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回廊巡りの亡者と悪魔

 もう少しで身体がこちらと向こうで切断されかけたレナは、ぺたりと座り込んで自分を抱きしめるように腕を組んで震える。この様子では少しの間、ここから動けなさそうだった。

「……気付かれたかしらね」

「そのようです」

「亡者の数が減ったわ……二人を外へ逃がせたし、まったくの無駄ではないようね」

 結界の再構築にまわす魔力を補うためか、少し亡者の数が減っているように見える。微々たる変化かもしれないが、外へユーマとヨハンを逃がした事と重ねれば、十分に実りがある。

 まず、敵はギリギリだという事がわかった。結界に入った亀裂の修復のために亡者を切り捨てたという事は、召喚者にこれ以上何か魔術的な事を行える余裕はないのだろう。

 エルにそう見せかけるための罠かもしれない、という不安もあるが、それならばその辺で見つけ出したありあわせの触媒で破戒できる脆い結界など、最初から作らないはずだ。


 エルは上を見上げる。

 玄関のところは三階まで吹き抜けになっていて、天井はずっと遠く、そのせいかこの手の屋敷にはありがちのシャンデリアがとても大きく見えた。意味もなく三階が遠く感じる。


「……あの双子は、確か三階の寝室だったわね。探しに行くから案内してちょうだい」

「あ、はい。こちらです」

 よろよろと立ち上がったレナが、階段へと進んでいく。

 その後ろを歩くエルと、彼女らの前を行くカシス。

 時折出現する亡者を撃ち倒しながら、三人はゆっくり階段を登っていった。それほど時間がかかったわけでもないのに、とても疲れた気がする。空気が一階より重く感じられる。


「あの、結局あの……死体? って、なんなんですか?」


 空気だけでなく雰囲気までも重くなり、耐えられなくなった様子のレナが口を開く。三人が進んできた道をたどるように湧いて出る亡者を撃ちながら、エルがその問いかけに答えた。

「あれは主に『亡者』と呼ばれている物体よ。二足歩行する脊椎動物で、腐った肉の塊」

「亡者は、大まかに区分すると『死霊』の一種に分類されます。まぁ、正確には死霊と呼ばれる存在の下僕ですね。どちらも死者ですが、意思の有無は力関係に直結するんですよ」

 意思が無く操られる側と、操ろうとする何かに抗える意思。その有無は想像するよりもずっと大きな違いとなって現れる。その最たる例が死霊と亡者の違い、使役する側される側だ。


 死霊との大きな違いが、肉体の有無と『飢え』の感覚。

 亡者は『飢え』を感じている。


「飢え……ですか?」

「彼らは痛みを感じているそうです。身体はあの通り腐っていますし。だから新鮮な血肉を欲するのですよ。ゆえに『飢え』ている、と。まぁ、仲間を増やそうとしているという説も有力ですが。つまり詳しいところは何もわかっていないという事です。死霊という種族の事もね」

「死霊……? 死霊が、この事件の犯人さん、ですか?」

 てっきり悪い魔術師さんかと、とレナは目を丸くして驚く。確かにあの手の部類を操るのは魔術師や魔女、という間違ったイメージは、物語という媒体を通じて世間に広まっている。

 しかしそれは間違いだ。あまりにも嘆かわしい勘違いだ。

 周りを敵に囲まれて味方も救援も期待できない状態になっても、それどころか世界すら敵となってしまっても、自らの存在に誇りを持っている魔術師や魔女はあんなもの使いはしない。

 だからこそエルは断言して見せるのだ。おそらくは全ての首謀者であり召喚者であり、犯人という名を冠すべき存在の影を睨み、その浅はかな手段と低レベルの判断力を嘲り笑って。


 ――亡者しか使役できない死霊『如き』小物は、自分達の敵じゃないと。


「あんな悪趣味な物体しか頼れないのは、悪魔になりそこなった死霊だけだわ。死霊は悪魔からも鼻で笑われている、元人間で悪魔の出来損ないよ。そこらへんの悪霊にも劣るわ」

 悪魔と一緒にしたら悪魔に失礼ね、とエルが言う。

 二人の前を歩くカシスが肩を揺らして笑い出し、エルの言葉に同意しながら。

「一応、死霊も悪魔の一種になるんですよ。このあたり、ちょっとややこしいので専門書を読まれる事をオススメします。まぁ、死んでもなお天に召される事を拒否しちゃったり、悪魔と契約していたような魂が、だいたい死後に死霊へ逝ってしまわれますね。結構多いですよ」

 だから悪魔の一種と数えるそうです、とカシスが言う。扉を押し開けて出てきた亡者に二発の弾丸を埋め込んで、そのまま蹴り飛ばした。柵を乗り越えた肉が、下へ落ちて潰れる。

「そして人間ならもっと高位の、妖精や精霊……場合によっては神さえ、その力を貸してくれます。彼らは悪魔の事が嫌いですから、悪魔相手となると喜んで手伝ってくれるそうですよ」

 心強い事ですね、とまるで他人事のように笑う。

 魔術師や魔女と悪魔は手を組む、などという話もあるが、実際はそれほど仲がいいというわけではなかったりする。悪魔こそ最大の敵、と公言する魔術師や魔女も少なくない。


 エルはどちらでもないが、敵となるなら容赦なく葬り去るつもりだ。

 それが例え悪魔であろうとも。

 逆に神や精霊、妖精だったとしても敵ならば容赦しない。


「……ふぅ、これではきりが無いですね」

 ようやく三階にたどり着き、カシスはそこで待ち構えていた亡者を撃つ。エルは周囲をうかがいながら、一向に薄まる気配の無い腐臭に頭を悩ませた。これはどこかで亡者が次々と生み出されている証拠に他ならず、早く対処しなければ数の上で明らかにこちらの分が悪い。

 亡者は亡者からも生み出され、死んだ肉があればそこから生まれ出る。この世界に死肉がある限り、奴らが世界から完全に消え去る事は無い。簡単な手順で数を揃えられ、なおかつ失った数の補充も手早くすむ。対人間用の兵士としてはそれなりに有効、とされる所以だ。

 召喚者を殺し、魔力の供給源を立つか。土地ごと浄化して亡者が発生できないようにしてしまうか。後は細々と対処法はあるが、代表的かつわかりやすいのはこの二種だろう。

 どちらとも、今のエル達には実行できない。


「今すぐできる対処は無いわ。……できる事からすませるわよ」

「この廊下の奥に、お探しの双子がいらっしゃるんですか?」

「はい。……でも心配です。下があんな感じで、お嬢様達は無事なのかしら」

 階段の傍から奥へと通じる廊下を進む三人。しばらく進んでいくと、薄暗い中にうっすらと扉が見え始めた。あの向こう側が双子の寝室なのだろう。そして廊下の半分ほどまで来たところで、背後から再び肉が這う音が聞こえた。振り返るまでもない。亡者が迫っているのだ。

 駆け足で扉の前に来る。

 レナがポケットから鍵の束を取り出した。その中の特に凝った細工が施されたものを鍵穴にさしてくいっとまわす。乾いた金属音が鳴って扉の鍵が開いた事を知らせた。


「ここはお任せを」

 扉を背に立つカシス。それがミーシャと被ってみえたが、エルは無言でうなづく。レナの手を引いて部屋の中へと飛び込んだ。その一番奥で座ったままの、着飾った双子の姿が見える。

 寝巻き、というには着飾りすぎたその格好に、エルはしばし違和感を覚えた。だが、まさか昨日のままという事はないだろう。ならばいつ着替えたのだろうか。そんな時間あったのか。

 何かがおかしいと感じ、エルは部屋の真ん中で足を止めた。レナはそのまま双子の下へ駆け寄ると、その身体をゆすって声をかけている。双子の反応はなく、揺さぶられるままだった。

「ソフィアお嬢様! マリアお嬢様!」

 レナは双子の手を掴むと、引っ張って立ち上がらせようとする。

 だがまるで置物にでもなったかのように、二人の身体はびくともしない。いくらレナが若い女性、いや少女とはいえ、体重をかけて引っ張られても微動だにしないのはおかしすぎる。

「お嬢様、どうしちゃったんですか! お願いだから、お願いですから立ってください!」

 レナが話しかける双子の姉妹。それは、人形のように見えた。あの異質な場所で何も言えずに怯えているから、あの夜はそう見えたのだとエルは思ったが……どうやら、違った。


 二人は『人形』だった。ただし血の通う生きた肉で作られた。

 うつろな目は硝子のような光だけを宿し、氷のような青色がにじむ。

 普通じゃないのは、明らかだった。


 部屋に繋がる廊下を埋め尽くす亡者の数が増えていた。

 早くしてください、とカシスが叫ぶ。このままでは彼まで、いや彼だけではなくこの場にいる全員がミーシャのように亡者の餌食になってしまう。エルは銃を取り出し、廊下側を向く。

「カシス、援護するわ。レナさんは双子を――」

 振り返ろうとしたエルだが、それができない。レナがエルの身体を、力いっぱいに抱きしめているからだ。痛みで顔が歪むほど、彼女の指先がエルの身体に食い込む。うつむいてよく見えないその口元にかすかに浮ぶ笑みを見て、エルは彼女の罠に嵌められた事に気が付いた。

 いつの間にか部屋の中には亡者が溢れ、廊下にいたはずのカシスの姿が見えない。いつから彼が戦う音が、あの銃声が聞こえなくなっていただろう。それもわからない。

 そして、肉の海に飲み込まれた。

 闇が訪れ音が奪われ、全部なくしていった。


   ■  □  ■


 床に膝をつく痛みと冷たさで、エルは意識を取り戻す。霧の中にいるようにぼやけた視界に浮ぶ赤と蒼の影。それが双子の衣服だと気付くまで、少しの時間を必要とした。

 もがこうとする手首の自由が利かない。両の手首に何かが巻きついて、エルの身体を床に膝をつく状態で支えていた。その姿はさながらマリオネットのようにみえるだろう。


「お目覚めかしら『魔女』さん」


 紅い服を着た少女が口を開く。姉のソフィア。クレスノーマの血族を思わせる、つややかな栗色の髪を長く伸ばし、貴族令嬢の名にふさわしい豪奢で高価なお召し物を纏っている。

 彼女の隣には同じデザインの蒼い服を着た少女、妹のマリア。彼女もまた笑みを浮かべてエルを見ている。髪の長さは姉の半分ほどで、肩に付く程度しか伸ばしてはいなかった。

 エルは壁際に、双子は部屋の中央に。

 こうして動いている姿を、これほど近くで見るのは初めてかもしれない。ずっと遠くでうつむいたまま座っているところしか、見た記憶がない。さすがに動いている事もあって、さっきよりはだいぶ人間らしく、エルの瞳にはうつっていた。それでもやはり人形に見えるが。

「貴女、達……は」

 しゃべると手首の戒めが強くなる。頭がやけに重く、視線を双子へ向けるだけで恐ろしいほど身体が悲鳴を上げた。何日も睡眠をとらなかった事があったが、それと似た気だるさだ。

 彼女らの向こうへ目を凝らすと、立った状態で壁に貼り付けられたカシスがいる。ぐったりとしていて顔色も見えず、ここからは生死まではわからない。


「いい子でしょう? 純度がとても高い魔力を大量に保有する姉と、魔力こそ人並みでも魔術を統べる才能に恵まれた妹。ここ最近では、一番お気に入りの『シモベ』なんです」


 レナは――双子の真後ろにいた。

 ずいぶんと露出の激しい、というか布を軽く裸体に巻いただけの姿。その青白い身体の向こう側にカシスの姿を映しながら、その半透明の長い髪を中にたゆたわせている。

 死霊――まさかの正体に、エルは舌打ちする。彼女がどうやって、あの肉体を手に入れたのかはわからないが、おそらく気に入った身体を無理やり乗っ取ったのだろう。

 そして身体に飽きたら亡者のエサにする。

 その証拠に、廃墟のように荒れた室内の床にメイド服だった布切れが落ちている。

「驚いたですよ。まさかこの家に『契約魔女』がいたなんて。そんな話聞いた事なかったですしねぇ……あーでも、あの時じーさんが呼ぼうとしてた知り合いって、魔女さんか。呼ぶ前に殺しておいて正解でしたよ。呼ばれてたら一発で私の事バレて、今頃どうなってたやら」


 殺した、クレスノーマを――彼女が殺した?


 エルは勝利の愉悦に浸るレナを見る。

「契約している魔女を呼ぶとか言っていたので、さくっと殺してあげました。だってこんな素晴らしい血統、手放すなんてもったいないですよ。おいしいエサとして飼い殺しです、ふふ」

 楽しそうに笑い身体をくねらせる彼女を、エルは力いっぱいに睨む。こんな程度の抵抗したできない事が歯がゆい。この怒りが力に変わるなら、すぐに戒めなど振りほどいてあの耳障りな笑い声を上げる、友人を殺しその家族を不幸にする死霊をもう一度殺してやるのに。

 彼女がいつから双子に取り付いたのかはわからない。もしかしたら幼い頃に死んだという彼女らの弟とは、この死霊が現世へ来る時の糧として食われただろうか。死霊の見た目は妖精の類に見えなくもない。少なくとも、幼い子供であれば容易く騙す事ができるだろう。


 ……だとするとかなり昔からこの状態だった事になる。

 クレスノーマが死んだ頃には、もうこの状態だったのは間違いない。


 どうして、どうして葬儀に一般客として参加したのだろう。もしも『契約魔女』として参列していたならば、もしかしたらこの事に気付く事ができたかもしれないのに。

「う……」

 かすかにうめく声。意識が戻ったカシスが、ゆっくりとこちらを見た。それに気付いたレナがカシスの隣へと移動し、エルを見てくすくす笑いながらカシスの首に腕を回して密着する。

「あのメイドさん強かったですよ。おにーさんなんですよね? じゃあ、おにーさんも強かったりします? 素手で亡者とやり合うなんて普通じゃないですよね、さすが魔女の召使」

「……貴女がミーシャを」

 そうですよ、とレナは笑う。その声が耳障りなのか、カシスは顔をしかめているようだ。

 そんな雰囲気を感じているだけで、実際のところはエルには見えないけれど。

「ねぇねぇ。主人と従者の恋ってどういう感じかしら? 私、人間なんて従者にした事がないからわからないんですよぅ。やっぱり切ない? それとも余計に燃え上がっちゃいます?」

「……恋愛小説の、読みすぎ、では?」

 カシスが苦しげに答える。

「あくまでも僕は『執事』ですよ。主人と恋仲なんて、そんなのは御伽噺の中でのみ、存在が許される。これ以上、お嬢様を侮辱するのは、やめてもらいましょうか。間違ってもお嬢様が僕を好きになるなんて……そんな事、絶対にありえませんよ。そんな事は、ありえない」

「へぇ……じゃあ、違うんですか」

「お嬢様に、僕のような『執事』など釣り合うはずが、ないでしょう。お嬢様を、貴女のような無節操で強欲でふしだらなメス猫と、一緒にしないで、いただきたいですね。お嬢様は」


 言葉の続きが聞こえない。

 ごとり、と重く硬い何かが床に落ちて、エルの傍まで転がってきた。真新しい切り口からは血が溢れて床に水溜りを作る。続いて聞こえたのは彼の身体が、床に倒れた音だろうか。

「か、しす……」

 何もできない自分を恨み、悔しげに唇を噛むエル。それを見たレナは、恍惚とした表情を浮かべて笑った。そして双子の口の端が無理やり動かしたように、歪につりあがっている。

「さっき、人の事をさぁんざんバカにしてくれたましたよね。うふふ……」

 青白く透き通ったレナが、双子の後ろで笑った。

 彼らの周囲を砕けた鏡の欠片がふわり、と浮いてゆらゆらと回りながら漂う。きらきらと周囲の光を反射し、反射する光がエルの目の中に入って目を閉じた。手首の戒めは緩む気配が無いどころか少しでも体重をかければ、ぎりぎりと締め付ける強さを増していくばかりだった。


「何だか足りない感じ。魔女さんってすごく痛覚鈍いみたいだし」


 くす、とレナが陰惨な笑みを浮かべる。そして鏡の欠片の一つが、エルに狙いを定めたかのようにピタリと止まった。レナが指ではじく仕草をすると、それが勢いよく飛んでいく。

「……っ」

 鏡がエルの手をえぐる。手のひらを貫通したソレは、壁に彼女の身体を縫いとめるように突き刺さった。小さくもれた悲鳴が心地よかったのか、次々と破片がエルめがけて飛ぶ。

 反対側の手のひら、わき腹、足、太もも。次々と破片は突き刺さって、エルの白い肌を赤く染めていく。ただでさえ色白だった彼女の肌は赤く彩られ、血の気が失せて青白くなった。

 刺さるたびに身体を細かく震わせ、でもかみ殺したかすかな悲鳴しか上げないエル。

 だんだん、それが気に入らなかったのだろう。

 レナが詰まらなさそうにため息を零し、ひときわ大きい破片を宙に浮かべた。


「ねぇ、魔女さんってその人が好きだったんでしょ? 見ればわかるもの。必死に否定しちゃってかわいそうだったなぁ……。ねぇ、言っておけばよかったって後悔してるでしょ? してるよね。だって死んじゃったんだもんね。ふふ、好きって言えなくて残念だったねぇ」


 ――言えるわけが無い。エルは心の中でレナに反論した。反論するために口を開けば、余計な事ばかりが溢れてきてしまいそうだった。だから沈黙を返事として、相手に返すしかない。

 それが彼女のお気に召さなかったのだろう。きっと、認めた上で泣き喚くなりしてほしかったのかもしれない。レナは不機嫌そうに口をへの字にして、指ではじく仕草をした。

「安心してくださいね。この双子ちゃんは私がこれからも『守って』いきます。この子達を私の言う事をおとなしく聞く『魔女』にしてぇ、人間を引っ掻き回してあげるんですよ。そしたら私の『悪魔』としての格は急上昇、もう死霊だからって下に見られる事もなくなるんです」

 細かい破片がエルの肌をかすめ、赤い筋を作っていく。

 その次に飛んできたのはあの大きな破片だった。それは軽く回転しながら、エルの腹部を目指して飛んでいく。その破片を目で追いながら、レナは勝ち誇った笑みをかすかに零した。


 ずっと死霊だからと蔑まれてきた。

 人間の魔術師や魔女にさえ劣るとさえされた。

 どれほどすごい事を成し遂げても、ほんの少しも評価されない。


 レナは思う。

 そんな地獄のような苦しみを、この魔女は知らないと。

 恵まれた血統と才能を持って生まれた、ただそれだけで評価されてきただろう、この魔女が憎たらしい。今までどんな侮辱にも耐えてきた。でもこの魔女の言葉にだけは耐えられない。

 なぜ耐えられなかったのだろう。


 元は自分も『魔女』だったから?

 発言者が悪魔ではなく、人間だったから?


 それともこの魔女が、心の底から死霊という存在を軽蔑し、評価されようともがくその姿を高みから嘲笑い、彼らにはこの世に存在する価値が一欠けらとしてないと思っているから?

 ……全部だろう。

 ここまで酷い侮辱は初めてだ。ここまで苛つくのも初めてだ。

 どうやったら苦しむだろう。あの硝子のように整えられた表情が、痛みではない苦痛で歪み壊される瞬間を見たいだから信頼していたらしいメイドを殺した。そして互いに好きあっているのだろう執事も殺した。必死に無表情を保ちながら、悲しげに歪む顔を見てすかっとする。

 でも足りない。やっぱり殺さなきゃ。

 魔術が使えない魔女なんて、そこらへんの小娘と変わらない。

 戦う手足がないこの魔女はもう、死以外の運命など目の前に用意されていない。仮にこの非力な魔女が未来を統べる力を持っていても、目の前に迫る凶器をどうやって止めるのか。

 縛られた腕は動かず、あの体制では足も届かない。


 そしてレナは気付いた。

 いつのまにか――エルの足元にあった頭が消えていた事に。


 直後、銃声と共に鏡の破片が砕け散る。

「いやはや、さすがに首が落ちると痛いものですね。ミーシャ、もう少し優しく繋げてくれませんか? あとさすがに中心がずれると、狙いが定まりませんので。えぇ、それくらいで」

「……文句ばかり言うと、前と後ろをわざと間違えて繋げます」

 レナの背後から若い男女の話し声と、がさがさと何か作業する音。

 振り返るまでもなく、そこに殺したはずの二人がいるのは明らかだった。

「人間じゃ……なかったんですねぇ」

「いや、逆に聞きますけど、普通の人間を従者にしてた魔術師や魔女、貴女を含めてどこかにいました? コックなど使用人なら人間で事足りますけど、従者はそうもいきませんよ」

 カシスの問いかけに黙るレナ。ついさっき人間を従者にした事がないと、自ら言った事を思い出しているのだろう。その表情には悔しさがにじみ、彼女と繋がる双子もカシスを睨む。

「あぁ、そうそう。亡者の相手をするのも疲れるので直接対決しません? この腐った匂いがうつると困るんですよね。肉体がない死霊はその辺り、気にしなくてすみそうですけど」

「要約いたしますと、たった一言です」


 銃を構えたカシスの横で、腕をまくってミーシャが言う。


「死霊の分際で偉そうで腹が立ちますので、直接横っ面殴らせろ、と」

 レナと双子が身構えた。その表情から余裕は消えない。自分にはソフィアという純度の高い魔力があり、それを操れるマリアがいる。たった二人に負けはしないと思っているのか。

「精霊ですか? それとも妖精? まぁ……なんだっていいです、殺しちゃいますから!」

 ぶわ、と亡者が床という床から溢れて、瞬く間に室内を埋め尽くしていった。自分に腕を伸ばした亡者を淡々と蹴り倒し、カシスの銃が叫ぶように声を上げて亡者を撃ち倒す。


「この世界でもっとも嫌われるもの。それは卑劣者と、悪魔、そして――」


 三体目を遠くへ蹴り飛ばしたミーシャが、足を下ろしてレナを指差す。手袋を外した右手の甲に黒い蝶のあざが浮んでいた。同じ物がカシスの、左手の甲に浮んでいる。


「死霊という、悪魔の風上にも置けない屑です。存在していても悪魔の恥ですし、人間の悪魔に対するイメージが悪くなりますので、とっととこの場で死んでください、いえ殺します」


 宣言し、次々と溢れる亡者を蹴り倒して進むミーシャ。彼女が一人で亡者達の相手をしている間にエルに駆け寄ったカシスは、その痛々しい姿を見て悔しそうに表情を歪ませる。

 我慢してください、と一言かけて、全身に刺さった鏡の破片を抜いていった。

 そのたび、エルの身体が痛みに撥ねる。一番痛がったのは手のひらに刺さったヤツだ。ソレを抜き終わったとたん、エルは糸が切れたようにカシスの腕の中へ崩れ落ちる。その血に塗れた手がカシスの背中を這い上がって、首の後ろを繋がっている事を確かめるように撫でた。


「お嬢様はもう動かないで。僕がちゃんとお守りしますから。大丈夫。僕もミーシャも、貴女を一人にはしません。たとえ貴女が死したとしても、ずっとお傍におりますから……ね?」


 耳元に囁かれた言葉に安心したのか、エルの身体から力が抜ける。軽い身体を片腕で抱き上げると、カシスは亡者を打ち倒しミーシャと相対するレナを――殺すような目で睨んだ。

「く、くるなあああ!」

 亡者を呼び迫るミーシャに抵抗するレナの背後に、エルを片腕で抱いたカシスが立つ。振り返ろうとしたレナのこめかみに銃口を押し当て、優しげな笑みを浮かべた彼は何かを囁いた。

 彼の性格からして、祈りの言葉はありませんか、などと尋ねたのかもしれない。レナはただ固まったまま震えるばかりで、呆れた様子のカシスは銃声のようなため息を一つ零した。

「お嬢様、もう大丈夫ですよ……」

 カシスに横抱きにされて耳元に囁かれる声。刺すような痛みのせいで、エルの意識はほとんど眠りに落ちかけていた。二人がレナと戦い始めた頃から、記憶は飛び飛びになっている。


 でも、優しいぬくもりに包まれ、それから優しく額に口付けられた事。

 その瞬間だけは、はっきりと記憶していた。

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