第七章② エドガー・ロジャース海賊団
深夜のポート・ロイヤル。
港に並ぶ海賊船のマストが夜霧の中で影のように揺れている。灯りを落とした船、まだ酒の匂いを残す船、見張りだけが静立つ船、その中で一際闇に溶け込む黒船があった。
エドガーの本艦、リヴェンジ・クイーン。船長室の窓から灯りが漏れている。重い扉の内側では長机を囲み、七隻の船団を率いる船長たちが揃っていた。誰もが口数少なく、杯に手を伸ばす者もいない。潮と鉄と火薬の匂いが室内に澱のように溜まっている。エドガーは机の先に立ち、全員を一瞥した。
「……じゃ、全員集まったところで始めるか。ここに集まってもらったのは他でもない。フランソワのことだ。皆もすでに聞いてるとは思うが──あいつはフランス海軍の手にかかって死んだ」
エドガーは一瞬、視線を落とした。それが哀悼なのか怒りを抑えるためなのかは分からない。
「三月一日のことだ」
日付が告げられたことで事実は完全に逃げ場を失った。誰かが小さく舌打ちし、別の誰かが拳を握り締める。エドガーは顔を上げる。
「で、だ。オレはフランソワの仇を討つ。フランス海軍に、戦争を仕掛ける」
エドガーの一言で全員の意識が彼に集中する。ざわめきは起きなかった代わりに船長たちの間を熱が巡る。
「これは衝動じゃない。復讐の名を借りた暴走でもない。あいつが生きていた間、何をして何を壊して、何を守ろうとしていたか、オレは全部知ってる。だから、これは継承だ。フランス海軍があいつを殺した。その責任を、オレたちが取りに行く」
エドガーは船長たちを見回した。
「ついて来るかどうかは各自で決めろ。強制はしない。逃げるなら、今だ。だが──オレは行く」
宣言のあと室内はしばし沈黙に包まれる。最初に口を開いたのは、左舷側に座っていた壮年の船長だった。
「仲間は多い方がいいな。この規模で動くなら七隻じゃ足りねえ。他の海賊団にも声をかけるべきだ」
「賛成だ。フランス海軍が相手なら利害は一致する。恨みを持ってる連中はいくらでもいる」
「ただし、烏合の衆は要らねえ」
エドガーの低く割り込んだ声に、数人が視線を向ける。
「統制が取れないと、こっちが潰れる。その辺は選別する。戦争に来る気のない奴はいらない」
議論は自然と広がっていった。補給線、武器、弾薬、船員の確保。酒の席では済まされない話が淡々と積み上げられていく時、長机の端に座っていた若い女海賊が手を挙げた。年の割に背筋はまっすぐで、視線は揺れていない。彼女の背後に控えていた、クォーターマスターと思しき若い男が一歩前に出る。
「船長曰く、『拠点はどうするんだ』と言っていますが?」
室内の空気がぴたりと一点に集まり、エドガーは迷いなく答えた。
「サン・マロだ。情報屋の話じゃ、今のあそこは自由港。フランス海軍は撤退したらしい。海軍が引いた街をそのまま使う。港も施設も揃ってる。補給も情報も回しやすい。拠点としては申し分ない」
小さなどよめきが走る中、誰かが呟く。
「……ずいぶん大胆だな」
「だからこそだ。誰も想定してない場所ほど安全ってもんだ」
エドガーは小さな呟きも聞き逃さず応えた。議論はさらに続き、やがて一巡する。エドガーは全体を見渡し、ゆっくりと息を吐いた。
「……じゃ、今夜はここまでにするか。準備は早いに越したことはない」
場の緊張がわずかに緩むと、エドガーは指で机を軽く叩いた。
「ポート・ロイヤルで他の海賊団を勧誘、招集する奴。すぐにサン・マロへ向かいたい船団がいれば、指示して構わない。まだ船員の補充が終わってない船団は、ここに残れ。オレは、もうしばらくポート・ロイヤルとトルチュ島に居る。判断は各自でしろ。——解散だ」
エドガーはそう締めくくると椅子が一斉に引かれ、船長たちが立ち上がる。誰もが戦争への想いを胸に抱えながら散っていった。やがて扉が閉まり、最後の足音が遠ざかったあとエドガーはふっと視線を横に流した。部屋の隅、影と同化するように立っていた男に向けて、低く苛立ちを含んだ声で口を開く。
「……オレの影に隠れてコソコソしてんじゃねえよ、猫野郎」
「んー?」
名を呼ばれずとも反応は即座だった。フェルナンドは肩をすくめ、やけに芝居がかった口調で首を傾げる。
「おや。静かにしていた方が君の機嫌を損ねずに済むかと思って」
彼の白々しさにエドガーは舌打ちした。
「とぼけんな。宝石屋だ。痛ぶって吐かせた挙句、あの貿易商もまとめて始末しやがって」
フェルナンドは一瞬だけ目を細め、悪びれた様子もなく口角を上げる。
「察しがいいね。君の計画バレを阻止するためだよ」
エドガーは黙ったまま拳を握るもフェルナンドは続ける。
「噂がどこから漏れたかを辿れば、遅かれ早かれ君の戦争準備に行き着く。なら、元から根を断つのが一番確実だろ?」
押し黙ってしまったエドガーの顔を伺いながら、フェルナンドは楽しそうに続ける。
「だからこそ、余計な口は全部塞いだ。宝石屋も、情報を持ち込んだ仲介も……もう喋らない。君の戦争は予定表のままだ」
エドガーは否定せず、フェルナンドはお喋りを続ける。
「それにしても、ずいぶん饒舌だったよ。“大海賊フランソワ死亡”、実に景気のいい見出しだ」
「……あいつの名は、酒場で笑いながら語るための札じゃねえ」
エドガーの指は椅子の肘掛けを掴んでいた。フェルナンドは口を噤み、エドガーは続ける。
「宝石にくっつけて、噂として売り払って。『高いけど確実』、『高いけど面白い』だと? ふざけるな。あれは人の死だ。貿易商が口を滑らせたのは、まだ分かる。ああいう連中は金になるなら何でも運ぶ。だが、宝石屋は違う。島で、あいつの死を物語にした。面白おかしく加工して広めて。だから攫ったんだ。確かめるために」
エドガーが吐き捨てるように言い切った後、フェルナンドが口を開く。
「でも、君の計画が露見する可能性があった。だから僕は余計な芽を摘んだ」
エドガーは視線を上げ、睨みつけた。
「余計だ」
「必要だった」
互いに食い違う声に、エドガーは深く息を吸った。
「……あの宝石屋は殺す価値すらなかった。なのに、お前は殺した」
フェルナンドの眉がほんのわずかに動く。
「君が躊躇する理由は理解できる——」
「フランソワの死は誰かが処理していいもんじゃねえ」
張り詰めた沈黙の中、エドガーは椅子に凭れて天井を仰いだ。
「オレは復讐のために戦争をやる。が、友の死を娯楽にした連中のためじゃない」
エドガーは窓の外、闇に沈む港に目を向けた。
「だがな、フェルナンド。これ以上、オレの名前で勝手に血を流すな」
フェルナンドは一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「善処するよ、船長」
エドガーはふっと息を吐いたが、怒りの余熱がまだ指先に残っている。
「……そういや、あの返書」
エドガーが独り言のように呟いてからフェルナンドが口を開いた。
「例の封蝋付きの?」
「ああ。船内には無かったんだな」
「無かった」
「なら、ルキフェルだ」
エドガーは机の縁に指を置いた。責める調子はない。むしろ想定通りだとでも言うように。
「まあいい、オレの筆跡だとバレても計画に致命的な悪影響はない」
「ずいぶん楽観的だね?」
「違う」
フェルナンドが小さく首を傾げ、エドガーはなお闇を見つめながら続ける。
「むしろ逆だ。——揺らぐ。こちら側に付くか、それとも黙って見過ごすか。あの返事を見て迷わない奴はいない。参加するか、逃げるか。どちらにせよ、海はもう静かじゃいられない」
フェルナンドは肩をすくめた。
「選別か。ずいぶん残酷だ」
「戦争だぞ。選ばせない方がよほど残酷だ」
エドガーは低く言った後、船長室にしばし沈黙が落ちる。
「サン・マロに着いてから改めて返事を書く。向こうの連中が本気なら、その時にでも十分間に合う」
サン・マロ。フランス本国。そして、旧ブルボン派を名乗る正体不明な手紙の主。名前だけはまだ伏せられているが存在する後ろ盾。
「名乗らぬ協力者ほど厄介でありがたい存在はない」
エドガーはわずかに笑うと椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
「さて……海はもう動き始めてる。後戻りはできねえな」
フェルナンドは何も言わず、エドガーの背中を見つめながら胸の内で別の計算をしていた。
この男はもう止まらない。それに、この戦争はあの短い返書を書いた瞬間から始まっていた。




