はよく見えない。が、これまでに見たことのない絢爛豪華な着物を纏った女が上空からこちらを見下ろしているように見えた。その女は自分にしか聞こえないくらいの声でこう呟く。
「この子達でいいかしら。」
刹那、月に照らされていたその人影は消え、海斗と楓音の目の前に再び現れた。
「ひゃっ…!」
「だ、誰だあんたは!!」
海斗が声を荒げる。女はその問いには答えず、着物の袖から一本の神楽鈴を取り出し、一振りするとシャンッと甲高い音を鳴らした。その音を聴いた楓音は瞬く間に意識を失い、その場にどさりと倒れてしまった。
「!!おい、楓音に何をした!!」
ただ鈴の音を聴いただけで人が倒れるなんて摩訶不思議なことがあるわけがない。何かの術や魔法の類を使ったのだろうと瞬時に判断した海斗は女へ問う。女は簡潔に返答した。
「人間としての生きる時間、『人生』をその少女から『削除』しました。」
「何っ…!?楓音を殺したというのか!?」
人生を「削除する」という言い回しから、楓音の命を奪ったのだと解釈し、海斗は語気を強め、拳を握りしめる。持ち前の冷静さを欠き、怒りからいつその手を振るおうかという状況で、女は続けざまに口をひらく。
「殺めたわけでありません。人として生きる時間を取り除いただけです。」
「どういう意味だよ…!?」
殺したわけではない、と言う女の言葉から、海斗は僅かながらに冷静さを取り戻す。だが、いくら頭脳明晰な海斗でもこの女の話すことの意味を理解することはできなかった。足元にはぴくりとも動かなくなった楓音の体。今しがた目の前で起こった事象と女の放つ言葉の内容を照らし合わせ、もしそれが正しいのだとするならば、人としての「生を奪った」のに「殺した」わけではないと言う矛盾が発生する。その矛盾が海斗を悩ませる。
「俺らをどうしたいんだ!抑々あんたは誰なんだ?」
短時間で悩みに悩んで絞り出した結果の質問だった。そもそも目の前にいる女は何者なのか。いきなり俺たちの前に現れて俺たちを襲撃した理由すらも不明なままだ。女は後の質問にのみ答えた。
「私は月の神。今はそれだけ知れればよいでしょう。」
「月の…神だって!?」
目の前にいる女は、地上で生を受けた彼らが絶対的な信仰を捧げる「月の神」だと自称する。驚愕する海斗の目の前で神を掲げる女は再度神楽鈴を構えた。
「貴方も身をもって知るといいのですよ。神が与えし永遠の罪を。」
女は神楽鈴をもう一振りする。その音を聞いてしまった海斗の意識が遠のいていく。
(ダメだ、目の前が暗くなっていく…)
女の言うことを全て鵜呑みにするのならば、俺は死にはしないのだろう。ならせめて意識がなくなる前に女の姿をはっきりと見ておこう、そう海斗は思ったが、満月の月明かりが、女の姿をぼやかすように照らしており、はっきりと顔が見えなかった。海斗はそのまま意識を闇の中へ落としていった。




