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第七章③ ニール

 カルロータの宿を出たニールは裏道を通って港の方へ向かっていた。酒場の喧騒もこの路地までは届かない。足取りは軽いはずだった。フェルナンドが海軍の監視下にいる、嬉しい誤算だった。あの男がいないだけでエドガー海賊団の計画は確実に狂う。海賊同盟側も想定外の修正を迫られるはずだ。それなのに、胸の奥がむかむかする。


「……っ」


 さっきの光景がニールの頭の奥で蘇る。


 ——ありがとうございます。


 マクシムの穏やかな声、ベルナルドを殺した男が自分に礼を言った。ニールの喉の奥がきゅっと縮む。血の匂いの記憶が突然押し寄せ、ニールは外壁に手をついた。


「……は……」


 呼吸が浅い。歩こうとしても足が重い。視界が揺れてついに足が止まり、壁に寄りかかると膝が折れそうになる。


「……くそ……」


 ニールはその場にしゃがみ込んだ。密会の緊張もあって思っていたより精神が消耗していたらしい。彼は暗闇の中で何度も深呼吸を繰り返して鼓動を落ち着かせようとすると肩に手が置かれた。


「……君、大丈夫かい?」


 若い男の声にニールは顔を上げた。


「ああ、すみません。でも、もう大丈——」


 ニールの言葉が突然止まった。街灯の光がわずかに男の顔を照らしていた。薄い亜麻色、緩く波打つ髪、青灰色の瞳に濁った冷たい色。ドミニク・ダラスだった。ニールの頭が真っ白になった瞬間、記憶が弾ける。


 ——ダラス家の次男坊さ。


 自分たちの前に突然現れた、あの男。値踏みする視線、背筋を這う悪寒、あの目で内側まで覗き込むような気味の悪い視線。


 ——君、綺麗だね。壊れそうで。


 甘い香り耳元の囁きに吐き気がこみ上げる。現実に引き戻され、ニールの呼吸が止まりかけた。


 ——なんで、なんでこいつがサン・マロに?


 一方で、ドミニクはまだ気づいていなかった。暗すぎる。それに、さっき摂取した夢蛇の副作用で視界が少し揺れて意識が薄く霞んでいる。目の前にいるのはただ暗闇で蹲っている若者にしか見えなかった。


「……顔色、悪そうだね。酔ってるのかな?」


 ドミニクが首を傾げ、青灰色の瞳がぼんやりとニールを見下ろす。ニールの背筋に冷たい汗が流れた。逃げたいのに足が動かない。


「震えてる、寒いんだね。よければ助けになるよ」


 ドミニクの手が肩を摩ってきた。軽くて優しいが、ニールの背筋には氷水のような恐怖が走って喉が締まる。声が出ない。逃げろ。頭のどこかで警鐘が鳴るも身体が動かなかった時、前方から声が飛んできた。


「あ、いたいたー!」


 場違いなほど明るい声にニールが顔を向けると路地の向こうから駆け寄ってくる影があった。


「いやー、ここにいたのか!」


 ニコラだった。彼は迷いなくニールの腕を掴むとぐいっと引き上げた。


「ほら立て、立て」


 ニールは強引に立たされ、ふらついた身体をニコラが酔っ払いを介抱するように彼の肩を抱えるとドミニクの方へ向き直る。


「あー、すみませんね。こいつ、飲み仲間なんすよ。ちょっと飲みすぎたみたいで」


 ニコラがへらっと笑うとドミニクは首を傾げた。夢蛇の残滓で思考が少し霞んでいるが、特に疑う様子はなかった。


「そうなんだ。それなら——」

「じゃあね、お兄さん!」


 ニコラが被せるように言ってひらひらと手を振る。


「良い夢を」


 ニコラはニールを抱えたまま、灯りの当たらない路地へと身体を滑り込ませる。ドミニクの視線から外れるように数歩進んで角を曲がった瞬間、ニコラの声が低くなった。


「走りましょう」


 二人は裏通りの石畳を蹴り上げて一斉に駆け出した。息が荒い、ニールの頭はまだ真っ白だった。ニコラはニールの腕を引いて、ひたすら闇の奥へ走り抜けていった。やがて二人は路地を抜けて市場の通りへ出るろ一気に空気が変わる。灯りが多く人も多い、酒場からは歌声が溢れ、海賊たちが肩を組んで騒いでいる。笑い声と杯のぶつかる音、焼いた魚と酒の匂い。さっきまでの暗い路地がまるで別の世界のようだった。ニールは肩で息をしながら歩いていた。ニコラはまだ彼の腕を離さず人混みの中を進んでいく。しばらく、二人は何も言わず港へ続く通りを黙って歩くと、やがて、コラがぽつりと聞いた。


「……落ち着きました?」

「まあ……少しは」


 ニールは息を整えながら答える。胸の鼓動はまだ速かったが、さっきのように身体が固まることはない。人の気配があるだけでこんなにも違うのかと妙に実感した。少し間が空いてニールが言う。


「君、なんであそこに?」


 ニコラは肩をすくめた。


「第八のところに伺ったらアランさんがいて、ニールさん帰ってくるの遅いからって理由で追い出されました。……着いて早々に」


 ニコラは苦笑するとニールは息を吐いた。なんとなく想像がつく。ニコラは続けた。


「で、ニールさんが向かう場所はなんとなく聞いてたので、近道とか色んな通りをぶらぶらしていました」


 ニールは少しだけ笑った。


「偶然にしては出来すぎだね」

「ですよね?」


 ニコラは得意そうに言ったが声を落とした。


「けど、あの隣にいた男。なんか胡散臭かったです。目が変でした。ボクの海賊の勘、まだ鈍っちゃいないらしい」


 ニコラは軽く笑うが、視線は少し鋭かった。ニールの喉がわずかに動く。ドミニクの瞳が脳裏に浮かぶ。青灰色、濁った光。ニールは何も言わない代わりに歩みを少し速めた。やがて港が見えてきて第八船団の船が係留された桟橋を二人で渡って甲板へ上がると船長室へ入った。室内にはランタンの淡い灯りが揺れ、アランとマルクが窓のそばに立っていた。二人とも腕を組み、夜の港を眺めていたらしい。ニコラが扉を閉めるとアランが振り返った。


「戻ったか」


 ニールは肩を軽く回しながら答える。


「……伝えてきたよ。海軍の奴らに」


 ニールは机のそばまで歩いた。頭の奥にさっきの路地の光景がまだちらついているが、ニールは無理やり思考を押しやった。今はいい、考えるな。マルクが振り向いて口を開く。


「それで? なにか進展はあったのか」


 彼の問いにニールは一瞬考えたあと「あっ」と声を上げた。


「フェルナンドが海軍に捕まったって。……なんか、マテオが暴れたらしい」

「マジかよ」


 マルクの顔に露骨な驚きが浮かび、ニールの背後で囁き声が聞こえる。


「あの人、ほんとそういうとこ」


 ニコラだった。呆れ半分、納得半分の声。アランは天井を仰ぐとぽつりと呟く。


「もしそいつがここにいたら、しばく。そのあと、美味い酒を奢る」


 マルクが鼻で笑い、ニコラも肩を揺らした。


 ——ああ、ルキフェルが感情乱されると「殺すぞ」とか時々物騒なこと言うの、この人の影響なのかな。


 そんなことを考えてニールは青い目に光を取り戻して苦笑した。



 入江に巣食う黒船では怒号が夜の空気を震わせていた。


「どこへ行ったんだ、あいつは!」


 甲板の中央、エドガーの前には第五船団の連中が跪かされていた。彼らの周囲には倒れ伏した船乗りたち、怒りに任せて蹴り飛ばされた者、殴り倒された者と誰一人まともに顔を上げられない。原因は一つ、フェルナンドが行方不明になった。状況から考えれば海軍に捕まった可能性が高い。その考えがエドガーの怒りをさらに煽っていた。


「お前らの船団だろうが! どうして誰も把握してねえ!」


 またしても怒号が飛び、第五船団の男たちが震えている時、騒ぎの中に奇妙な静けさが混じり、ドミニクが甲板に足を踏み入れた。ちょうど夢蛇の副作用で曖昧になっていた意識もようやく晴れ始めていた。彼の背後には黒辰封儀教団の信徒たちが控えている。エドガーは倒れ伏す船乗りの肩を蹴って振り向くと鋭い視線が一団を射抜いた。


「……ん? 誰だ、お前ら」


 ドミニクは歩みを止め、穏やかに微笑む。


「うちの部下が世話になっているね。……私、黒辰封儀教団の導師を務める者です」


 エドガーの眉がわずかに動き、目の前の男を観察する。


 ……こいつが、今の教団の導師? 


 かつて自分を攫った連中、あの狂った宗教の頂点が今、目の前にいる。ドミニクはエドガーを気にする様子もなく肩をすくめた。


「とは言っても、もはや教団そのものに力はありません。我々は旧ブルボン派の配下にすぎませんので」


 ドミニクは甘い笑みを浮かべると懐に手を入れ、一通の手紙を取り出してエドガーに差し出した。


「……さて、そんな我らの主人から提案がございます。——拠点移動についてです。貴方にとって、悪くない話でしょう?」


 エドガーは差し出された手紙を無言で見つめていた。甲板の上にはまだ第五船団の連中が跪いたまま、海風だけが帆を鳴らしている。やがて、エドガーはふっと鼻を鳴らすと手紙をひったくるように受け取った。


「……あとで読む」


 エドガーはぶっきらぼうに言うとドミニクを睨みつける。


「今日のところは帰れ。オレは今、不機嫌なんだ」


 甲板の空気がぴりっと張り詰め、ドミニクはエドガーの視線を受け止めたまま少しだけ微笑んだ。


「それは失礼」


 ドミニクはくるりと踵を返すと黒衣を纏う信徒たちの集団を突っ切った。夜の水面が鈍く揺れている。ドミニクは先に黒船を降り、入江の桟橋を進むと彼の背後から足音が追いついてきた。同じく黒衣をまとったピエールが歩調を速めてドミニクの横に並ぶ。


「あの男……」

「聞いてるよ」


 ドミニクはピエールの言葉を遮るように続ける。


「兄上の手紙に書いてあった。父上の時の……エラー品」


 ピエールは口を噤んだ。人身売買、ダラス家のかつての家業。人攫いを雇い、貴族の子供を攫い、黒辰封儀教団へ送って報酬を受け取る。秘密の交易ルートは長い間、順調なビジネスだった。

 ——ゼフィランサスに破壊されるまでは。ドミニクの脳裏に古い記録が浮かぶ。


 この入江は当時、アジトとして使われていたが……ある日、ダラス家が雇っていた人攫いの一団であり、ゼフィランサスの傘下にいた船団の乗組員たちが惨殺されていた。一人残らず、血まみれの死体だけが残されていたと報告書には書かれている。父の家業が崩壊した日、ドミニクの胸の奥で冷たい火がじわりと燃え上がった。


 ……ここだったのか。父の交易が終わった場所は。


 すべてが壊れ始めた場所、あの海賊の名を思い浮かべた瞬間、ドミニクの胸の奥の炎が強くなった。彼は息を吐くとピエールを振り返る。


「君はパリに戻りな。エドガーの相手はボクの役目、しばらくこの街に滞在するから」


 ドミニクは入江の奥に並ぶ黒船を眺めながら続けた。


「君さえ良ければ、部下を何人か付けさせるよ」


 ドミニクの声音は穏やかだったが、瞳にはサン・マロの夜よりも暗いものが沈んでいた。



 第五船団の連中はまだ入江に縛り付けられている。エドガーの怒号は止み、甲板の騒ぎも少しずつ収まっているが、誰も船を離れることは許されていない。


 その混乱の中で、マテオは第五船団の船にしれっと居残っていた。誰も気づいていない。いや、気づいていたとしても誰も構う余裕がない。船乗りたちは疲れきっており、見張りも普段より手薄になっていた。人手が減ったタイミングでマテオは船長室の扉に手をかけると軋みを最小限に抑えながら押した。室内は完全に灯りが消えていたが、窓から月光が差し込んでいる。その淡い光を頼りにマテオは室内へ滑り込むと扉を閉め、机の上へ近づいた。彼は手探りで紙束をどけ、引き出しを一つずつ確かめる。やがて、ひとつの引き出しを開けた瞬間、月明かりが金属の表面をかすめてキラリと光った。マテオの手が止まり、視線を落とすとゼフィランサスの遺物が鎮座していた。彼の故郷を指す羅針盤。そして、ルキフェルの過去を解き明かす鍵。マテオは羅針盤を見つめて低く呟いた。


「……あった」


 マテオが指先で持ち上げると冷たい金属の感触が掌に伝わる。……これを自分が持っていたら、いずれバレる。マテオはしばらく羅針盤を見つめたあと息を吐いた。ニールに渡すかと思ったがマテオはすぐに首を振った。いや、巻き込まれる。ジャスパーでもない、コリンでもない。できれば外部の人間に渡したい。リー・ウェンかと一瞬思うが、それも違う気がした。できればもっと遠くの人間に……その瞬間、マテオの脳裏にある光景が浮かんだ。漆黒の羽で夜空を切る翼、ワタリガラス。


「……そうだ」


 マテオは羅針盤を懐へ滑り込ませて引き出しを元に戻し、机の位置も整えたあと船長室の扉を開けると音もなく外へ出て、影の中へ溶けるように消えていく。


 その後、第八船団の船に着いたマテオは甲板へ足を踏み入れると船長室の扉の隙間から灯りが漏れていた。マテオはため息を吐いた。こんな時間まで起きている人間など、だいたい察しがつく。マテオが扉を押して「おい」と声をかけると、机に向かっていたニールが顔を上げた。机の上には書類が広がっているが、ニールの視線はどこかぼんやりしていた。どうやら、また眠れていないらしい。


「……なに」


 ニールは目を細めるとマテオは何も言わず懐から羅針盤を取り出して机の上に置いた。金属がランタンの光を受けて鈍く光り、ニールの視線が落ちると一瞬空気が止まった。


「……それ、どこにあったの」


 マテオは肩をすくめた。


「フェルナンドがずっと持ってた」

「盗んだんでしょ?」


 ニールはふっと鼻で笑うとマテオの眉がぴくりと動いて吐き捨てるように言った。


「うるせーな。元々ルカのものだ、取り返しただけ」

「……で、用事はこれだけ?」


 ニールは羅針盤の蓋を指先で軽くなぞるとマテオは机の上の羅針盤を顎で示す。


「羅針盤、ずっと持ってるわけにはいかない。コルヴァンの元に送ってくれ」


 ニールは少しだけ目を細めたが羅針盤を持ち上げて頷く。


「はいはい、明日にでも持っていくよ」


 ニールは羅針盤を机の引き出しにしまうと思い出したように言う。


「ところでさ、ソフィーたちから聞いたよ? フェルナンドを撃ったって」


 マテオは踵を返して扉へ歩いていった。


「おい」


 ニールが呼ぶもマテオは振り返らず扉を開けて外へ出ると、パタンと扉が閉まって船長室に静けさが戻った。ニールはしばらく扉を眺めたあと呆れたように呟く。


「……ほんと。そういうとこだよ」


 ランタンの灯りがゆらゆらと揺れていた。



 翌日、昼。隠れ家ではニールが格闘していた。相手は人間ではない、ワタリガラス。


「ほら、持てるでしょ」


 ニールは羅針盤を差し出すとカラスは首を傾げて黒い瞳が怪訝そうに羅針盤を見つめる。


「いや、だから……このくらい持てるよね?」


 ニールは少し苛立った調子で羅針盤をカラスの足元に置き、足で掴ませようとするもカラスが翼をばたつかせた。


「ちょ、待って。落とすな落とすな」


 ニールは慌てて押さえるもカラスは明らかに不満そうだった。


「大丈夫、大丈夫。セドリックのところまで行くだけだから」

 

 ニールが宥めるもカラスはじっと彼を見つめている。ニールは思わず額を押さえた。


「……ほんとにこれ、飛ぶ?」


 カラスは翼をばたばたさせて羅針盤を落としかけた。


「だから落とすなって!」


 ニールは慌てて拾い上げると再びカラスの足に持たせる。


「もう一回やるよ」


 カラスはジタバタし、隠れ家では奇妙な攻防が続いていた。



 その頃、入江の黒船ではエドガーが一通の手紙を読んでいた。旧ブルボン派からのもの、内容は簡潔だった。手紙には地図も同封されている。拠点移動の提案、サン・マロに海賊が集結していることが海軍に知られるのも時間の問題。だからこそ、ランデヴェネックへ移動しないか。エドガーは机の上に地図を広げる。ランデヴェネック、入り組んだ地形に海軍の巡視が届きにくい場所。隠れるにはうってつけだ、それにブレストも近い。エドガーの目が鋭くなる。


「悪くねえ」


 フェルナンドが消えた。海賊同盟もいつ崩れるかわからないが、まだ終わっていない。ここで刃を研ぎ、機会を待つ。ブレスト海峡を抜ける移動には当然リスクがあるが、やるなら今だ。エドガーが手紙を畳んだ瞬間、扉がノックされた。


「入れ」


 扉が開いて現れたのはドミニクだった。エドガーは思わず顔を顰める。


 ……気色悪い導師め。


 ドミニクは穏やかな笑みを浮かべたまま言った。


「どうでしょう?」

「この話、乗った。右腕も消えたし、このままじゃ全部崩れる。移動させるぞ」


 ドミニクは満足そうに頷いた。


「それなら、あなた“だけ”でも陸路で移動しましょうか」


 エドガーの眉がわずかに動くもドミニクは柔らかく微笑んで続けた。


「ご安心を。安全は保証します。馬車は私の方で手配しますので」


 エドガーはしばらくドミニクを睨みつけていた。ドミニクは微笑んだまま何も言わない。やがて、エドガーが鼻で笑った。


「アホか。オレがここで『はい、そうします』って頷くわけないだろ」


 ドミニクの眉がほんのわずかに動くが、表情は崩れない。エドガーは椅子に深く腰を沈めると腕を組むとしばらく考えてから言った。


「せめて部下は一人でも連れていく。そうだな……一ヶ月経ったら来い。それまでに信頼できる部下を探す」

「……わかりました」


 ドミニクは柔らかい声で返したが、次の言葉には冷たさが混じる。


「ですが、貴方もあまり時間はないと思った方がいいですよ」


 エドガーの目が細くなり、ドミニクは淡々とした声音で続けた。


「海軍は間抜けですが、この計画がどこで露呈するかは誰にも分かりませんからね。——では」


 ドミニクは軽く頭を下げると踵を返して船長室を出ていった。エドガーはしばらく天井を見上げた。彼の脳裏に浮かぶのはルキフェル、今は部屋に閉じこもったまま姿を見せないが、自分が陸路で移動する隙に奴が復活して暴れ回る危険性が頭の中を駆け抜け、エドガーは思わず舌打ちした。


「あいつ……」


 その瞬間、別の顔がふと彼の頭に浮かんだ。美青年、金髪の若い男、赤髪の男、少年。ルキフェルの仲間たちだ。エドガーは眉をひそめる。


「……そういえば、残りのやつらはどうしてる」


 エドガーの声は誰にも聞かれることなく船長室の中で消えた。




 しばらくして、隠れ家ではまだ格闘が続いていた。


「だから、ちょっと我慢して」


 ニールが困った声で言うとワタリガラスは不満そうに翼をばたつかせた。彼らの横でポーランが半ば呆れた顔をしている。


「……それ、本当に飛ぶんですか?」

「飛ぶよ。飛ばなかったら困る」


 ニールは小さな書簡筒に羅針盤をギュウギュウに押し込まれていた。本来なら手紙を入れるだけの筒。


「もうちょっと……」


 ニールはなお押し込むとワタリガラスが抗議するように鳴く。


「ほら、もう少し」


 グイッとようやく筒の口が閉まるとニールは息を吐いた。


「……よし」


 書簡筒の中には羅針盤。それからもう一つ、小さな手紙。宛先はセドリック、「これ、しばらく預かってほしい」と書いただけの文。余計な説明はしなかった。必要になれば、あの男は勝手に調べる。ニールはワタリガラスの身体に筒を固定した。


「頼むよ」


 カラスは一度、首を傾げると翼を大きく広げてバサリと音を立てて空へ舞い上がった。黒い影が空を横切って小さくなっていく。ニールがその姿を見上げている隣でポーランが腕を組む。


「……このあと、どうするんです?」


 ニールは少し考えたが、すぐに首を振って空を見上げたまま続ける。


「わからない。けど……これで海軍の奴らが事態の深刻さを理解してくれるといいな」


 ワタリガラスはすっかり空の向こうへ消えていった。

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