その12「ふたりで生きる意味」
さて、今回は私が編集部から依頼を受けて書いた二本目の小説。そして、あの当時に私が書いた最後の小説<ふたり>の二人に会いに行こうと思う。
「こちらも私達と被ってますね…」
だからうるさいよ、そこ。そういうのを求められてると思ったんだよ。
光代´め、何だかますます毒気が強くなってきた気がする。でもまあいいさ。彼女がそういう風に相手に都合の良い反応ばかり返そうとしないのは、自我の表れだろうからね。
それはさておき、今度の舞台は実は私が住んでる町なんだよな。だから歩いてでも行ける距離だったりする。某私鉄沿線に建つマンションに、二人は住んでる。という訳で、今日はのんびりと歩いていこう。着物じゃ自転車にも乗れないからね。
「そうですね…」
と、光代´を連れて初夏の日差しの中を二人で歩く。見た目は中学生くらいなのに、彼女が身に着けている淡い藤色の訪問着は、若い女性が着るような華やかなものではなく、柄も控えめで非常に落ち着いた大人の女性のものだった。彼女の実年齢を考えると年相応ではあるが、ちょっと地味にも見えるかもしれない。だがそれだけに清冽と表現するのがしっくりくる装いでもあった。
着物に合わせた藤色の日傘を差し、昨日今日着物を着付けてもらっただけの不慣れな女性とはまったく違う流れるような足取りで私の後に付き従う彼女の姿を、通り過ぎる人の多くが目を留めたり振り返ったりしていた。中にはカメラを向けるものさえいる。もっともその多くが、私のようなおしゃれとは全く縁のない冴えない中年男との取り合わせの奇妙さに驚いている感じではあったが。
それを差し引いても、光代´の姿は目を惹くものであったと思う。土地柄、そんなに着物が珍しい訳ではない筈だけど、ここまでの雰囲気を醸し出す女性はそう多くないかもしれない。決して暑いというほどじゃないのに、それでも歩いているとじんわりと汗がにじみでる陽気の中を、光代´は汗一つかくことなく涼しげに歩いていく。つくづくさすがだと思わされた。
着物でしずしずと歩く光代´の足に合わせて歩いて二十分ほどで、目的のマンションへと辿り着いた
そこは、築二十数年の賃貸マンションだった。オートロックではない、今では逆に珍しいかもしれないタイプのマンションだ。だがそれだけに家賃が抑えられているのも事実で、いかにもあの二人が住んでておかしくない感じだった。そこの一階の角の部屋の前に、私達は立っていた。
インターホンを鳴らすと、男の声で「はい」と返答があった。
やあ、私だよ。今着いた。
私がそう言うと、鍵を開ける音がして、扉が開けられた。
「お久しぶりです」
そう言って姿を現したのは、私とそう歳も違わない、だけど私よりずっと痩せた感じの大人しそうな中年男だった。
「どうぞ」
そう促された私と光代´は、決して広いとは言えない玄関を通り、廊下を抜けて奥の居間へと案内された。そこには、30代くらいの、黒い艶やかな髪を肩で揃えたこれまた大人しそうな女性が私達を出迎えたのだった。
「お久しぶりです、麻友(仮)です」
そう言って頭を下げる彼女をよく見ると、確かに面影がある。あの時は十二歳だったか。大人の女性になったなあ。
そんな感慨を抱きつつ、私も頭を下げた。
久しぶり。こちらは光代´だ。
「初めまして。お話は伺ってます」
麻友(仮)がそう言って再び頭を下げると、光代´も「光代´です。お邪魔いたします」と頭を下げたのだった。ちなみに今回は、あらかじめ電話で光代´のことを伝えていたから、さすがに名前で驚かれることもなかった。
挨拶を済ませて皆でソファーに座ると、私は早速切り出した。
結婚したんだってね。おめでとう。
そう声を掛けた私に、並んで座った麻友(仮)と彼は、一瞬顔を見合わせたあと、少し照れたように、
「はい、ありがとうございます。おかげさまでもう5年になります」
とまた、頭を下げた。
しかしよく結婚できたね。二人は血が繋がってないとはいえ叔父と姪だよな。
と、実はからくりを知っている私だったが、光代´に説明してもらうのも兼ねて敢えて訊いてみたのだった。
「それは、僕の方が元の籍を抜いて新たに籍を作って、彼女を迎えたんです。そのことに気付くのが早ければ、もっと早く結婚していたんですが」
まあ、そうだよな。血は繋がってないんだから、籍さえ別にすれば問題ない。ただ、そのおかげで結局、彼の家もこれで途絶えることになるな。
黙って聞いている光代´に説明するように、私は詳しい事情を語る。
彼の両親も、昔、なかなか子供が出来なくて、養子を迎えたんだ。でもその後で妊娠。彼が生まれた。別に家を継ぐとかそこまでは拘ってなかったとは思うけど、本来夫婦の子供として迎えられた彼の義理の兄は、その所為か家に居場所を得ることが出来なくて、大学に進学するのと同時に逃げるように家を出て、それから帰ることはなかった。
一方彼も、自分が生まれたことで義理の兄の立場を無くさせたことを気に病んでか鬱屈した子供時代を送り、他人との付き合い方が下手な人間に育ってしまった。それでも何とか大学を卒業し中小企業とはいえ就職を決めて家を出たところで両親が相次いで病気で他界。一人になってしまった彼のところに、ずっと消息不明だった義理の兄が突然現れて、麻友(仮)を彼に預けていったんだ。
と言うのも、家を出た後、大学は卒業したものの定職に就かず、職も住居も転々としながら殆ど場当たり的に結婚はしたが、それでも定職に就こうとしない夫に愛想を尽かした奥さんは他に男を作って家を出て、十二歳の娘と二人残された義理の兄は、一応は唯一の家族でありちゃんと仕事もしている彼に娘を託したんだよな。
それだけでも十分に碌でもないが、義理の兄は養育費も入れないでまたその後消息を絶ち、彼は何の覚悟も持てないままいきなり十二歳の女の子を扶養家族として迎えることになったんだよ。
そこまで言ったところで、私はいったん言葉を区切って、皆の様子を窺ってみた。麻友(仮)と彼は目を伏せて黙り、光代´は無表情に中空に目を向けていた。何か思うところはあるかも知れないけども、二人の様子を見て、迂闊なことは言えないと思っているように見えた。そして私は言葉を続けた。
それでも何とか双方共に手探りで一緒に暮らし始めた二人だったんだが、ようやく打ち解けて家族として生きていこうと思えたところにまた突然義理の兄が現れて、再婚したから娘を引き取りたいとやってきたんだ。
私のその言葉に、麻友(仮)がさらに深くうなだれたのが見えて、そして光代´の表情も少し曇ったように見えた。
だけど、私はなおも言葉を続ける。
麻友(仮)にとっては、そんないい加減な人間でも父親は父親だった。それに彼も、これから先もずっと彼女の面倒を見ていけるのか不安もあった。だから麻友(仮)は父親のところに戻ることになったんだよな。
でもなあ。いくら何でもそんなムシのいい話はないよなあ。それまでとにかく大人しくして周りに流されて生きてきた麻友(仮)が、そこで初めて自分で決めたんだよ…
…彼のところに残るってね。
私が言葉を途切ると、その場には何とも言えない空気が漂っていた。麻友(仮)は両手で顔を覆い、彼はうっすらと涙を浮かべているようにも見えた。
そして、光代´が口を開いた。
「…今は、幸せですか…?」
その言葉に、彼は「はい」と答え、麻友(仮)は何度も頷いた。
決して器用ではない、むしろ間違いなく生きるのが下手な二人が互いに身を寄せ合って懸命に生きてる姿がそこにはあった。幸せかと聞かれてそれにイエスと答えた二人に嘘はない。
他人から見てどんなに小さくても儚く見えても、幸せとはこういうものだと私は思った。
二人の家を後にした私と光代´は、それをしみじみと感じていたのだった。




