↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/76

[24]MEA-097-Re|死ノ淵ヲ航ル者

 ふと気付くと、テサロ・リドレナは佇(たたず)んでいた。


 濃い霧が視界をふさいでいる。

 ここがどこか、テサロには分からなかった。


 だが、進まねばならない気がした。

 寝起きのような判然としない意識の中、テサロは進み始める。



 少しして、川のせせらぎが耳につく。

 音のする方向へ進むと、濃霧が薄まりはじめる。


 気がつくと、川の平瀬に来ていた。

 薄まった霧は、対岸のシルエットをかすかに浮かび上がらせる。


 テサロはなぜだが、岸の向こうへ行かなければならない気がした。

 今いる浅瀬は川の流れが穏やかだが、対岸の川辺は流れが速くて水深は深いようだ。それでも、ここを進まないといけないと深層心理が訴えている。


 対岸に向けて歩き出そうとした直前に、足元に広がる砂利がただの石ではないことに気がつく。


 骨だ。その全てが骨でできている。

 体のどこの骨か分からないものも多い。


 だがテサロの直感はそれら全てが人骨であるとささやく。

 それも、その多くが子供のものだ。


 直感は、未発達の頭蓋骨を見つけたことで直感は確信へと変わる。

 朧(おぼろ)げな意識が次第に鮮明に晴れはじめ、そして過去の記憶を引き出していく。


「そうですか。……やっと、私の順番がやってきましたか」


 己の犯してきた罪を思い返し、天を仰(あお)ぎながら幸福だった日々に想(おも)いを馳(は)せる。


「陛下(へいか)、殿下(でんか)。受け入れいただいただけに留(とど)まらず御役目と居場所を作っていただけたこと、感謝してもしきれません。非常に充実した余生(よせい)でございました。試練の途中で先立つ不遜(ふそん)をどうかお許しください」


 テサロは足元に転がる小さな頭蓋骨(ずがいこつ)を拾い上げ、咎を受け入れるように語りかける。


「小さい。……本当に、小さいですね。これほど小さくか弱い子供たちを、いったい何人を死地(しち)へ追いやったのでしょうか。何百……何千……。人数すら覚えていられなかったのも、私の罪のひとつでしょうね」


 テサロは川の縁(ふち)に優しく頭蓋骨を降ろすと、衝動に身を任せ対岸(たいがん)に向けて歩き始める。


 唯一、懺悔(ざんげ)するような表情の中に、わずかに寂寥感(せきりょうかん)が残っていた。


「叶うならば、今しばらくリッチェのことを見守りたかったですね……」


 テサロは振り返り、今歩いてきた道を見つめる。

 そこにはただ霧が広がるのみだったが、それでも、リッチェを『あちら』へ置いて行くことの物寂しさを感じた。


 それでもテサロは、視線を対岸へと向け、振り返るのをやめた。


「リッチェ――あなたは悲しむでしょう。ですが、きっと、親の死を乗り越えて先へ進んでくれると信じています。あなたは何も知らず、道を誤らず、出自に振り回されることなく、真っ当に、自分の信じた道を進んで下さい。どうか……。……」


 足を止めることなくつぶやいていると、すでに水かさが首元にまで迫っていた。


 直後、一気に水中へと引きずり込まれる。


 水中でテサロが目にしたのは、無数の幼い人骨がまるで生きているかのように動き、テサロの身体を川底へ誘おうとする光景だった。人骨は次々とテサロにつかみかかり、さらに引きずり込んでいく。


 テサロはそれを受け入れるように、穏やかに体の力を抜く。


「……」


 その最中、視界に淡く光るものが現れた。


 よく見るとそれは生身の腕で、若い女性のような細く繊細な指先が近づいてきて、テサロの頬をなぞった。


 かと思えば、胸ぐらをつかみ、一気に水面の先まで引っ張り上げると、川辺へと放り投げる。


 テサロの体は生理反応的に咳(せ)き込み、気管に入っていた水を体外へ出す。


 ――いったい何が……。


 テサロは何が起こったのか分からず見渡すと、奇妙な格好をした人物が水面(みなも)の上に立っていた。


 シンプルな目とまゆ毛――の絵が描かれた純白の布を頭からかぶっている。布地は全身を覆い隠し、足元まで届きそうな長さがある。そして、風は吹いていないにもかかわらず布は揺らめき、水面にその姿は布地も体も一切反射していない。


 揺らめく布は内にある人体のシルエットを映し出す。一見すると、それは若い女性のように見えた。


 その人物の近くには、先ほど水中のテサロを持ち上げた腕が二本、宙に浮いていた。腕は完全に独立し、肩はおろか二の腕の半ばから上がない。断面には腕輪があり、どうやらそこから生えているようだ。


「あなたは……」


 テサロはその容姿に心当たりがあった。


 臨死体験(りんしたいけん)をした者が稀(まれ)に目撃する謎の人物にして、現実でも目撃例の存在する人型彁依物《ヒトガタアーティファクト》。


 何者なのか、何を行っているのか、目的は何か、その一切が不明の存在だ。

 唯一、死の淵(ふち)に瀕(ひん)している者の夢路(ゆめじ)をたどっていると考えられている。


 故に、アーティファクト名は「死(シ)ノ淵(フチ)ヲ航(ワタ)ル者(モノ)」。


「ときに、生前の罪は自らノ死によって償(つぐな)える――と、オマエはそう思うカ?」


 死ノ淵ヲ航ル者は唐突(とうとつ)に問いかけてくる。戸惑いから言葉を窮(きゅう)するが、それが己の過去にまつわる問いかけであり、魂の奥底から答えなければならない訴えている気がした。


「い、いえ。死後の世界がどうなっているか、あるいは存在しているのかは分かりませんが……もし、罪を犯した者が受けるべき罰があるならばこの先で受けることになるのだろうと思います」


 直後、テサロは恐怖を感じた。威圧(いあつ)されたわけでもないのに、空気が張り詰める。嘘をついてはいけない――そんな感覚が全身全霊に染み渡る。


「そんな当たり障りのない言い逃れを聞きたいんジャアない。オマエは、オマエが殺してきた子供たちに罪の意識は感じてるのか? 答えよ」


 テサロの精神的変化が、心臓の鼓動にあらわれる。


 己の過去について、テサロはほとんど話してこなかった。レスティア皇国へ亡命する前のことを知っているのは、リネーシャ陛下やエルミリディナ殿下などの恩人と、ミグなどのプライベートでも親しいごく一部にすぎない。愛娘(リッチェ)はまったく知らないことだ。


 それを目の前にいる者は、まるで知っているかのような口振りで語る。


 ――いえ、知っているのでしょうね。


 人智(じんち)の及ばぬ特異存在。それが彁依物(アーティファクト)なのだから。


「はい……感じています。そしてその罪により、これから罰を受けるのだ思います」


「ならば、今マデ食べてきた料理に対して、罪の意識は感じているか?」


 死刑判決を待つ被告人のような心境を抱いていたテサロは、想定外の問いかけに頭が真っ白になる。


「……料理、でございますか?」


「子供を殺すのと、家畜を殺して食うのと、植物を刈り取って食らうのと、いったい何が違う? なぜ人類の子供を殺せば罪で、家畜ヲ殺せば罪にならないと考える?」


「……それは……」


 テサロはすぐに答えられなかった。


「オマエが殺してきた子供は、まさに家畜として生まれ、家畜として育てられていた。ならば、それのどこに罪の意識を感じる必要性ガある?」


 家畜として育った動物と、家畜として育った人に、いったいどれだけの差があるというのか。


 ――言葉が通じるから? 知性があるから? 生物学的に容姿的に同じ、あるいは近しい種族だから?


 テサロには分からない。

 だからこそ、率直な感想をぶつける。


「もし、動物であれ植物であれ、これまで食べてきた命の分も償いが必要ならば、私はそれを受け入れます」


「はァ?」


 唾棄した声音に、テサロの肝が冷える。


 まばたきの一瞬、気が付くと死ノ淵ヲ航ル者はテサロの目と鼻の先にいた。

 そして不快そうに吐き捨てる。


「二度と、思考を放棄しただけの答えなど口にするな」


 何かされたわけではない。ただ、ただただ不快感を言葉に乗せて投げかけてきただけでテサロの全身が総毛立(そうけだ)ち、嫌な汗が噴き出し、本能は怯(おび)え気圧(けお)される。


 確かに今の返答は、しっかりと考えず答えた面もある。受ける罰が倍になったところで、元の罪が数え切れない程あるならばさして変わらないと思っていたからだ。


 だがそんな威圧はすぐに影を潜め、死ノ淵ヲ航ル者はテサロから距離を取り、質問を続ける。


「じャあサ、今なお生きているアンタの『忘れ形見』は、食事を口にしたと言う理由で罰を受けるベキか?」


「そ、それは……」


 自分だけならば、罰が増えても構わなかった。だがリッチェのことを出されたとたん、テサロの考え方はまるで変わってくる。


「食事は、生きるために必要な行為です。ですが私は、生きるために必要ではないにもかかわらず子供たちを殺したのです。それが罪でないはずがありません」


 その答えは及第点(きゅうだいてん)だったのか、死ノ淵ヲ航ル者の質問は続く。


「じゃ、言い方ヲ変えようか。人を殺すことが罪だとして、殺すために使われた刃物と、刃物を振り下ろし殺した者では、罪はどちらにあル?」


「それは当然、振り下ろした者にあるでしょう」


「つまり『道具には罪はない』と?」


 テサロが肯定すると、「それじャあ――」と質問が追加される。


「殺しを命じた者と、逆らう術がなく生きるためにやむを得ず命令に従った者、それから生きるために動物を殺して食べる者ではどうダ?」


 テサロは言葉を窮(きゅう)する。


 素直に答えれば、最も罪があるのは殺しを命じた主犯だ。そして主犯からすれば実行犯は使い捨ての道具に過ぎないだろう。その場合、実行犯に罪がないと言えるのだろうか?


 先の回答になぞるならば、逆らえずに仕方なく従った者は道具であり、罪はない。だが、だからと言って実行犯が無罪かと言われれば、そう断言はできない。


「たとえ、それがやむを得ずだったとしても、そこに意識が介在しているなら、先ほどのような刃物と同列には語れません」


「同じ『道具』なのに?」


「私はそう考えています。少なくとも私は『過去の自分は道具だったから』と、過ちから目を背けるつもりはありません。最もつらいのは、凶器を振り下ろした者ではなく、殺された者なのですから」


 これが断言できなければ、テサロは罪から逃げてしまう。そう、テサロは懺悔(ざんげ)するように答えると、死ノ淵ヲ航ル者は落胆(らくたん)したように深くため息をついた。


「……そう。そうか。それが偽(いつわ)らざる本心か。残念ダ。残念でならナい。だが仕方ない。オマエは不適格(ふてきかく)。アァ、まったくもって使えナい。分かるカ? 要件を満たさない器(うつわ)を相手にする暇はない。――さァ、迎えが来たからとっとと帰レ」


 死ノ淵ヲ航ル者がそう告げるのと同時、空にヒビが走り、大きな穴があく。


 その中から現れたのは巨大な半透明な手で、テサロが身動きを取るよりも早くテサロの身体をわしづかみにすると、そのまま天上の穴に引き込まれていく。


「こんな場所で罪は償(つぐな)えナい。自己満足で身ヲ投げるな。嗚呼、まったくモって、虫酸(むしず)が走る」


 薄れゆく意識の中で最後に聞こえたのは、そう吐き捨てる死ノ淵ヲ航ル者の声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。