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【完結】脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【閑章4】冬を待つ王国

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【閑章4】第11話 残された道


 南方からの輸送隊が、予定より二日遅れてメルキアへ到着した。


 幸い、積荷に損害はなく、護衛についていた兵士にも負傷者は出ていない。運ばれてきたのは前線の部隊で使用する食料と装備の一部であり、到着が遅れたとはいえ、必要な物資は無事に届けられたことになる。輸送を担当した将校からの報告にも、敵軍との交戦や荷車の喪失といった重大な事故は記されていなかった。


 しかし、報告書を読み終えた私は、到着の遅れが生じた理由について詳しい説明を求めた。


「敵軍の襲撃を受けたわけではないのですね?」


「はい。直接の交戦はありませんでした。ただ、街道の状態が悪かったことに加え、敵の斥候と思われる小部隊が周辺で確認されたため、途中で経路を変更しております」


 輸送担当者は持参した地図を広げ、問題のあった区間を指し示した。メルキアから南へ延びる街道のうち、林に挟まれた一帯で敵の小部隊が目撃されており、輸送隊はその区間を避けて別の道へ回ったという。


 夜間の冷え込みで凍結した街道は、日が昇ると表面から緩み始め、場所によっては荷車の車輪が深く沈むほどの泥濘へ変わる。凍っている間なら通行できた道でも、日中には馬の足を取ることがあり、荷車を押し出すために兵士たちが降りて作業する場面もあったそうだ。


 そこへ敵軍の活動が重なったことで、輸送隊は予定していた道を使えなくなり、安全を確認しながら遠回りをすることになった。天候と敵の動きはそれぞれ別の問題だが、結果として同じ輸送隊の足を遅らせていた。


「荷車と馬は、すでに次の輸送へ回せる状態ですか?」


「馬を休ませる必要がありますので、出発は明後日になる見込みです。本来であれば、昨日のうちに次の積荷を受け取る予定でした」


「荷車の修繕は必要ありませんか?」


「車輪の一部に傷みが出ておりますが、交換するほどではありません。整備を済ませれば、次の輸送には使用できる見込みです」


 私は報告書に記された日程を確認した。


 物資が届いたという事実だけを見れば、今回の輸送は成功している。必要な食料と装備は届けられ、護衛兵も無事に帰還したのだから、現場の判断を責める理由はない。


 しかし、二日遅れたことで荷車と馬の使用予定がずれ込み、次の輸送にも影響が出ていた。運搬に使える荷車の数が変わらない以上、一度の輸送に時間がかかれば、同じ期間に運べる物資の量は減ってしまう。さらに、長く移動する分だけ馬に与える飼葉や護衛兵の食料も必要となり、輸送にかかる費用まで増えることになる。


「遅延によって、次の輸送予定にどの程度影響が出るのか確認してください。到着した物資の数量だけでなく、荷車と馬がいつ戻り、次にいつ出発できるのかも必要です」


「承知しました。次の輸送隊の予定と合わせて、改めて報告いたします」


 担当者が退出した後、私は机の上に置かれた別の報告書へ目を向けた。


 そこには、メルキア港へ入港する商船の予定が記されている。こちらも数隻の到着予定が変更されており、理由には天候の悪化や出航の延期などが挙げられていた。南方の街道と違い、敵軍の活動による直接的な影響はまだ大きくないものの、予定どおりに物資が届かなくなっている点では同じだった。


 私は港湾担当者へ連絡を送り、午後に港の状況を確認することにした。


     *


 午前中、私は軍の輸送担当者を王宮へ呼び、南方の街道について改めて説明を受けた。


 グラーフェン集積所の閉鎖以降、王軍は後方の拠点から前線へ物資を運んでいる。集積所を維持するために必要だった兵力を別の任務へ回せるようになった一方、輸送距離は以前より長くなり、途中で荷を集めたり馬を休ませたりできる場所も限られていた。


 集積所が機能していた頃は、そこまで物資を運び込んでおけば、前線の部隊が必要に応じて受け取ることもできた。しかし現在は、後方から出発した輸送隊がより長い距離を移動しなければならず、途中で問題が起きた場合に予定を立て直す余裕も少なくなっている。


 そのため、街道の状態が悪くなると、以前より大きな影響が出るようになっていた。


「現在、南方の主な輸送経路は利用できております。ただ、敵の小部隊が周辺で確認されることが増えており、輸送隊の護衛を強化する必要が出ています」


 担当者は地図の上にいくつか印を付けた。敵が確認された場所は一か所に集中しているわけではなく、街道から少し離れた林や丘陵地にも散らばっている。


「敵は街道を完全に遮断しようとしているのでしょうか?」


「今のところ、そのような動きは確認されておりません。主防衛線への大規模な攻撃もありません。ただ、斥候や小部隊による活動が増えており、輸送隊が警戒を強めなければならない状況です」


「輸送隊を狙った攻撃は?」


「現時点では限られております。ですが、敵の姿が確認された以上、護衛を付けずに通すわけにはまいりません。仮に襲撃を受けなくても、周辺の安全を確かめながら進む必要があります」


 私は地図を見ながら頷いた。


 敵軍が大規模な攻勢を始めたわけではないという説明には、ひとまず安心できる部分もある。しかし、直接攻撃を受けていなくても、輸送隊が敵を警戒しながら進まなければならないこと自体が負担になる。安全な経路を選ぶために遠回りをすれば時間がかかり、護衛を増やせば、その分だけ別の任務に使える兵士が減ってしまう。


「護衛を増やす場合、どの程度の兵力が必要になりますか?」


「すべての輸送隊へ十分な護衛を付けるとなれば、かなりの人数が必要になります。現在の警戒任務や即応予備隊の配置にも影響が出るでしょう」


「それでは、すべてを同じように扱うわけにはいきませんね」


 私は輸送予定の一覧を確認した。


 食料や飼葉のように継続して運ばなければならないものもあれば、装備の補充や修繕用の材料など、多少の遅れを許容できるものもある。もちろん、どれも必要な物資には違いないが、前線の部隊がすぐに必要としているものと、数日後までに届けばよいものでは緊急性が異なる。


「輸送品の重要度と経路の危険度を分けて整理できませんか。急いで届ける必要があるものは優先し、それ以外については安全な日程を選んで運ぶ方法もあるでしょう」


「可能だと思います。ただ、輸送をまとめれば護衛の人数は抑えられますが、一度に運ぶ物資が増える分、遅延した際の影響も大きくなります」


「ええ。すべてを一度に運ぶ必要はありません。例えば、食料のように継続して必要になるものは、数回に分けて運んだ方がよい場合もあるでしょう。輸送の規模と回数について、いくつか案を出していただけますか」


「承知しました。護衛に必要な人数も含めて整理いたします」


 軍の護衛兵をどこへ配置するかは、ボーマン総司令官をはじめとする軍司令部の判断になる。宰相府が一方的に兵力を動かすわけにはいかないが、輸送する物資の量や優先順位を整理し、軍が護衛計画を立てやすいようにすることはできる。


 担当者には、現在の輸送量を維持するために必要な荷車と馬の数に加え、護衛の条件が変わった場合の輸送計画をまとめてもらうことにした。輸送隊を増やせば解決するという単純な話ではなく、荷車を引く馬も、荷を積み下ろしする人員も、無制限に用意できるわけではないからだ。


「街道が使えなくなったわけではありません。今後も物資を運び続けるために、無理のない方法を考えましょう」


「承知しました。軍司令部とも相談し、改めてご報告いたします」


 担当者が退出すると、私は地図に記された輸送経路を見直した。


 王軍は今も南方の主防衛線を維持しており、メルキアへ通じる道が失われたわけではない。それでも、以前と同じように物資を運べなくなりつつあることは、今回の報告からも明らかだった。


     *


 午後、私はメルキア港を訪れた。


 海から吹き込む風には冷たい湿気が含まれており、岸壁へ近づくにつれて、潮の匂いに濡れた木材や積荷の匂いが混じってきた。港には数隻の商船が停泊し、穀物の入った袋や木箱が岸壁へ運び出されている。倉庫の前では商人たちが積荷を確認し、人夫たちは荷車へ袋を積み上げながら、次に運ぶ荷物について声を掛け合っていた。


 冬が近づいているとはいえ、港の仕事が止まっているわけではない。船から荷を下ろす者もいれば、次の航海に備えて水や食料を積み込む者もおり、岸壁には絶えず人が行き交っていた。


 一方、軍船が停泊する区画では、船体の整備や帆の修繕が進められていた。甲板では水兵たちが索具を点検し、岸壁には交換するための帆布や木材が積まれている。軍船の数が減ったわけではないものの、出航の準備を整えたまま港に留まっている艦もあるようだった。


 私は港湾担当者に案内され、海軍の担当将校と面会した。


「お忙しいところ、ありがとうございます」


「こちらこそ、宰相閣下にお越しいただき恐縮です。本日は商船の護衛について、ご説明したいことがございます」


 将校は港の見取り図を広げ、現在の護衛計画を示した。そこには商船の出航予定と、それに合わせて護衛へ出る軍船の配置が記されていたが、いくつかの日程には修正の印が付けられている。


「海軍から、護衛の回数を見直したいという要請が出ていると聞きました。敵船の活動が増えているのでしょうか?」


「警戒は続けておりますが、今のところ大規模な交戦は発生しておりません。今回の要請は、主に艦艇の運用上の問題によるものです」


「運用上の問題ですか?」


「はい。魔導推進装置に使用する魔石の備蓄が、少なくなっております」


 私は将校の説明を聞き、停泊している軍船へ目を向けた。


 王国海軍の軍船は、基本的に帆を利用して航行する。ただし、一部の艦艇には魔石を用いた補助推進装置が備えられており、風が弱い場合や港内での操船、戦闘時の短時間の機動などに利用されていた。


 帆を使わずに長距離を航行できるほど強力なものではないが、風向きに左右されず船を動かせることには大きな意味がある。特に戦闘では、敵船との距離を調整したり、必要なときに船の向きを変えたりできるだけでも、戦い方の幅が広がる。反対に、その力を使えなくなれば、風の状態によって取れる行動が限られてしまう。


「魔石の補充が難しくなっているのですね」


「はい。王都を失ったことで、以前利用していた充填設備や調達経路が使えなくなりました。魔石は使用すると内部に蓄えた魔力を消費しますが、再充填には専用の設備と時間が必要になります。現在のメルキアでは、以前と同じ量を確保することができません」


「それでは、軍船を出すこと自体が難しくなっているのでしょうか?」


「いえ、帆走による航行は可能です。哨戒や商船護衛も、引き続き実施しております。ただ、魔導推進を使用する機会を減らさなければ、いざ敵船と交戦した際に必要な魔石が残らなくなります」


 将校は護衛計画の一部を指し示した。


「これまでは、風向きや天候によって補助推進を使用することもありました。しかし今後は、戦闘や緊急時に備えて温存する方針です。そのため、商船の出航日程に合わせて軍船を動かすことが、以前より難しくなっております」


 私は頷いた。


 魔石が不足しているからといって、軍船が港に繋がれたまま動けなくなるわけではない。帆を使えば航海はできるし、護衛任務を続けることもできる。


 しかし、風向きが悪い場合に無理をして出航したり、商船の速度に合わせるために魔導推進を使用したりすれば、今後の戦闘に必要な備蓄を減らすことになる。護衛のために魔石を使い切ってしまえば、敵船が現れた際に軍船本来の力を発揮できなくなるかもしれない。


 海軍としては、限られた魔石をどの任務に使うか、慎重に判断しなければならないのだった。


「護衛そのものを減らしたいというより、実施できる条件が限られてきたということですね」


「そのとおりです。帆走だけで対応できる任務は継続します。ただ、天候や風向きによっては出航を延期し、複数の商船をまとめて護衛する必要が出てくるでしょう」


「分かりました。商人組合とも相談し、護衛計画に合わせて出航日程を調整できないか検討します」


「ありがとうございます。海軍としても、可能な限り商船の運航を支えるつもりです」


 将校は落ち着いた口調で答えた。


 私は港に停泊する軍船を改めて眺めた。帆や索具の点検をしている水兵たちの姿があり、次の出航へ向けた準備は今も続いている。彼らは任務を放棄しようとしているのではなく、限られた装備を使いながら、今後も活動を続けられるように運用を見直しているのだろう。


     *


 続いて私は、港湾担当者とともに商人組合の代表から話を聞いた。


 組合の事務所は港に面した建物の一角にあり、窓からは岸壁へ停泊している商船が見えた。室内には航海日程を記した一覧や積荷の記録が並べられ、代表の机には何冊もの帳簿が積まれている。


 商船の運航に影響しているのは、海軍の護衛計画だけではなかった。


 冬が近づくにつれてヴェルミニア海の天候は不安定になり、船主たちは航海日程に余裕を持たせる必要がある。そこへ戦争による危険が加わり、護衛を受けられる日程に合わせて出航を延期する船が増えていた。


「船を出せないというわけではないのです。ただ、以前と同じ条件で運航することが難しくなっております」


 商人組合の代表は、机の上に置かれた帳簿を開いた。


「護衛を待つために港へ留まれば、その間も船員の食料や船の維持費がかかります。航海が長引けば、次の積荷を運ぶ予定にも影響します。船主としては、その分を運賃に上乗せしなければ採算が合いません」


「出航を延期した船は、ほかの港での取引にも影響が出るのでしょうね」


「ええ。商船は一度荷を運べば終わりではありません。次の港で別の積荷を受け取り、さらに別の港へ運ぶ予定を組んでおります。ここで数日待つことになれば、その後の取引も遅れてしまいます」


 代表は帳簿の一か所を指で押さえた。


「こちらの船などは、本来ならすでに次の航海へ出ているはずでした。ところが護衛の日程が合わず、まだ港に留まっています。船主からは、次回の運賃を見直したいと申し入れが来ております」


 私は記載された日程を確認した。船を動かしていない間も費用はかかり、予定していた取引が遅れれば収入を得る機会も減る。船主たちが運賃の引き上げを求めるのは、単に利益を増やしたいからではなかった。


「魔石の価格についても、影響が出ているのでしょうか?」


「はい。魔導推進装置を備えた大型商船では、使用可能な魔石の調達費用が上がっております。帆走だけで航海することもできますが、風向きによっては予定が大きく変わりますので、魔石を確保できるなら備えておきたいという船主もおります」


 代表は困ったように笑った。


「もっとも、魔石を買えば費用がかかり、買わなければ航海日程に余裕を持たせなければならない。どちらにしても、以前より金がかかるということです」


 私は帳簿に記された運賃を確認した。


 商船は王国の命令だけで動くものではない。船主や商人たちは、自分たちの財産を使って物資を運んでいる。王国のために協力してくれる者が多いとしても、損失を負い続けることはできないだろう。


 仮に王国が運賃の引き上げを認めなかったとしても、それで輸送費用が減るわけではない。採算が合わないと判断した船主が航海を取りやめれば、メルキアへ運び込まれる物資の量そのものが減ってしまう。


「王国としても、必要な物資を運んでいただかなければ困ります。しかし、運賃の上昇分をすべて負担することは難しい状況です」


「承知しております。我々も、できる限り協力したいと考えております。ただ、船を動かすための条件が整わなければ、どうにもなりません」


「では、費用を増やさずに改善できる部分から考えましょう」


 私は港湾担当者へ目を向けた。


「海軍の護衛日程を、商人組合へ早めに知らせることはできますか?」


「海軍側と調整すれば可能だと思います。ただし、天候や軍の任務によって変更になる場合はあります」


「それは仕方ありません。少なくとも、出航の準備をした後で何日も待つよりは、最初から日程が分かっていた方がよいでしょう」


 商人組合の代表も頷いた。


「確かに、船員の手配や積荷の準備を調整しやすくなります。護衛が必要な船をまとめて出すのであれば、船主同士で日程を合わせることもできるでしょう」


「それから、王国が優先して必要としている穀物や保存食を運ぶ船については、荷役の順番を調整できないでしょうか。港での待機時間を減らせれば、船主の負担も少しは軽くなるはずです」


 港湾担当者はしばらく考えた後、答えた。


「すべての船を優先することはできませんが、対象を絞れば対応できると思います。ただ、荷役に使える人員や倉庫の空きにも限りがありますので、事前に積荷の内容を知らせていただく必要があります」


「それは組合側で協力できます。出航予定と積荷の数量が決まっている船については、あらかじめ一覧を提出しましょう」


「では、その条件をまとめてください。商人組合にも確認していただき、双方に無理のない方法を検討しましょう」


 私はそう指示した。


 もちろん、これだけで運賃の上昇を止められるわけではない。天候や戦争の危険は残っているし、海軍の魔石不足もすぐには解決しない。それでも、港での待機時間を減らし、出航予定を立てやすくすることなら、今の状況でも取り組めるはずだった。


 商人組合の代表は、具体的な条件が決まれば船主たちへ伝えると約束してくれた。私は港湾担当者にも海軍との連絡を依頼し、翌日までに調整できる船がないか確認してもらうことにした。


     *


 王宮へ戻った私は、東方のフロンティア大公国との交易状況を確認した。


 大公国との交易は現在も続いており、食料や生活物資の購入は維持されている。東の国境を越える輸送路は、南方の戦線から離れているため、比較的安定して利用できていた。王国が敗走してメルキアへ退いた後も、この交易路が維持されていることは、軍と市民の生活を支えるうえで大きな助けになっている。


 しかし、こちらにも限界があった。


「購入を希望する食料の量が、先月より増えていますね」


 私は交易担当者が提出した一覧を確認した。そこには穀物や保存食、燃料などの購入希望数量が記されており、前月と比べて増加している品目がいくつもあった。


「はい。軍の備蓄を増やす必要があることに加え、避難民の数も増えておりますので、民間からの需要も高まっています」


「大公国側からは、どのような回答が来ていますか?」


「継続して取引する意思は示していただいております。ただ、希望する数量をすべて用意できるとは限らないとのことです。向こうにも冬の備蓄が必要ですので」


 私は頷いた。


 大公国は王国に対して友好的な対応を続けている。避難民の受け入れも進めており、グリューンヴァルト大森林では新しい開拓地の整備が始まっているという。王国から逃れてきた人々が新しい土地で暮らし始めていることは喜ばしいが、その生活を維持するためには、大公国側にも食料や資材が必要になる。


 開拓地では住居を建て、道を整え、冬に備えた蓄えを用意しなければならない。受け入れた人々がすぐに自分たちの食料を十分に生産できるわけでもなく、当面は周辺の町や領地から物資を運び込む必要があるだろう。


 そのような状況で、メルキアが希望するだけの食料を無制限に売ってもらえると考えるわけにはいかなかった。


「輸送費用についてはどうでしょうか?」


「冬が近づいているため、荷車や馬の確保が難しくなり始めています。現在のところ大きな問題はありませんが、今後は運搬費用が上がる可能性があります」


「分かりました。購入量を急激に増やすより、継続して確保できる数量を優先しましょう」


 私は担当者へそう伝えた。


 大公国との交易は、王国にとって重要な補給手段になっている。しかし、それはあくまで対価を支払って行う取引であり、軍事支援でも無償の援助でもない。購入費用を用意できたとしても、相手側に売る余裕がなければ物資は手に入らず、運ぶための荷車や馬が足りなければ、取引が成立してもメルキアへ届くまでに時間がかかる。


 さらに、東方の交易路へ補給を集中させれば、何らかの事情で輸送が遅れた際の影響も大きくなる。南方の街道や海上交易が不安定だからといって、その不足分をすべて大公国へ求めるわけにはいかなかった。


「今後の購入予定について、大公国側と改めて確認してください。無理な数量を要求するのではなく、確実に取引できる範囲を把握したいのです」


「承知しました。購入数量と輸送日程を分けて確認いたします」


「お願いします。それから、価格が変わる可能性のある品目についても、早めに知らせてもらえるよう手配してください。契約を結んだ後で費用が増えることは、できるだけ避けたいのです」


 担当者が退出すると、私は机の上に並べられた報告書を見直した。


 南方の街道、ヴェルミニア海、そして東方の交易路。メルキアへ物資を運び込むための道は今も残されているが、どの道にも以前とは違う制約が生じていた。王国が必要としている物資の量は増えているのに、それを運ぶための条件は少しずつ厳しくなっている。


     *


 その日の夜、私は執務室で各部署から集めた報告書を整理していた。


 暖炉には火が入っていたが、部屋の隅には昼間の冷気が残っており、窓の近くへ寄ると外からの風を感じた。机の上には南方の街道に関する報告書、港湾の運航予定、大公国との取引記録が並べられている。どれも今日一日で確認した資料だが、改めて見比べると、それぞれの問題が別々の形で王国の補給を圧迫していることが分かった。


 南方の街道では、天候と敵軍の活動によって輸送時間が延びている。海上交易は続いているものの、海軍の護衛計画と船主の採算によって運航日程が制約されていた。東方の交易路は比較的安定しているが、供給量と費用には限界がある。


 いずれの経路も完全に失われたわけではない。それでも、以前と同じ量の物資を、同じ時間と費用で運ぶことは難しくなりつつあった。


 私は机の上に置かれた食料の備蓄一覧を手に取った。


 現在の備蓄量については、これまでも何度となく確認してきた。軍が保有する食料、民間商人の倉庫にある穀物、今後入港する予定の商船が運んでくる積荷など、それぞれの数量は把握している。王都を失ってからは、軍と民政の双方で物資の管理を見直し、どこに何があるのかを以前より正確に確認できるようになっていた。


 しかし、今日の報告を聞いているうちに、備蓄の数量だけでは今後の状況を判断できないことが、以前より明確になってきた。


 例えば、同じ量の食料が残っていても、次の補給が予定どおり届く場合と、到着までの時間が読めない場合では、使い方を変えなければならない。輸送に時間がかかるようになれば、途中で消費する食料や飼葉も増え、運搬に使える荷車の数も実質的に減ることになる。


 また、港に食料が積まれているとしても、それが王国の所有物とは限らない。民間商人の倉庫にある穀物は、必要になれば購入できる可能性があるものの、そのためには費用を用意しなければならず、商人が別の取引を予定している場合には、王国の希望どおりに買い取れるとも限らなかった。


 私は新しい用紙を取り出し、各輸送路について一定期間内に運び込める見込み量を整理し始めた。


 南方の街道については、現在の荷車と馬の数を基準に、輸送日数が延びた場合の運搬量を計算する。海上交易については、商船の入港予定と護衛計画を照らし合わせ、出航延期が生じた場合の影響を確認する。東方の交易路については、購入できる数量と輸送費用を分けて記載することにした。


 さらに、予定どおりに物資が届いた場合だけでなく、数日遅れた場合にどの程度の不足が生じるのかも確認する必要がある。すべての輸送が同時に遅れるとは限らないが、逆に、どの輸送も予定どおりに進むと考えるのは危険だった。


 私は翌朝、担当者たちへ新しい資料の作成を指示することにした。


 これまでのように現在の備蓄量を確認するだけでなく、今後どの程度の物資を運び込めるのか、そして輸送が遅れた場合にどれだけ変動するのかを把握する必要がある。数字を一つにまとめてしまえば見やすくはなるが、その数字がどの程度確かなものなのか分からなければ、判断を誤るおそれがある。


 計算を進めると、メルキアがすぐに食料不足へ陥るわけではないことも分かった。交易は続いており、軍の備蓄も一定量は確保されている。今の段階で慌てて大量の食料を買い集めれば、国庫の負担が増えるだけでなく、民間の価格まで押し上げてしまうかもしれない。


 しかし、輸送に必要な時間と費用が増え続ければ、現在の備蓄を維持することは次第に難しくなるだろう。だからこそ、どの経路でどれだけの物資を運べるのかを把握し、状況が変わったときに早く対応できるようにしておかなければならなかった。


 私は途中まで作成した資料をまとめ、翌日の軍議で説明する項目を書き出した。


     *


 翌日、私はグスタフ陛下へ輸送状況について報告した。


 出席していたのは、陛下のほかにボーマン総司令官とフェルディナント殿下だった。私は各輸送路の状況をまとめた資料を机へ広げ、まず現在も利用できている経路と、その輸送量について説明を始めた。


「現在、メルキアへ通じる補給路はいずれも維持されております。南方の街道も利用可能であり、海上交易と大公国との取引も続いております」


 陛下は資料に目を通しながら、続きを促した。


「ただし、南方では天候と敵軍の活動によって輸送時間が延びております。海上では護衛計画の制約と運賃の上昇が問題となり、東方の交易路についても、購入できる数量と輸送費用に限界がございます」


「つまり、道は残っているが、以前と同じだけの物資を運べるとは限らんということか」


「はい。特に輸送にかかる時間が延びていることが問題です。現在の備蓄量だけでなく、今後どれだけ補給できるかを確認する必要があると考えております」


 陛下は頷き、海上輸送に関する資料へ目を向けた。


「海軍の魔石不足についても報告を受けている。護衛任務への影響は、どの程度になるのだ?」


「帆走による護衛は継続可能です。ただ、魔導推進を戦闘時や緊急時に温存する必要があるため、天候や風向きによっては出航を延期することになります。海軍と商人組合で日程を調整し、できる限り輸送への影響を抑える方針です」


「なるほど。軍船を無理に動かして、いざというときに戦えなくなっては困るな」


 陛下はそう答えると、ボーマン総司令官へ目を向けた。


「南方の状況はどうだ?」


「主防衛線は維持できております。敵の小部隊による活動は増えておりますが、現時点で大規模な攻勢の兆候は確認されておりません」


 ボーマン総司令官は落ち着いた口調で答え、地図に記された街道の一部を指し示した。


「輸送路の警戒についても対応は可能です。ただし、護衛へ兵力を割きすぎれば、主防衛線の維持や即応予備隊の運用に影響が出る可能性があります。軍司令部としても、輸送の優先順位に応じて護衛を調整したいと考えております」


「分かった。アルフォンス、軍司令部と協力して輸送計画を見直してくれ」


「承知いたしました。輸送品の優先順位と必要な数量を整理し、軍司令部へ提出いたします」


 続いて、フェルディナント殿下が口を開いた。


「荷車や馬の確保についても、こちらで確認を進めます。輸送距離が延びているのであれば、途中で休ませる場所の整備も必要になるでしょう。馬を無理に使い続ければ、結局は輸送そのものが滞ってしまいます」


「ありがとうございます、殿下。輸送担当者から必要な条件をまとめさせますので、軍司令部ともご相談いただければと思います」


 殿下は頷き、資料の一部へ目を向けた。


「一つ確認したいのですが、仮にいずれかの輸送路が使えなくなった場合、残る経路だけで現在と同じ量の物資を確保することは可能なのでしょうか?」


 私は机の上に広げた資料を確認した。まだすべての数字が揃っているわけではないが、現在の輸送能力から考えれば、答えはある程度明らかだった。


「難しいと思われます。特に海上交易が大きく制約された場合、東方からの輸送だけで不足分を補うことはできません。南方の街道についても、現在の荷車と馬の数では、輸送量を急激に増やすことは難しいでしょう」


「では、どの経路も使える今のうちに、代わりの輸送方法についても考えておく必要がありますね」


「はい。各経路の輸送能力を改めて確認し、どの程度まで補えるのかを整理するつもりです」


 陛下は二人のやり取りを聞きながら資料を見比べていたが、やがて口を開いた。


「今のところ、補給路は維持されている。ならば、まずはそれを守ることが重要だ」


 私は頷いた。南方の主防衛線が維持され、港には商船が入り、大公国との取引も続いている。現時点でメルキアの防衛を諦めなければならない状況ではない。


「ただし、状況がさらに悪くなった場合のことも考えておかねばならん。軍司令部と宰相府で、輸送路が制限された場合の対応を検討してくれ」


「承知いたしました。必要な資料を整理し、改めてご報告いたします」


 陛下はボーマン総司令官とフェルディナント殿下にも目を向け、補給路の維持と輸送計画の見直しを進めるよう指示した。ボーマン総司令官は軍の警戒配置と輸送護衛の調整を引き受け、フェルディナント殿下も荷車や馬の確保について確認を進めることになった。


 軍議はその方針でまとまり、私は資料を持って執務室へ戻った。


     *


 執務室へ戻ると、私は各部署へ送る指示書の作成に取りかかった。


 南方の街道については、輸送予定と護衛計画の調整を軍司令部へ依頼する。海上交易については、海軍の護衛日程と商船の運航計画をすり合わせ、出航延期による負担を減らす方法を検討してもらうことにした。


 東方の交易路についても、継続的に購入できる物資の数量と輸送費用を確認し、今後の調達計画に反映させる必要がある。いずれもすぐに結果が出る仕事ではないが、担当者と報告期限を決めておかなければ、状況が変わったときに対応が遅れてしまう。


 私は担当者ごとに必要な資料と報告期限を記載し、完成した指示書を順番に確認していった。軍司令部へ送る書類には輸送品の優先順位を添え、港湾担当者へは海軍と商人組合の調整結果を報告するよう求める。大公国との交易担当者には、購入数量と運搬費用を分けて確認するよう、改めて指示を記した。


 その途中、港湾担当者から新しい報告が届いた。


「宰相閣下、昨日ご相談いただいた商船の出航日程について、海軍との調整が一部まとまりました」


「そうですか。どの船でしょう?」


「穀物を運ぶ予定の商船です。護衛の都合で出航を延期しておりましたが、明日の朝には港を出られる見込みになりました」


 私は報告書を受け取り、船の名前と積荷の数量を確認した。


 護衛計画を見直したことで、出航の見込みが立ったらしい。予定が確定したわけではなく、天候によっては変更になる可能性もあるが、少なくとも港で待ち続ける状態からは前進していた。


「分かりました。商人組合にも連絡をお願いします。それから、出航後の予定についても確認しておいてください。次の寄港地での積荷の受け取りに影響が出るようでしたら、早めに知らせてもらえると助かります」


「承知しました。港湾担当者から船主へも確認いたします」


 担当者が退出すると、私は商船の予定を帳簿へ記入した。


 輸送の問題が解決したわけではない。南方の街道では引き続き警戒が必要であり、海軍の魔石不足も、大公国との交易量の限界も残っている。それでも、現場で調整できることはあり、実際に一隻の商船が出航できる見込みになった。


 私は帳簿を閉じ、次の輸送予定を記した書類を手に取った。今度は南方の街道を利用する荷車の手配について確認しなければならず、軍司令部から届いた新しい日程表には、馬の休養日と護衛の配置について、いくつか確認を要する箇所があった。


 私は日程表を机の中央へ広げ、担当者へ問い合わせる項目を書き出していった。


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