第四章⑧ ダラス家
パリ郊外、シルヴェストルの屋敷。外から見れば静かな貴族の邸宅にすぎないが、屋敷の奥深くで重い扉で閉ざされた主人の私室にはひどく張り詰めた空気が漂っていた。
「……ダミアン」
名を呼ばれただけなのにダミアン背筋が冷え、視線を床に落としていた。向かいに座るのは長兄シルヴェストルだ。
「お前はランデヴェネックへ向かったはずだ」
「……はい」
「ドミニクと合流した」
「……はい」
「それで?」
ダミアンは言葉を探すが、うまく出てこなくて途切れ途切れに答える。
「……兄上が、その……教団の部下がいるから……必要ない、と」
シルヴェストルは瞬きすらしない。
「ほう。つまり、お前は命令を果たさず帰ってきた」
ダミアンは反論できない。その通りだからだ。
「お前に出した命令は何だった」
「……ドミニク兄様を手伝え」
「そうだ」
シルヴェストルはゆっくりと頷いた。
「ドミニクの言葉を聞け、とは言っていない」
ダミアンの肩がびくりと震える。シルヴェストルの声音には冷たい刃のようなものが潜んでいた。
「判断が鈍っているのか、ダミアン。お前は誰の命令で動く?」
「……あなたです」
「そうだ。ならば、なぜ帰ってきた?」
シルヴェストルはゆっくり椅子に背を預け、弟を冷たく見上げた。ダミアンの喉がひくりと動く。外に出れば世界は広いが、この部屋の中では世界は長兄ただ一人でできている。
「……すみません」
ダミアンが掠れた声でようやく喋るとシルヴェストルは口を開いた。
「判断を誤ることはある。だが、命令を誤解するのは能力の問題ではない。忠誠の問題だ」
兄の言葉がダミアンの胸へ沈んだ時、重い扉が控えめに二度ノックされてシルヴェストルは視線も動かさず言った。
「入れ」
ガチャリと扉を開いて現れたのはピエールだった。先ほどまで街にいた男とはまるで別人のよう、粗末な服は影もなく貴族の平服に身を包んでいる。屋敷の中では、彼はダラス家の三男として振る舞うのだ。ピエールは部屋に入るとダミアンをどこか面白がるような色一瞥した。まだ詰められてるのかと言いたげな目つきで。だが、ピエールはすぐさまシルヴェストルに目を向けて二通の封筒を軽く振って見せる。
「兄上。十五代目から情報がきました。それと今回はエドガー宛の手紙も一緒です」
ピエールはダミアンの横を押し退けるような動きですり抜け、机の前まで進んで大小二つの封筒を差し出すが、シルヴェストルは手を伸ばさずじっと封筒を眺めている。しばしの沈黙の後、ピエールが眉を上げた。
「読まないんですか?」
シルヴェストルはピエールをチラリと見て口を開いた。
「どうせ、内容に大差はない。ここから先はエドガーの手腕にかかっている。それに、海軍の情報など王宮を通じて国王向けにも渡る。こちらがわざわざ逐一確認する必要はない」
ピエールはどこか残念そうに肩をすくめた。
「なるほど」
シルヴェストルは双子を見比べながら続ける。
「このままサン・マロへ行け。今日から、お前たち二人で十五代目とエドガーの手紙のやり取りと運搬を担わせる」
ダミアンの肩がわずかに震えたが、シルヴェストルは気にも留めない。
「ドミニクには当初の計画通り動いてもらう。黒辰封儀教団の残党を率いる“導師”として、彼らとランデヴェネックの整備を進ませている。戦争は必ず起こさせなければならない。現王朝であるオルレオンを内側から破壊する。そして、再びブルボン王朝を君臨させる。——それが、我ら一族の使命だ」
シルヴェストルの声は微塵も揺れなかった。ピエールの口元がわずかに歪み、シルヴェストルは窓の外をチラリと見て続ける。
「海賊と海軍の争いは、そのための布石にすぎない。まずは現王党側の海軍を弱体化させる。そのための戦争だ」
「御意」
「……仰せのままに」
双子が退室した後、シルヴェストルは溜め息を吐いた。彼の脳裏に過ぎるは父の声。
——オルレアン風情が、ブルボンの名を差し置いてルイを名乗るなど!
普段は森厳な態度、時折顔つきごと乱れて怒髪天を衝き吐き捨てる様。
「……だが、民はそんなこと気にしない。二十年も王座に居座る男を正義の王と呼ぶ」
シルヴェストルは立ち上がるなり、窓の近くまで寄って窓枠に手を置くと指先が白くなった。
「所詮、あの王はオルレアンの血だ。ブルボンの名を捨てた成り上がりが、ルイ二十五世などと名乗りやがって。——エティエンヌ・ブルボン様こそ正統なる王」
シルヴェストルは今なお手を伸ばしたい亡き背を渇仰しながら、脇腹に触れて布越しに滑らかで弾力のある肌を撫でた。
「——父上。貴方の悲願をこの手で叶え、我ら一族の呪いを祝福に変えてみせましょう」




