その13「イクメンって言葉、私は好きじゃない」
何て言うかもう、いかにもそれっぽい言葉でいいイメージを作って上手くのせて利用してやろうという感がぷんぷん臭ってくる気がしてね。
「考えすぎじゃないんですか?」
そうかもしれないけどさ。でも私はやっぱり好きになれないんだよ。そんな言葉が出来る前から好きでやってる私みたいな人間もいるだろうし。
「あの頃とはずいぶんと違いますね」
そうだね。それでも、自分に子供を育てるなんて絶対できるわけないって思ってた20代初めの頃から比べると、ちょっとはマシになってたんだよ。でも同時に私は自分が結婚には向かない人間だっていう思いもあったから、どっちにしても子供を育てるなんて夢でしかなかった時期には違いないけどね。
ただ、以前にも言った仲間の中に子育て真っ最中の人がいてね。その人の意見はすごく参考になったと思う。特に印象的だったのが、<相手は人間だから人間として接すればいいだけ>っていう言葉。最初はあまり実感もなかったけど、それでもなるほどと思わされた言葉だった。相手は動物でも機械でもない、自分と同じ人間なんだから、自分がされて嫌なことは大抵嫌がるし、自分がされて嬉しいことは大抵喜ぶってことなんだよな。
それを聞いて何となく、子供を育てるということが自分とは全然関係ない世界の不可解な行為じゃなくて、本当に日常の自分の生活の中にあることなんだっていうのを初めて感じた瞬間のような気がする。で、その後、何人かの女性と付き合ったりした後に奥さんと出会って結婚して子供が生まれたんだよなあ。
思えば実によく出来てたと思う。他人との関わり方を再構築して、子供との接し方の基本を知った私が奥さんと出会った。実に不思議だよ。私は運命とか信じない方だけど、それを運命だと言われたらそうかもしれないと思ってしまう気がする。
という訳で、今回は上の子が生まれた時を追体験と行こう。
その日私は、里帰り出産してる奥さんの実家から陣痛が始まったから来てほしいと言われて向かったんだよ。けど、微弱陣痛という診断でその日は結局出産まで至らなくて、私は奥さんの実家に泊まることに。
翌日も昼過ぎまでこれといった変化が無くて待機。夕方近くになっていよいよ本格的な陣痛が始まったかも知れないということで病院に駆けつけると、奥さんは待機室でうんうん唸りっぱなし。陣痛の感覚がかなり短くなってて、素人目にもいよいよなんだなと思ったんだ。
看護師さんに言われて奥さんの背中をさすったりするんだけど、それがどうもいい感じにならなかったらしくて、
「いい、いい、触らないで」
と奥さんに言われる始末。でも私は、陣痛時の女性は理不尽の塊だから何を言われても本気にしちゃいけないと前もって聞かされてたから、別に気にならなかった。
ひっひっふーの呼吸法の練習を一緒にしたりしてると奥さんが「あー」とか「いー」とか叫びだして、看護師さんに言われてついに分娩室へ。だけどここからがまた長かった。子宮口はまだ全開じゃないということで出産そのものはまだ始まらないと言われて私は待機室に戻らされた。それからさらに一時間くらいたってようやく「出産が始まります。ご主人も来てください」と言われて。
分娩室に入ると、奥さんは汗だくではあはあ言ってて、見るからに大変そうだった。私に出来るのは汗を拭いてあげることと水を飲ませてあげることと、声を掛けてあげることだけだった。でも、赤ちゃんは降りて来てますよとは言われるけど出てくる気配はない。さすがにその瞬間をはっきり見られるような位置に行く度胸は無かったからあくまで奥さんの横についてただけだけど、分娩室にいたのは奥さんと私と看護師さんだけで、担当の医師がまだ来てなかったから私にもそれくらいは分かった。
その状態でさらに数時間。夜中の十二時を回った頃にようやく看護師が医師を呼んできて、いよいよ出産に。なのにこれからまた長い。これが普通なのかどうか私は初めてだから当然知らなかったけど、奥さんの汗を拭いて水を飲ませて声を掛けて手を握ってと、延々とその繰り返し。
奥さんは「あー!」、「うわー!」とか「もういい、もういい!」と何がもういいのか分からないけど喚いてて、私は見守るしかできなかった。
そして朝の4時頃、ついに、
「はい、赤ちゃんの頭が出てきましたよ。お母さん、もう少しですよ、頑張りましょう。赤ちゃんも頑張ってますよ」
と看護師さんの言葉にいよいよかと思ったら、ここでまた停滞。すると医師が少し緊張した様子で、「もうちょっとなんだけどな」と言って、突然奥さんの上に馬乗りになってお腹をぐいぐいと。
「うぐーっ!」
と、奥さんが唸った思った瞬間に、
「はい、来ました! 赤ちゃん生まれましたよ!」
と看護師さんが赤ちゃんを持ち上げて…
でも、実は私もこの時の光景はあまりはっきりと覚えていないんだよね。私自身、緊張の連続で疲労困憊してたらしくて。ただ、赤ちゃんの泣き声が想像してたよりずっと小さくて、「みー、みー」って感じで子猫の泣き声みたいだと思ったのは覚えてる。
あと、へその緒を処置した赤ちゃんを、「お母さん、元気な女の子ですよ」と抱かせてもらった奥さんの、汗と涙と鼻水と涎まみれの顔が、格好いいというか何というか、その時は何とも表現できない感じだったんだけど、後になって思い返すとやり遂げた人間の顔ってこういうもんなんだろうなって感じで素直に凄いと思わされたんだ。
その後、後産とかいろいろ処置とかするからということで分娩室を出された私はベンチで茫然としてたんだけど、しばらくしておくるみにくるまれた赤ちゃんを、「お父さん、抱っこしてあげてください」と看護師さんに渡された私は、どう抱いていいのか分からなくてとにかく腕をなるべく大きく使って赤ちゃんの体をしっかり支えようと抱っこしてたんだよな。でもその姿は、ストレッチャーに乗せられて分娩室から出てきた時に私を見た奥さんに言わせると、
「抱っこの仕方がすごくぎこちなくて、ほんとに新米パパって感じだったよ」
てなくらいにがっちがちだったらしい。って、光代´、泣いてるのか?
「いえ…ただ、胸がいっぱいで…人が生まれる時って、そういうものなんですね」
そうだな。だから私は立ち合い出産を選んで正解だったと思ってる。その時の奥さんの様子とか見て気持ちが冷めたりする夫もいるっていうけど、私は、汗と涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃの奥さんの顔を見てもっと好きになったよ。出産が命懸けっていうのも実感できた。これだけのことを乗り切って人間は生まれてくるんだって、しびれたよ。




