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第四章⑤ リゼーヌ

 一方、同じ夜のブレスト。宿舎の玄関口でリゼーヌは夜空を見上げていた。空はよく晴れているが、遠い天頂の辺りにぼんやりとした霞のようなものが広がっている。以前見つけた時よりも少しだけ広がっている気がした。


「……やっぱり」


 リゼーヌが小さく呟いた時、彼女の背後で砂利を踏む音がして止まった。


「まだ起きていたんですね」


 リゼーヌが振り返ると、マクシムが立っていた。司令部からの夜勤帰りなのか、軍服の上着を肩に掛けている。リゼーヌは軽く会釈した。


「すみません。空がよく晴れていたので」

「……確かに」


 マクシムはふと空を見上げる。夜の海の街は灯りが少ない。その分、星がよく見える。しばらく二人で空を眺めたあとマクシムがぽつりと言った。


「僕も眠れない時はよく星を見ていました」

「星、ですか?」

「ええ。星座の裏にある物語を想像しながら」

「それ、いいですね」


 リゼーヌは少しだけ笑うと空を見上げたまま続ける。


「では、予言の星のことはご存知ですか?」

「予言の星?」


 マクシムは眉を上げるとリゼーヌは視線を落として言葉を紡いでいった。


「遥か西の地、大海の手前、北玄の宿にて。二つの首星を結ぶ星が紅く輝く時、歴史の転換点が生まれる。——東方の地に齎された古い予言です。東洋人たちは本気で信じていたそうですよ」


 リゼーヌは空に手を翳しながら続ける。


「『紅い星の予言』。西のどこかに選ばれし星の子がいるかもしれないと解釈して、王や学者や旅商人たちが西の地を目指したそうです」


 マクシムは少し考えてから頷いた。


「ああ……思い出しました」

「ご存知なんですか?」

「ええ。東と西の国や人が交流するきっかけになった話ですね。うちの宿舎にも、たまに東洋の商人が訪れるんですよ……そういえば、最近は姿を見せないような」


 マクシムは空を見上げたまま続け、やがて少しだけ笑ってリゼーヌに視線を向けた。


「リゼーヌは、予言とか占いを信じているんですか?」


 リゼーヌは首を横に振り、少し間を置いてから空を見上げて言った。


「信じているというより、参考にしてる程度です。でも、占星術って面白いですよ」

「面白い?」

「ええ。星は素直なんです」

「そうですか」


 マクシムは息を吐くとほんの少しだけ悪戯っぽく笑い、夜空から目を離して尋ねた。


「それなら——僕の星はどんな感じなんでしょう」


 リゼーヌは少し首を傾げた。


「よければ……私が見ましょうか?」

「え?」


 マクシムは思わず声を上げ、リゼーヌは嬉しそうに目を輝かせる。


「生年月日、教えてください。それと東洋と西洋、どちらの占星術にしましょうか」


 彼女があまりにも楽しげに言うものだから、マクシムは一瞬言葉に詰まった。


「ええと……じゃあ、東洋で」


 マクシムが少し迷ったぎこちなく答えた瞬間、ふいに遠い記憶が胸の奥から浮かび上がった。


 ——昔、まだルノアール家にいた頃。七歳の誕生日の夜、祝宴が終わったあと叔父に呼ばれた。


「すまない、アントワーヌ。大事な話がある」


 暖炉の火だけが揺れる部屋で叔父——ジャン=バティスト・ルノアールは少しだけ目を伏せてから続けた。


「君は……俺の息子じゃない」


 幼いアントワーヌの胸の奥で何かが軋んだが、ジャンは気にかける暇なく続けた。


「君は、俺の姉の子だ。姉は昔、密かに付き合っていた男と家出して……君を産んでから戻ってきた。一族を追放される時、姉は君を俺に託して男と共に出て行った」


 暖炉の火がぱちりと音を立て、ジャンはアントワーヌの瞳を覗き込みながら言った。


「姉が君に残したものは二つだけだ。——名前と誕生日」


 マクシムの記憶がそこで途切れる。彼の胸の奥に残るのは、あの時の妙な感覚だけだった。血が少しだけ冷えていくような、あの嫌な感じ。マクシムは現実に引き戻されたように瞬きをすると、リゼーヌが不思議そうにこちらを見ていた。


「隊長?」


 マクシムは小さく息を吐くと自分の星を探すように夜空を見上げた。


「……二〇〇〇年の一月七日。正確な時間は分かりませんが、夕方に生まれたそうです」


 リゼーヌは少しだけ目を細め、彼と同じ方向を見上げた。


「……そうですね」


 リゼーヌは指先で星の位置をなぞるように空を見つめると、やがて感心したように息を吐いた。


「少し……珍しい配置です」

「珍しい?」


 マクシムが首を傾げるとリゼーヌは曖昧に頷いた。


「良い方にも、悪い方にも転ぶ。どちらにも傾かない天秤みたいな星ですね」

「普通は、もう少し分かりやすいんです。運が強いとか、試練が多いとか……でも、あなたの星は——どちらにも決めきれない」

「それは……悪い意味ですか?」


 マクシムが尋ねるとリゼーヌはすぐに首を振って少しだけ笑った。


「今後の動き次第ですね」

「動き?」

「ほら。部隊は今、謹慎中でしょう? それもあって読みづらいのかもしれません。動きが止まると星の流れも曖昧になるんです」


 リゼーヌは少しだけ優しい声で続ける。


「安心してください。行動次第では星の動きも変わりますから」

「そうですか」


 マクシムが苦笑するとリゼーヌは思い出したように続ける。


「よければ、今度は西洋でも見ましょうか? ホロスコープを作るのに少し時間がかかるんですけど」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 マクシムは少し驚いたように笑うと軽く会釈した。


「では、僕はそろそろ戻ります。あまり夜更かしすると身体に悪いですよ、お互いに」


 マクシムが宿舎の中へ入ろうとした時、リゼーヌが呼び止める。


「あの……」


 マクシムが足を止めて振り返ると、リゼーヌは少しだけ言いづらそうにしてから口を開いた。


「胡散臭いとは……思わないんですか?」


 マクシムは少し考えるように俯いた後、リゼーヌに向けて穏やかに訊く。


「なぜ?」


 問いを問いで返されてリゼーヌが目を瞬くとマクシムは微笑を浮かべて夜を見上げた。


「星は昔から人々を導いてきたものでしょう。それに、あなたが『星は素直だ』って言った」


 リゼーヌの目がわずかに見開かれ、マクシムは肩をすくめた。


「今の自分を、空がありのまま映し出してくれるなら……信じないなんて言えないと思いますよ」


 マクシムは軽く手を振って踵を返すと宿舎の中へと消えていった。


「西洋の結果、楽しみにしてますね」


 玄関口に残されたリゼーヌは暫く彼の背を見送ると吐息を漏らした。


「……珍しい人」


 リゼーヌは夜空を見上げた。占星術を真っ向から信じてくれた人間はそう多くない。暗い空に綺羅星を見つけたような気がして、リゼーヌの目が爛々と輝き出した。

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