[26]芸術作品
――手詰まりだ。
リッチェはそう焦りを感じていた。
物理的な拘束など、本来であれば魔法でどうとでもなる。しかし魔法の発動にはマナが必要だ。そしてマナを生成するためには大気中のオドを体に取り込む必要がある。
つまり、オドを完全に排除したこの独房ではマナの回復が行えない。体内に残留しているマナはほとんどなく、必然、魔法を行使することができない。
リッチェは魔法に頼らない体作りもしてきた。だがその鍛え方は持久力を上げることに傾倒している。魔法による筋力の向上は比較的容易だが、持久力の向上は難易度は高く、体力はあるに越したことはないからだ。
その結果、リッチェの速筋はさほど強くなく、試してはみたが拘束を破れるほどの筋肉はなかった。
魔法が使える状況ならば、だ。
打つ手は見つからないが、ここで諦めるわけにはいかないとリッチェは自分に言い聞かせる。
――あれから何時間経った?
目が覚めて、最初の男たちがいなくなってから数時間、状況に変化はない。
テサロとミグという英傑がいて何のアクションがないことから、2人とも動けない状況にあるとリッチェは考えた。
――私が、何とかしなきゃ。
リッチェを捕らえている独房の前には見張りがいるようだが、壁の向こうのことは把握しきれない。見張り役――正確にはオドが部屋に浸入しないようにする術式を維持する役目も兼ねた見張り役――の男は、時おり退屈でけだるそうなうめき声や舌打ちをしている。あとは貧乏揺すりをしているようで、一定間隔で小刻みな足音が静寂に響く。
そこから得られる情報がないかと模索していたが、今のところ成果はない。
危険だが、こちらから声を出して反応を探ろうかと考えはじめる。それほどにリッチェは行き詰まりを感じていた。
そんな折、壁向こうから話し声がリッチェにまで届く。
「なぁメルクイナ」
「はい」
呼び掛けたのは若い男性で、メルクイナと呼ばれ返事をしたのは女性のようだ。だが女性の声は非常にか細く、ギリギリ聞き取れるかどうかといった声量だ。
「暇なんだが。ここはお前一人でも問題ないよな?」
「可能ですが、ご主人様の命令に反します」
ここに2人が残った際、名前を呼ばれていた。確か、メルクイナとビルケンジドッグ。どうやら男の方がビルケンジドッグで、女の方がメルクイナなのだろう。
ビルケンジドッグの言葉遣いは粗暴で下品だ。
メルクイナの声は小さく、それでいて生気が感じられない。
「じゃあ暇つぶしに一発ヤらせろよ」
「ご主人様の許可があるならばご自由に使っていただいて構いません」
メルクイナの返答を受けて、ビルケンジドッグはリッチェが聞いた中でもっとも大きな舌打ちをする。
「しまったな。閣下に聞いときゃ良かった」
ずいぶんと品のない会話だとリッチェは感じる。これは仮にこちらから声をかけて反応を見ようとしたところで、意味のない下品な言葉しか返ってこないだろうと想像に難くない。
――どうしよう。他にできることは……。
そんな焦燥感を抱いていると、外の会話に別の男性の声が混ざってくる。
「どちらにしても無理だ。諦めろ」
低く清涼な声は少し離れたところから発したようだが、足音と共に近づいてきている気配を察する。
「お、これはこれはガジェギル中佐殿じゃあないっすかぁ。交代に来てくれたんっすか? 問題はないっすけど、だからこそ暇で暇でしょうがないですよぉ……」
ビルケンジドッグはその男――ガジェギル中佐に対し声を上げる。先ほどまでの粗暴な口調はなりを潜め、犬が飼い主に尻尾を振るかのような媚びへつらいが声音の大勢を占めている。
「交代とは少し違うな」
「そんじゃー奴隷持ってくるまでのほんのわずかな間でいいんで、代わってください! このままじゃ俺メルクイナ犯して閣下に殺されちゃうんですよぉ」
「安心しろ。お前の退屈な任務は終わりだ」
「あー……じゃあ閣下はこの後お楽しみっすか。いいなぁ。俺も奴隷新調しようかなぁ。最近なにしても反応鈍いんすよねぇ」
会話の端々に出てくる階級から彼らは兵士だろうか――と考えるが、それにしてはあまりにも口調が軍人らしくない。上官らしき人物も、口調について咎める様子がまるでない。これではチンピラや破落戸と変わらない。
――彼らの立場はいったいどうなってるんだろう?
リッチェは自分の立ち位置がよく分からなくなる。
だが相手が動き出したと言うことは、情報を得たり脱走するチャンスがあるということだ。そのことをまずはリッチェは一歩前進だと考えることにした。
「いや、この女は解放する。故に任務は終わりだ」
「……は?」
――え?
信じられない――とビルケンジドッグは絶句した声を漏らすが、似たような思考がリッチェの脳裏にもかすめる。
「えっ、どういうことっすか? あのバラギア閣下が気に入った女を手放す訳なくないっすか?」
「他の者もお前のように驚いていたよ。だが閣下の決めたことだ。異論があるならば直接閣下に言え」
「そんなん殺されて終わりっすよ、言えるわけないじゃないッスか……」
「ならば受け入れろ。――メルクイナ」
「はい」
「閣下からの命令だ。明日、この女の連れのところに向かえ。任務はこの女とその仲間、そしてクソ聖職者どもの監視だ。特に、この女の仲間には注意は怠るな。黒髪の男だ。だが、最優先ではない」
「はい」
「それ以上は言わなくとも、役目と優先順位は分かっているな?」
「はい。私が最優先するべきは――」
鈍い音が静寂を塗りつぶす。直後、何かが倒れる音が続く。
リッチェは、その一連の音がメルクイナに暴力が振るわれ床に倒れた音だと理解するまでに少し時間がかかった。それから数度鈍い音と、うめき声が聞こえてくる。
「それから、余計なことは一切口にするな。いいな」
「……も……申し訳、ございません」
そんなやり取りの直後、扉が開かれる。
「あっ! もしかして閣下、ついにアレを始動させるつもりっすか?」
扉を開け、媚びた声を上げる先頭の男がビルケンジドッグだろう。種族は獣人だが、ほとんど人に近い容姿をしている。年齢は二十代前半の若い男性。唯一、頭部から生えた獣の耳が獣人であることを示している。
「お前のそういう聡いところは評価しなくてはな。このあと不要品の殺処分をするが、お前も手伝うか?」
続いて入ってきたのは二十代後半を思わせる男性で、人と相違ない外観的特徴をしている。銀髪の髪は少し動いただけでサラサラと揺らめき、後ろ髪は腰に達するほどの長髪。顔立ちは整っており、厳ついオーバーコートを身に纏っている。この男がガジェギル中佐と呼ばれていた男のようだ。
その奥、扉の先に見えるのは、額を床に押しつけながら謝罪する女性の姿で、彼女がメルクイナだろう。リッチェのところからはよく見えないが動物らしき特徴は見当たらない。
「もちろんっすよ~! そんな最高にそそられる仕事を断る訳ないじゃないっすか!」
男2人はメルクイナを放置し、リッチェに近づきつつ物騒な言葉を交わし、ガジェギル中佐の方が先にリッチェの方を向いた。
――この男はヤバイ。
リッチェの本能がこれまで以上の警鐘を鳴らす。
チンピラ風の若い男だけならまだ何とでもできる気がした。拘束を解かれた瞬間、移送する瞬間、いずれかの状況で、わずかな隙を突くチャンスがあるだろうと思う。
だがガジェギル中佐と呼ばれた男の気配は呼吸を忘れるほどに禍々しく、それは牢の扉を開けた瞬間からリッチェの地肌を貫いている。
魔法とも鬼道とも違う。
正確には魔法の術式による気配もある。だがそれ以外の異質で禍々しいナニかがある。ガジェギルの周囲に髑髏がまとわりついているかのような印象が幻覚として現れるほどに、だ。
リッチェはこれまで生きてきた中でこんな気配を感じたことがない。
「だが、その前にこいつの処理からだ。こいつに関して、バラギア閣下は確かに『解放する』と確約した。だが別に『無傷で解放する』とは言ってないからな」
そういってガジェギル中佐はさらに近づいてくる。
リッチェは何とかして物理的な拘束を解こうと体に力を入れるが、拘束はびくともしない。
「あっは、さすが閣下っすわ。どうします? 指でも切り落としときます? 俺的には目と耳を潰して歯を全部抜いておけば良いと思うんっすけど」
ガジェギル中佐はビルケンジドッグの言葉にため息をこぼす。その瞬間、異質な気配が少しだけ弱くなった気がした。
「お前は聡いんだがバカなのが玉に瑕だな。バラギア閣下はこいつを諦めたわけじゃないぞ。それをお前が先走って傷をつけると?」
「あー、そっすよね。すいやせーん。今のは閣下には内密でおねしゃす」
「なに、バラギア閣下は新品が好きな御方だ。奴隷商からダークエルフの双子が入荷したと連絡が入っていた。こいつに飽きるのは案外早いかもしれんぞ。その時に下賜してもらえるよう今からアピールしておけ」
「さすが中佐っすわ! 俺ェ一生あんたと閣下についてきやすぜぇ!」
「ならば精一杯仕事をしろ。この女の体は傷つけない。だが、いじれるところは他にあるだろう?」
「おっ、まさか中佐の芸術が見れるんっすか!?」
「そうだ。お前の能力には期待しているからな。特別だぞ」
「やったぜェ!」
ガジェギル中佐が再びリッチェの方を向いたときには、禍々しい気配が一掃強くなっていた。
何とか時間を稼ごうと口を開くが――開こうとしたが、口から言葉が出てこない。代わりに奥歯が何度も当たり、ガチガチと音を奏でている。
「押さえてろ」
「ういっす」
ビルケンジドッグはリッチェの背後に回り込むと側頭部を両手で強く押さえつけてくる。首から上はかすかに動かす余地があったが、これにより完全に自由を失った。当然、体は拘束されたまま動かせない。
「さて女――間もなくお前を回収しに騎士がくる。それで晴れてお前は自由の身だ。司祭と連れの男に感謝するんだな。――だが、このままむざむざ返すのは癪だ。そこで、だ。お前には私の芸術を進呈しよう。なに、礼は必要ない。心ばかりの餞別だ。美しく完成された術式に好きなだけ酔いしれるといい」
ガジェギル中佐と呼ばれた男は、リッチェの口元を左手で押さえつけ、右手で頭頂部を乱暴に鷲づかみにする。直後にその指先から術式の気配がしたかと思うと、その気配が一気にリッチェの頭のなかに流れ込んでくる。それは比喩ではなく、脳に直接『何か』を行おうとしているようだ。
「――――ッ」
リッチェは声を上げようとしたが、すでに呂律が回らず十分な声量すら出せなかった。
平衡感覚が異常をきたしたのか、自分が今地面に対してどの体勢を保っているのかが分からなくなる。
同時に目はかすみ、光を必要以上にまぶしく感じる。
自分が呼吸出来ているのかすら分からなくなり――。
気が付けば、リッチェは建物の外にいた。
――?
何が起こったのか分からなかった。
服も身につけておらず、隣にいる女性――メルクイナの肩を借りて、辛うじて立っているような状態だ。
「約束通り、あとはあんたらの管轄だ。しっかり護衛するこった、ロロベニカさんよ」
声が聞こえてくる。ガジェギル中佐と呼ばれていた男の声だ。
「……ああ」
対面には別の男がいて、実に不愉快そうな口振りをしていた。虚ろな視線を向けると、そこにはロロベニカと呼ばれた兎の特徴が色濃い獣人が金属鎧を着込んで立っている。その横には2人の女性がいてロロベニカと同じような甲冑に身を包んでいる。その奥にはさらに10人程度の騎士が立っていて、3台の護送車が見える。
ロロベニカがリッチェに近づいてくる。
体の調子がおかしく状況が分からないなかで見知らぬ男性が近づいてきたことで、リッチェの心身が萎縮する。
ロロベニカは身につけていた外套を取ると、大きくはためかせ、リッチェの体を包み込んだ。
「もう大丈夫ですよ」
そう優しく言葉を添えながら。
その様子を見ていたビルケンジドッグが「ケッ」と乾いた笑いを浮かべ、ガジェギルは「偽善者が」と露骨な悪態をついていた。
そんな陰湿な空気に反応は返さず、ロロベニカは脇に控えた女性騎士にリッチェを任せる。
寄りかかるのがミルクイナの肩から女性の騎士になると、彼女は軽々とリッチェを抱きかかえ、踵を返すと護送車へと向かう。
向かうのは3台の護送車の内真ん中だ。周囲にネコ科の騎獣が控えている。
視界の端をロロベニカの方に向けると、背中が見えた。リッチェの方は向いておらず、ガジェギルが不審な動きをしないか警戒しているようだった。
「あァ、そうだ。バラギア閣下が言ってた件だが――無能極まるお前らを監視するって話だ」
ガジェギルはロロベニカに対してバカにしたような口調を織り交ぜ語る。
「明日、こいつを寄越す。くれぐれも、丁寧に扱ってくれよ。こいつは閣下のお気に入りなもんでね」
そう言いながらガジェギルはメルクイナの頭を乱雑に扱う。
「今から同行いただいても一向に構いませんが」
「『明日』と言ったよな? 騎士ってのは『明日』って概念を知らねぇのか? 騎士の低脳さがこれほどとは嘆かわしいな」
そんな煽りがロロベニカに吐き捨てられる最中に、リッチェを抱えたまま女性騎士が護送車に乗り込む。
「確かに引き渡していただきました」
リッチェがクッション性の高い椅子に降ろされていると、ロロベニカは端的に告げ踵を返した。
「あばよ。ゴミクズ野郎は二度と面見せんな!」
ビルケンジドッグの暴言を無視し、ロロベニカも護送車に乗り込む。すぐに護送車は動き始め、ガジェギルの姿もビルケンジドッグの姿も見えなくなった。
そしてガジェギルの禍々しい気配が遠のいたかと思えば、直後、まるで存在していなかったかのように気配がかき消えた。




