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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】5・6巻「胎動編」  作者: セキユズル
第九章「行くぞ。我らの街を、我らの民を、そして我らの誇りを、守るために!」
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第九章① 「五鬼衆」誕生

 翌朝、まだ朝靄の残るブレスト城に馬蹄の音が鋭く響き渡った。


「開けてください! 急報です!」


 門衛が慌てて門を開けると、土埃まみれの伝令が馬から跳ねるように降りて声を張り上げた。


「ユルリッシュ・ルソー准将が帰還されました! ただちに全隊、ブレスト司令部の造船所へ出迎えに向かえとの通達です!」


 伝令の口ぶりはもはや単なる帰還を告げるものではなかった。まだ眠気の残る司令部が一気に動き出し、ただならぬ気配を感じ取った者たちは武装を整えて次々と港へと向かう。

 

 ブレスト司令部が直接管轄する造船所、波打つ海を背景には先に到着していたルソー艦隊の兵たちが整列していた。やや遅れて到着したブレスト司令部の面々も岸にずらりと並び、厳かに敬礼の姿勢を取ると号令とともに仁王立ちのような男が大型ガレオン船から姿を現す。


「ユルリッシュ・ルソー准将、帰還!」


 快活な笑みを湛えたルソーは船を降りるやいなや出迎えの列を一瞥し、ざっくばらんな口調で言った。


「おう、みんな、ご苦労さん。詳しい話は副官がしてくれる!」


 そう言い終えるが早いか、彼はアンドリューに軽く手を挙げ、すぐさま用意された馬に跨がると白いマントが風を受けてなびき、力強く馬の腹を蹴ると彼の姿は一瞬にして港の視界から消えた。残されたのは、やや唖然とした面持ちの出迎え部隊とアンドリューだった。アンドリューは冷静な口調で一同に向き直り、声を張り上げる。


「准将はすぐにパリの総司令部に向かわれました。皆さんには、まずこちらの情報を共有しておきます。我々が帰還する道中、正体不明の海賊船を拿捕しました。奴らはポート・ロイヤル出身だと判明しています。しかも、ある重大な書簡を所持しておりました」


 兵たちの間にざわりと小さな波が広がるが、すぐに言葉を失ってアンドリューの次の言葉を待った。


「その内容は……明かすには、あまりに状況が不確かです。ただし、この一件が極めて重大な陰謀に繋がっている可能性が高い。これより、我々ルソー隊はブレストにて待機を命じられています。准将からの言葉を借りれば、『そのうち戻る』とのことです。それまでは万全を期し、準備を整えてください」


 やがて一同は粛然と敬礼を交わし、無言のまま散っていった。嵐の前の静けさが港を包み込んでいる。



 同じ頃、サン・マロ。港町は朝から慌ただしかった。潮の匂いと人の怒号が混じる埠頭で、アーシャとフェリスは苛立ちを隠せない様子で部下たちに指示を飛ばしている。


「だから、もう一回探してきてって言ってるでしょ! 船宿でも酒場でもどこでもいいから!」

「見張り台もだよ! 兄さんたちなら港に戻ってる可能性あるって言ったじゃん!」


 二人の声に追い立てられた部下たちは慌てて港の雑踏の中へ散っていくが、しばらくして戻ってきた者たちは皆同じ顔をしていた。


「……いません」

「船宿も全部回りましたけど……それらしい連中は」

「港も見張りましたけど、入港記録もないです」


 彼らの報告を聞いた瞬間、フェリスが机を叩いた。


「おかしいでしょ! どこ行ったんだよ!」

「兄貴たちが連絡なしってあり得ない……」


 アーシャが腕を組んだまま唇を噛むと、部下たちと入れ違いにアランが船長室に足を踏み入れてきた。


「……港にはいない」


 三人の間に沈黙が落ちた時、扉が勢いよく開いて飛び込んできた部下が息を切らして言う。


「船長! エドガー船長から伝令来ました。海賊団、全員移動だそうです! アジト変えるから全船団集結しろって!」

「は?」


 アーシャとフェリスが同時に顔を上げると部下は慌てて海図を広げた。


「これ……場所の地図もらいました。ここっす」


 部下の指先が海図の一点を指した。赤い印を見たアーシャとフェリスが首を傾げた。


「……これどこ?」

「知らない」


 二人の横で海図を見ていたアランの表情だけが変わり、低く掠れた声で呟く。


「……また厄介な場所だな」

「え?」


 アーシャがアランを振り向くと彼は海図を指でなぞりながら言った。


「——ランデヴェネック」


 アーシャはぽかんとしたが、すぐに顔を顰めてフェリスも苦々しい顔で腕を組む。


「でも、兄貴がいないから船出せないよ! やっと人員揃ったのに、航海士がいないんじゃ……」

「ていうか兄さん達ほんとどこ?」

「捕まったかもな」

「……は?」

「え?」


 アランの一言で二人の顔から血の気が引いた。アランは淡々と続ける。


「エドガーにだ」

「……嘘、でしょ」

「可能性の話だ」


 震えるアーシャの隣でアランは肩をすくめ、海図を畳むと冷厳な目で二人を見据える。


「俺も共に行こう。こんな未熟な船でランデヴェネックなんて行けば、迷子になるだけだ。航海士が必要だろ」


 アーシャとフェリスは顔を見合わせ、やがてアーシャが頭を深々と下げた。


「……ヨロシクオネガイシマス」


 その日の午後、サン・マロの裏路地に位置するリー・ウェンの隠れ家にてアランが扉を開けると中にいたワンとポーランが顔を上げた。


「おや」

「第八の奴らと行ってくる」


 ワンが声を上げるとアランが素早く用件だけ告げ、ポーランが眉を上げる。


「どこに?」

「ランデヴェネック」


 アランの言葉にワンの目がわずかに細めた。アランは続ける。


「俺の仲間が戻ったら伝えてくれ。場所はラド・ド・ブレスト周辺。じゃあな」


 それだけ言うとアランは踵を返した。扉がバタンと音を立てて閉まり、足音が遠ざかるとポーランとワンは頷いた。


「また厄介な場所っすね」

「組織の仲間にも、早急に伝えよう。それから、十四代目コルヴァン殿にも」


 窓の外で海風が街を撫でる中、ワンはゆっくりと言った。


「黒辰封儀教団が絡んでいる以上、組織としては五人の海賊達を全面的に救助。そして支援するよう動かなくてはならない」



 パリ総司令部。冬の朝の冷気がまだ石造りの廊下に残っていた。重厚な扉の向こう、総司令部の執務室では書記官たちが無言で羽ペンを走らせている。紙の擦れる音とインク壺のかすかな揺れだけが広い室内に静かに響く中、その中央の机にエリオットは座っていた。彼は指先で額を押さえながら書類を追う。金糸の刺繍が施された軍服の襟は緩められていたが目だけは鋭い。彼の視線の先には山のような報告書。諸外国との会戦、補給線、冬季配置、各艦隊の再編。年末を前にして軍務は嫌になるほど積み上がっていた。


 ……忙しい。


 この時期に海軍が勝利したのは喜ばしいことだが、同時に新しい仕事の山を意味する。彼の傍らではイザベル・ボナパルトとベルリオーズ・モンレザールが黙々と書類を整理しており、時折二人からの報告が挟まれる。


「南方艦隊の補給、予定より三日遅れています」

「ブレスト方面の捕虜移送、調整が必要です」


 エリオットは頷きながら次々と判断を下していく中、ノックもそこそこに扉が開いた。アルフォンスがやや息を切らせて入ってくるとエリオットの机までせかせかと歩き、封書を差し出した。


「大元帥、お届け物です。十月二十八日付の報告です。ネーデルラント連邦との会戦において、ユルリッシュ・ルソー隊が勝利を収め、無事ブレスト司令部へ帰還。その後、ルソー准将はただちにパリへの移動を開始したとあります」

「そうか、ユルリッシュが勝ったか。良かったな」


 エリオットは思わず息をついた。ルソーが勝ったのなら、それは確実な勝利だ。あの男は戦場では滅多に負けない。エリオットは封を開けようとしてピクリと手が止めて顔を上げた。


「……待て。ユルリッシュがパリに向かった?」


 その瞬間、執務室の空気がわずかに変わった。イザベルの手が止まり、ベルリオーズが顔を上げる。エリオットは眉を寄せた。嫌な予感がする。


「それって……おい、今日は何日だ?」

「十一月二日です。おそらく、今日中には到着されるかと」


 アルフォンスの答えを聞いた瞬間、エリオットは立ち上がった。


「しまった。いかん、ここに入れてはまずい!」


 エリオットが書類を机に叩きつけるとベルリオーズが眉を顰め、アルフォンスは目を丸くした。


「なぜルソー准将をそこまで避けられるのですか? まさか、仲が悪いとか……?」

「いや、嫌ってはいない。ただ……」


 エリオットは一瞬だけ言葉に詰まり、諦めたように椅子へ崩れ落ちるとぼそりと言った。


「——うるさいんだよ、アイツ」


 その場にいた全員の表情がなぜか同時に緩んだ。誰もが同じ答えを思い浮かべていたかのように。イザベルが苦虫を潰したような顔で口を開く。


「衛兵に伝えておきましょうか? 警備の者に一声かけるように」

「ああ、そうしてくれ。入り口で数分足止めできれば、こっちの覚悟も決まる」


 エリオットは疲れたように頷いて天井を見上げると吐き捨てるように言った。


「……まったく、なんでこれから年末にかけてクソ忙しくなる時に戻ってくるんだか」


 エリオットは椅子に凭れ、書記官たちは何も聞こえていないふりをしてペンを動かし続けていた。だが、エリオットだけは知っている。ユルリッシュ・ルソーがただ帰ってくるだけのはずがない。あの男はいつも嵐を連れてくる。今回もきっと例外ではない。


 数刻後、扉が蹴り破られて真冬の突風のような気配が執務室に流れ込んだ。ルソーはまっすぐエリオットへ歩いていくはずだったが、途中で足を止めた。


「……ん?」


 彼の視線の先、ベルリオーズが机に向かって書類を整理している。整った顔立ち、整然とした軍服、冷静な所作。美丈夫と言っていいだろうが、ルソーは彼の顔に妙な引っ掛かりを覚えた。


 ——なんだ? どこかで見たような……。


 ルソーは無意識に足を向ける一方で記憶を探っている。戦場ではない、軍議でもない。もっと曖昧な記憶の底。ベルリオーズの机の前まで来ると、ルソーはまじまじと彼の顔を見下ろした。ベルリオーズは戸惑ったように頬を掻く。


「あ、あの……何の御用でしょうか……?」


 その瞬間、ルソーの視線がベルリオーズの左手に止まった。黒い指輪に刻まれている紋様、ワタリガラス。


 ……ああ、これか。


 ルソーは息を吐いた。懐かしさにも似た感覚が胸の奥をかすめる。


 ——悪趣味な指輪だが……見たことある。どこで見た?


 ルソーは思わず低く呟いた。


「その指輪……」

「す、すみません、すぐに外します……!」


 ベルリオーズが慌てて手を引っ込める反応にルソーは思わず笑った。


「いや。その指輪……イカしてんな」


 ベルリオーズが困惑した表情を浮かべ、ルソーはもう一度指輪を見る。


 ……なんだろうな。どこで見たんだっけな。


 記憶の奥に引っかかる感覚、言葉にならない違和感。思い出せそうで思い出せない。ルソーが口を開きかけた瞬間、エリオットの明瞭な声が飛んだ。


「ユルリッシュ!」


 ルソーは肩をすくめてベルリオーズから視線を離すとエリオットが立ち上がって慌てて彼に歩み寄る。


「ほら、東洋の紅茶をやろう。今日は帰ってくれないか」

「無理だ。お前にどうしても会いたくて、早馬で駆けてきたんだ」

「だから今は忙しいんだよ……後日、ちゃんと時間をとるからさ」


 ルソーは息を吐くとエリオットの耳元にぐっと顔を近づけて囁く。


「内密に話したい。……イザベルとアルフォンスも交えてな」


 エリオットは表情を硬めた瞬間、手を叩いた。


「みんな、今日は早めに昼休憩だ。直ちに休みにしてくれ」

「はっ!」


 書記官たちは一斉に書類をまとめ、逃げるように執務室を後にしていく。ベルリオーズも立ち上がりながら最後に一度だけ振り返り、胸の奥に鈍く黒い感情が湧き上がるのを感じながら出ていった。やがて執務室には四人だけが残り、彼らは顔を見合わせてエリオット専用の執務室へ移動する。エリオットはいつもの柔らかな微笑みを浮かべているが、目だけは笑っていない。彼の向かいにはルソーが仁王立ちし、その後ろにはイザベルとアルフォンスが控えている。四人の視線が張り詰めた糸のように交錯した中、エリオットが口を開く。


「君がここに来るときは、たいてい何か不穏なことが起きている時だ。今回はどんな嵐を連れてきたんだい?」


 ルソーは鼻で笑うと懐からくたびれた封筒を取り出す。


「証拠だよ。拾い物だがな、見る価値はある」


 ルソーは先にイザベルに差し出すと、彼女は受け取るなりざっと目を通した。


「……これは、エドガー・ロジャース。我が国の指名手配書にも名前のある海賊だが、何だ?」

「最近、彼の分隊が地中海やガスコーニュ湾でちょこまか動いてるという報告は上がってきてますね。小競り合い程度で済んではいますが」


 アルフォンスが補足し、エリオットは腕を組んだ。


「……とはいえ、肝心のエドガー本人は一向に姿を見せない」

「まったく、陸で椅子に座ってるだけのやつはこれだから困る。あいつは動いてる。間違いない」


 ルソーが言い放つとエリオットがイザベルの手に握られた封書を顎で示す。


「その手紙……」

「ポート・ロイヤルから来たという海賊団の船を捕まえたんだ。船の名も知らんような連中だが、こいつは

その船に積まれてた手紙だ。ざっくり訳せば召集命令ってとこだな」


 ルソーの報告にイザベルが手紙をじっくり読みながら頷く。


「たしかに、組織的な動きがある。“同盟”とか、“結集”とか」


 アルフォンスが思い出すように言った。


「ブレストに戻る途中で捕まえた不審船の件も報告にありましたね。泡沫集団でしたが……」

「ユルリッシュ、君は何が言いたい?」


 エリオットが刃のような鋭さを伴った響きで遮ると、ルソーは勿体ぶらずに潔く答える。


「この召集令状を見るに、エドガー・ロジャースを中心に海賊たちが何か仕掛けようとしてるのは明白だ」

「……計画、というわけか」

「ああ。だが今のオレに推測できるのはここまでだ。陸の人間の“頭脳”ってやつを借りたくてな。お前らなら何か見えるかと思ってよ」


 エリオットとルソーのやり取りの横ではイザベルが顎に指を当て、アルフォンスが床に視線を這わせる。


「計画、ね」

「海賊団を片っ端から集めているなら、それなりの“的”があるはずです。奪う価値のある標的。あるいは政治的な意味を持つ何か」


 エリオットは遠くに目を向けて思考を回転させていた。海賊の動き、召集命令、そして沈黙していた時間。エドガーは動かなかった、何かを待っていた。あるいは、準備していた。その瞬間、一つの推測が彼の脳裏に浮かぶ。


「もしくは……仇討ちか?」


 エリオットの唐突な言葉に空気が止まる。


「……は?」


 ルソーが眉を顰め、イザベルもエリオットに視線を向け、アルフォンスも言葉を失うが、エリオットの顔から冗談めいた色は消えていた。彼は頭の中でかき集めた情報を基にぽつりと呟く。


「……いや。ある男を思い出してな。——大海賊フランソワだ。フランソワとエドガーは“良き悪友”だった。エドガーが動かなかった理由が仇討ちの準備期間だったとしてもおかしくはない」


 執務室に沈黙が流れ、イザベルが口を開いて破る。


「お言葉ですが大元帥。……いえ、エリオット。今回の件を“誰か”と重ねてはいませんか?」


 この部屋の三人は知っている。エリオットがかつて何をしたかを。かつて彼には親友がいた。

 ——大海賊ゼフィランサス。だが、エリオットの家族が殺された報復として、エリオットは親友を討った。復讐だった、国家の命令ではなく個人の憎悪によって。エリオットは目を閉じた。


「……経験則からの推測だよ」


 部屋が再び静まり返る。書簡の内容はひとまず共有されて議論も一段落したが、ルソーの意識だけは別のところに引っかかっていた。


 ……さっきの若造。


 あの書記官の顔が妙に頭から離れない。陰気な目つき、整った顔立ち、あの指輪。どこかで見た。ルソーが助けを求めるように口を開く。


「ところでよ……あの、陰の濃い書記官。名前、なんつったか」


 アルフォンスがエサを前にした犬のように目を爛々とさせて即答する。


「ベルリオーズ君ですね! 頭脳明晰で仕事も完璧、書類処理の速度も異常なくらい早いんですよ。僕も大いに助けられてます」

「うーん……」


 ルソーが腕を組んで天井を見上げると若い頃の記憶がぼんやりと浮かび上がる。


 ——十年前、サン=ジャン=ド=リュズ。海に面した港町で開かれた、貴族主催の夜会。「国に貢献した者」を集めたという名目の煌びやかな宴だった。


「あんな場所、二度と行きたくねえ」


 当時四十を過ぎたばかりのルソーは場違いな空気に終始居心地の悪さを覚えていた。その宴には私掠船の英雄、フランソワもいた。王国の名を掲げて敵国船を沈めて回った、海では名の知れた男。

 そのフランソワの隣に、もう一人男がいた。細身の体、上品な顔立ち、社交慣れした笑み。指には黒い指輪、ワタリガラスの紋章。その男はフランソワと並び、酒を飲みながら楽しそうに笑っていた。ワイルドな海の男と、どこか影を帯びた美丈夫。ルソーは若い男前二人を眩しそうに眺めていた時、誰かが横で言った。


「あれがコルヴァンらしい」


 コルヴァン。宴の最中、ルソーはその男とすれ違いざまにぶっきらぼうに挨拶を交わすと男は自らを「セドリック」と名乗り、柔らかな笑みを浮かべて言う。


「“海賊狩りのルソー”さん、ですよね? どうも、十四代目コルヴァンです。祖父と親父の代がよく世話になったと聞いています」


 ルソーは鼻で笑った。


「世話になったのはこっちだ。お前の爺と親父が海賊の巣や航路を教えてくれたおかげで、オレは海賊狩りなんて呼ばれるようになっちまった」


 セドリックは楽しそうに笑うと声を落として囁くように語る。


「ええ、それも聞いてますよ。戦場では鬼神の如く海賊を薙ぎ払うって。『お前もそのうちこき使われるぞ』って親父によく言われたもんです。けど、お得意さんには申し訳ないんですけどね……ここだけの話、実は結婚することにしたんですよ。貴族に婿入りってやつです」

「ほう」

「なので、情報屋は畳むことにしました」


 セドリックは肩をすくめて言ってのけた。

 夜会の光の中で彼の黒い指輪が煌めき、記憶がぴたりと繋がってルソーの目が見開かれた。


「——情報、か……そうか!!」


 ルソーが突然大声を上げて執務室内の高い天井に若干木霊した。


「うわっ、いきなり大声を出すな」


 エリオットが顔を顰めるが、ルソーは拳を握りしめていた。


「あの野郎、そういうことだったのか……!」

「ひとりで盛り上がらない。報告して」


 イザベルが峻厳な態度で促すとルソーは彼女を振り返って素っ頓狂な声で捲し立てる。


「ベルリオーズといったか。あの陰気な書記官……どこかで見た顔だと思ってたんだが。ありゃ“コルヴァン”に似てる」

「……まさか、伝説の情報屋のことか?」


 エリオットが眉を顰め、イザベルも眉間がピクリと動くもすぐ打ち消すように頷いた。


「公にはできませんが、かつて我が軍も世話になったと聞いています」


 ルソーは腕を組み、天井を仰いだ。


「そうそう。たしか十四代目で終わったはずだが……ありゃ後継がいるな」

「えええ……もしかして、それがベルリオーズ君だって言うんですか?」


 思わず声を上げたのはアルフォンスだった。信じられない、といった顔で青ざめている。


「……それ嫌だなあ」

「君、彼とそんなに親しかったのか?」


 エリオットが苦笑混じりに問うが、すぐに真顔に戻った。


「だがユルリッシュ。顔が似てるだけで決めつけるのは早いぞ」


 ルソーは腕を組んだまま視線を遠くに泳がせるようにして言い放つ。


「いや、根拠はある。あいつの指輪だ。オレはこの目で見た、あれはワタリガラスの刻印だった」


 アルフォンスが眉を上げ、別に意見を求めてないのに口を挟んでくる。


「指輪、ですか? ベルリオーズ君はいつも黒い指輪をつけてますけど、それがどうかしたんですか?」

「……なるほど。それなら話は変わってくるな」


 エリオットは重々しく頷いた。


 そういえば、コルヴァンが伝説と謳われる謂れは語れてなかったな。解説が長くなりがち且つ相手の反応を伺いがちに話すエリオットがこれから皆に聞かせるが、ここでは彼に代わってなるべく簡素にまとめよう。


 “伝説の情報屋”と呼ばれる一族の始祖は、遠くイングランドに遡る。ロンドン塔でワタリガラスの世話を命じられていた一人の男が王家に関わる重大なスキャンダルを暴露したのち、三羽のワタリガラスと共にフランスへ逃亡して以後、その男の子孫はワタリガラスを象徴とし、代々情報屋として暗躍した。驚くほど正確な情報と鳥を用いた迅速な伝達手段は何代にも渡って受け継がれ、いつしか“伝説の情報屋”とまで呼ばれる存在になった。

 そして一族の長にはもう一つの証がある、漆黒の指輪だ。刻まれたワタリガラスの紋章は「自分こそコルヴァンである」という証。


 ベルリオーズの指輪も、もし刻印付きであるならばただの装飾品ではないとエリオットが語ったところでアルフォンスが納得したように声を上げた。


「なるほど……だからいつも身につけているんですね。普段のベルリオーズ君は『ただのアクセサリー』って言ってましたけど」


 アルフォンスがそう言うとエリオットは重々しく頷いた。


「そうだな、顔が似ているだけでは根拠が薄すぎる。しかし指輪の刻印とその意味を考えれば、彼がコルヴァンの後継である可能性は十分にあるな」


 ルソーが顔を顰めて口を挟んでくる。


「それと、これも一応聞くが……ここ数ヶ月で領海内に不審な動きはなかったか?」

「……地中海とガスコーニュ湾で、一時的に海賊が活発になった時期があったな」


 イザベルが思い返すように言えばルソーも頷く。


「たしかに、オレのところにも通達が来てた。第一艦艇部隊は、ひたすら外国との戦闘に追われていたが」

「おかげで第七艦艇部隊の各隊が海に出ていて、港も司令部もガラガラだったと。ブレストでは謹慎中の部隊まで出動したそうです」


 アルフォンスが補足し、ルソーは顎をしゃくって今度はエリオットに問いかける。


「それ以前はどうだった?」

「気になるのは第五艦艇部隊の内部の揉め事か。第七の人手不足はいつものことだが……。だからこそ徴兵対象を拡大するよう助言もした」

「それだ。第五と第七。両方とも人員が足りず、混乱が起きやすい。海賊たちが狙うなら第七だ。あそこは討伐任務を担っている。仇討ちをするなら格好の相手だろう」


 ルソーの声が鋭く跳ね、エリオットが唸るように応える。


「……たしかに。そういえば、国王によるフランソワ討伐依頼の件。参謀本部は第七艦艇部隊のマクシミリアン・ブーケ隊に討伐命令を与えたな。その部隊、今は謹慎中だとか」

「はい。ただし、先月の頭には緊急出勤の要請で再び現場に出ています。相手はエドガー海賊団の分隊二隻。そのうち一隻はマクシミリアン隊の尽力により討伐したとのことです」


 アルフォンスが言いかけたところでイザベルがポツリと呟く。


「……その部隊が、狙いだったと?」

「おそらくな。その動向を探るには内部から潜入して情報を得るしかない。つまり、海軍全体の動きを見渡せる“今”この場所は——」


 ルソーが意味ありげに沈黙を誘う。言葉の続きを誰もが理解していた中、エリオットが記憶を掘り起こすように呟く。


「……ああ、そういえば。夏頃に各艦艇部隊と第七の徴兵拡大への助言に関する書類を作成させたな。書面の担当書記官は……ベルリオーズ君だった」

「そんな……。僕は、信じたくない。彼が内通者なんて……!」


 アルフォンスの声は震えていたが、イザベルがすっと前に出る。


「まだ結論は下せません」

「は?」


 ルソーが反射的に声を上げるもイザベルは毅然とした態度で後ろ手に組んだ。


「ユルリッシュ。あなたの言い分は、現時点では証拠のない“絵空事”です。指輪も、彼自身が本当に“ただのアクセサリー”としてつけているだけかもしれない。私だってアクセサリーの一つは身につける。……まあ、風紀上の問題で規則の改善余地はあるが。したがって、今この場で彼を告発することはできません」

「チッ……!」

「——今日のところはここで終わりにしましょう。エリオットも、少し休憩が必要です」

「そうだな。考え込んでばかりいても仕方がない。紅茶でも飲もうか」


 エリオットがそう言ってイザベル、アルフォンスとともに執務室をあとにするが、ルソーはその場に残った。


「オレは帰らんぞ……内通者を引っ張り出すまではな。ベルリオーズの仮面を、必ず剥いでやる」


 ルソーが叫んだ直後、重厚な扉が音を立てて閉じた。真昼の陽光が廊下の高窓から差し込み、石造りの床に映る影が歩くたびに伸び縮みする。


「それにしても……第五部隊の内部ゴタゴタは、いったいいつになったら落ち着くのだろうか」


 エリオットの呆れにイザベルが肩をすくめる。


「仕方ありませんよ。あそこは以前、警備隊を二隊、壊滅させられたんですから。その後は編成の見直しに人員確保、隊員の異動に激務の増加と……以前より、ずっと忙しいそうです」

「……ブレスト司令部での一件か。あれも、海賊の仕業だったとか」


 エリオットが眉をひそめると、彼らの背後でアルフォンスが口を挟んだ。


「ええ、でも参謀本部はほとんど関与してませんでしたよね。援護くらい入ってもいいのに」

「まったく、彼らは何をしているのか……。いや、作戦を練る方が好きな連中だ。そんな奴らが在籍する部署に期待するだけ無駄か」

「大元帥も、かつてはその筆頭だったでしょう?」

「……何も言い返せないな」


 三人が小さく笑ったあと、アルフォンスがふと思い出したように口を開いた。


「そうそう。総司令部内でも一時騒ぎになっていた、例の“五人組海賊”の件。ようやく正式な名称が決まって指名手配ファイルに載ったそうですよ。以前、共に行動していた軍医からの情報提供により前々から段取りはあったそうですが、他の案件が立て込んで後回しになっていたようで」


 エリオットが興味を示すように背筋を伸ばす。


「ほう。ようやくか。時間のある時に目を通しておこう。今は、あらゆる海賊の情報が必要だ。……その五人組、正式には何という?」


 アルフォンスは軽く咳払いをしてから満足げに言った。


「通称『五鬼衆(いつきしゅう)』だそうです。英語では“The Five Oni”、 “鬼”の言葉はそのままに、異国風の通称で通されています」


 エリオットの口元にうっすらと笑みが浮かぶ。


「……“鬼”か。いい名だな。はるか東の島国には『百鬼夜行』という考えがあってな。妖や鬼が夜毎に列をなして練り歩くという古くからの伝承だ。姿を持たぬ異形の群れが人の世を脅かす……そういう意味では、正体不明の海賊に当て嵌めるのも悪くない」


 イザベルが目を伏せて廊下に落ちる木々の影に視線を這わせる。


「たしかに、今の海には“正体不明”な存在が多すぎますね」


 アルフォンスがひときわ低い声で呟いた。


「五人のうち一人──それはもう恐ろしい海賊らしくて。顔も怖けりゃ、剣術の腕も桁違い。素性も不明で、あの参謀本部でさえ警戒度を最上位に引き上げているとか」


 エリオットの表情がすっと引き締まって目つきの温度が一段と落ちた。


「……本物だな。そういう男は、一人いるだけで戦局が変わる。しかも五人組で息が合っているなら尚更だ」


 廊下に静かな緊張が走る。窓の外、パリの街から吹き込む風がかすかに窓ガラスを揺らしていた。そして、その風に乗るようにして或る噂が国家の中枢へと運ばれていく。


 五人組海賊は単なる海賊団の通称ではなかった。ソフィーの証言により、彼らの存在は国家に正式に記録される。その報告書の中で、ルキフェルをはじめとする五人は完全なる“悪”として定義された。


 ——五鬼衆。

 悪魔よりも曖昧で、だからこそ恐れられる存在。人ならざるものとして語られる“鬼”の名を与えられた瞬間、彼らは国家の敵として完全に目をつけられることになった。そして、その知らせはすぐさま別の場所へと届いていく。



 パリ参謀本部、広大な石造りの建物の奥。参謀官たちは慌ただしく机を行き交っていた。机の上には羊皮紙が積み上げられ、書記官たちの羽根ペンが忙しく走る。


「急げ。王宮への報告書は今日中だ」

「指名手配書の文面はこれで確定か?」

「似顔絵はまだか、絵師は何をしている」


 怒号と命令が飛び交う中、若い参謀官が書類を読み上げた。


「通称──五鬼衆。英語表記 “The Five Oni”。国家安全保障上、極めて危険な海賊集団として登録」

「……鬼って何だ?」


 参謀官の一人が眉を顰め、別の男が顔を上げると少し得意げに言った。


「知らないのか? 東洋の伝承だ。人を喰らう怪物。角が生えていて怪力で、災厄をもたらす存在らしい」

「へえ」

「つまり、人間扱いする必要はないってことだ」


 別の参謀官がさらりと口を挟むと誰かが息を漏らして笑った。


「鬼なら裁判もいらんな」

「化け物に法はいらない」


 その頃、奥の机では絵師たちが忙しく筆を走らせていた。一枚、また一枚と羊皮紙の上に五人の男の顔が描かれていく。金髪碧眼の若い男、黒髪の少年、義手の美青年、燃えるような赤髪の男、そして顔に無数の傷を持つ男。描き上げられた指名手配書が机の上に積み上げられていく。ニール、コリン、マテオ、ジャスパー、ルキフェル。五枚の紙が重なり、紙の束を見下ろしながら年配の参謀官が呟いた。


「さて、王宮に報告しなきゃ」


 窓の外ではパリの街がいつも通り動いているが、この書類が王宮へ届けば五人の海賊の名は王国中の港と街へ広がるだろう。五匹の鬼として、掲示板に貼られ、酒場で語られ、海で恐れられる存在として。国家は今、五人の男を人間から切り離そうとしていた。


 ──彼らにとって、あまりにも危険な事態の始まりである。

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