魔女が紡ぐ嘘と真
ほとんど記憶にも残っていない、とても幼かった頃。
エルはただの人間だった。魔術的な素養は人並み。どれほど努力を重ねても、魔女として高みを目指す事すらできないだろうと、育つ過程どころか彼女が生まれた瞬間から決められた。
魔術師の名家に生まれた娘の落ちぶれっぷりに、両親は絶望した。それでもかすかな期待を抱き三年待った。けれど娘は魔術の一つも覚えられず、両親は親類の笑い者になっただけ。
両親は彼女を森の奥にあった廃屋へ連れて行く。
――こんな疫病神は生まれなかった。
そういった父親は、エルを中に置き去りにして火を放った。
炎に道をふさがれ、結界で燃える廃屋ごと隠され、彼女は死ぬ運命だった。
エルを取り囲む炎に浮ぶ二つの影。
それはエルの悲しみに引き寄せられた、若い『悪魔』だった。
影はエルを包みこむと、炎から守ってくれた。熱さも痛みも音もない世界は、静かで優しくて暖かい。エルを包む闇の中で、影の一つはカシスと名乗り、もう一つはミーシャと名乗る。
二人はエルが自分達の主人なのだと言った。エルが疲れたと言えば、二人はまた優しく暖かい闇で包んでくれた。娘が歌う優しい子守唄と、温かい青年の腕の中でエルはまどろむ。
それから三人で、旅をしながら生活した。
魔術も使う分野を支援に限れば、それなりの段階まで覚えられた。
そして十歳になった頃、エルは『レフィーリア』という魔術師一族を知った。他の一族との抗争で数年前に滅んだその一族は、間違いなくエルと同じ血の流れを持った一族だった。
一週間くらい悩んで、エルはその名を名乗る事を決めた。
エルが初めて自分の名前が『エルリア・レフィーリア』だと知った時。
彼が――綺麗な音がする名前だと、笑って言ってくれたから。
■ □ ■
ユーマを正式にラーヴィスレイドの後継者とし、書類などの雑務を終えたエルはようやく屋敷へと戻ってきていた。母親も伯父も失ってしまったユーマは寂しそうだったが、ヨハンが傍にいるならばきっと大丈夫だろう。成長したらよい伴侶を得て幸せになってほしいと願う。
いずれはパーティの類に出る事になるだろう。形式上は親代わりだから、絶対に出ないというわけには行かない。あのような場所ほど意味もなく、そしてわずらわしいものはないとエルは思うが、後ろ盾が乏しいユーマのためなら笑顔の仮面もためらわず貼り付け参加しよう。
あれから半月ほどたって傷もだいぶ癒えた。半分意識が飛んでいたので、二人がどうレナという名前の死霊をもう一度殺したのか、ずいぶんハデに殺りあっていたとしか覚えていない。
唯一の問題は、約一名と関係がぎこちない事。おそらくあの時、自ら恋愛感情を否定したのが気になっているのだろう。そんな事ない、と言ってほしいのかもしれない。
ずいぶん我侭な『執事』だ。
「まぁ、そんなところもいいんだけど……」
「何か言いましたか?」
紅茶の準備をしていたカシスが振り返る。それに、なんでもないわ、と答えて開いていた小説を読むフリをした。さきほど読み終わったばかりなので、フリなのはきっとバレている。
「あぁ、そうだ……お嬢様に質問が」
そういうカシスの視線の先にはソフィアとマリアがいる。ラーヴィスレイドの屋敷にいた頃の服のままの彼女らは、椅子に座ったままミーシャにかいがいしく世話をされていた。
その表情は、人形のように美しく無機質。
硝子ケースに入れたら、きっと人形にしか見えないだろう。
「あの二人を、これからどうするんです?」
「……別にどうもしないけど? このままここにいてもらうわ」
エルは何を今更、と言いたげに答える。
何年も死霊に操られていたあの二人を、元の状態へ完全に戻す事はできない。これから専門的な知識を持つ知り合いと相談し、何かしらの治療は受けさせるつもりだ。その治療がうまくいったならば、少しは食い荒らされてしまった人間の部分を取り戻してやれるだろう。
けれど、それでも完全に戻る事はない。
一度失ったものを、再びよみがえらせる事は神のみぞ行える事。神ではない『魔女』にできる事といえば、わずかに残された欠片を丁寧に拾い集めて、少しでも彼女らに返す事だけだ。
このまま人間の領域に置けば、人として生きられない二人は必ず不幸になる。だからユーマやヨハン達と相談し、互いに口裏を合わせて書類を作成して、二人を死んだ事にした。
そしてここへ連れ帰って、住まわせる事にしたのだ。
今はまだ二人とも『人形』のままだ。けれどいずれは人間らしさを、ほんの少しでもいいからその手に取り戻して欲しい。エルはそう願い、それを叶えるために二人を引き取った。
しかし、傍にいる『執事』はあまりお気に召さないらしい。表情や声にこそ不満も何も出てはいないのだが、雰囲気がいつもと違う。警戒ではない。いうならば、ただの嫉妬だ。
「カシスは、自分以外の『従者』が増えるのは嫌いかしら」
「いえ……貴女がそれを望むならお気のすむように。ミーシャも、仲間が増えて嬉しいようですからね。あれは寂しがり屋だ。貴女だけに執着していて、でも同時に周りにも執着する」
僕は含まれませんが、と苦笑するカシス。
「けれど、嫉妬はするのでしょう? わたしがした事だからと納得はして、笑ってあの子達の存在を受け入れて。だけどわたしに無言で願うの、自分を一番にして欲しいと……違う?」
「そりゃあ、当然でしょう? 僕だって『ただの男』ですから」
ふわり、とカシスの顔が近づく。珍しく手袋をしていない冷たい手がエルのあごに触れ、下からすくい上げるように上を向かせた。至近距離で見詰め合う、でもそこから先へ進まない。
いつもの事だ。
この執事は、その種族の名に恥じない悪魔のような焦らし方をする。
互いにギリギリのところで踏みとどまる、悪い循環。
そして、離れていった。
■ □ ■
遠い昔、『未来を綴る古書』と出会い、初めて『未来』を謳った日。
エルはたった一枚の、絵画のように鮮明な『未来』を見た。
それは見た事も無い誰かが、金色の髪の少女と仲睦まじく寄り添う絵。
金髪の少女が自分の姿だと気付くまで、かなりの時間が流れた。
そして同時に、隣にいるのは誰だろうと思った。
顔を隠す逆光を恨めしく思う。かすかに見えるところから推測すると、彼はおそらく十七歳前後の――カシスくらいの年齢だろう。それほど華奢ではなく、でも筋肉質でもなさそうだ。
それくらいしか、あの『未来』からは読み取れない。
自分はとても成長していた。外見の年齢が十六歳くらいだった。今は十三歳くらいに見られる事が一番多い。出るところもちゃんと出てくれていたし、身長もそれなりには伸びていた。
この身体の老いはとても緩やかだ。十年くらい経ってようやく目に見えた変化が出る。それでいて髪や爪は普通に伸び、定期的に手入れをしなければいけない。不便な身体だ。
エルが十六歳くらいまで成長するのは、きっときっと気が遠くなるほど先の話なのだ。
それほど先の未来には、あんなふうに笑い合える関係が自分の周りにある。
そして仲睦まじくより添えあえる関係になっている。ここからのあと一歩が踏み出せないエルにとって、それは心から望んでいる、喉から手が出るほどに欲しい『現実』だった。
古書に綴られた『未来』は可能性としてありうるもの。遠すぎるから外れてしまうかもしれないけれど、何度やり直しても『絶対に起こらない未来』を、あの古書は謳わない。
エルはその日を待っている。信じている。
少しでも可能性があるのなら、今からでも少しは歩き出せる気がする。たとえば離れていくばかりのその影を、ネクタイを捕まえて引き寄せてしまうとか。それくらいなら、今すぐに。
「この屋敷の『執事』は、一人だけでいいわ。わたしの『剣』は一つでいいの」
ゆっくりと離れながらエルが言う。
「……さてと、今日の紅茶は何かしら?」
ぷい、と背中を向けたエルはそっと自分の唇に触れてみた。
やっと踏み出した一歩に、彼はどんな反応を返してくれるだろう。
今、どんな顔をしているのだろう。振り返って確かめてみたいけれど勇気は無い。そもそも振り返れない。苦しいくらい後ろから抱きしめられたら、動きたくないに決まっている。
今日も彼女は待っていた。
この日々の先、あの光景は存在していると信じて。
そしてあの場所にいる彼が、自分の大切な『剣』であればいいと、願いながら。




