第十一話:壊れた心が、想定外を生み出す。
◇11◆
――梶川愛理は、わたしにとって、唯一、心を許せる友人だった。
学年はひとつ上だったけれど、聡明で、ストイックで、将来のこともしっかりと考えていて――その上で、幼馴染のわたしの相談に乗ってくれた。
上手く笑えない、人付き合いも上手くないわたしに、『無理することはないよ』と、そう言ってくれた。
『友里は、とっても優しい。だからその分、淋しくなっちゃうんだ。それは、いつか痛みになる。それを心のどこかで知ってるんだと思う。でも、それでも優しさを捨てない友里のこと、わたしは好きだよ』
そんなことを言ってくれたのは、彼女が初めてだった。
自信のないわたしの、コミュニケーション能力の欠けたわたしの、唯一の理解者で、愛理の前だけでは、心の底から笑えたのだ。
――けれど。
彼女は、十月の初旬に消えた。わたしに、なにも言うこともなく。唯一の支えがなくなったわたしは、いつごろからか、心をむしばまれていた。
『死にたい』
そう思ったことは何度もある。それほどまでに、彼女の存在は大きかった。愛理のいない世界で生きていくことなど、わたしには出来ない――。
しかしだからといって、口に出すことも憚られて、今までずっと我慢をしてきたのだ。
じくじくと、心の中が膿んでいくような感覚に、視界が揺れる。
そんなとき、学校の角で、蓮実瑠香とぶつかった。
教師に頼まれたノートが散らばり、彼女は謝って、一緒にノートを集めてくれた。
意外と優しい人なんだな、と思った。けれど、彼女は愛理ではない。わたしにとって、本当に親友と呼べる人は、彼女だけなのだ。
「そういえばさ」
不意に蓮実が訊いてくる。
「なに?」
「千藤さんが消えた理由って知ってる?」
それは――知らない。学校に来ていないのは知っているけれど、それに尾ひれがついていることも知っているけれど、実際のところ、分からないのだ。
しかし同時に、愛理が消えたことにも、なにか関係があるのかもしれないと、そんなことを考えていた。
そう――うわさになっている、余命宣告アプリに、ファントム・ボマーという存在に、消されてしまったのかもしれない、と。
もしそうなら、彼女の、その言外な悩みや恐怖を、感じ取れず、むざむざ見殺しにしたということにもなる。わたしは――そう考えてしまう。
だから、わたしは彼女から目を逸らした。
「知ってるんだな?」
「うわさくらいよ。わたしは六組、別のクラスだったし」
他の生徒たちが集まってきたので、わたしはその場をそそくさと去った。虎田から「手伝おうか?」と提案があったが、断った。あの輪の中に入るのは、苦手なのだ。
そこから家に帰り、制服を着替え、予習を済ませると、外へ出た。街灯がぽつぽつつく中で、散歩をする。それがわたしのルーティンワークになっていた。
いつか、ひょっこり愛理が帰ってくるかもしれない。そんな思いもあった。
愛理の家に行くと、「まだ帰らないの。警察には言ってあるからね。いつも心配してくれて、ありがとう」と、彼女のお母さんからそう言われた。
そうして家路をたどる途中、蓮実たちと出会った。不思議そうな表情で、こちらを見る。
「どうしてこんな場所に?」
「家、この近くだから……それでその、どうしたの?」
訊いてみれば、愛理の家が分からなかったらしい。なんの用があるのか――なんてことは聞かなかった。
わたしもまた、彼女たちがなにを探っているのか、想像がついたからだ。
「愛理ちゃんの家なら、ここを真っ直ぐに言って、突き当りを右……和風建築で、二階建ての大きな家」
「愛理ちゃん?」
「う、うん。学校では先輩だけど、幼馴染、だから。家には、よく遊びに行ってた」
「ありがとう、助かったよ」
彼女たちは愛理の家へと向かって行った。
わたしは――やはり愛理が家出をしたとは、到底、思えなかった。
ならば、と、わたしは速足で家に向かう。
彼女たちはなにかを知っている。あるいは、調べている。だというのに、わたしは愛理が消えてから、なにもしていない。
ただ、悲しんでいただけだ。
つまるところ、彼女たちの行動力にアテられたのだ。こちらから動かなければ、真実にたどり着くことはないと、今さらになってそう思った。
愛理を想っていながら、むしろ今まで、なにもしてこなかったのだ。
家につき、部屋に入って、スマートフォンを取り出し、ウィスパーのアプリを開く。
うわさでは、愛理以外の四人は、誹謗中傷をしていたと聞いたことがある。だからアカウントを作りなおした。
綾瀬友里という、本名で。高校名さえ明かして。
どうせ、愛理のいない世界で生きていても、意味がないのだから。
そこから、どんどん、同じ高校の生徒に罵詈雑言を浴びせていった。当然、言い合いになったり、中傷が流れてくる。関係のないものまで、巻き込んで。
――こんなもの、痛くはない。本当の痛みは、もう知っているから。
二時間、三時間、四時間――深夜になるまで、食事もとらずに攻撃を続けていると、ぴこん、とダイレクトメールが届いた。
『綾瀬友里様、はじめまして。鶏鳴学園の生徒専用の裏サイト、メビウスの管理人、IRです。あなたをこちらにご招待します。パスワードはESUVです』
裏サイト――それには、少し、驚いた。愛理は、この裏サイトに書き込んで、消えてしまったのか。
分からないまま、わたしはそのリンクをタップし、必要事項を記入して、裏サイトのアカウントを作った。
『はじめまして。管理人のIRです。ここでは好きなことを吐き出してください』
そんなメッセージが来たので、わたしは間を置かずに――決めていた言葉を打ち込んだ。
『わたしを、殺して』
◇◆
「わたしを殺して、か」
ぼくはその言葉について考える。こんなことを書き込んだものは、初めてだったからだ。
それに作りたてのアカウントで数時間、ずっと罵詈雑言を吐き出していた。まるで、こちらの動きを待っているかのように――。
――罠か? それとも、単に自殺志願者か?
今、虎田は中間試験の予習で、時間が取れない日々が続いていて、最近はこのサイトにログインできなくなっている。
部活はぎりぎりまで行われていて、推薦で入学し、エースである彼は、予習の時間をほとんど取れなかったのだ。
――学校で一度、相談してみよう。
そもそもこのゲームの根底には、『七十二時間、誰にも言わなければ助かる』というものがある。つまり、この綾瀬という生徒の言う通りにすれば、ゲーム性が崩れるのだ。
『調整します』
だからぼくは、それだけ伝えて、パソコンの電源を落とした。今回ばかりはイレギュラーだ。
うわさが一人歩きした結果、と言えるかもしれない。
そもそも――綾瀬 友里という生徒は、誹謗中傷をするような人間ではない、というのが第一印象だった。
むしろ大人しく、引っ込み思案な性格をしていて、いじめを受けることもなければ、誰かと深い関係を持つこともない、そんな生徒である。
だというのに、なぜ急にこんなことを……。
「今、考えても意味がないよな」
ぼくはスマートフォンでアラームを設定して、ベッドに入る。
とりあえず、明日。虎田に少し時間を作ってもらおう。今回の件を相談しよう。
そう思いながら、瞳を閉じた。
――そして、翌日。
ぼくは昼休みになるまで待って、虎田の教室へと向かった。
しかし、教室を見渡しても、彼の姿が見当たらず、おどおどと、近くにいた生徒に訊いてみる。
「虎田? ああ、鏑木と一緒に多目的教室に行ったよ」
と、そんな言葉が返ってきた。一年棟には多目的教室が、二階に三部屋、三階に三部屋ある。
第六多目的教室は三階の一番奥まった場所にあり、そこは各教科の教材が置かれていて、ほとんど物置に近い場所である。
――二人で、多目的教室に? なんのために?
そんなことを思うと、ちくりと胸が痛んだ。あの二人は、お似合いだ。美男美女、性格も明るく、誰もひとりにしない、優しい――だから。
だから、ぼくは彼女のことを好きになったんだ。そして、虎田と親友になったのだ。
そんな二人が付き合ったら、さぞかし楽しい毎日になるだろう。けれど、ぼくは――ぼくは。
――本当に、嫌な性格をしてるな。
そんなことを考えては、自己嫌悪に陥る。鏑木は、ぼくの初恋の人なのだ。親友とはいえ、奪われたくない。
奪われたくないのに、応援したい。そんな、二律背反の思いが心の中でせめぎ合っている。
とぼとぼと歩いて、第六多目的教室の前に来て、ノックをしようとしたとき、向こうから話声が聞こえてきた。
ドアは少しだけ空いていて、そこから覗くと、長机に二人が対面して座っているのが見えた。
「だからさ、何度も言ってるじゃん」
「いや――おれは、その」
なにか、揉め事だろうか。二人はふざけ合うことはあっても、ケンカをしているところは見たことがない。
だが、二人とも声は沈んでいて、どこか緊迫している様子でもあった。
「はっきりしないなあ。あんたらしくもない」
「おれだって、どうすれば良いか分かんねえんだよ」
虎田はうつむき気味で、ため息をついている。鏑木は頬杖をついて、小さくかぶりを振った。
「だったらさ、これからもずっと井筒と友達でいるつもりなの?」
その言葉に、さああ、と血の気が引いていく感覚がした。心の中にあるなにかが、ガラガラと壊れていくような、そんな気がした。
虎田はぼくのことを、親友と言ってくれた。初めての人だった。いじめから守ってくれて、ぼくの犯罪にも加担してくれていた。
けれど――それは、まやかしのようなものだったのかもしれない。
結局、ぼくに同情して、あるいは――おもちゃとして、遊んでいただけなのだ。
――最近はつまらねえんだよな。学校も、部活もさ。
それは、虎田が言った言葉だ。つまり、ぼくもまた、彼にとっての暇つぶし、つまらない穴を埋めるための、道具だったということだ。
ぼくはしばらく呆然として、なにも聞こえなかった。ただ、意識をしたときには、足音を消して、その場を後にしていた。
信じていたのに、彼だけは、分かってくれると、思っていたのに。
鏑木もそうだ。仲良くやれていると、そう思っていたのに。
結局は、ぼくだけが、友達だと思っていて、舞い上がっていただけだった。
「……でも、それでも」
ぼくは心の奥に、さっきの言葉を沈め、唇を噛んだ。どのみち、彼もまた共犯だ。いくらぼくをからかって、遊んでいたとしても、罪は消えない。
なら――もっと巻き込んでやる。
二度と、表の世界で生きられないくらいに。
ぼくは、綾瀬 友里のスマートフォンにアプリを送信した。
『三日後の午前零時、旧校舎に来てください。本気で死ぬつもりがあるのなら』
そう文言をつけ足して。




