第八章① マクシム隊
サン・マロからキール通りの宿舎へ帰還した直後、マクシムはダヴィットと共に食堂へ向かった。休む暇もない。
「全員、食堂へ集合」
短い通達だけを回すと部隊の者たちはほどなくして集まり始めた。また脱走していたのかと隊員たちの視線をあちこちから向けられている。それも無理はない、マクシムは事あるごとに宿舎を抜け出すのが癖だし、仲間からも呆れらるのが日常だから。マクシムが隊員たちと向かい合うように立ち、ダヴィットとソフィーは食堂の隅に位置取っていた。マクシムは隊員たちの神妙な面持ちを前に口を開く。
「僕たちはサン・マロに行ってきました。目的は一つ、海賊と密会をするためです」
空気がぴんと張り詰め、全員の表情が変わった。怪訝、警戒、不信。当然の反応だ、とマクシムは思う。ダヴィットも苦い顔をしていた。しばしの沈黙の中、グウェナエルの目が鞘を抜いた刀身のようにより鋭くなった。
「……なぜ?」
マクシムはグウェナエルを見据えて淡々と答える。
「この間の戦闘で、海賊内部に分裂の綻びがあると直感したため。密会という形をとった調査です」
少し間が空いて今度はリラが口を開く。
「その海賊とは?」
「ニールです」
凛とした声が割って入って隊員たちの視線が一斉にソフィーに向くが、ソフィーは続けた。
「元フランソワ海賊団。私がかつて航海した者たちの一人です。ほら、あの金髪の——」
「なに、あの五人組の一人か?」
グウェナエルの目が見開かれて声が鋭くなった瞬間、椅子が大きな音を立てて引かれて彼が立ち上がった。彼にしては珍しく、こめかみに青筋が浮き出ている。
「敵と密会したのか? 剣を向けてきた奴と!」
グウェナエルはソフィーを見下しながら吐き捨てる。
「それなら、他のやつもいるんだろうな? そうだろう? ルキフェルとか」
ルキフェルの名に空気が凍りついて周囲の隊員たちが騒めくが、グウェナエルはソフィーただ一人を一点に睨みすえていた。
「お前、やっぱり潜伏者か。海賊の手先なんだろう」
「違います」
ソフィーの顔がわずかに強張った。彼女の凛とした声はどこか脆く、食堂の緊張を解くには足りなかった。グウェナエルがなお眼光鋭くソフィーを見つめているとダヴィットが遮るように彼の進路に立ちはだかる。
「やめろ。彼女の言う通り、エドガー・ロジャースの元にあの五人組がいるなんてことソフィーは知らなかった」
誰かが小さく息を呑むもダヴィットは構わず言葉を続ける。
「それに、密会をしたいと言ってきたのは向こうだ。エドガーの味方なら、わざわざサン・マロに呼びつけて密会する必要なんてない」
「……罠だろ」
グウェナエルが吐き捨てるが、ダヴィットは動じず少しだけ口角を上げた。
「どうだろうな。罠にしては、ずいぶん手が込んでいる」
ダヴィットは食堂を見回してから視線をグウェナエルへ戻す。
「でなければ、わざわざ遠回りな方法で招待状なんて送らない」
ダヴィットとグウェナエル、二人の間で火花が散っている。剣を抜く直前のような空気の中、マクシムは一歩前へ出た。
「グウェナエル。その態度こそ、敵の思う壺です」
「は?」
グウェナエルの顔がマクシムに向いて眉が跳ね上がるが、マクシムは気に留めなかった。彼は食堂に集まった部隊員たち一人一人の顔を確かめるように見渡す。
「信じられないと思いますが、今の海軍は情報が相手に筒抜けになっているんです。僕たちの手の届かないところで暗躍する者がいる。しかも、中央で」
ざわりと空気が揺れ、メリッサが思わず口を開く。
「ええ……それ、報告したほうがいいやつでは……」
「情報元は敵陣営の人だよ? そんなの言えるわけないでしょ」
ペネロペが肩をすくめ、メリッサが一瞬ぽかんとするも理解した顔になって露骨に肩を落とした。
「あ、そっかあ……」
彼女らの様子に食堂の緊張がわずかに緩むが、マクシムは言葉を続けた。
「……僕たちのことは、すでに敵に知られていると思った方がいい。全員です。これは脅しではありません、事実です。……今回の件で、僕たちは敵の思惑に利用された可能性が高い。それでも、僕は自分の判断から逃げるつもりはありません。サン・マロへ行くと決めたのは僕です。密会を受け入れたのも僕です。だから、その結果がどんなものであれ責任は僕が取ります」
食堂の空気がわずかに動き、マクシムはさらに言葉を重ねた。
「これから先も、僕は自分の判断で動きます。間違えることもあるでしょう。その時は、その失敗も含めて背負います。それでも、僕について来てくれるなら……この部隊は、そういう形で動きたい」
最後に、マクシムは穏やかに付け加えた。
「もし納得できない者がいるなら、それも当然です。無理に従う必要はありません。咎めるつもりもない」
マクシムはここで言葉を切るも誰一人として彼の言葉を遮らなかった。やがて、隊員たちは三々五々に席を立ち、言葉少なにその場を離れていく。頭ではまだ整理がついていない者も多いはずだが、目の奥はすでに別の場所を見ていた。海の向こう、そこにいるはずの敵へ。
スザンヌだけがその場に立ち尽くして散り散りになっていく隊員たちの背をぼんやりと眺めている。胸の奥が妙にざわついていた。ルキフェル、彼が仲間たちと共にエドガー・ロジャースの元にいるかもしれない。マクシムもソフィーも、ダヴィットも密会の詳細は語らなかった。何を話したのか彼らがどんな顔をしていたのか。気になるが、聞けなかった。
つい先ほどグウェナエルがはっきりと言ったばかりだ。海賊は敵だと。あの空気の中でルキフェルの名前を口にすることなど、とてもできなかった。それでも、考えずにはいられない。もし、もし彼が本当にエドガーの元にいるのだとしたら。彼は何を考えているのだろう。また復讐するために立ちはだかるのだろうか。フランソワを奪われた怒りを今度こそ晴らそうとしているのだろうか。スザンヌの胸がぎゅっと締めつけられ、気づけば食堂を飛び出していた。廊下を早足で進むと足音だけがやけに大きく響く。彼女は二階の自室の扉を開けて中に入て勢いよく閉めると背中を扉に預けた。
「……耐えられない」
息が乱れ、声も震えていた。もし、また彼が敵として現れるなら。その時、自分は彼に剣を向けなければならない。討伐対象として、軍人として。そうなったら、もう彼への想いを諦めなくてはならない。断ち切って、忘れて、全て終わらせなくてはならない。そんなことできるのだろうか。次の瞬間、スザンヌはベッドへ倒れ込んでいた。枕に顔を埋めた途端、堪えていたものが一気に溢れ出す。涙と嗚咽がこぼれ、肩が震える。声を押し殺そうとしても止められず、震える声が布に吸い込まれる。
「……苦しい……でも、苦しい……」
諦めることが苦しい。けれど、忘れられないことも同じくらい苦しかった。
パリ、ダラス家の屋敷。厚いカーテンに遮られた執務室には昼間だというのに薄暗い静けさが漂っていた。机の向こうで書類に目を落としていたシルヴェストルは視線を上げる。彼の前に立っているのはドミニクだった。椅子の背に軽く寄りかかりながら、彼はどこか退屈そうに報告を続ける。
「……というわけで、また一ヶ月後に来いってさ」
まるで面倒な用事を伝えているだけのような調子である。シルヴェストルは特に驚いた様子も見せず指先で机を軽く叩きながら思案すると脳裏に黒衣に身を包んだ集団の姿が浮かんだ。
「ではその間、任務に就いていない連中には拠点の整備を続行させるか。エドガーが乗った以上、海賊どもはランデヴェネックに来る。ならば、環境を少しでも快適に整えておくべきだ」
シルヴェストルが机の上の地図へ視線を落とすとランデヴェネック周辺の入り江や村落が細かく書き込まれていた。
「引き続き周辺の関係者に金を握らせろ。一時使用の許可を取れ。ただし、必ず旧ブルボン派を名乗れ。ダラスの名は出すな」
「……相変わらず慎重だね、兄上」
ドミニクはシルヴェストルをじっと見つめて楽しげな響きを乗せて笑った。




