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その14「赤ん坊は泣くのが仕事」

赤ちゃんってすごいよな。あれで生きてるんだもんな。でも、自分が見捨てたら一日かそこらで死んでしまうくらい儚い存在でもあるんだよ。それが自分の腕の中で寝てるんだ。重いし温かいし可愛いし。


でもその日はすぐ看護師さんに引き渡して私は奥さんの実家に戻ることになった。前日の夕方から朝まで寝てないし付きっきりだったから、気分は高揚してたが体はフラフラだったよ。だからかすぐに寝た。と言うか力尽きた。


夕方まで眠って再度病院に行ったら、赤ちゃんは、私の娘は、新生児室で他の子供達と一緒に寝かせられてた。明らかに一回り大きかった私の娘は目立ってて、見間違えようもなかった。丁度おっぱいが終わって寝たところだったらしいが、先に来ていたお義母さんの言うところによると、我が娘は体も大きいが泣き声もすさまじく、病院中に響くかと思うくらいのものだったそうだ。


しかし、そうすると生まれたばかりの時のあの子猫のような泣き声は何だったんだろう?。と考えると、あれはきっと、


「疲れたよう…大変だったよう…」


という意味だったのではないかと思えた。母親も大変だったが、赤ちゃんは赤ちゃんで大変だったんだと思う。


病室で奥さんに会って、「ありがとう」とお礼を言って、その日の夜に私は一人で自宅に帰った。その後、最初の予定では二、三か月の予定だった里帰り出産が十か月になろうとはこの時は思っていなかったが。


でも、私は私で仕事に集中できたし、奥さんは奥さんで慣れた実家でお義母さんやお義父さんや妹さんらの助けを得て子供の世話を出来たから、産後クライシスなるものも殆どなく、初めての育児とは思えないくらい悠々自適な新米ママライフを送れたそうだ。それでも最初に二か月ほどはかなり大変だったそうだが。そして私の方は、月に二度ほど泊りがけで会いに行くという生活が、先にも言ったように十か月に及んだけれど、それはそれで良かったと思う。


十か月もかけたのは、自宅に戻るまでの移動中に何かあったらと心配だったことと、免疫がある程度しっかりするまで外出は避けたかったことと、離乳食がしっかりと習慣付くまでやっぱり不安だったからというのもあるらしい。今から思えばその判断は正解だったんじゃないかな。


ただ、娘と一緒に自宅に帰ってきた奥さんが見たのは、荷物が無造作に散乱する自宅の惨状だったわけだが。


私はどちらかと言うと散らかってる方が安心する性質なので、ついついそうなってしまうんだよな。でも、娘もこれからここで過ごすのだからそれでは不味いと一念発起し、部屋を片付けた。二階を育児の為の部屋と割り切って確保し、ハイハイで移動しても大丈夫なように一階への階段につながる場所を段ボールで作ったバリケードで封鎖。歩けるようになっても窓から落ちないようにと窓も下半分をバリケードで封鎖。娘の力では開けることもできないようにした。壁も柱も段ボールを当ててぶつかっても怪我をしないようにし、かつ部屋の中だけは自分の意思でどこへでも移動できるようにした。


あと、ちょっとした遊び心でトンネルも作ってみたが、娘はそれをたいそう気に入ったようで、何度も行ったり来たりしていた。そうして完全に娘の為だけの部屋となったそこで、私と奥さんもずっと過ごした。もちろん寝る時も三人で川の字で寝た。


それにしても最近は便利な道具も揃ってるもんで、ミルクの湯を沸かす為のポットは、耐熱ガラスのそれを電気で沸かすものがあったから、二階で娘の手の届かないところにおいておけばいつでもミルクを作ることが出来たのは楽だった。電気ケトルはお湯が何となく鉄臭くなるけど、ポットの部分が耐熱ガラス製だったミルク用湯沸かしポットはそれもなくて使い勝手が良かった。


ところで奥さんは娘にはテレビをなるべく見せたくないという思いがあったそうで、私もそれに従って娘が起きてる間はテレビを付けず、寝てからのみ見るというのが我が家の習慣だった。私自身、あまり見たいと思う番組が無かったのは、無理に我慢をする必要が無かったので助かった。


娘のミルクとおむつ替えと入浴と夜泣きの対処は私の役目だった。当然仕事もしながらだったが、全然苦にならなかった、むしろ趣味のように捉えてたからか楽しかった。夜泣きの対処が私の役目になったのは、奥さんが実は耳が悪く泣き声がよく聞こえないからだった。それを私が補うのは当然のことだと思う。奥さん以外の大人は私しかいないのだから。それに、我が娘はそんなに夜泣きもしなかった。泣きそうな気配がすると私はすぐ目が覚めて、娘の体を軽くとんとんとしながら「どうした?。パパはここにいるよ。大丈夫だよ」と話しかけると大抵それで収まった。それで収まらなくても、私が膝に抱いて十分も揺らせば泣きやんでくれた。だから寝不足を感じるほどのこともなかった。


やがて、離乳食も私があげた方がよく食べるということで、奥さんが作って私が食べさせるという役割分担も定着した。奥さんは若干せっかちなところがあるので、娘が遊び食べを始めると苛立ってしまい、それを娘も感じ取るのか機嫌が悪くなって余計に食べなくなるという悪循環が、私にはなかった。私は娘のペースに合わせるのが上手かったのだ。


思えば私は、赤ん坊の時の娘に対して苛立った記憶が全くと言っていいほど無い。娘の相手をしてるのは楽しくて仕方なかった。それでも私と奥さんが並んで呼べば奥さんの方へ行くのは少し悔しくもあったが、それが母と子というものだと私は理解していた。


当時奥さんは専業主婦状態で、私の収入だけでは生活は楽ではなかったが、それを辛いとは思わなかった。奥さんが仕事をしてないのに私が娘の面倒を見ることをおかしいみたいなことを言う人間もいるが、そんな他人の価値観など私の知ったことではなかった。私は自分がやりたいからやってるんだ。私が仕事に行ってる間は奥さんは娘にかかりきりで他の用事ができない上に息抜きもできないが、私が娘を見ていればその間に家のことができるし、たまには息抜きだってできた。それで上手くいってるんだから他人にあれこれ言われる筋合いじゃない。


それになにより、そのおかげで私は娘のことをよく知ることができた。結構おてんばなところがあるとか、電話もリモコンも、それを模した玩具には興味が無くて本物でないと駄目とか、娘をあやすための必勝のリズムとか、よく赤ちゃんが安心すると言われてる音を聞かすより私が話しかける方がよっぽど早く泣きやむとか。そして実はそのことが、奥さんを亡くして父子家庭になった今、途方もなく活きてきてることを私は実感している。子供のことをろくに知りもしないで母親を失ったら父親は狼狽えることしかできないだろうけど、私にはそれが全く無かった。


子育てはどっちの役目とか、そんなことはどうでもいい。せっかく目の前に自分の子供がいるのにそれをよく知ろうとしないとか、こんなにもったいないことはないと私は思う。むしろ、母親はどうしても子供のことを自分の一部のように錯覚してしまう傾向があるのに対して、父親はある意味で子供にとって最も近い他人だから、ちょっと距離を置いた見方ができるというのもあると思う。


でもそんな理屈もどうでもいいか。とにかく子供は可愛いんだよ。


「…それものろけですか…?


おう、光代´。のろけと言われればのろけだ。文句あるか?


「そういう訳ではありませんけど、やっぱりあの頃の貴方からは想像もつかない変化ですね」


よく言われることだけど、人との出会いが人を変える。結局そういうことなんじゃないかな。


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