第六話:探偵の捜査。
◇6◆
あたしは、放課後になるのを待って、一年生の棟の、三階へと向かった。もしもうわさ通りなら、千藤という生徒は――死んでいるだろう。
そして、水玖はこうも言っていた。「誰かに話したら殺される」と。つまり、千藤が口を割った可能性は高いと踏んだのだ。
早足で進んで行くと、前の角から出てきた少女にぶつかり、彼女が持っていたノートの束があちらこちらへと散らばった。
「ああ、悪い。手伝うよ」
「……別に、大丈夫」
その言葉を無視して、しゃがみ込んでノートを拾っていく。その中で「そういえばさ」と、切り出した。
「なに?」
「千藤さんが消えた理由って知ってる?」
不意に拾おうとした手が止まり、私から伏し目がちな視線を逸らした。
シャープな顔立ちで、目も細い。薄幸の美人、そんな印象を持った。
「知ってるんだな?」
「うわさくらいよ。わたしは六組、別のクラスだったし」
「ふうん……」
そのわりには、この挙動はなんだ。なにかを知っているような――。
「あ、問題児ちゃんだ」
後ろから声がかかって、その肩に手に触れられ、振り向くと、ショートボブの少女が興味深そうにこちらを見ている。
はつらつな笑顔に、丸い目、ふんわりとした唇に、愛らしい印象を持った。
「なに、友里に絡んでるの?」
「違う。角でぶつかってノートが落ちたから拾っているだけだ」
ふんふん、と頷き、ショートボブが揺れ、と丸く大きな目柔らかく細めると、ふっくらとした唇が弧を描いた。
「なーんだ。ついに上の階まで乗り込んできたのかと思ったよ」
一年生の棟は、一組から四組までが二階で、五組から八組までが三階にあるのだ。
「どんなうわさを流されてんだかな」
「まずは一年から制覇して、三年生まで支配する、みたいな?」
あ、わたしは六組だから襲わないでね、と悪戯っぽく付け足した。
「バカバカしいうさわだな」
「やだなあ、冗談だよ」
ノートを拾い集め、友里と呼ばれた少女に渡した。「重くないか?」と訊いてみるが、「平気よ」と返ってきた。人間関係を築くのが苦手なタイプなのかもしれない。
「よう、鏑木、と、綾瀬もいたのか。なにやってんだ」
「あんたこそ、部活の時間じゃないの?」
少年は惣菜パンを見せて、「その前に飯だよ。昼に購買で買っておいたやつ」と、コロッケパンを見せて笑った。
「ほんと、虎田はそれ好きよね」
「おれだけじゃねえよ、わりと人気があるんだぜ。コロッケはでかいし、安いし。」
「ちゃんと自炊したほうが総合的に安上がりだよ」
「刹那的な生き方が好きなんだよ、おれは」
鏑木はため息をついて、少し微笑んだ。その間に入って良いものか悩んでいると、虎田と呼ばれた少年が、「あ、不良生徒じゃん」と声をかけてきて、うんざりした気分になった。
「うちらの教室になにか用か?」
「ああ、えっと、千藤さんのことなんだけど。家出したっていう」
言った瞬間、背後から、ぎん、という殺気のこもった視線を感じて、とっさに振り向いた。
突然のことに、二人はよく分かっていないようで、「大丈夫か、お前」と怪訝そうに眉を寄せている。
「あ、ああ。ごめん。それで、なにか知らないか」
「千藤のことか……分かんねえけど、ずっと悩んでたみたいだぜ。イップスっていうのかな。上手く走れなくなったって。まあ、おれも運動部だし、分からなくもないけどよ」
「他には?」
「本人がいないところで話すのは気が引けるけど、SNSのサブアカでめちゃくちゃ暴れてたらしい。インハイ出場の陸上選手のルックスとか、こんな惨めな走り方をするなら死んだほうがまし、とか」
――なにせ一年でインハイに出たんだ。期待も大きい分、潰れると再起が効かないんだよ。
「だから、もう嫌になっちゃったんじゃねえの?」
「嫌になった、か」
「そう。人間ってある程度のラインを越えると、自暴自棄になるんだよ。日常も、生活も、友達も家族もどうでも良くなって――家出する」
虎田は惣菜パンを開いて、それにかぶりつきながらそう言った。
「立ったまま食べないでよ。行儀悪いなあ」
「あ、わたし、職員室にノート持って行くから……」
綾瀬 友里は短くそう言うと、その場を後にした。
「手伝おうか?」という虎田の提案に、かぶりを振って答えると、小走りに廊下を進んで行く。その後ろ姿を睨みながら、あたしは気になっていることを訊いた。
「なにか、聞いてないか。変なアプリが知らない間に入ってたとか」
「それは……知ってるよ」
「知ってる?」
それまでの態度が急変して、鏑木は眉間にしわを寄せ、少し目を伏せて、そう言った。なにかしらを知っていて、表情に出さないようにしていたのだろう。
「それってどういう――」
「あら、みんな集まってるのね。どうしたの?」
後ろから声がかかって、小さく身体が揺れた。ちょうど殺気を感じた方向だったからだ。
振り向くと、腰まである長髪で、すらりと背の高い少女が立っていた。
天塚遥香――。
ひたいが広く、垂れ目がちで、つんとした鼻、ふんわりとした桃色の唇は弧を描き、真ん中に分けた黒髪は腰まであり、前髪は右に流して片目が隠れている。
百六十センチはある背丈に、どこか気品のある、美しいと思える口調と振る舞い。だが――あたしは眉を寄せた。
「天塚……」
「久しぶりね、蓮実さん」
あたしが睨み付けると、彼女は微笑んだ。
「あ、天塚さん。この子と知り合いなんだ?」
「ええ。半年前に、少し、ね」
「そうなんだ。いやあ、この不良娘が千藤のことを訊きたいってさ」
「千藤さんの? そうねえ……」
「そうだ、天塚さんなら同じクラスだったよね。千藤さん、八組だったし」
「ええ。うわさ程度なら、聞いているわ。それより、成浩さん。立ったまま食べるのはお行儀が良くないわよ」
天塚に言われて、「だってよお……」と髪を掻く。
それを見て、鏑木が「だから言ったじゃん」と唇を尖らせているのを見て、天塚はふふふ、と手で口元を隠し、上品に笑った。
「成浩さんも花南さんも、相変わらず仲が良いのね。いつの間にそんなに仲良くなったの?」
「んー。入学式のとき。こいつ、体育館に行くのに迷ってて、連れてったんだよ。そこからなんとなく話すようになったっていうか」
「へえ。素敵ね」
「で、遥香はなにか知ってるのか? 知ってるなら、こいつに教えてやってくれよ」
虎田の言葉に、天塚 遥香は――ううん、とあごに手をやった。
「うわさ話だと、入れた覚えのないアプリが入っていて――誰かにそれを口外するとカウントダウンが始まる……だったかな」
「それは、七十二時間のタイムリミットか?」
あたしは彼女を睨む。だが怯むことなく柔和な笑みを浮かべて、「そこまでは分からないけれど、最近見てないなって子は増えてるわね」
「そのうわさを聞いても、家出だと思うか?」
「――ずいぶんと鋭いのね。まるで探偵さんみたい」
ふふ、と笑って首をかしげる。知っているくせに、とは言わなかった。あたしも大っぴらに言って回ることは良しとしない。
「いいから、答えてくれ」
「と言っても――当事者が消えてるんじゃ、なにも情報がないのよ。家出じゃなかったとして、じゃあ、どこに行ったのとか、死んじゃったのか、とか。分からないの」
たしかにそうだ。今回の事件は分かりやすく死体があるわけじゃない。半年前のように自己顕示欲にまみれ、死体を着飾るような猟奇的な殺人ではない。
「ああ、でも」
あたしが髪を乱暴に掻いていると、天塚が人差し指を口元に当てて、目を細めた。
「誰が言いだしたのかは分からないけど――ファントム・ボマーと呼ぶらしいわ」
「ファントム・ボマー?」
「ええ。まだ事件とも家出ともつかないけれど、一年生の――三階の間ではきっとファントム・ボマーが殺したんだ、なんて話を聞いたことがあるの」
「それは――誰から?」
「分からないわ。うわさって、そういうものでしょう? 源流が見つからないものなの。わたしたちは、せいぜい支流の浅瀬まで来た情報を掬い取るくらいしか出来ないのよ」
「……なるほどな。その名前から考えるに――七十二時間はカウントダウンであり、爆弾のタイマーの役割があるということか」
「うわさ、だけれどね」
「なら遺体が見つからない理由は……」
「さあ――わたしには分からないわ」
「本当にか?」
「ええ。わたしはうそが嫌いなの」
あたしが睨んでも、彼女は笑ってそれを躱す。そんな中で、虎田が「そろそろ部活いくわ」と手を挙げた。
「……そうね。うわさの根源が分からないから、わたしも力になれそうもないわ」
それに続くように天塚も「また明日ね」と微笑んだ。
「あ、ちょっと、不良ちゃん」
あたしも引き返そうとしたところに、鏑木から声がかかった。その表情は暗かった。
「なんだ?」
「……その、この前の昼休みにひとり、アプリを見せてきた子がいたの」
「――なんだと。そいつの名前は? 今はどこだ」
「立木恵梨香って子。危ないから帰らせたんだ。といってもサク――朔太郎ってやつの提案だったけど。家の中なら強引な手を使えないだろうって」
「この前ってのは」
「……四日前、だよ」
四日前――それは、もう。それでも、訊いておきたかった。
「学校には来てるのか」
分かりきっているその問いに対して、彼女はかぶりを振り、あたしは自然に舌打ちが出て、拳を壁に叩きつけた。
「不良ちゃん……?」
「……その立木という生徒の家はどこにある?」
あたしが一歩踏み込むと、彼女は一歩引いて、
「今、メモするね。あ、他の子の住所はどうする?」
「可能なら、欲しい」
「分かった。ちょっと待ってて」
そう言って一歩踏み出したとき、あたしの肩を天塚が軽く叩いた。振り向くと、微笑みを浮かべている。
「……なんだよ」
「あれ、遥香?」
「帰ろうと思ったのだけど――話が聞こえちゃって。わたしも一緒に行って良いかしら」
「え?」
思わぬ提案に、鏑木もあたしも呆気にとられた。
「それは、出来ない」
「どうして?」
「こっちのセリフだ。どうして関わろうとするんだ?」
「千藤さんなら、わたしのクラスメイトだったから。気になるのよ」
しかし彼女は引き下がるつもりはないようで、喰いついてくる。こうなれば、彼女は頑として譲らないだろう。
「……分かった」
だからあたしは、ため息をつくと、彼女は首をかしげて微笑む。柔らかい笑みだった。
「じゃ、じゃあ、わたしも行く。他の家出した子たちの住所も知ってるし」
「あんたはダメだ。大所帯で行くのは――」
素人の彼女だけは関わらせてはいけない。それらしい理由をでっちあげなければ、と思うのだが。上手く言葉が出てこずに、口ごもる。
「いいんじゃない? ひとりで行くより、怪しまれないわ」
相変わらず、押しの強い少女だった。あたしは仕方なくため息をつき、うなづいてから、「妙なことは口走るなよ」とだけ、くぎを刺しておいた。
「分かってるわ」
彼女はふふ、と笑うと、そう言って、一年生用の昇降口へと向かった。
ファントム・ボマー。そのうわさの根源。そこには、そう名付けた人間がいる。
――かならず、突き止めてやる。
靴箱を開けると、一枚の手紙が入っていた。
「……ん?」
そこには細かな住所が書かれていて――その場所は、長野、となっている。
『エデンの教育塔のあった場所だよ』
と、丁寧な文字で記されていて、日付は明日になっている。あたしは、その文字に見覚えがあった。
「――やつが動いている?」
あの真っ赤な死神は、主体的には動かない。いつだって客体で、観測される側なのだ。
だが、もしもやつが動いているとするなら、今回の件は――安楽椅子探偵を気取った、審判者の席で頬杖をついた、あの現実に介入した概念という現象が、動くほどのことなのだろう。
「……なにを考えてんだか分からないけれど、ヒントになるなら行くべきだな」
ローファーに履き替えながら、あたしはスマートフォンで新幹線の予約を入れる。
「まずは、彼女たちの親から話を聞こう」
――よもや、長野に、最悪でおぞましい真実が待っていることなど、このときは、知る由もなかった。
◇◆
そこは繁華街から外れた、閑静な住宅街だった。
夕方の中途半端な時間だからか、車の通りは少なく、人もちらほらで、住宅は二階建て、三階建ての横幅のある家々が建ち並んでいる。
「良いおうちね」
天塚はそう言って、周囲の家を観察している。「三階建てだって。大きいね」と、鏑木もきょろきょろとしていた。
「あんたらだって、でかい家に住んでるだろ」
第一印象――というよりも、鶏鳴学園はそもそも学費が高い。偏差値だけで入学できるものではないのだ。
そうなれば必然的に、金を持っているやつか、奨学金制度を活用したものに限られてくる。
「わたしの家はマンションだもん」
鏑木はそう言って、唇を尖らせる。
「不良ちゃんの家は?」
「……話すつもりはないよ」
元々は五十川の持ち家だ。けれど、めったに帰ることはない。探偵事務所で寝泊まりすることが多いのだ。
そもそも豪奢で広い家は、落ち着かない。
「まずは――立木恵梨香の家からだな」
そう言って、二階建ての家――そのインターホンを押した。「はい、立木です」と返答があり、同じ学校の生徒だと、生徒手帳を見せると、少しの間が開いてドアが開いた。
「恵梨香の……?」
「はい。少し気になることがありまして。家出――されたんですよね」
あたしの言葉に、彼女は疲弊した表情でため息をついた。
「警察にも届け出を出したわ。だからあなたたちは心配しないで――」
「家出の前、立木さんはなにか言いませんでしたか?」
母親が怪訝そうな表情で、話を断ち切ろうとしたとき、あたしはそう言った。すると、ふと、その顔を上げた。
「……なんなの、あなたたち」
「家出の件で、調べてるんです」
「そういうのは、警察に任せなさい。そんな面白半分で」
「わたしたちは本気ですよ、おばさま。恵梨香さんが心配なんです」
天塚があたしの隣りに立つと、「あなた……天塚のお家の娘さん?」と、一歩後ろに下がった。
天塚ホールディングス――うわさでは戦後、一九五〇年代からある歴史の長い企業である。元々は『喫茶あまつか』として看板を上げたらしい。
最初期は小さな飲食店だったが、着実に客層を捉えてチェーン展開し、高度成長期には外食産業元年を迎え、様々な企業を買収して持株会社となり、今では政財界にも影響を与えるほどに大きくなったのだという。
今では飲食系のフランチャイズチェーンに、物流から食材製造などの食産業インフラ、IT系では店舗に導入するシステムツールの開発、さらには飲食の枠を超え、アミューズメント関係や空間デザイン系などの異業種に至るまで手広くやっている。
この街は当然、全国規模で知られている大企業である。
そのひとり娘が、彼女なのだ。
「なにか、知っていませんか」
「……あの子は、反抗期でね。ほとんど口を利いてくれなかったわ。いつも悪態をついて……あの夜も」
「あの夜?」
「四日前くらいかしら。いきなり階段を降りてきて、どこ行くの、って聞いたんだけど、うるさい、って」
母親の目から涙がこぼれる。後悔、しているのだろう。あの時、必死で止めておけば、という罪悪感に駆られているのだろう。
だからこそ。
あたしは違和感を覚えた。うわさだと、三日で死ぬ、というものだ。外に出れば、危険であるということは、彼女が一番、分かっていたのではないか。
ならば、どうして外に出たのか。出なければならない状態になったのだろうか。
それも買い物や気分転換の散歩なんて話ではない。うるさい、という言葉から、切羽詰まった状況にあった可能性もある。
「どんな格好で、どっちの方向に向かいましたか」
「ええと、パジャマに、カーディガンで、あっちのほうに。自転車は使わなかったから、すぐ帰ってくると思っていたのだけど」
指をさす方向を見ると、鶏鳴学園のある山のほうだった。そして自転車を使わなかった――よほど追い詰められていた、ということだろうか。
そもそも鶏鳴学園の方向だからと言って、学校に向かったと考えるのも早計だ。あちらにはアーケード街もある。
「時間は」
「深夜零時を過ぎたころ……」
だとすれば、こんな閑静な住宅街だ。目撃証言も得られないかもしれない。アーケード街もシャッターを下ろしている時間帯である。
「不良ちゃん?」
指であごを挟むようにして、考えていると、鏑木が声をかけてきた。
「なんだ?」
「誰にも見られない時間帯なら、この辺り――商店街でも、あり得る話だよね」
「あり得るってなに? あなたたち、あの子のこと、なにか知ってるの?」
母親はじっとりとした視線をこちらに向ける。鏑木に対して、あたしは内心で舌打ちをして、両手を振った。
「いえ、知らないので、調べてるんです」
「……あの子は、戻ってくるの……?」
つつ、と、涙が頬を伝い、崩れ落ちる。あたしはなにも言えず、天塚はしゃがみ込んで、そんな母親にハンカチを手渡して、肩をさすっていた。
――かならず、見つけなければ。
こんな悲しみを、これ以上、増やしてはいけない。
母親が泣き止むのを待って、落ち着いたころ合いにあたしたちはその場を後にした。
――夕陽が沈み、夜のとばりが降りはじめたころ。気付けば街灯がつく時間になっていた。
宵川早紀の母親は半狂乱だった。「早紀ちゃんを返して!」と、あたしに掴みかかってきた。
「あんなに優しい子を! あんたたちがいじめたんでしょ!?」
髪は乱れ、目の下にはくまが浮いている。化粧っ気のない肌は青白く、爪もボロボロだった。
よほど娘を溺愛していたのだろうことは、想像に難くなかった。
なんとか三人で抑えて、落ち着いたころに、どちらの方向へ向かったかを聞いたが、家をあとにするころには、あたしの首筋や天塚の手の甲、鏑木の腕にはひっかき傷がついていた。
久宮雅の親はその逆で、関心がないように見えた。
「どうせ男を見つけて、そっちでよろしくやってんじゃないの?」
「あなたの娘、ですよね」
「娘ってもね。うちは放任主義なの。ま、良い高校に入れたのはわたしのおかげだけどね」
「あんたなあ……ッ!」
「いなくなった夜、どちらに向かったか分かりますか」
掴みかかりそうになるあたしの肩を押さえて、天塚が訊く。
「さあ。はっきりとは覚えてないけれど、あっちじゃない?」
と、真っ赤なルージュを引いた唇が、いやらしく弧を描いていた。
それに対し、再び怒りを覚えたが、しかし、ここで突っかかっても、情報は得られない。
ただ共通しているのは、深夜零時過ぎに出かけた――という一点である。
千藤京子の母親は、厳しかった。
「私の教育に間違いはなかったわ。あの子が逃げ出しただけ。結局、弱い人間だったのよ。せっかくインターハイまで連れて行ったのに、イップスなんて甘えで――」
くどくどと、自分の娘の愚痴のようなものを聞かされ、うんざりした。子供がひとり、行方不明になっているというのに、自身の非は認めない。
あくまで、彼女の弱さのせいで、逃げ出したに過ぎない――と、一貫していた。
それを聞きながら、なんとなしに家を出た方角を訊くと、「連れて帰って来てよね」と指を差した。
「あとひとり、梶川愛理の家に行きたいけど、二年だからな。家までは」
歩きながら、彼女だけは自宅が分からない。鏑木も天塚も知らないようだった。
「あとひとりなんだけどな」
ため息をついていると、目の前に少女が立っているのが見えた。同じ学園の制服を着ている。
「あ、あの、こんばんは」
幸薄そうな表情をした――あたしが学校の廊下の角でぶつかった少女だった。
たしか名前は――綾瀬友里、といったか。
「どうしたの……?」
「今、行方不明の生徒を探してる。残すは梶川なんだけどな」
「愛理ちゃんなら、あっち」
そう言って指さしたのは、綾瀬が来た道のほうだった。
「わたし、学年は違うけど、幼馴染だから。さっきも、帰って来てないか、訊いてて」
「そう……」
天塚は頬に手をやり、短く息をついた。
「あんたの家はここから近いのか?」
あたしがなんとなく訊くと、綾瀬は視線を向ける。
「あのマンションの三階。昔から家が近いから、よく遊んでた」
「なるほどな。でも、聞き込みは危ない。なるべく控えたほうが良い」
あたしが言えたことではないが――素人では、あまりに危険だ。
「……うん」
「じゃあ、友里、また学校でね」
鏑木が手を振り、あたしは礼を言って、梶川邸へと向かった。振り向くと、彼女は両手を前で組み、目を伏せていた。
それがやけに、鮮明に、脳裏に焼き付いた。
梶川の母親は、上品な女性だった。
「あの子は、そうね、手前みそにはなるけれど、自慢の子でしたよ。勉強も自主的にするような子で、将来のことも、誰よりも考えていてね」
――あまり根詰めないでね、と何度も言ったわ。
梶川の母親は慈しむようなまなざしでそう言った。愛されていたのだろう――そう感じるには充分だった。
「家出、とうわさがありますけど……」
「家出じゃないと思うわ。あの子、専門書を忘れたって言って、夜の十一時くらいだったかしら。取りに学校まで行ったくらいだから……」
「夜中に、ですか」
「ええ。明日にしなさい、って、止めたんだけど、どうしても必要なんだ、って」
母親はそこで少し、寂しそうに笑った。あたしはそんな彼女に掛ける言葉を見つけられず、目を伏せるしかなかった。
梶川家をあとにしたところで、あたしはコンビニで水を買い、飲み干した。
「結局、収穫はなしね」
天塚は短く息をついて、店先のベンチに座り、パックのオレンジジュースを飲む。
「いや、深夜に飛び出したって共通点がある。誰かに呼び出されたのかもな」
「呼び出したって? どこに?」
鏑木もスポーツドリンクを飲みながらこちらを見た。
「全員が指を差してたろ」
わたしはベンチにこの街の地図を広げる。そこに赤線を引いた。
「でも全員、違う場所を差してたよ?」
「それは家の立地のせいだ。立地が違えば、指す方角も変わる。でも――差した場所は、同じなんだよ」
「まさか、覚えてたの?」
「記憶力には自信があるんでね」
驚く鏑木から視線を逸らして、赤線を引いていくと――徐々に見えてくる。天塚が喉を鳴らした。
すべての線が、鶏鳴学園へ集約されていった。
「学校……!」
「梶川先輩も、専門書を取りに学校に向かった。つまり」
「家出した子たちは、みんな学校に向かっていた…‥?」
天塚の言葉に、あたしはうなづいた。
「でも、なんで学校なんかに呼び出したんだろ」
「自主的に行ったのは、梶川先輩だけ。あとは慌てた様子で向かっている。それがなにを意味するのか――」
「梶川先輩が、犯人だったり?」
「だとしたら、なぜ今も見つからない? どこに隠れている?」
鏑木の言葉に、あたしが疑問を呈すと、ううん、と首を傾げた。
「それは……分からないけど」
「どのみち、これ以上の聞き込みは出来ないし、これが家出にしろ、事件にしろ、夜の学校に近づくのは危険だ。今日はこの辺りで解散したほうが良いだろ」
あたしの言葉に、天塚はうなづき、鏑木は「乗り込んじゃえば良いのに」とした唇を突き出す。
「もし犯人がいたとすれば、二人を守りながらは戦えない」
「戦う?」
「ああ、いや――」
「犯人と戦うの?」
思わず口をついて出た言葉に、あたしは視線を泳がせる。
「花南さん、あんまり追及はするものではないわ。蓮実さんには、蓮実さんの考えがあるのよ」
天塚にフォローされて、「そういうことだ」とだけ返す。
「じゃあ、今日は解散だね」
鏑木はスポーツドリンクを飲み干して、微笑む。それが合図とでもいうように、「また明日ね」と天塚と鏑木は自転車にまたがって、あたしに手を振った。
あたしは振り返さなかった。今、考えるべきことがあったのだ。
――長野。エデンの教育塔がある場所。
あの死神が寄こした珍しい手紙。否、初めてのことだ。
それの意図するところは分からないが、行ってみる価値はあるだろう。あの死神は、概念であり、現象であるからこそ――うそをつけないのだ。
これは受け売りだ。彼女に御子柴幽夏という名を与え、現実に介入した概念という現象――そう定義をした男、五十川宗太郎の。




