第六章⑥ マクシム隊
一方、海軍の伝令船が慌ただしくブレスト司令部へ向かっていた頃、ブレストではソフィーがマクシミリアン・ブーケ隊と再合流していた。整列と紹介はほんの数分の出来事だった。言葉は少なく形式は整っていたが、空気は重い。
「解散」
マクシムの一言で隊列が崩れて足音が中庭に広がったが、誰もが一瞬だけソフィーを見ていた。どう接していいのか分からないものを見るように。ジョルジュはちらりとソフィーを見る。
「……生きてた。よかった、ほんとに」
彼の胸の奥で安堵が弾け、アニータは唇がわずかに動く。リゼーヌはソフィーを眺めながら思う。
「この人がソフィー・ルノアールさんか」
噂だけは何度も聞いていたが目の前にいると妙に実感がない。グウェナエルは彼女から顔を逸らしたが、視線はどうしても戻る。
——帰ってきた。好きな女が。
胸がざわつくと同時に別の感情が胸を締める。
「……今の俺は非情な人間だろうな」
どう向き合えばいいのか分からないが、目を離せない。
シャルルはソフィーを一度だけ見て、すぐ目を伏せた。
……気まずい。
胸の奥が鈍く痛む。彼女の善意を利用した事実が消えず、この先どう向き合えばいいのか答えはまだない。リラは立ち止まらずソフィーを観察していた。
……変わってる。
ソフィーの目に迷いがなかった。普通なら戻らない。シャルルとグウェナエルは彼女からすれば裏切り者だ。愚かだと思っていたが違う。あの目、覚悟の目だ。だが、警戒は解かない。隊長に危険が及ぶならその時は動く。
ダヴィットはほっとしていた。生きていた、それだけでよかったが頭の隅で思う。あの海賊たちと過ごしてたのは正直意味が分からない。それより、今は隊長の顔怖い。そっちの方が気になる。
ロザリーは眉を顰めた。
「今でも海賊の仲間なんじゃないの?」
サミュエルは肩をすくめる。
「……分からんな。とりあえず静観だ」
ペネロペは興味を隠さななかった。元海賊としては聞きたいことが山ほどある。あの五人の海賊とどう過ごしていたのか純粋に気になっていた。メリッサは涙目で声を出す寸前までいった。
——おかえりなさああああああい。
だが必死に堪えた。皆が室内に向かう中、スザンヌは一瞬だけ立ち止まった。
「……よかった」
無事だった事実に胸が温かくなるが、同時に別の痛みが胸を刺す。あの嵐の日、自分は何もできなかった。悔しさがまだ消えない。そして、マクシミリアン・ブーケはソフィーを振り返らなかった。……帰ってきてしまった。自分の灰色の髪を思い出すと胸が重いが、背中に刺さるソフィーの視線が何よりも重かった。
翌日、医務局の帰り道をスザンヌを呆然と歩いていた。医師の診断は簡潔だった。病気ではないが経過観察が必要だという。スザンヌが通りを曲がった時、彼女の視界の端に見覚えのある人影が入った。風に揺れる亜麻色髪にスザンヌの胸が跳ね、思わず声が出る。
「ソフィーさん?」
振り返ったソフィーがぎこちない声で呟く。
「……スザンヌ」
互いに立ち止まり、スザンヌは胸の奥で迷ったが口を開いた。
「話してもいいでしょうか?」
ソフィーが頷くと二人は人気のない石垣のそばに腰を下ろし、暫く沈黙が流れた。スザンヌの胸の奥で押し込めていたものが、じわりと溢れ出す。渡り板、あのときルキフェルと立っていた。人質として刃が向けられていたが、ソフィーが飛び出して必死に彼を説得していた。スザンヌは膝の上で指を組んで口を開く。
「ごめんなさい……あの時、ソフィーさんを守れず気を失って」
ソフィーが驚いたようにスザンヌを見た。
「そんなこと、あれはスザンヌのせいじゃない」
「それでも……自分の弱さが恥ずかしくて。ずっと誰にも会いたくなかったんです。でも、あなただけには……ちゃんと謝っておきたかった」
ソフィーは少し黙ると柔らかい声で口を開いた。
「謝るのは私のほうよ。スザンヌが危険な状態だったのに、私は自分のことでいっぱいで助けてあげられなかった」
スザンヌが顔を上げ、言葉を交わすたび空気が少しずつ柔らいでいく。張りつめていたものが解けてソフィーが微笑んだ。
「スザンヌ。戻ってきてくれてありがとう。また話せてよかった」
「はい。私も、話せてよかったです」
スザンヌが頷いた瞬間。不意にある光景が脳裏に蘇った。あの嵐の日、衝撃と混乱の中で視界がふっと暗くなって意識が途切れたことを。
「……そういえば私、あのとき気を失った瞬間、自分はもう海に落ちたんだって思ってたんです」
ソフィーがスザンヌの顔を覗き込み、スザンヌは胸元に手を当てる。
「でも、目が覚めたらちゃんとベッドの上にいて……あれは一体、誰が助けてくれたんですか?」
ソフィーは一瞬だけ迷ってから苦笑する。
「……顔に、たくさん傷のある男よ。覚えてる?」
彼女の言葉を聞いた瞬間、スザンヌの脳裏に浮かぶのはただ一人、ルキフェルだった。スザンヌの目が大きく見開かれて胸の奥が震えた。
「……信じられないです。人は見かけによらないって、本当なんですね……」
その瞬間、もう一つの記憶が蘇った。十年前、隣同士で歩いた日々を想いスザンヌは心の中で思う。
——やっぱり、あなたは優しい人よ。海と同じ。深くて静かで、少し怖いけれど光がある。
「私、ちゃんとその人にもお礼を言わなきゃ」
スザンヌは思わず微笑んだ。言葉を口にした瞬間、彼女の胸の奥に温かい光が差し込む。今までずっと見えなかったものがようやく形を持った。
……そうか、これだ。自分が海に戻る理由。
胸の奥の重さが解けていき、スザンヌの顔色は少しずつ戻り始めていった。




