[25]選択の余波
ミグ曰く、霊術は原理が不確かなものが多く、ハイリスクハイリターンな代物だという。
ニコラ・テスラから受け取った霊術大全に記載されている術式を用いれば、テサロを助けられる可能性がある。しかし、相応のリスクを背負うという可能性も存在している。
リスクとリターンは必ずしもイコールではない。むしろ均衡の取れていない霊術の方が多い――とミグは語る。
運が良ければ、ほとんどノーリスクでテサロを助けられるかもしれない。
一方で運が悪ければ、リスクだけを背負ってテサロを助けられないかもしれない。
もしリスクとリターンが明瞭であれば判断材料としたり、事前にリスク管理ができたりする。しかしそれすら不明瞭な状態で試すのはイチかバチかの博打に等しい。しかも賭けるチップの量が選べないときた。
「やりましょう」
それでも至誠はそう決断し、ミグにのみ聞こえるような小さい声で告げる。
ここで、我が身かわいさで自己保身に走るくらいなら、最初から見捨てて逃げ出していた方が賢明だったろう。
だがここまで来た以上、全員生存に全賭けするべきだと至誠は感じた。
――昨日はテサロの犠牲を許容しなかったのに、自分は自己犠牲を厭わないというのは矛盾してるよなぁ……。
などと思う側面もあったが、それでも、ここでテサロの死を確定させてしまうことを避けたいという思いの方が強かった。
ミグは至誠の返答を聞いて、ただ一言『分かった』と頷き深呼吸をした。そして至誠の肉体を使って霊術の行使に向けて準備に取りかかる。
「『処置が間に合わず、ただただ残念でなりません。……ですが、まだ可能性はあります』」
それを聞いた医者や騎士は眉をひそめ、ミラティク司祭は興味深そうに目を細める。
「ほう――死してなお、救う方法があると?」
「『とある霊術を使えば、その可能性があります。しかしその霊術は、現在リスクの確認がとれていない術式です。そのため周囲にもどれほどの影響が及ぶか分かりません』」
ミグは周りの人たちに、部屋から出るよう促す。
リスクの範囲がどの程度か分からないが、念のために距離を取った方がいい――と、ミグは懸念を告げる。
「確かに霊術であれば相応のリスクがあって然るべきでしょうな。私が残りましょう」
ミグは全員に部屋から出るよう言ったが、ミラティク司祭はそう即答する。その様に最も動揺したのは騎士たちだ。
「司祭様、それはなりません!」
「残るなら我々が。そのための騎士でございましょう!」
そんな声が上がる。
「では騎士の中で私と運命を共にする者は残りなさい。騎士以外の者はすぐに部屋を出るように」
医者たちは司祭に命じられて部屋を出て行くが、騎士は誰も出ていかなかった。その表情からは、司祭への絶大な信頼と覚悟が垣間見える。
「『では、術式の準備をはじめます』」
ミグは至誠のポケットから冊子を取り出すと、それを空中に浮遊させ、該当ページを見ながら術式を構築していく。至誠の右手で鬼道を、左手で魔法を構築し、それを組み合わせていく。
その複雑さと緻密さは並の騎士には理解すら及ばない水準で、目を見張る者もいれば、どのような効果が現れるか分からないことに警戒心を露わにする者もいた。
術式の構築と行使に必要な計算量は、下手な術者が実行しようとすれば数日を要する規模の霊術だった。それをミグはものの5分ほどで作り終え、間を置かず発動する。
「――!」
至誠の胸元から半透明な『何か』が出てきた。
それは太ももほどの太さで、先端が変形し手の形を成す。
そのまま半透明な腕は、テサロの胸元まで伸びて突き刺さった。
だが服に穴が空くこともなく、肉体が損傷することもなく、体内に浸透していった。
*
騎士が目の前の光景に圧倒されている間に、至誠から伸びた半透明な手はテサロの体から戻ってくる。
わずか1分にも満たない時間の出来事だった。
その手には薄らと黄色く光る光の球が握られている。
腕はそのまま至誠の体へと戻っていき、光の球体もろとも吸い込まれるように体内へと消えていった。
――これは、うまくいったのかな?
と至誠は首を傾げたい気持ちを抑え、今は体をミグに一任する。
「『これで終わりのようですが、どなたか、体調や精神に異変のある方はいますか?』」
「自覚する限りでは問題はないようです。状況から察するに死霊術でしょうか?」」
ミグは肯定するが、しかし――と改めてそのリスクについて語る。
「『この術式は解明が不完全のものですので、上手くいくかは未知数です。今後、何かしらの悪影響が出た方はすぐにお知らせください』」
物騒な返答をするミグに対し、ミラティク司祭はなぜかにっこりと笑顔を浮かべた。
「レスティア皇国が大国に君臨し続ける理由は、死霊術を駆使し優秀な人材を囲っている結果だと聞いたことがあります。その一端が見られただけでも実に有意義で、命を賭けるだけの価値がありました」
自分の命よりも情報の方が価値が高い――ミラティク司祭の言葉がそう言い含んでいるように至誠には感じられた。
その間にも、ミグは話を進める。
「『可能であれば遺体の方も本国に届けたいと思っています』」
「分かりました。御遺体の送還準備はこちらの方で整えておきましょう。防腐処理は行いますが、よろしいでしょうか?」
「『ええ、お願いします』」
ミラティク司祭は続けて微笑むが、至誠には好意の裏に別の感情が隠れているように見えた。だが、それ以上は何も分からない。
――ダメだな。表面的なものからは読み取れないタイプの相手だ。
ただでさえ表情から読み取れないのに、ミラティク司祭は梟のような獣人だ。人の頭部とは異なり、すなわち表情筋の動きも異なる。そのことが輪をかけて読み取れない要因だろう。
そんな折、扉がノックされ、一人の騎士が入ってくる。
その騎士はベージェスに耳打ちし、それをミラティク司祭へ共有する。
「シセイ様、もう1人の方の意識が戻ったようです。お会いになりますか?」
『ヴァルルーツ王子だろうね――ウチとしては問題ないけど、至誠はどう? 肉体的にも、精神的にも、何か問題があれば教えて』
ミグは脳裏で至誠に伝える。その声音はかなり疲れてきているように感じたが、今は信じる意外の選択肢は思いつかなかった。
「お願いします」
ミグからのバトンを受け取り、至誠は「自分は大丈夫」だと言い含めるようにそう返答した。
*
ヴァルルーツ・ヴァルシウルは堆積した雪に閉じ込められたかのような感覚を覚える。
ヴァルシウル王国は世界の最北端に位置する雪国だ。
雪の結晶は柔らかく儚い。
しかし身の丈をはるかに超える積雪の中に体が捕らわれてしまえば、まったく別の顔を見せる。
ヴァルルーツは幼き頃、雪崩に巻き込まれたことがある。
雪崩の規模は小さく、すぐに配下の者たちに助け出されたので大事には至らなかった。だが雪の重みで体は動かず、呼吸すら満足に行えなかったことを今でもよく覚えている。
その頃のトラウマはずいぶんと昔に克服した。だがなぜ今その感覚を思い出すのか――ヴァルルーツは無意識に疑問を抱きつつ、次第に意識が覚醒する。
――寝ていた? ……いや、気を失っていたのか?
「……。……」
――いったい、なにが……。
まどろむ脳裏では置かれた状況が理解できない。
体が、まるで雪に埋もれてしまった時のように自由がきかない。
――呼吸はできているな。気温も高い。
すなわち、現在進行形で雪に埋もれたわけではないのが分かる。
そうしているうちに意識ははっきりとしてくる。
相変わらず体は自由に動かせず、視界も暗いままだ。
――目が覆われている? 口は……口も動かせないか。
体に力を入れてみるが、純粋な身体能力だけでは拘束を突破できそうにない。
――魔法は……ほとんどマナが残っていないな……。それに、周囲にオドがない。つまりここは、牢獄というわけか。
魔法や鬼道を修めた者であっても、体内のマナやエスがなければ行使できない。そしてマナやエスの生成には、大気中のオドが体内に取り込む必要がある。
故に、牢獄にはオドが侵入しないように処理が施されているものだ。すなわちここが牢獄で、自分は今捕らえられているのだとヴァルルーツは理解する。
次第に記憶が鮮明に蘇る。
ヴァルシウル王国は隣国との戦争の火蓋が切って落とされ、レスティア皇国に助力を求めるべく動いていた。
レスティア皇国の皇帝陛下と皇女殿下の言質は取ったが、彁依物を使ったと思われる攻撃を受け不浄の地に飛ばされた。
そこから、同じく飛ばされた者と共に力を合わせて、命からがら神託の地へ戻ってきた。
生還を確信した直後、都市上空ではじき出されてしまった。何が原因なのか分からない。それでも自分に託された淑女を守るべく、何とかその身を抱えて着地した。
あの時は、まさに死を覚悟した。最大限減速を試みたものの、地上に到達するまでに止まれなかった。
だが幸いなことに、木造建築の端にかすったことで衝撃が分散た。それにより辛うじて魔法による防壁が耐えてくれた。
――もし硬質な路上だったら、命はなかったかもしれないな……。
だがすぐに動けるほど、無傷というわけにはいかなかった。それでもテサロを託された以上、王子として、男として、いつまでも床に伏せている訳にはいかなかった。
すでに体力は限界に達していたが、ヴァルルーツは気力だけでテサロを抱え移動した。だが、すぐにこの都市の守備隊に見つかり取り囲まれてしまった。
不幸だったのは、明らかに自分より格上の兵士と遭遇してしまったことだ。
幸運だったのは、その兵士が理性的な人物だったことだ。
その兵士は最後まで投降を呼びかけており、テサロを気づかう素振りすら見せていた。ヴァルルーツは最後まで抵抗したことで、その場で切って捨てることもできただろうに、今もこうして生きている。
――あれは英傑の域……おそらくは父上と同じ領域の強さだな。残されたマナ残量ではあの兵士に勝つことはおろか、逃げ切るのも難しかろう……。
ヴァルルーツがこれまでの経緯と状況を整理していると、目の前でガサゴソと音がする。
何の音か意識を集中させると、金属的な擦れる音がかすかに聞こえ、続いて扉がノックされる。
「――」
「――」
誰かがいる。
小声で何かを話している。
だがヴァルルーツからは、会話の内容までは聞き取れなかった。
続いて扉が開かれ、誰かが出ていく気配を感じ取った。
その後、周囲に人の気配はなくなるが、オドがない室内からでは外の気配を感じ取ることが困難だ。
――テサロ殿は……皆は無事だろうか?
そんな懸念を抱きながら、今の自分に出来ることがないか思考を巡らせる。
――残されたわずかなマナを使えば、拘束を解くことは辛うじてできる。
しかし見張りの兵士を突破するのは困難だろう。常人が相手ならいざ知らず、魔法による攻撃や身体強化、装備が無い状態で完全武装の兵士に挑むのは分が悪い。同格未満ならこの身ひとつでなんとかできるかもしれない。だがそれも、あくまで相手が一人の場合だ。複数で取り囲まれれば為す術がない。
――だが、早々に諦めるわけにはいくまい。
現状で為す術がなくとも、今後どのような好機が巡ってくるかは分からない。すなわち現時点でできることは、機微を見逃さないことだ。
そう思っていると、脳裏に声が響く。
『……よし、これで声が届くはず』
その声がリネーシャ皇帝の部下であるミグという女性の声だと、ヴァルルーツはすぐに気がついた。
『ヴァルルーツ王子、聞こえる? 今そっちに向かってるから、もう少し待って』
ヴァルルーツ側から言葉を返す手段はないが、その声質はミグ本人のものに感じられた。また、脳裏に声を届けるような高度な技術が、おいそれと真似できる者がいるとは思えない。
――いや、思考放棄は良くないな。
ミグ本人で間違いないだろうと安堵するヴァルルーツだったが、万が一これが罠である可能性も鑑みて気を引き締める。
*
それから少しして、扉が開く音がする。同時に大人数の気配を感じ取る。
――6人……いやもっといるか。
その内の2人が近づいてくると、おもむろに拘束を解き始める。
だがこの2人が誰でどのような立場なのかまだ分からない。味方なのか、敵なのか。判断するには情報があまりにも不足している。
「ヴァルルーツさん、聞こえますか?」
ヴァルルーツが逡巡している間に、聞き覚えのある声が耳に届く。その声は、共に不浄の地に飛ばされた際に一緒にいた、至誠という名の青年の声だった。
「これから解放してもらえるとのことですので、不用意に暴れないいでくださいね」
『安心して、ラザネラ教会とは話はつけてあるから』
至誠とミグの声が立て続けに聞こえる。
――これは、こちらの情報を聞き出すための偽物という線はなさそうか。
これほど精巧な偽者を用意するためには多くの事前情報が必要だ。しかしたどり着いた南西端にある辺境な場所で、彼らについて詳しく知っている者などいないはずだ。
そう考えている間に腕の自由が戻り、目と口の拘束も解かれる。
扉から差し込んできた光に若干目がくらみながらも、慣れてきた視界は確かに至誠がいた。
彁依物による精神干渉を受けている可能性もないとは言えないが――などと考えればキリがない。
緊張感を維持しつつ、目の前の出来事に対応していくしかないだろう――とヴァルルーツは結論づけ、口を開く。
「ご無事なようで、安心しました」
至誠やミグの名前を口にしていい状況か分からなかったため、ヴァルルーツは個人情報を含めない言い回しを選んだ。
「不自由をさせてしまってすみません」
「いえ、お気になさらず」
ヴァルルーツはすぐにでも状況確認や、テサロの安否について聞きたかった。
しかしその衝動はひとまず抑え込む。
周囲や至誠の背後には兵士がいるため、当たり障りのない言葉を選ぶ。
不用意に情報を漏洩させてしまえば、それがどのように巡り巡って自分たちの首を絞めることになるか分からないからだ。
その間に拘束は完全に解かれ、ヴァルルーツはゆっくりと立ち上がる。
「お体に問題はありませんか?」
「ええ、大丈夫です」
長時間同じ姿勢でいたことによる体のぎこちなさを感じるが、さしたる問題はない程度だった。
ヴァルルーツは、ふと至誠の後ろに立っていた兵士の顔立ちに気がつく。
それは昨晩、ヴァルルーツと対峙した英傑らしき兵士だ。
――彼がいるということは、警戒されているということか?
少なくとも、マナの枯渇したヴァルルーツでは今戦ったとしても完封される未来しかみえない。
ヴァルルーツは相手方の戦力に注視しつつ、慎重に口を開く。
「それで、状況がどうなったのかお聞きしたいのですが……それはまた後ほどの方がよろしいでしょうか?」
「ここでは何ですし、移動しながらかいつまんで説明しましょう」
ヴァルルーツの問いに至誠が返し、廊下の奥から「では、どうぞこちらへ」という老いた男性の声が聞こえてくる。
その男性の服装から、ラザネラ教の聖職者であることが分かった。昨晩は余裕がなくそこまで気が回らなかったが、周囲の兵士もただの兵士ではなく、ラザネラ教専属の騎士だと気がつく。
ミグと至誠は彼らに着いていくようなので、ヴァルルーツもその後を追った。
*
廊下に出て歩いていると、ミグが『ヴァルルーツ王子――』と問いかけてくる。
『声を出さずに仕草だけで返して。戦えるくらいのマナ残量ははある?』
ヴァルルーツは小さく首を横に振ると、『分かった』と返ってくる。
『とりあえず今はマナと体力の回復に努めてて。一応、ここのラザネラ教会とは話を付けたけど、どこまで信用できるかはまだ分からないからね。いざとなったら逃げられるようにしておいて。ウチも頑張るけど、いざという時はどうしても至誠を優先せざるを得ないから』
ヴァルルーツは再び小さく頷く。
『それから、流血鬼の存在は隠してるから会話するときは至誠に向けて喋って。……まぁ、あの司祭には気づかれてるっぽいから無駄かもしれないけど、念のためにね』
ミグからそんな説明を受けている間に、近くの部屋に到着する。
そこは地下牢の詰め所があり、奥には備品室があった。
備品室にはいくつかの椅子や机が並んでいて、ヴァルルーツから剥ぎ取られた装備一式あった。防具や外套だけではなく、長剣もある。
――武器も返却するのか?
話をつけたというのは本当らしい。
――あるいは、こちらの油断を誘う罠か?
念のために変な術式が仕込まれていないか確認をしつつ――表向きは装備の状態を確認する素振りで誤魔化しながら――確認がとれた装備を身につけていく。
「今のうちに、状況を簡単に伝えておきますね」
その状況で口を開いたのは至誠だ。
「こちら、このラザネラ教支部教会をとりまとめてらっしゃる、司祭のミラティク・モーガスフィ様です。寛大にも我々の事情を汲んでいただき、事態の収束に向け協力していただいています」
至誠が視線を誘導しつつ紹介した相手は、梟の特徴が色濃い鳥人の男性司祭だ。
司祭はかなり年を召しているような風貌をしているが、その目が耄碌している様子はない。むしろヴァルルーツは、物腰が柔らかそうな雰囲気の裏に、一筋縄ではいかないであろう貫禄をヒシヒシと感じた。
英傑の騎士相手に対して自分は無力だろう――とヴァルルーツは自覚している。こと戦闘においてはレスティア皇国の眷属所属たるミグに任せてしまった方が無難なのは想像に難くない。
――しかし、彼に対しては違うな。
と、ヴァルルーツの直感が囁く。
至誠はラザネラ教に詳しくないようだ。それはその言動を見ていれば察しがつく。それを指摘しない時点でミグも同程度の認識である可能性が高い。
――確かに研究者は宗教家とは遠い位置にいて、それは仕方ない。
だからこそ、ヴァルルーツは前に出る必要を感じた。
「天外の彼方にも拘わらずこうして導きがありましたこと、天空の寛大に感謝致します。名をヴァルルーツと申します」
「我らが天上へのご高配を賜り厚くお礼申し上げると共に、こうして縁を得た天運を喜ばしく思います。当教会を預かっております、司祭のミラティク・モーガスフィと申します」
ヴァルルーツはすらすらと言葉を紡ぐと、ミラティク司祭も軽い口調で返す。
ラザネラ教ではいくつもの定型文が存在し、特に堅苦しい挨拶文は多い。堅苦しいやり取りから始まり、機をうかがいながら少しずつ解していく――それがラザネラ教に対する公的なやり取りの定石だ。
だがそれは、知識として知っていなければその対応は難しい。
そしてそれを熟知しているのは、おそらく3人の中で自分だけのようだ――と、数少ない会話の中からヴァルルーツは察する。
ヴァルルーツは王族であり第1王子だ。そのあたりは教養として知っている。信徒ではないが、ヴァルシウル王国にもラザネラ教の教会堂はあり、王族としてかかわることもあったからだ。
それよりも――とヴァルルーツは至誠に問いかける。
「現状、どのような取り決めが行われているか、伺ってもよろしいでしょうか?」
至誠は「詳しい経緯はまた後で改めて時間を取りますが――」と前置きをしつつ、かいつまんで教えてくれる。
「昨晩の僕ら怨人を都市に招いてしまった過失に関しては、レスティア皇国より金銭的な補償を行う前提で話を進めています。そのためにまずはラザネラ教より正式なルートを通じてレスティア皇国へ身元の照会を行っていただく予定です。補償についての詳細は聖誕祭前に行われる会議にて決める必要があり、そのために西方教皇領へと同行するという話になっています」
ヴァルルーツは相づちを返しつつ、司祭の方へ向き直して改めて口を開く。
「――天空のように澄み、寛大な御心に感謝を申し上げます」
ヴァルルーツはミラティク司祭に向けて感謝を告げながら目を伏せる。
「良識ある対応をいただけて、こちらとしても感謝しております。冷静に、知的に話が通じる相手は、平和的に問題解決に向けて進むことができる。これは実に喜ばしいことです」
ラザネラ教の教会というのも、結構ピンキリだということをヴァルルーツは知っている。決して一枚岩というわけではなく、司祭や司教の人格や派閥の影響が色濃く出てしまう。
――ここは比較的穏健派のようだな。
とヴァルルーツは感じる。であるならば――と、ヴァルルーツは今のうちに可能な限りわだかまりを解消しておこうと試みる。
「私の昨晩の振る舞いは謝罪しなくてはなりません」
そう言ってヴァルルーツは扉前にいるベージェスに向き直す。
「昨晩はお恥ずかしい姿をさらしてしまい、大変失礼致しました。もっと冷静に対応できていれば良かったのですが、まだまだ私も未熟者だと痛感しております」
「いえ。――追い込まれてなお、一般人を人質や盾にするような手段を用いなかったことは評価しています」
ベージェスの表情に変化はないが、露骨に不快感や義務感で言葉を返しているわけではなさそうだ。
「それでも少なくない被害が及んでしまったことでしょう。故に、深い謝罪と哀悼の意を述べさせていただきます」
ヴァルルーツの謝罪と哀悼を受けとり、わずかな黙祷の間を空けてミラティク司祭が言葉を引き継ぐ。
「あなた方から誠意を感じられることを非常に嬉しく思います。禍根を残さないためには初動が重要です。なにせ怨みつらみというものは時間が経つほどに累積していくものです」
ヴァルルーツは肯定し、もう一つの懸念を至誠に確認する。
「そういえば……もうお二方は――」
「リッチェさんに関してはまだ合流できていません。別の場所で拘留されているらしく、現在こちらへ身柄の移送をしていただいてます。テサロさんに関しては……」
至誠はリッチェとテサロの名前を出す。その個人情報を口にすることは問題がないのだとヴァルルーツが理解している間に、至誠の言葉が詰まる。
「首の皮一枚繋がった状態……といったところでしょうか。詳しい状況はまた後ほど説明します」
最悪を想像したが、どうやらそこまでには至っていないようだ。しかしその言葉の選び方から状況はかなり厳しいのだとヴァルルーツも察する。
具体的に状態を言わないのは、ここで言及するべきではないのだろうと察し、ヴァルルーツはそれ以上追及せず「分かりました」と頷き返した。
耳をつくような警報音が響き渡ったのはその直後だった。
それに反応したのはヴァルルーツだけではなく、むしろ周囲の騎士たちの方が敏感に反応を示す。
それからすぐに伝令が「報告!」と駆け込んでくる。
「南南西より怨人が多数接近中! オドの霧により全容は不明ながら、推定個体数は100体以上! 城壁到達までの予想時間は、およそ45分ですッ!!!」




