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第十章③ 五人組

 ランデヴェネックの港全体が海の獣が息を潜めているかのように騒めいていた。夥しい数のマストが空を裂き、桟橋は人と荷で溢れ返る。樽が積まれ、火薬の匂いが鼻を刺し、船大工たちが最後の調整を急ぐ音が絶え間なく響いていた。そこに並ぶのはエドガー海賊団の船だけではない。カリブや地中海から流れ着いた名も無き船団たち、老朽化したガレオンから最新のブリッグまであらゆる艦がこの港へと押し寄せている。混沌だが、無秩序ではない。戦争を前にした歪な統一だ。第八船団の甲板の上、アランは何も言わず視線を港へと向けた。


「……こんな場所があったとは。入り組んでいて狭い……これでは外からの艦隊は機能しない。海軍はこの港を正面からは攻められない」


 アランは低く唸るように言った。指揮官としての思考が自然と働いている。


 港の奥、リヴェンジ・クイーンの甲板ではマテオが相変わらずの威勢を放っていた。怒号と笑いが混ざったような声で部下を蹴散らし、誰一人として近寄ろうとしない空気を作り上げている彼の傍らでニールが肩をすくめた。


「……フェルナンドの代理もいるけど、ぶっちゃけ僕らの方が畏れられてない?」


 マテオは視線だけで周囲をなぞる。確かに、港に集う連中の視線は、船長室よりも甲板のこちら側に向けられていた。マテオは鼻で笑うと肩を回してわざとらしく威圧を強めた。


「そりゃそうだろ。オレたちが“普通の船乗り”だった頃のトラウマ、刺激してるんだから。あの代理は無口なだけ。まだフェルナンドの方が怖い。フェルナンドの名を借りただけの無能だ」


 マテオとニール、そしてコリンは並んで港を見下ろしていた。騒めきが変わり、人の流れが割れて海賊たちが無意識のうちに道を開けていた。その中心をエドガーが堂々と歩き、彼の背後でジャスパーが気だるげに歩いている。


「……来たね」


 ニールが呟くとマテオはにやりと笑った。


「やっと主役のお出ましかよ」


 やがてエドガーは桟橋を渡り、何の躊躇もなく船へと乗り込むと甲板に蔓延る海賊たちへ向けて言い放つ。


「お前ら、手を止めて船を降りろ。これより演説を始める」


 エドガーはジャスパー、マテオ、ニール、コリンと順番に視線を滑らせる。


「お前たちはここに残れ。重要な人間だと奴らに知らしめるためだ」

「……うわ、めんど」


 ジャスパーが顔を顰めた。コリンは苦笑し、ニールは肩をすくめる。マテオはため息を吐いて頭を掻いた。甲板の上に選ばれた者たちだけが残る。港を埋め尽くす船と人の群れがリヴェンジ・クイーンへと視線を向け始めていた。エドガーは黒いマントを靡かせ、眼下に蔓延る海賊たちを見渡した。彼の背後にはジャスパー、ニール、コリン、マテオが王の玉座を固める近衛兵のように並ぶ。


「——諸君。まずは……フランソワに哀悼を」


 甲板から放たれたエドガーの声が港全体を震わせた。騒めきが潮のように引き、数百の視線が一斉に彼に向かう。


「彼は我らの友にして、海原の王者。その死は……決して波に呑ませはしない。我らがこの手で、必ず報いを受けさせる。——海軍に」


 口にした瞬間、エドガーの胸の奥に焼け残った何かが疼いた。甲板下から怒声が轟き、エドガーは彼らの熱を掌中で転がすように受け止め、さらに焚きつけた。


「今こそ、海賊の民主主義が試される時だ! 我らが団結すれば、海軍は倒れる。これは夢ではない、現実だ。そして……自由のために戦うのだ!」


 エドガーが右手を高く掲げて彼方の水平線を指すと、歓声が爆ぜて足踏みと鬨の声が船体を震わせた。エドガーはその騒めきを手綱を引くように制御しながら視線を群衆の上に滑らせる。帆も人も港も自分の支配下にあるという確信が唇に冷たい笑みを刻んだ。エドガーの後ろでコリンが顔を伏せて息のような声を洩らす。


「……嘘つき」


 歓声が甲板を包み込む中、エドガーの背後でジャスパーが低い声で呟く。


「思ったより早かったな。戦闘開始までもう間もなくってか」

「天候次第だね。こんな冬の季節に戦争とは、まさに体力消耗戦だ。海賊も海軍も過酷な戦いになるよ」


 ニールが冷静に天を見上げて言うとマテオは少し苛立ちを滲ませて言い放つ。


「……話、長ぇな。オレはしばらく席を外す」


 皆が察したように視線を送り、ジャスパーは軽く合図を返す。


「おう、見つかるなよ」


 マテオは無言で甲板の階段を降りていった。船の最下層に近い場所は弾薬や貨物が雑然と積まれ、陽光すら届かぬ薄暗さだ。マテオは移動途中にピッキング工具を見つけて懐に忍ばせた。やがて、ひときわ目立つ古びた扉の前で、マテオはふてぶてしく口元を歪める。


「……死んでないといいがな」


 冗談めかした言葉を漏らしながら彼は熟練の手つきでピッキング工具を取り出して錠を解いていくと扉に手をかけ、重い扉を押し開けたその先へ踏み出した。


 暗闇の中、軋むような音が響いて閉ざされていたはずの扉がひとりでに開く変化にルキフェルの意識が浮上した。目を開けると足音が近づいてくる。この暗闇をものともしない者の気配だった。ルキフェルが視線を上げた瞬間、飛び込んできた影が膝を突いて強く抱き締めてきた。


「……っ、……苦し……」


 義手の硬質な感触。容赦のない力で締め付けられて肺が軋むが、ルキフェルは抵抗せず受け止めると息を吐いて口元を緩めた。


「……勝手に開けやがって。手癖悪い」


 ルキフェルがからかうように言うと抱き締めてきた腕が少しだけ緩んだ。


「うるせえ、内側からかけてくるやつが悪い。こじ開けるしかねえだろ」


 名乗るまでもない、マテオだった。マテオの身体が離れると距離が生まれ、互いの顔が見えて一瞬言葉が途切れるとマテオがぽつりと落とす。


「……会いたかった」


 ぶっきらぼうな声音だが、抑えきれない何かが滲んでいた。ルキフェルは目を細める。


「……俺も」


 ルキフェルは視線を落とし、もう一度だけ息を整える。


「お前たちが無事で嬉しい」


 マテオはもう一度だけルキフェルの肩を掴んで何かを言いかけ、言葉を選ぶように口を閉じると逡巡してから重く口を開いた。


「……エドガーの部下から聞いたぞ。フェルナンドと決闘して……足、撃たれたって」


 ルキフェルはわずかに肩をすくめる。


「ああ。けど安心しろ。もう動ける」


 事もなげに言うが、その軽さが逆に癇に障ってマテオの眉がわずかに寄る。


「それと……九尾の猫。三十九回の鞭打ち」


 ルキフェルの動きが止まり、苦笑とも諦めともつかない声音で言う。


「……それも聞いたのか」


 マテオは真っ直ぐにルキフェルを見据えると苛立ちを含ませて言う。


「あいつら、お前を畏れてる。何度も死地に追いやられても必ず這い上がる。……悪魔だとさ。そんなわけ、ねえのに」


 ルキフェルは掠れた声で笑った。


「そんな風に思われていたのか。散々、嘲笑っていた奴らが」

「笑い事じゃねえよ。命、削りすぎなんだよお前」


 マテオの声がルキフェルの言葉を断ち切るように怒鳴った。抑えていたものが滲み出ている。ルキフェルは一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を落とした。


「……悪かった。心配かけさせて」


 マテオは何も返さない代わりに一歩踏み込むと、ぐいっと自分の額をルキフェルの額に押し付けて口を開く。


「……絶対に、死ぬなよ」

「わかってる」


 ルキフェルは目を閉じ、マテオは念を押すように続ける。


「……もう少しの辛抱だ。それまで、死ぬな」


 マテオは身を離して立ち上がると踵を返して扉へ向かったが、彼の背をルキフェルが呼び止める。


「マテオ」


 マテオの足が止まって振り返る。暗闇の中、視線が交わってルキフェルは口元を緩めた。


「あいつら、俺のことを悪魔だって?」


 マテオは一瞬だけ黙って「違う」と吐き捨てるように言った。ルキフェルは少しだけ柔らかい笑みで言う。


「俺はな……まだ死に方を決めてないんだ。だから、覚えておけ。俺は、ただ自由に生きたい男だ。簡単には死なない。忘れるなよ」


 マテオは鼻で笑って肩をすくめた、


「カッコつけてんじゃねえよ、囚人。……じゃあな、ちゃんと生きろ」


 マテオは扉に手をかけると再度振り返った。


「生き延びて、エドガーを殺そうぜ」


 ルキフェルは笑って頷くと扉が閉まって再び暗闇が広がったが、先ほどまでとは違う熱が残っている。



 エドガーの演説がようやく終わると甲板騒めきが徐々に静まっていった。エドガーは歩み寄り、背後に控えるジャスパー、ニール、コリンの顔を一瞥した。


「よう待たせたな。マテオの姿がないが」


 ジャスパーは肩をすくめ、微かな笑みを浮かべて呟く。


「ああ、たぶん酒に浸かってるんだろうな」


 エドガーの目に一瞬、苛立ちが走るがすぐに押し込める。


「相変わらずだな、奴は。さて、今こそお前らの賢い頭が必要だ。次の戦いでマクシミリアンの野郎を捕らえたい。だがな、あの様子じゃブレストはひたすら守りに入るだろう。どうにかして奴を戦場に引きずり出せる手はないのか?」


 誰もが答えを探し、互いの目を交わすとニールが呟くように言った。


「結局、人任せってわけか」

「頼む。昔からの仲間じゃないか」


 エドガーはニールに鋭い視線を向けて声を低くすると、コリンの声が小さく割り込んだ。


「本当にフランソワ船長のための弔い合戦なのか怪しいよ」


 ジャスパーは挑発的に笑みを浮かべて問いかける。


「なあ、エドガーさんよ。あんたの目的は戦争か? 復讐か? どっちなんだ?」


 エドガーの表情が暗転し、眼光は冷たく声は鋭く切り裂いた。


「両方だ。欲しいものは、どんな手を使っても奪い取る」


 ジャスパーは顔を引き締めて目を光らせる。


「……なるほどな、今ここでハッキリしたぜ」


 ジャスパーは口の端に薄い笑みを浮かべる。笑っているのか、呆れているのか、その表情には微かな皮肉が滲んでいた。


「王様気取りでおれたちを操ろうってわけか。忠誠心も誇りも、全部あんたの手のひらで転がす駒に見えるらしいな」


 ジャスパーの指先がそっと腰の側に置かれた剣の柄に触れる。冷静だが視線は鋭く、微かに火花を散らすような光を帯びている。彼は口元の笑みを消さずに声に圧を含ませた。


「けどよ、これだけは覚えとけ? おれはあんたに本気で死んでくれと思ってる。おれの仲間を駒呼ばわりして悦に入るのもいい加減にしろよなぁ」


 ジャスパーはゆっくりと視線を巡らせ、ニールとコリンの顔を一瞥する。


「おれたちは、お前の支配欲を満たす“燃料”じゃねえ――覚悟しろよ、エドガー・ロジャース」


 ジャスパーの言葉が終わるや否や周囲の海賊たちが一斉に武器を構え、三人を包囲した。彼らの刃が太陽の光を受けて煌めき、緊張の糸が限界まで張り詰める。三人は武器を手に構えるとエドガーは彼らを一瞥し、冷酷な笑みを浮かべながら言った。


「吠えるがいい。抗えるならば、な」


 エドガーは踵を返すと、海賊たちは彼の背を見送りながら甲板には獰猛な殺意を満たした。


「待ってろ、フランス海軍。目にものを見せてやる、殺し合いの舞台でな」


 エドガーの声が風に乗り、海の彼方へ消えていった。張り詰めた空気だけが残る時、甲板へと続く階段の下から足音が響いた。


「……ん?」


 マテオは数歩進んで足を止めると周囲を見渡した。抜かれた刃、異様に静まり返った空気、そして何も言わず立つ三人。


「……なんだよ、この空気」


 ニールが視線を逸らし、コリンは口を開きかけて閉じた。ジャスパーはマテオを振り返るなり肩をすくめる。


「終わったとこだ」


 マテオの眉がわずかに寄る。


「……あいつは?」

「行った」

「チッ」


 マテオは舌打ちすると三人の隣に立つ。彼らの背後でまだ消えきらない殺気が燻っていた。マテオは低く唸るように呟く。


「……クソみてえなタイミングだな」

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