第八章③ アラン
一方、リー・ウェンの隠れ家ではニールとアランが向かい合っていた。窓の外では街が活気付いている。しばらく沈黙が続いたあとアランが腕を組んだまま言う。
「……ま、しばらくは静観だな」
ニールは椅子の背にもたれ、大げさに肩を落とすとぼやくように言う。
「またかあ、そろそろルキフェルを助けに行きたいのに」
アランは窓の外を眺めながら口を開いた。
「……そういえば、お前たちはどこで旧ブルボン派を知った」
ニールは少しだけ考えるように目を細めて椅子を揺らす。
「存在自体は、何年か前に昔の仲間が教えてくれた。ちゃんと存在するんだなって認識したのは、トルチュ島に向かう途中。船を一隻、乗っ取ったことがあって、ルキフェルが変な手紙を拾ったんだ」
アランの片目がニールに向く。
「変な?」
「旧ブルボン派の紋章付きの手紙。しかも、エドガーが旧ブルボン派に宛てた返書」
「……ほう」
「だからルキフェルが問い詰めたんだよ。彼、そういうとこは真っ直ぐだから。そしたらエドガー、あっさり認めた」
ニールは椅子の背に体重を預けた。
「それで知ったんだ。エドガーの背後に旧ブルボン派がいるって」
「その返書自体は?」
「たぶん奪われた。もう処分してるかもね」
ニールは首を振って少し苦い顔になる。アランはしばらく考え込むように黙っていたあと掠れた声で問う。
「だが、紋章が付いていたと?」
「うん。ルキフェルがリー・ウェン……の一人に見せたんだ。間違いないって」
「きな臭いな。他に気になるものはなかったか」
アランは顎に手を当てるとニールは視線を天井へ向けた。
「そうだなあ……便箋自体は普通だったと思う。特に変なところは……あ、いや……待てよ」
「思い出したのか」
アランの目が細くなり、ニールはアランに目を向けると眉を寄せて記憶を辿りながら言う。
「なんか……紙の隅に、変なマークがあった気がする」
「マーク?」
ニールは指で小さく空中に形を描いた。
「星みたいなやつ、……変な星だった」
その時、部屋の扉が軽く叩かれた。
「入るよ」
そう言って入ってきたのはサン・マロのリー・ウェンことワン・ユーリンだった。彼女の手には盆、その上には湯気の立った茶器が二つ。
「なんだか、興味深い話をしているみたいね」
ワンがテーブルに湯呑みを置いた。ひとつをニールに、もうひとつをアランに差し出すと茶の香りがふわりと広がる。ワンは椅子の背にもたれて首を傾ける。
「その星のマーク、どんな形?」
「えー? 星は星だよ」
「それもそうか」
ワンが笑いを溢すと懐から革表紙の古びた手帳してパラパラとページをめくり、一つのページで指を止めて二人に見せびらかした。
「じゃあ、こんな形だったりする?」
そこに描かれていたのは黒い星の紋章。歪んだ線で構成された不吉な形の星をニールが見た瞬間、椅子から身を乗り出して思わず叫んだ
「あ、これだ! これこれ! こんなやつ!」
「……嘘だろ」
アランが思わず唸り、ワンはニールの反応を見ても特に驚かず納得したように頷く。
「なるほど。奴らは実に厄介……というより、歪な関係なんだな」
「奴ら?」
ニールが眉を顰めると、ワンは手帳を閉じて二人を交互に見ながら言った。
「黒辰封儀教団。聞いたことはないか?」
「いやあ、知らないなあ」
ニールは首を横に振るが、アランは違った。理由は分からないが、彼の胸の奥に妙なざわめきが走っている。理屈ではない、直感だけが告げている。ワンは湯呑みを手に取って口をつけた。湯気の向こうで視線だけを二人に向ける。
「紅い星の予言は知ってるかな」
ニールが首を傾げる。
「いや、聞いたことない」
「そう」
ワンはまるで古い詩を読み上げるように言葉を紡ぐ。
「遥か西の地、大海の手前、北玄の宿にて。二つの首星を結びつく星が紅く輝く時、歴史の転換点が生まれていく」
静かな空気が落ちてニールが眉を寄せる。
「……詩?」
「予言よ。昔、東方で信じられていたもの。東西交流のきっかけにもなった話」
ワンは指先で湯呑みを軽く回しながら続ける。
「それから、リー・ウェンが組織として成り立った背景にも関わっている」
「どういうこと?」
ニールが少し身を乗り出すとワンは淡々と答える。
「元々、リー・ウェンは情報屋じゃない。西方探索の商人たちのチーム。予言に出てくる“星の人物”を探すために作られた集団だった」
ニールが思わず笑う。
「星の人物?」
「まあ、そんなもの。……結局、見つからなかったけどね。だから、その目的はとっくの昔に途絶えてる」
ワンは肩をすくめるとニールが口を開いた。
「じゃあ、その予言とさっきのナントカ教団って関係あるの?」
ワンは湯呑みを置いて少しだけ目を細めた。
「そうね。私たちが『予言が叶う』と信じて行動する側なら……当然、予言が叶ってほしくない連中もいる」
「それが?」
「黒辰封儀教団。彼らにとって“紅い星”は起きてはならないもの。災厄」
アランの眉がわずかに動くがワンは続ける。
「だから奴らの理念は単純。紅い星を防ぐ、塞ぐ……あるいは殺す」
「……物騒だ」
ニールがぽつりと呟くとワンは肩をすくめた。
「とはいえ。ここ十年くらい、動向は聞いていなかった。まさか旧ブルボン派と連んでいるとは思わなかったけど」
アランは黙ったまま窓の外を見ていた。胸の奥のざわめきが少しだけ強くなっている。ニールは腕を組んで少し考え込んだあと顔を上げた。
「てことは、君たちは教団と対立関係にあるってことか」
「ええ。君の賢い頭のおかげで、今ここで確定した。……あとでみんなに共有」
ワンは手帳を再び開くとさらさらとペンを走らせる。独り言のように呟く彼女をニールはぼんやり見ていたが、ふと視線を前方へ向けるとアランが再び窓の外を見ていた。さっきから一言も発していない。彼は海の方を見たまま、横顔がどこか曇っている。ニールは少し首を傾げたが特に声をかけることもなく湯呑みに手を伸ばすと、ひと口飲んだところで思わず口から言葉を溢した。
「これ、美味しい」
「そうだろう」
ワンがくすりと微笑んで手帳を机に置いて言う。
「目の下の隈が哀れに思ってな。張り詰めすぎだ、少しは休め」
ニールが一瞬固まり、頬を掻きながら苦笑する。
「いやあ、最近いろいろありすぎて」
ワンは軽く鼻で笑うと再び湯呑みを持ち上げた。
「君たちはいつもそう言う。けど、頭が回らなければ情報も命も守れない」
隠れ家の窓の外、遠くの景色では昼間の海が穏やかに揺れていた。やがてニールは湯呑みを空にすると軽く手を振った。
「じゃ、ちょっと外の様子見てくる」
彼は気楽な調子で言い残して隠れ家を出ていく。扉が閉まると部屋の中は急に静かになり、ワンは湯呑みの底で残った茶をひと口飲んだ。アランはまだ窓の外を見ていたが、やがて掠れた声で喉を鳴らした。
「……その教団のことで少し聞きたいことがある」
「ええ、構いませんよ」
アランの胸の奥にずっと引っかかっていた記憶が浮かび上がる。
——十九年前。夜の海、風の強い深夜だった。船が揺れる中、甲板に足音が響いてアランが振り返った時、そこにいたのは船長ゼフィランサスと、彼の腕の中に血と傷に覆われた一人の少年ルキフェルがぐったりと意識を失い、黒髪の少年もゼフィランサスに続いて船内へ消えていった。
「……あのガキどもは」
しばらくして桟橋の方からバタバタと騒々しい音が耳に入り、見張り役の海賊がアランの元にやってきて「船長の客人」を名乗る数人の男たちが現れたと言う。不審極まりなかったが、先ほど見た子供の一件といいどうもきな臭かったのでアランは彼らを船に上がらせた。彼らが甲板に踏み入れるなり鉄臭い匂いがアランの顔を歪ませた。
「貴様ら、船長の客人らしいがどういった関係だ」
暗闇の中、月明かりを頼りにアランが訊けば男たちの一人がフードを下ろしながらせせら笑う。
「ま、ビジネスパートナーってとこだな。ゼフィランサスだけじゃない、旦那も日頃世話になってるはずですぜ?」
「俺は貴様らを知らん。……まあいい」
アランは男たちに背を向けて甲板の木目をギシギシと軋ませていく。
「貴様ら、どうにも臭い。そのビジネスとやらも。話はあとで——」
その時、空気を裂く音と水飛沫の音に加え、ゴトッという重く鈍い音と床を転がる音が背後から聴こえた。ややあって情けない悲鳴が耳を劈き、アランが振り返ると先ほどまで目の前にあった顔がなく、代わりにゼフィランサスの顔が一筋の月明かりを受けて現れた。二人の間に首無し像が崩れ落ちるとゼフィランサスは剣を一振りして黒い水で甲板に弧を描くと残りの男たちに剣を向ける。
「——お前ら全員、血祭りに上げる」
ゼフィランサスが彼らに襲い掛かってアランはすぐさま制止の声を上げたが、久々に剣を振り回す船長に感化された連中も次々と襲いかかって金属音と悲鳴と水飛沫の音が飛び交い、その後アランは部下たちと共に祭りの後片付けに追われることとなった。海に投げ捨てた骸たちが人攫い集団だと判明したのは、後日サン・マロにてエドガーから「ゼフィランサス追跡」の報告を聴いてから。
「……貴族のガキを狙う、売買組織だと?」
ゼフィランサス海賊団の船内、アランは当時青年だったエドガーを前に腕を組んで目を鋭くさせていた。エドガーはこくりと頷いたあと左腕を無意識に触りながら淡々と告げていく。
「はい。傘下船団のリーダーが言っていました。ゼフィランサス船長の名を借りて好き勝手したそうです。それと海軍の一部も癒着していると」
アランは低く唸ると頻りに歩き回ってぶつぶつと呟く。
「ビジネス……子供の誘拐が商いなら、売り手と買い手がいるはず」
エドガーの肩がピクリと反応し、アランは歩みを止めてエドガーを見据えた。
「首謀者の名は聞いたか」
「……よく聴こえませんでした。ただ……」
「ただ、なんだ?」
アランの問いにエドガーが首を横に振ると左腕をより一層強く握りしめた。彼にしては珍しく目が泳いでいる。
「……貴族の名前だった、と思います」
エドガーの顔がみるみるうちに青ざめ、彼が目を逸らすとアランは首を傾げたが深い溜め息を吐いた。
「そうか。ご苦労だったな、帰っていいぞ」
その後、エドガーはアランに一礼すると足早に船を離れていった。今思えば、彼の背筋はしゃんとしていながら“嘘”を背負っていた気がする。
——貴族の名前。ゼフィールも口にしていた、あの名だろうか。
アランはゆっくりと目を閉じた。あの時の光景が今も鮮明に残っている。それにさっき聞いたばかりの名前、黒辰封儀教団。アランの胸の奥で燻っていたものが燃え上がる。一度は強大な敵を前に諦めた、ゼフィランサスの真実を追う旅。
サン・マロの片隅、日陰でただ息をしていた男がまた帆を張ろうとしている。




