第四章⑥ マテオとコリン
七月が刻一刻と過ぎていく中、サン・マロは海賊都市としてもはや収拾のつかない様相を呈していた。港は昼夜を問わず騒がしい。甲板からは酒樽が転がり落ち、桟橋では喧嘩と賭け事と歌声が入り混じり、どこからともなく楽器の音が聞こえてくる。遊び呆ける期間が思いの外長くなったせいで、海賊たちは次第に気が緩み始めていた。船団の規則などもはや誰も覚えていない。
その変化が最も顕著に表れたのが第五船団だった。かつては「銀の猫が巣食う船」と呼ばれ、冷酷非道で知られたフェルナンドの船団だったが、今では夜になるたび甲板に灯りがついて酒が開き、音楽が鳴って笑い声が響く。そして、女たちが来る。しかも一人や二人ではない。桟橋から次々と派手な衣装の女たちが第五船団へと乗り込んでいくのだ。フェルナンド自身がある晩ついにこう言い放った。
「もう、みんな自由にしちゃって」
彼の一言で状況は完全に壊れた。甲板は即席の宴会場と化し、船員たちは酒を片手に踊り、楽器の音と笑い声が夜通し響く。ほぼ毎晩、パーリーナイだった。いや、ほぼ毎晩どころではない。三日連続のこともあった。マテオとコリンは当然ながら騒ぎの中心にいたわけではない。むしろ逆だ。二人は夜になるとこっそり船を抜け出す。理由は簡単だった、うるさすぎて眠れない。そのため二人は、船のすぐ近くにある倉庫街へ移動すし、石造りの倉庫の壁際に腰を下ろして硬い地面に横たわった。
「……」
「……」
潮の匂い、遠くから聞こえる音楽、甲板から響く馬鹿騒ぎ。マテオは死んだ魚のような目で夜空を見上げた。
「……あいつら、三日目だぞ」
コリンはため息をついた。
「四日目」
「……嘘だろ」
「昨日は途中で朝になった」
マテオは目を閉じた。
「……そんなバカなことあるか」
船の方から再び歓声が上がる。
「うおおおおお!」
「もう一杯だ!」
「フェルナンド万歳!」
マテオはゆっくり目を開け、コリンも同時に空を見上げていた。しばらく沈黙が続き、やがてマテオがぼそりと言う。
「……オレたち、海賊だよな」
コリンは少し考えたあと答えた。
「……一応ね」
甲板からまた歓声が上がり、マテオは再び目を閉じる。
「……帰りたい」
「どこに」
「……静かな船」
コリンは肩をすくめた。
「それ、たぶん存在しない」
夜はまだ長かった。海賊たちのゆるゆるな空気は街の外、入江にまで伝搬していく。入江と外界を隔てる鉄扉には、本来ならば常に見張りが立っている。その夜も一人の海賊が見張りについていた。夜半、鉄扉がコン、コンと小さく叩かれ、見張りの海賊は面倒くさそうに立ち上がって扉越しに声を張った。
「……誰だ」
向こうから酔った声が返ってくる。
「おーい……開けてくれよぉ……」
「合言葉は」
「……三剣……ぜんぶ……おれのものぉ……」
呂律は回っていなかったが、言葉自体は正しかった。見張りはため息をつく。
「……ったく」
彼が鉄扉の錠を外して扉を開くと、そこに立っていたのは顔を真っ赤にした海賊だった。そいつは扉が開くなり、満面の笑みを浮かべる。
「やっぱここにいたー!」
見張りは眉をひそめる。
「……何しに来た」
「なあ久々に飲みに行こうぜ!」
「は?」
「いいからいいから! 今日は祭りだ!」
見張りは腕を掴まれ、半ば強引に引きずられていった。見張りは一応抵抗した。……最初の一軒までは。一軒、二軒、三軒、気がつけば夜は更けて二人は桟橋へと流れ着く。そこには灯りに照らされた第五船団があった。甲板では音楽が鳴り、酒樽が転がり、笑い声が響いている。完全なパーリーナイ。
「おい見ろよ! 第五船団だ!」
「うおおおお!」
二人はそのまま流れ込んだ。それから数時間後、夜が白み始める頃に見張り役の海賊は完全に酔いつぶれていた。彼はふらふらと桟橋を歩きながら、さっき知り合ったばかりの海賊たちに向かって大声で言う。
「お前らぁ……入江に来るときは……ちゃんと合言葉言えよ……?」
「なんだそれ」
「合言葉はな……三剣全て自分のもの……だからな!」
見張りが胸を張って得意げに言うと海賊たちは爆笑した。
「ダッサ!!」
「なんだその合言葉!」
「誰が考えたんだよそれ!」
「知らねぇけど! はははは!」
笑い声が朝の港に響き、すぐ近く倉庫街の陰では二人の男が横たわっていた。マテオとコリンだ。コリンは完全に眠っているが、マテオは片目だけうっすら開けている。うるさいと心の中で呟くが、彼には一つ厄介な癖があった。眠っている時でも耳だけは周囲を警戒してしまう。暗殺者だった頃の、どうしても抜けない習慣。彼の耳が今、はっきりと拾っていた。
「三剣全て自分のもの」
マテオは目を閉じたまま心の中で繰り返す。……三剣、全て、自分のもの。そして、何事もなかったかのように再び眠りに落ちる。夜明けはもうすぐだ。




