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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】5・6巻「胎動編」  作者: セキユズル
第八章「やった!! 勝ったぞ、僕は!!」
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第八章④ 五人組

 隠れ家を出たニールは港へ続く通りをゆっくり歩いていた途中で前から歩いてきた小柄な影とばったり出くわした。


「あ」


 コリンだった、袖をまくり上げた腕は煤と汚れで黒くなっている。どうやら今日も甲板掃除だったらしい。その後、二人は並行して歩き出して、ニールは思わず苦笑しながら言う。


「なんか最近、掃除の頻度高くない?」


 コリンは肩を落として手の甲で額の汗を拭う。


「あいつら、ちゃんと床汚して帰ってくるから。どの船も煙と血が染み付いててさ。嫌になっちゃうよ」


 コリンは足元の石畳を見下ろしながらぼそっと付け加える。


「……あーあ、錬金術の実験がしたい」


 ニールはコリンの横顔を見ながらくすりと笑った。こうして愚痴をこぼしている間はまだ少年らしい。


「まあ、海賊団の現実なんてそんなもんでしょ」


 二人は第八船団の船へ帰った。船に上がると甲板にはすでに昼食の準備がされ、アーシャとフェリスがそこにいた。木箱とタルをテーブルと椅子に見立てている。


「お、帰ってきた」

「ちょうど昼飯ですよ」


 アーシャが手を振り、フェリスはパンを齧りながら言った。パンとスープの簡単な食事を前にニールは椅子に腰を下ろしながら周囲を見回した。


「ジャスパーは?」

「えー、見てないよ?」

「退屈だーって言いながら、さっき船降りて行きました」


 アーシャが首を傾げ、フェリスが口を拭きながら言う。


「そっか」


 ニールは何事もない顔でスープに手を伸ばすのだった。しかし、夜になってもジャスパーは帰ってこなかった。もっとも誰もそれを気にしなかった。


「そのうち戻るだろう」


 そんな程度の話だった。港に出れば酒場はいくらでもある。あの男がどこで時間を潰していようが不思議ではない。だから四人は特に話題にもせず、それぞれ寝床に入った。


 翌朝、ジャスパーは帰っていなかったがまだ誰も騒がない。昼になっても、日が傾き始めてもあの赤髪の男は姿を見せなかった。ニールがパンをかじりながらぽつりと呟く。


「……珍しいな」


 コリンが顔を上げて思いついたように言う。


「あ、マテオのところに行ってるんじゃない?」

「第五船団?」


 ニールが眉を上げ、コリンは頷いた。


「ほら、フェルナンド消えたし。遊びに行くにはもってこいでしょ」


 ニールは少し考えて肩を落とすとスープを口に運ぶ。


「まあ……第五船団もリーダーが消えて、エドガーがカンカンに怒ってるとか。誰も捕虜のことなんか気にしてないんだろうな」


 ニールの言葉にコリンも頷く。確かにありそうな話だった。だからその日も誰も深くは考えなかったが、また夜が過ぎて次の朝が来ても、ジャスパーは戻らなかった。ニールは甲板から港の方を眺めながら呟く。


「……おかしいな」


 強い酒も飲めない、女にも興味がない、欲求という欲求がほとんどない男だ。夜遅くまで当てもなくぶらつくような人間ではないことは仲間の誰もが知っている。ニールはしばらく港の方を見ていたが、やがて桟橋に向かいながらコリンに向かって言う。


「……マテオのところ行ってくる」

「ぼくも行く」


 コリンもすぐニールに追いつき、二人は船を降りて港の通りを歩き始めた。昼の光が海面に反射して眩しい。桟橋には相変わらず荒くれた海賊たちがたむろしている。やがて二人は第五船団の船の前に辿り着いた。桟橋にいた海賊の一人がちらりと見るなり、ニールは軽く手を上げて爽やかな調子で言う。


「ちょっと聞きたいんだけど、スペイン訛りで義手をした美青年の海賊いる?」


 海賊は一瞬きょとんとしたが、にやりと笑うと顎をしゃくった。


「ああ。君たち、そういう趣味か」


 ニールのこめかみがぴくりと動いた。ぶっ飛ばそうかなと内心で思うが表情には出さない。海賊は気にも留めず続けた。


「その美青年なら、この船にいたぜ。好きに上がりな」

「どうもありがとう」

 

 ニールは爽やかに礼を言ってコリンと顔を見合わせ、そのまま第五船団の船へ足を踏み入れた。二人は船内への階段を降りて船の奥へ進んでいくと、件の美青年マテオはテーブルの隅に一人でぼんやりと空を見つめるような顔で座っていた。そこへニールとコリンが近づくと足音に気づいたのか、マテオがふっと顔を上げるなり目を丸くした。


「……なんできた?」

「ちょっと聞きたいことがあって」


 マテオが眉を寄せるもニールはすぐ本題を切り出した。


「ジャスパー、来てる? それか、どこかで見てないかな」

「いいや」


 マテオが即答するとニールは少し困ったように笑う。


「帰ってこないんだ」


 マテオの顔から表情が消え、声を押し殺して呟いた。


「あいつ、どこで何してる」


 コリンが二人を交互に見ながら恐る恐る口を開いた。


「ねえ。ちょっと考えたんだけど……エドガーのところ、じゃないよね?」


 椅子が大きく鳴り、マテオが立ち上がった。


「オレ、行ってくる」


 マテオが歩き出そうとするとニールが彼の腕を掴んで言う。


「一人じゃ危険だ、僕も行くよ」


 マテオは苛立った顔でニールを振り返ると吐き捨てる。


「一緒にいる方が危険なんだよ、下がってろ」


 ニールとコリンは黙ったままマテオを見て、マテオはしばらく二人を睨んでいたが大きく息を吐いた。


「……わかった。けど、オレの後ろにちゃんとついてろ」


 マテオは人差し指を二人に向けると、ニールが軽く笑ってコリンも頷く。こうして三人はサン・マロの郊外、エドガーの船が停泊する入江へ向かうことになった。



 サン・マロを出て鋪道から外れた茂みの奥には重い鉄扉が据えられている。海賊たちの拠点へ通じる、簡素だが頑丈な門だ。マテオが扉の前まで歩くと拳で扉を叩くと扉の向こうから声が響いた。


「合言葉は?」


 マテオは寸分の迷いなく口を開いた。


「三剣全て自分のもの」


 わずかな間が空き、ガシャンと重たい音を立てて鉄扉が開くと中から顔を出した海賊が三人を一瞥して顎で中を示した。


「通れ」


 三人は互いに目を合わせて無言のまま中へ入った。入江の空気は外とは違って重い。桟橋には黒船が鎮座し、周辺には見張りの海賊たちがあちこちに立っている。マテオを先頭にニールとコリンは自然と歩幅を落として周囲を警戒した。やがてリヴェンジ・クイーンの前に辿り着き、三人が甲板に足を踏み入れた瞬間、マテオが叫んだ。


「ジャスパー! どこだ!」


 怒気を孕んだ大声が甲板に響いた瞬間、周囲の海賊たちが一斉に反応してシャッと数本の剣が一斉に抜かれた。騒ぎを聞きつけたのだろう、船長室の扉が開いて中から現れたのはジャスパーだった。彼は三人の姿を見た瞬間、顔色が変わって狼狽した声を上げた。


「おい、なんで来たんだよ!」


 ジャスパーの背後でゆっくりと人影が動く。船長室の奥から歩み出てきたのはエドガーだ、彼は甲板の三人を見下ろして一瞬だけ目を細めると口元を歪めてぼそりと呟いた。


「……なんだ、生きてたんじゃん」


 剣が抜かれたままの甲板、海賊たちは三人を取り囲んでいた。刃先がわずかに光るとニールはすぐに一歩前へ出て反射的にコリンを背後へ押しやる。


「下がって」


 ニールは顔を上げ、甲板の上の赤髪を見て思わず声が強くなる。


「ジャスパー! 無事!?」


 ジャスパーは苦い顔をしたまま肩をすくめた。


「おう、おれはへっちゃら! けど、ルキフェルが——」


 ジャスパーが言いかけた瞬間、エドガーの声が甲板に落ちた。


「お前ら」


 周囲の海賊たちが一斉にエドガーに視線を向けると、エドガーはジャスパーの脇を通り過ぎて海賊たちを見下ろした。


「剣をしまえ。客人はもてなすもんだ」


 海賊たちは互いに顔を見合わせ、やがて一人また一人と剣を収めたが視線だけは鋭いままだった。エドガーは三人に目を向けると顎をしゃくった。


「そこの三人、オレの部屋に来い。話がある」


 マテオが一瞬だけ眉を寄せ、ニールは周囲をちらりと見回し、コリンの肩が少し震えていた。海賊たちは引き下がっているが、完全に油断しているわけではない。まだいつでも動ける距離で囲んでいる。ニールはため息を息を吐いた。


「……行こう」


 三人はゆっくり歩き出す途中でジャスパーと合流した。ジャスパーは通り過ぎざまに囁く。


「だから来んなって言っただろ……」

「今さらだよ」


 ニールは軽く笑うもマテオは何も言わず前を睨みながら歩く。四人は警戒したまま船長室へ向かった。彼らの背後では海賊たちの視線がずっとついてきている。


 その後、船長室内でエドガーの言葉を三人は黙って聞かされていた。フェルナンドとルキフェルが決闘したこと。ルキフェルが自分の自由を賭けて敗北したこと。怪我を負ったまま今は部屋に引きこもっていること。エドガーの言葉が終わる頃には誰も声を出せなかった。ニールもマテオもコリンも、あの男の様子を想像するだけで胸の奥が冷たくなる。ルキフェルは誰よりも強い、それでも負けた。しかも、自分の意志で戦って負けた事実が三人を震わせていた。エドガーは彼らの様子を眺めながら机の引き出しを開け、紙を三枚取り出すと机の上に並べた。


「……あの男を殺されたくなければ、ここにサインしろ。それから、オレの側にいろ」


 ルキフェルは人質だ。四人の怒りが胸の奥から湧き上がるが、ここで拒めばルキフェルは確実に死ぬ。ニールは息を吐いて羽ペンを取ると契約書を引き寄せて流れるような筆記体で書いた。


 Neil Sailheart


 次にコリンが前へ出る。羽ペンを握る手は少し震え、控えめで小ぶりな字で書く。


 Colin


 最後にマテオの番になった。マテオは額に汗を浮かべて契約書を見下ろし、羽ペンを見て黙ったあとエドガーを見た。


「……オレ、読み書きできないんだけど」


 エドガーは一瞬だけ眉を上げるがすぐに興味を失ったように言った。


「なら代理人でいい」


 ニールがマテオの手から羽ペンをすっと取って契約書を引き寄せると一文字ずつハッキリと書いた。


 Mateo


 ニールがペンを置くとエドガーは三枚の契約書を取り上げてざっと目を通した。


「決まりだな」


 エドガーは紙をまとめて机の脇に置くと四人を見回しながら続けた。


「これからの計画なんだが、まず拠点を移す」


 一瞬、全員が固まって思わず声が重なる。


「は?」


 エドガーは平然と腕を組んで告げる。


「サン・マロを離れるんだよ。次の場所も目星はついている。——ランデヴェネックって場所だ。そこに今いる海賊団を集結させ、海軍に全面戦争を仕掛ける」


 船長室の空気が凍るが、エドガーは気にも留めず立ち上がると四人の顔も見ずに扉へ向かった。


「オレは伝令に指示飛ばしてくる。部屋から出るなよ。あ、扉を開けたら刃が飛ぶかもしれんな」


 扉が音を立てて閉まり、部屋に残されたのは四人だけだった。やがてジャスパーがぽつりと言う。


「……ここから始まるってわけか」


 ニールは机を見つめたまま動かなかった。頭の中が混乱している。今までのこと……無駄だったのかと胸の奥で思った時、隣にいたマテオが腕を組んだ。


「顔に出すな。標的に一歩近づいただろ」


 ニールが顔を上げるとマテオは続ける。


「それに、オレとしては一人で動くより四人揃った方が心強い」


 マテオがチラリと仲間を見ると、ニールは小さく笑って目つきを鋭くさせた。


「……そうだね。最終的には僕らがエドガーを殺せばいい。——あの暴君を始末するために、今は潜ろう」


 沈黙のあと四人の視線が交わった。誰も口には出さないが、同じことを理解していた。ここから先は、四人で戦う。



 暗闇の中、コンコンと外から扉を叩く音がした。しばらくして、くぐもった声が聞こえる。見張りの海賊の声だった。


「おい、なんかお前の仲間が乗り込んできたらしいぞ」


 扉越しのどうでもよさそうな調子。中から返事はないが、男は気にしない。この仕事はそういうものだった。扉の向こうにいる囚人が死んでいないか、時々声をかけて確かめるだけの役目だ。男は鼻で笑って続ける。


「バカだよな、あいつら。船長と契約交わしたんだとさ。あとなんか街を出るらしいぞ。いつになるかは知らんけど」


 靴先で床を軽く蹴る音がし、足音が遠ざかって静寂が戻った。暗闇の中、ルキフェルは顔を上げた。仲間が同じ船にいる。おそらく、自分のためだろう。胸の奥にかすかな笑みが浮かぶ。どこまでも仲間想いな奴らだ。ルキフェルは低く呟く。


「……ついに揃ったか」


 ルキフェルは左足をそっと摩った。銃弾を受けた場所だ。痛みはまだ残っているが、もうだいぶ歩ける。彼は扉の方を見たが、立ち上がる気配はなく扉を開けるつもりもない。これは演出だ。あの日、心は一度折れた。自分の力を過信して、エドガーとフェルナンドの強さを甘く見ていたが、このまま終わるほど柔じゃない。今はまだ静かにしているだけ。敵に、そして仲間にすら戦意喪失を装うために。ルキフェルは息を吐くと口角を上げた。


「視線に耐えられないだけだ。足を撃たれたくらいで精神やられてる場合じゃない」


 暗闇の中でルキフェルはむくりと背筋を伸ばした。誰にも見えない場所で、獣が爪を研いでいるように。

五人の海賊は今やエドガーに囚われたも同然だ。自由を奪われ、同じ船に閉じ込められたまま、いずれまた動き出すであろう、黒い城の中に。だが一方で、ブレストでは別の動きが始まっていた。


まだ誰にも気づかれない、浅い波のような小さな揺らぎとして。

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