↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
報復の航路【第二作 ルー・ブレス】5・6巻「胎動編」  作者: セキユズル
第六章「“待つ”とは主導権を握ることです」
61/85

第六章① ルキフェル

 ニールはアランの元を訪ねた。事情を聞いたアランはすぐに机へ向かい、短い手紙を書き上げる。宛先はセドリック、アランが文面を折り畳むとワタリガラスの脚に結ばれ、空へと放たれた。黒い翼は陽光の中へ吸い込まれるように遠ざかっていく。

 アラン曰く返書が届くまで、どれだけ急いでも三日はかかるとのこと。

 ニールたちはまたしても待つしかなかった。焦りだけが胸に積もっていくが、焦ったところで盤面は動かない。


 黒き戦艦リヴェンジ・クイーンの甲板にはこの日、各船団の船長が集められていた。エドガー・ロジャースは彼らを前に陽動作戦の始動を宣言。さらに他の海賊団にも声をかけ、協力を取り付けるつもりでいた。海賊社会を巻き込む大きな動きになるが、すべての船団が出るわけではなかった。


 フェルナンドの率いる第五船団は戦力温存を理由に待機。そしてアーシャのいる第八船団も人員不足を建前としてサン・マロに残ることになった。もっともそれは建前に過ぎない。本当の理由はニールたちを守るため。その事実が露見すれば、すべてが終わる。

 昼の港はいつも通りの喧騒に満ちていた。船乗りたちの怒鳴り声、荷を運ぶ音、酒場から漏れる笑い声の裏で戦争の準備が速やかに進んでいる。

 

 リヴェンジ・クイーンの下層、監禁部屋でルキフェルは壁に凭れながら扉の向こうで交わされる船員たちの会話に耳を澄ませていた。


「船団会議だってよ」

「陽動作戦らしい」


 ——始まる。


 ルキフェルは即座に立ち上がると扉の前に歩み寄って声をかけた。


「……おい」


 見張りの船員が不機嫌そうに返す。


「なんだ」

「用を足したい」


 扉の向こうから舌打ちが聞こえたが、しばらくして錠前の外れる音がして扉が開いた瞬間、ルキフェルの拳が船員の顎を正確に打ち抜いた。男は声を上げる暇もなく崩れ落ち、ルキフェルは男の身体を跨いで廊下へ飛び出すと船内を駆ける。目指すのはただ一人、エドガー・ロジャース。止めなければならない、陽動作戦が動き出す前に。ルキフェルは階段を駆け上がって甲板へ飛び出すと海風が強く吹き抜け、陽光の下で船員たちがざわめきながら振り返った。


「——エドガー!」


 甲板に響いた明瞭な声に、周囲の空気が一瞬で張り詰める。やがて船長室の扉がゆっくりと開き、エドガーが現れて船尾甲板からルキフェルを見下ろしていた。先に沈黙を破ったのはルキフェルの方だ。


「聞いたぞ。陽動作戦……気でも狂ったのか? なんでそんなことをする」


 彼の問いに、エドガーは迷いも見せなかった。


「マクシミリアン・ブーケを殺す」


 ルキフェルは思わず顔を強張らせた。


「……なんでその名前を?」


 エドガーの目がわずかに細くなる。


「フランソワを追い詰めた部隊を、オレはようやく掴んだ。——同害報復。お前も望んでいただろ?」


 甲板の上を風が走り、ルキフェルの胸を刺した。


 ——同害報復。


 エドガーの瞳の奥に何かが蠢いている。狂気とも執念ともつかない熱、人間の理屈ではない。もっと原始的で、もっと荒々しい衝動。——信念だ。ルキフェルは息を吐いて重々しく問いかける。


「……他の奴らは、それで納得してるのか?」


 エドガーは迷いなく頷き、ルキフェルはゆっくりと周囲を見回した。甲板を取り囲む船員たち、彼らは誰一人として口を開かない。船員たちの目を見た瞬間、ルキフェルの背筋が冷たくなった。だらしなく笑っている。酒場にいる時のような緩んだ顔だが、瞳だけが違う。妙に燃えている。まるで今すぐ暴れ出したくて仕方がないと言わんばかりに歯を剥き出しに笑い、血に飢えている。彼らの光景を前にルキフェルは悟った。もう遅い。自分が止める前に、こいつらは堕ちるところまで堕ちている。


「無駄だよ」


 軽い声が甲板に割り込み、エドガーの隣に一人の男が並んだ。フェルナンドだ。彼は舞台役者のような大袈裟な仕草で肩をすくめてルキフェルを見つめる。


「大海賊フランソワ、今じゃ偉大な海賊さ。君もトルチュ島で噂を聞いただろう? そう、憧れだ。フランソワはこの街でも憧れの存在だよ。一度は国に裏切られながらも、フランス艦隊を次々と沈めた偉業を成し遂げた」


 甲板のあちこちで小さな笑い声が漏れ、フェルナンドは胸に手を当てる。


「海に生きて、海に死ぬ。まさにそれを体現した男だ」


 エドガーがわずかに顔を顰めたが、フェルナンドは気づかない。いや、気づいていないふりをしているのかもしれない。彼は軽く両手を広げて続ける。


「そんな船乗りたちの憧れを奪われたんだ。大人しくしている方が無理というものだろう?」


 ルキフェルの目が鋭く光り、額に青筋が立つ。


「お前が……お前が、あの人を勝手に語るな」


 甲板の空気が凍りついた。フェルナンドは一瞬きょとんとしたが、すぐに肩をすくめる。


「ボクは彼らの想いを言語化しただけだよ。エドガー海賊団だけじゃない。他の海賊団も同じだろうね」


 ルキフェルはフェルナンドの言葉を無視してエドガーに目を向けた。


「……エドガー。本当に、このままでいいと思っているのか?」


 エドガーは微動だにしなかった。


「いい悪いの話じゃない。やるか、やらないかだ」


 エドガーの言葉に、ルキフェルは一歩前へ出て獣が唸るように声を荒げた。


「だったら、止めてやる」


 二人の間の空気が完全に断ち切れた。もう引き返せないと誰もが理解すると、優雅な足取りで階段を降りたフェルナンドが二人の間に入り込んだ。


「なるほど。どうやら、お互いに和解する気はないらしい」


 フェルナンドはくすりと笑い、ルキフェルの前に立ちはだかる。


「だったら、決闘でもしようか。……君と、ボクとで」


 甲板の空気がざわりと揺れ、ルキフェルは眉をひそめた。


「……決闘?」


 フェルナンドは楽しげに肩を揺らした。


「君も海賊なら古来からのやり方は知っているだろう? とはいえ、ただ型通りやっても退屈だ。どうせなら少しショー仕立てにしようか」


 甲板のあちこちで笑い声が起き、フェルナンドは彼らの反応を満足そうに受け止めて続けた。


「ボクは自分の船団を賭ける」


 船員たちの視線が一斉にルキフェルへ向き、フェルナンドは微笑みを崩さずに首を傾げた。


「君は?」


 ルキフェルは胸の辺りに苦しさを感じて顔を背けたが、すぐに顔を上げてフェルナンドの目を捉える。


「……自由だ。俺は自由を賭ける。誰にも縛られない自由。生き方も死に方も。全部、自分で決める」


 ルキフェルの言葉にエドガーがため息と共に呟いた。


「……フランソワ海賊団の理念ってことか」


 ルキフェルは首を振る。


「理念というより、俺の生き方だ」


 フェルナンドが指を鳴らし、くるりと背を向けた。


「いいね、決まりだ。じゃあ、船を降りよう。決闘は陸地で行うことになっている」


 船員たちがどっと騒ぎ出し、フェルナンドは振り返って猫のように目を細めてルキフェルに微笑んだ。


「距離は十歩、合図で振り向く。文句はないよね?」


 ルキフェルはフェルナンドを睨み返すと甲板の空気がざわざわと揺れ、興奮した船員たちの声が海風に乗って広がっていく。その喧騒の中でエドガーだけがこっそり呟いた。


「……勝手にやってろ」


 フェルナンドとルキフェルは黒き戦艦リヴェンジ・クイーンを降り、入江の岸へと移動した。決闘は操舵手と船医の立ち会いのもとで行われる。海賊たちが半円を描くように取り囲み、見物人の輪が出来上がる。やがて、操舵手が盆を持って現れた。盆の上には二丁のフリントロック式ピストルと二つの弾丸。操舵手はそれを二人に差し出す。


「両者、準備を」


 ルキフェルとフェルナンドはそれぞれ銃を取って銃口から装薬を詰めた。弾丸を押し込み、撃鉄を起こしてハーフコック・ポジションへ。フリズンを開き、火皿に点火薬を落とす。火皿を閉じると撃鉄をさらに起こし、コック・ポジションにして発砲準備は整った。二人の動きはほとんど同時、操舵手はそれを確認すると一歩下がって入江に蛮声を張り上げる。


「これより、古来のしきたりに則って決闘を行う。ここからは見物人も静粛に」


 ざわめきがすっと消え、海風の音だけが残る。


「両者、背中合わせに立て。十歩歩き、距離を取れ。合図が出るまで撃つな」


 ルキフェルとフェルナンドは言葉も交わさず背中を合わせた。一歩、二歩、三歩。砂利を踏む音と共に入江の空気が張り詰めていく。四歩、五歩。船員たちは息を止めて見守っていた。六歩、七歩、八歩、九歩、十歩。二人は同時に足を止める。しばしの沈黙、操舵手の声が突然鋭く空気を裂いた。


「——始め!」


 ——パアンッ!


 二人が同時に振り向くと銃口が上り、二つの発砲音が同時に入江へ響き渡った。岩壁に反響する銃声と煙が辺りに広がるが、二人は銃を構えたまま立っていた。船員たちは固唾を呑んで見つめている。遠くからそれを眺めているエドガーは黒船の船縁に頬杖をつき、他人事のように決闘を見下ろしている。誰もが静寂の中で勝負の行方に身体を強張らせている時、低い呻き声が漏れた。


「……っ」


 ルキフェルの手からピストルが滑り落ち、硬い地面に乾いた音を立てて転がった。ルキフェルの身体が揺らぐと左膝をつき、ズボンの布がじわりと濡れていく。左の太腿を中心に赤い染みが広がっていた。船医が一歩前に出て、操舵手の声が響く。


「勝者! 第五船団の船長フェルナンド!」


 一瞬の静寂のあと歓声が爆発した。海賊たちが吠える。笑い声、口笛、足踏みの中で、フェルナンドはゆっくりと銃を下ろした。まだ銃口から煙が立ち上り、彼は軽く息を吹きかけると煙がふわりと散った。一方、ルキフェルは膝をついたまま動けなかった。太腿の奥が焼かれ、遅れて鈍い激痛が押し寄せてくる。


 ——止められなかった。


 ルキフェルの胸の奥で何かが崩れる。この狂った流れを止める機会は今だった。それなのに負けた。そして、自由を失った。歓声の中、フェルナンドがゆったりと歩み寄ってきた。ルキフェルは膝をついたまま息を荒くしている。フェルナンドはルキフェルの前で立ち止まって片膝をつくと観衆には聞こえないほどの声で囁く。


「この勝利はエドガー船長に捧げることにするよ」


 ルキフェルの視線が上がるとフェルナンドは微笑んだ。


「君は自分の自由を差し出した。もう逃れられない」


 フェルナンドはルキフェルに顔を近づけ、翡翠の瞳を覗き込んで無機質な表情で冷たく告げる。


「——君は、あの男のモノだ」


 フェルナンドはすっと立ち上がり、くるりと観衆の方へ向き直る。


「さて、ボクは自分の船に戻るよ」


 歓声が再び上がり、フェルナンドは声を浴びながら軽やかな足取りで去っていった。ルキフェルは彼の背中を睨みつけていた。悔しさが胸を焼くが、それ以上に太腿の奥から鈍い痛みが脈打っている。耐えきれなかった。ルキフェルの身体が前へ崩れて地面へ倒れ込んだ時、船医が駆け寄ってきて傷口を素早く確認する。


「……骨は砕けてない。感染する前に、この場で処置する」


 助手がラム酒を瓶ごと差し出し、ルキフェルの口に無理やり押し付けた。ルキフェルの喉と胸の中で焼く酒が流れ込み、咽せる間もなく猿轡が口へ押し込まれた。助手たちが彼の肩と腕を押さえつけ、船医は帆布の道具袋を地面に広げて中から細身のナイフを取り出すと刃が陽光を反射し、躊躇なくナイフが傷口へ入れると肉が裂けた。


「——ッ!!」


 猿轡越しにルキフェルの声が漏れる。助手たちがさらに彼の体を押さえ込んだ。石畳に赤い斑点が飛び散り、船医は次に細長い金属器具を取り出した。先の尖ったスプーンのような形、弾丸摘出器を傷口へ突き入れるとルキフェルの身体が激しく震えて猿轡が噛み締め、息が荒くなる。船医は構わず器具を探り込んだ。


「……あった」


 金属が触れるとゆっくりと引き抜く。血に濡れた鉛弾が器具の先に乗っていた瞬間、ルキフェルの身体から力が抜けて視界が暗くなった。船医は弾丸を脇へ放り投げると針を取り出し、蝋を塗った綿の縫合糸で傷口を縫い始める。


「やっぱり切断した方が手っ取り早いと思うんだけどな。縫うの下手だし」


 船医がぶつぶつと呟きながら荒い手つきで針を通すと視線を上げた。エドガーを見たが、黒船の船縁にいたはずの男はもういなかった。エドガーはいつの間にか、何事もなかったかのようにその場を離れていたらしい。


 こうしてルキフェルは再び捕虜の身となったが、今度の扱いは監禁ではなかった。エドガーの意地で船内を歩かせる。部屋に閉じ込めない代わりにどこへ行っても船員たちの視線に晒される。敗者として、左脚を引き摺りながら甲板を歩けば彼の背後でひそひそと囁く声が聞こえる。


「負け犬だ」

「自由を賭けて負けた男だ」


 くすくすと笑う声と露骨な嘲りは刃物よりも鋭く、ルキフェルの胸へ刺さって呼吸が次第に浅くなっていく。見られる。見られるだけで胸が締めつけられる。視線が怖い、笑い声が怖い。やがて彼は自分から姿を消すようになった。船の奥、窓も扉窓もない小さな部屋に入って内側から鍵をかける。誰にも見られない場所。それが敗北した自分に残された唯一の抵抗だった。


 その頃、サン・マロに集まった海賊団全体が海へと散って暴れ回っていた。海賊たちは陽動作戦の名のもと各地へ出航していく。エドガーが黒船の船長室で椅子にふんぞり返っていると扉が叩かれる。


「入れ」


 入ってきたのはピエールだった。彼は一礼するとエドガーを真っ直ぐ見据えて口を開く。


「海軍の様子について、私の部下が逐一報告へ向かわせます」


 エドガーは机の上へ紙を引き寄せて羽根ペンを手に取った。


「……オレのフリして、コルヴァンと何のやり取りをしているんだ」


 ピエールは淡々と答えた。


「最初の頃は隊の位置情報や日誌の閲覧履歴です。フランソワが死んでからは、マクシミリアン・ブーケ隊と他の部隊の動向を詳しく探らせています」

「なるほど。じゃあ、オレはその続きを引き継げばいいわけだな」


 エドガーは口元を歪ませたまま羽根ペンを走らせると、インクの音が紙の上で滑り、すらすらと文章が綴られていった。ピエールが言葉を添える。


「ブレスト司令部、それからそこにいるマクシミリアン・ブーケ隊の様子はこちらでも監視は続けます」

「あっそ。ま、今必要なのはあいつらの動向だから助かるけどな」


 やがてペンが止まり、エドガーは封筒へ手紙を入れて封をすると薄く笑ってピエールへ差し出した。


「マクシミリアンはフェルナンドの船団が捕える手筈になっている。ブレスト司令部がすっからかんになりそうだったら……オレに知らせてくれ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。