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【完結】脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【閑章4】冬を待つ王国

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【閑章4】第6話 逃れてきた人々


 訓練場の一角で、負傷者役の兵士を担架へ乗せた二人の歩兵が、行き先を決めかねて立ち止まっていた。少し離れた場所では魔法騎士が周囲を警戒しているものの、搬送を担当する兵士たちへ具体的な指示を出す様子はない。


「どうしたの? 早く運びなさい」


 私が声をかけると、片方の兵士が困ったように答えた。


「団長、搬送先の指示がありません。後方へ運べと言われましたが、どこまで下がればよいのか分からなくて……」


 私は少し離れた場所に立っている魔法騎士へ視線を向けた。


「あなたが搬送の指揮を執っていたわね?」


「はい。敵の攻撃を受けた想定でしたので、後方へ退避させるよう指示しました」


「後方というだけでは、運ぶ側は困るでしょう。敵が突破してきた場合、どこまで安全なのかも分からないのよ」


「申し訳ありません」


「謝る必要はないわ。今は訓練なのだから、問題が見つかった方がいいの」


 私は訓練場の端に設けた救護地点を示し、搬送経路と指揮系統を改めて確認するよう命じた。魔法騎士が具体的な行き先を伝えると、歩兵たちは担架を持ち上げ、指定された場所へ向かって走り始める。


 メルキアへ撤退してから、魔法騎士団では通常の戦闘訓練に加え、歩兵部隊との連携を重点的に確認していた。


 王軍の兵力は決して少なくないものの、王都からの撤退を経た今、各部隊の編成は以前とは大きく変わっている。負傷者や補充兵を抱えた部隊も多く、かつてのように慣れた顔ぶれだけで行動できるわけではなかった。


 特に、敵の突破に対応する即応予備隊では、異なる部隊の兵士が短時間で協力する必要がある。


 魔法騎士が敵の進撃を食い止め、その間に歩兵が負傷者を後送する。言葉にすれば簡単だが、実際には誰が指示を出し、どこへ退避させ、次にどの部隊が前へ出るのかを決めておかなければならない。指揮官が意図を理解していても、それが現場の兵士へ正確に伝わらなければ、部隊は思うように動けないのである。


 訓練を重ねるにつれ、そうした問題が少しずつ明らかになっていた。実戦で同じ間違いを繰り返さないためにも、今のうちにできるだけ多くの不備を見つけ、改善しておく必要がある。


「団長」


 副官が近づいてきた。


「市内の避難民受け入れ施設から、応援の要請が届いております」


「避難民?」


「はい。エルンフェルト砦周辺から退避した住民が、今朝まとまって到着したそうです。護衛部隊からの引き継ぎは進んでおりますが、体調を崩した住民や高齢者の搬送に人手が足りないとのことで」


 私は頷いた。


 エルンフェルト砦は、メルキア南方に設けられていた前進拠点の一つだった。王軍は先日、防衛線を整理するために砦からの撤収を決め、周辺の住民にも避難を求めている。


 その判断については、私も軍議で報告を受けていた。


 兵力を分散させたまま前進拠点を維持するより、主防衛線へ戦力を集中させた方がよい。軍事的には理解できる判断だったが、そこに暮らす住民にとっては、住み慣れた土地を離れることを意味していた。


「分かったわ。私が様子を見てくる」


「訓練はいかがいたしましょう」


「予定どおり続けて。搬送経路の確認が終わったら、次は部隊交代の訓練に移りなさい。私が戻るまで、あなたに任せるわ」


「承知しました」


 私は副官に訓練の指揮を預けると、当面の訓練に支障が出ない範囲で隊員を数名選び、市内へ向かった。


     *


 避難民の受け入れ施設は、メルキアの港から少し離れた倉庫街に設けられていた。


 以前は商人たちが荷物を保管していた建物らしいが、現在は内部を仕切り、避難してきた住民が一時的に滞在できるよう整備されている。窓の少ない倉庫には新たに明かりが設けられ、床には毛布や簡素な寝具が並べられていた。


 建物の前には荷車が何台も並び、荷物を降ろす兵士たちの姿があった。


 家財道具を抱えた住民が列を作り、担当官の指示に従って建物へ入っていく。小さな子供を連れた母親もいれば、杖を頼りに歩く老人もいた。皆、長い移動で疲れているようだったが、少なくとも道中で大きな襲撃を受けた様子はなかった。


「魔法騎士団のユリアナです。応援の要請を受けて来ました」


 入口で指揮を執っていた官吏に声をかけると、男性はほっとした表情を浮かべた。


「これは団長閣下。お忙しいところ、ありがとうございます」


「状況を教えてもらえるかしら」


「はい。エルンフェルト周辺からの避難民が、護衛部隊とともに到着しております。移動中に大きな被害はありませんでしたが、体調を崩した方が何名かおられまして。それに、荷物を運ぶ人手も足りません」


 官吏は手元の帳簿を開きながら説明を続けた。


 避難民は到着した順番に名前と家族構成を登録し、健康状態を確認したうえで宿泊場所を割り当てられる。受け入れ先はこの倉庫だけではなく、市内の空き家や共同宿泊所、救護施設などにも分かれているという。


 家族が別々の場所にならないよう調整しているものの、人数が多く、確認には相当な時間がかかっていた。特に高齢者や幼い子供を連れた家族は移動にも手助けが必要で、受付を終えてから宿泊場所へ向かうまでに長く待たされることもあるらしい。


「なるほど。私たちは搬送と荷物の運搬を手伝うわ。登録や宿泊場所の割り当ては、そちらの指示に従わせてちょうだい」


「助かります」


 私は同行した隊員たちへ役割を伝えた。


 歩行が難しい住民の搬送、荷車からの荷下ろし、宿泊場所までの荷物運び。いずれも特別な魔法を必要とする仕事ではないが、こうした作業に人手を取られなければ、担当官たちも登録や案内に集中できるはずだった。


 私自身も、建物の入口で立ち往生していた年配の女性へ声をかけた。


「荷物をお持ちしましょうか」


「あら、悪いねえ。兵隊さんにそんなことまで頼んで」


「気にしないで。どちらへ運べばいいのかしら」


 女性が指さした先には、毛布を敷いた簡素な寝床が並んでいた。


 私は小さな木箱を持ち上げ、彼女と一緒に建物の奥へ向かった。木箱には衣類や食器が詰められているらしく、見た目よりも重かった。


「随分と大切な荷物なのね」


「家から持ってこられたものは、これくらいだからねえ」


 女性は寂しそうに笑った。


「畑も家も、全部置いてきたよ。息子が残って片づけようとしたんだけど、兵隊さんが早く出た方がいいって言うもんだから」


「そうだったの」


「仕方ないことだって分かってるんだけどね。あそこには、もう何十年も住んでたから」


 私は木箱を寝床の脇へ置いた。


 女性は礼を言うと、箱の蓋がきちんと閉まっているか確かめた。中には古びた食器や丁寧に畳まれた衣類が収められており、どれも長年使い続けてきたものなのだろう。彼女は食器の一つを確かめるように触れてから、静かに蓋を閉じた。


「ねえ、団長さん」


「何かしら」


「私たち、いつになったら村へ帰れるんだろうね」


 私は、すぐには答えられなかった。


「兵隊さんたちは、また戻れると言ってくれたんだけどね。あの家がどうなってるか、気になって仕方ないんだよ」


 護衛に当たった兵士たちは、住民を安心させようとしたのだろう。彼らも故郷を離れる人々を目の前にして、何か言葉をかけずにはいられなかったのかもしれない。


 しかし、エルンフェルト砦から撤収した王軍が、いつ再び周辺の安全を確保できるのかは分からない。


 砦を放棄したからといって、すぐに敵が村を占領したとは限らなかったが、少なくとも今は住民を戻せる状況ではなかった。敵の偵察部隊が周辺へ入り込む可能性もあり、護衛なしでの帰還を認めれば、避難させた意味そのものが失われてしまう。


「ごめんなさい。いつ帰れるかは、私にも分からないの」


「……そうかい」


「でも、ここでの暮らしに困らないよう、できる限りの手配はするわ。必要なものがあれば、担当の人に相談してちょうだい」


 女性はしばらく私を見つめ、それから小さく頷いた。


「ありがとうね。帰れないって決まったわけじゃないんだものね」


「ええ。ただ、今はここで身体を休めて」


 私は女性が寝床へ腰を下ろすのを見届け、次の荷物を運ぶために入口へ戻った。


     *


 昼前になると、受け入れ施設の中は少し落ち着きを取り戻していた。


 到着した住民の大半が登録を終え、宿泊場所への移動も進んでいる。私たちが手伝っていた荷物の運搬もようやく一段落し、隊員たちは担当官の指示を受けながら、残っている荷車の確認を始めていた。


 その時、隣接する配給所の方から、男の大きな声が聞こえてきた。


「だから、三人だって言ってるだろう!」


 振り向くと、配給窓口の前で一人の男性が担当官と言い争っていた。男性の傍らには幼い子供を抱いた女性が立っており、子供は父親の声に驚いたのか、不安そうに周囲を見回している。


「どうしたの?」


 私が近づくと、男性は一瞬身構えた。


「い、いえ、別に兵隊さんに逆らおうってわけじゃ……」


「分かっているわ。何があったのか聞かせてちょうだい」


 男性は困ったように妻へ目を向け、それから説明を始めた。


「俺たちは三人家族なんです。でも、食料を受け取ろうとしたら、二人分しか渡せないって言われて……」


 担当官が帳簿を示した。


「こちらの登録では、ご夫婦二名となっております。お子さんの記載がないのです」


「そんなはずないでしょう。最初にちゃんと三人だって言いましたよ」


「申し訳ありません。ただ、登録人数と配給人数が一致しないまま渡してしまうと、後で確認ができなくなりますので」


 男性は苛立った様子で頭をかいた。


「それは分かりますけど、子供に食べさせるものが足りないんですよ。こっちは朝から何も食べてないんです」


 私は帳簿を確認させてもらった。


 確かに、男性と妻の名前は記されているが、子供の欄は空白になっていた。記入した者が聞き漏らしたのか、別の書類から転記する際に抜けたのかは分からないものの、目の前に三人家族がいることは確かだった。


「お子さんは、こちらで一緒に登録されたのね?」


「はい。最初からずっと一緒です」


「分かったわ」


 私は担当官へ向き直った。


「家族構成を確認して、登録を修正できるかしら」


「もちろんです。ただ、最初の受付記録も確認する必要がありますので、少しお時間をいただければ」


「お願いするわ。その間、お子さんだけでも先に食事を取れるようにできないかしら。救護施設で対応してもらえるか確認してみる」


 担当官は頷き、別の職員へ指示を出した。


 私は男性にも事情を説明した。


「記録を直してもらうわ。少し待ってもらえる?」


「……はい。すみません、大声を出してしまって」


「疲れているのは分かるわ。でも、担当の人も必要な仕事をしているの。そこは理解してあげて」


「分かってます。分かってるんですけど……」


 男性は子供の顔を見て、言葉を濁した。


 私はそれ以上責めることはしなかった。


 長い避難の末にようやく安全な場所へ着いたと思ったら、今度は食料を受け取るために説明を繰り返さなければならない。彼が苛立つ気持ちも理解できるし、担当官が記録を確認せずに食料を渡せない事情も分かる。


 限られた物資を大勢に配る以上、誰にどれだけ渡したのかを正確に把握することは欠かせない。目の前の一人に融通を利かせることが、別の誰かへの配給を滞らせる原因になる場合もあるのだ。


 しばらくして、受付記録の確認が終わった。


 子供の名前は別の書類に記されており、配給用の帳簿へ転記する際に漏れていたことが分かった。担当官は登録を修正し、家族三人分の配給を用意した。


「申し訳ありませんでした。こちらの確認不足です」


「いえ、俺の方こそ……。助かりました」


 男性は深く頭を下げ、妻と子供を連れて窓口を離れていった。


 私はその後ろ姿を見送りながら、担当官へ声をかけた。


「こういうことは、よくあるの?」


「今日はこれが初めてですが、今後は増えるかもしれません」


 担当官は疲れた表情で帳簿を閉じた。


「受け入れ人数が増えていますので、記録の確認が追いつかなくなりつつあります。書類の様式は統一されているのですが、記入する者が違えば、どうしても間違いが起きます」


 私は頷いた。


 王軍でも、所属人数と実際の支給対象人数が一致しない問題が起きていたと聞いている。アルフォンスが帳簿の様式を整理し、確認手順を見直している最中だったはずだ。


 行政の側でも同じような問題が起きているのだろう。


 制度を整えれば、間違いを見つけやすくはなる。しかし、それだけで間違いそのものがなくなるわけではない。避難民の数が増え、受付を担当する者が交代し、慣れない仕事を急いで処理すれば、どうしても見落としは生じる。


 だからこそ、間違いが起きた時に誰が確認し、どの記録を修正するのかを決めておく必要があるのだと思った。


「何か、こちらで手伝えることはあるかしら」


「ありがとうございます。ただ、登録や配給の確認は、こちらで責任を持って行わなければなりません。軍の方には、今のように搬送や警備を手伝っていただけるだけで十分です」


「分かったわ。必要なことがあれば、遠慮なく知らせて」


 担当官は礼を述べ、次の住民を窓口へ呼んだ。


     *


 午後、魔法騎士団の詰所へ戻ると、副官が訓練の報告をまとめていた。


「お帰りなさいませ、団長」


「訓練はどうだった?」


「搬送経路の指定については改善が見られました。ただ、部隊交代の際に指揮が重複する場面がありましたので、明日改めて確認する予定です」


「そう。では、そのまま進めてちょうだい」


 私は報告書を受け取り、机へ腰を下ろした。


 訓練場を離れていたのは半日ほどだったが、その間にも南方の防衛線から新しい報告が届いていた。敵の偵察活動は続いているものの、主防衛線に対する大規模な攻撃は確認されていない。ただし、前進拠点からの撤収によって警戒範囲が変わったため、斥候の巡回経路を調整する必要があるという。


 私は報告書を読みながら、副官へ尋ねた。


「市内への応援について、何か追加の連絡はあった?」


「はい。受け入れ施設から、今後も継続して人員を派遣できないかとの相談が来ております」


「やっぱりそうなるわね」


「団長。魔法兵団から、もう少し人員を出すことはできないでしょうか。避難民の中には体調を崩した者もいるようですし、魔法を使える者がいれば助かるのではないかと」


 私は少し考えた。


 確かに、魔法を扱える者が支援に加われば、できることは増える。しかし、魔法騎士団の隊員が全員、治癒魔法に精通しているわけではない。魔道士団にもそれぞれの任務があり、医療を必要とする住民のために、自由に人員を動かせるとは限らなかった。


 何より、魔法兵団は王軍の戦闘部隊である。


 南方の防衛線では、いつ敵の攻撃が始まってもおかしくない。即応予備隊の訓練を中断してしまえば、いざという時に部隊が十分に機能しなくなるおそれがあった。


「気持ちは分かるわ。でも、私たちが何でも引き受けるわけにはいかないの」


「では、応援は打ち切りますか?」


「いいえ。必要な支援は続ける。ただし、仕事を整理しましょう」


 私は紙を取り出し、受け入れ施設で行われていた作業を思い返した。


「荷物の運搬、歩行が難しい人の搬送、夜間の警備、それから緊急時の連絡。このあたりは、私たちでも十分に手伝えるわ」


「医療については?」


「専門の担当者に任せましょう。治癒魔法が必要な場合は、対応できる者がいるか確認することになるけれど、診察や治療の判断まで私たちが引き受けるべきではないわ」


「承知しました」


「配給や宿泊場所の割り当ても同じよ。行政の仕事は行政に任せる。私たちは、足りない人手を補うの」


 副官は頷き、私の指示を書き留めた。


 私は続けて、隊員を交代で派遣する勤務体制を検討するよう命じた。


 一部の者だけに負担が集中すれば、訓練にも警備にも支障が出る。短期間なら無理も利くだろうが、避難民の受け入れがいつまで続くか分からない以上、最初から継続できる形にしておく必要があった。


 また、応援に出る隊員が毎回異なれば、施設側もその都度説明をしなければならない。できるだけ同じ仕事を担当できるよう組み合わせを考え、引き継ぎの方法も決めておくべきだろう。


「明日の訓練人数は減らさないで。応援に出す隊員は、勤務の交代を調整して確保しましょう」


「分かりました。案を作成いたします」


 私は頷き、次の報告書へ目を通した。


 避難民を助けることも大切だが、王軍が防衛線を維持できなくなれば、メルキアの住民も避難してきた人々も危険にさらされる。目の前の仕事に追われるあまり、本来の任務を疎かにするわけにはいかなかった。


     *


 夕方、受け入れ施設の担当官から連絡が入り、私は再び倉庫街へ向かった。


 今後の受け入れ体制について協議するため、行政側の責任者たちが集まるという。軍からの支援内容も確認したいとのことだったので、私も出席することにした。


 会議に使われている部屋へ入ると、見慣れた人物が机の向こうに座っていた。


 アルフォンスだった。


 彼は数名の官吏に囲まれ、食料と寝具の在庫について報告を受けているところだった。机には配給記録や輸送予定をまとめた書類が広げられ、その脇には、まだ確認を終えていないらしい帳簿が積まれている。


「ユリアナ団長。お忙しいところ、申し訳ありません」


 私に気づいたアルフォンスが、書類から顔を上げた。


「いえ。こちらも、今後の支援について相談したいと思っていましたので」


「それは助かります。どうぞ、お掛けください」


 私は勧められた椅子へ腰を下ろした。


 アルフォンスとは、王都にいた頃から長い付き合いになる。互いの立場も仕事の内容も、よく理解しているつもりだったが、こうして公務の場で顔を合わせる時には、必要以上に親しげな態度を取ることはない。


 彼は王国の宰相であり、私は魔法騎士団長である。それぞれに果たすべき責任があり、周囲の者たちもその立場を前提に仕事をしている。


 もっとも、私たちが長年親しい間柄にあることを知らない者ばかりではなかった。王都にいた頃から、何となく事情を察している者も少なくなかったのである。


 由緒ある公爵家の出身であるアルフォンスと、騎士爵家の娘である私では、家柄に大きな隔たりがある。公の立場で関係を認めれば、互いの仕事や周囲の評価にも影響が及ぶ可能性があった。


 だからといって、長年の付き合いまで隠し通せるものではない。私たちは互いの立場を尊重しながら、必要な距離を保つようにしていたし、周囲もまた、そのことをわざわざ話題にすることはなかった。


「まず、現在の受け入れ状況から確認しましょう」


 アルフォンスが口を開いた。


 担当官の報告によれば、エルンフェルト砦周辺からの避難民は、当初の見込みより多くなっていた。周辺の村だけでなく、避難の知らせを聞いた別の集落からも住民が合流してきたためだという。


 受け入れ施設そのものには、まだ多少の余裕がある。しかし、寝具や食料の配分については、今後の到着人数を踏まえて見直す必要があった。


「港からの物資は、予定どおり入ってきているのでしょうか」


 私が尋ねると、アルフォンスは頷いた。


「現時点では、大きな遅れはありません。ただ、船の入港は天候にも左右されます。今の配給量を維持できるかどうかは、今後の輸送状況を見ながら判断する必要があります」


「軍への補給にも影響が出ますか?」


「可能性はあります。ただし、軍の食料を減らせばよいという話ではありません」


 アルフォンスは机の上に広げられた資料を指さした。


「防衛線を維持するには、兵士たちが十分に食事を取れることが前提になります。一方で、市民への配給を削りすぎれば、病人が増え、救護施設への負担も大きくなるでしょう。どちらか一方だけを優先して済む問題ではありません」


 私は頷いた。


 軍の補給と住民の生活は、別々の問題のように見えて、実際には深く結びついている。兵士が戦えなくなれば住民を守ることはできないが、住民の暮らしが成り立たなくなれば、軍を支える街そのものが機能しなくなってしまう。


 王都にいた頃であれば、各地から物資を集め、不足している地域へ送ることもできた。しかし、今の王国が確実に支配している地域は限られており、メルキアへ運び込める物資にも制約がある。


 限られた食料を、軍と住民の双方へどう配分するか。その判断は、これからますます難しくなるのだろう。


「今日、配給所で登録の間違いがありました」


 私は昼間の出来事を説明した。


 家族三人のうち子供一人が配給用の帳簿から漏れ、食料を受け取れなくなっていたこと。受付記録を確認した結果、転記の際に記載が抜けていたと分かったこと。


 アルフォンスは途中で口を挟まずに聞いていた。


「なるほど。受付と配給で別の記録を使っているのですね」


「ええ。様式は統一されているそうですが、確認に時間がかかっていました」


「軍の補給でも似た問題がありました。記録の形式を揃えるだけでは、実際の人数との食い違いを完全には防げません」


 アルフォンスは担当官へ向き直った。


「今後は、受付記録と配給台帳を照合する担当者を決めてください。登録内容に不備があった場合、どこへ確認を求めるかも明確にしておきましょう」


「承知いたしました」


「ただし、確認作業のために配給そのものが滞るようでは困ります。緊急の対応が必要な場合は、救護施設とも連携してください」


 担当官は指示を書き留めた。


 続いて、避難民の就労登録についても話し合われた。


 港の荷役や倉庫の整理、宿泊施設の整備など、メルキアには人手を必要としている仕事がある。避難してきた住民の中にも、働ける者は少なくないはずだった。


 ただし、誰もがすぐに仕事へ就けるわけではない。幼い子供や高齢者を抱える家族もいれば、長旅で体調を崩している者もいる。就労可能な者を把握し、それぞれの事情に応じて仕事を紹介する必要があった。


 また、港での荷役や倉庫の管理には、それぞれ責任者がいる。避難民を受け入れるからといって、既に働いている者たちの仕事を無計画に奪うわけにもいかない。人手が不足している場所を確認し、必要な人数を調整することが重要だった。


 アルフォンスは受け入れ人数の再集計と配給計画の見直しを指示し、担当官たちへ必要な書類を整えるよう命じた。


 私は魔法騎士団から派遣できる人員と支援内容を報告した。


 搬送、運搬、夜間警備、緊急連絡については交代制で対応すること。ただし、即応予備隊の訓練と南方の警戒任務を維持する必要があるため、派遣人数には限りがあることも説明した。


「十分です。継続して協力いただけるだけでも、大きな助けになります」


 アルフォンスはそう言って、静かに頷いた。


 私は彼の顔を見た。


 いつもどおり落ち着いた表情だったが、目元には疲れが見える。王都にいた頃から、仕事を抱え込むとこういう顔になることを、私はよく知っていた。


 もっとも、この場で指摘するつもりはなかった。


 会議が終わり、担当官たちが書類をまとめ始めたところで、私は椅子から立ち上がった。


     *


「ユリアナ団長。少しだけよろしいでしょうか」


 帰ろうとした私を、アルフォンスが呼び止めた。


「はい。何でしょうか」


「明日以降の派遣について、もう一点確認したいことがあります」


 私は頷き、机の傍へ戻った。


 担当官たちは必要な書類を持って退室し、やがて部屋には私たち二人だけが残った。


 アルフォンスは翌日の受け入れ予定について簡単に確認すると、書類を閉じた。


「助かったよ。軍の方も忙しいだろうに」


「お互い様でしょう。それより、あなた」


「何だい?」


「また食事を抜いたんじゃない?」


 アルフォンスは少し驚いたように私を見た。


「そんなことはない。昼には食べたよ」


「何を?」


「パンを一つだったかな」


「……それ、食事をしたって言わないわよ」


「何も食べないよりはいいだろう」


「そういう問題じゃないの」


 私は呆れて腕を組んだ。


 この人は昔から、仕事に集中すると食事を後回しにする癖がある。王都にいた頃も、執務室へ顔を出すたびに似たようなやり取りをしていた。仕事の手を止めさせるのは簡単ではなかったが、食事を持っていけば文句を言いながらも食べるので、結局は私が世話を焼くことになる。


 もっとも、私も忙しい時には食事の時間が不規則になるため、あまり偉そうなことは言えない。


「君はどうなんだ。今日は随分と忙しかったようだが、ちゃんと食べたのか?」


「食べたわよ。配給所で少し騒ぎがあったから、遅くなったけれど」


「それならよかった」


「自分のことを棚に上げて、何を安心してるのよ」


 アルフォンスは苦笑した。


「まったく、君には敵わないな」


「今さら何を言ってるの」


 私は椅子の背に手を置き、少しだけ息を吐いた。


 朝から訓練場と受け入れ施設を行き来していたせいか、思っていた以上に疲れていた。普段であれば気にならない程度の疲労だったが、ここ数日は南方の警戒任務も重なり、十分に休めていない隊員もいる。自分だけが疲れた顔を見せるわけにはいかないと思っていたものの、アルフォンスの前では、つい気が緩んでしまうことがあった。


「……今日ね、避難してきた人に聞かれたの」


「何を?」


「いつ村へ帰れるのかって」


 アルフォンスの表情が少し変わった。


「そうか」


「護衛の兵士たちは、また戻れると言ってくれたそうよ。きっと、安心させたかったんでしょうね」


「そうだろうな」


「でも、私にはいつ帰れるかなんて言えなかったわ」


 アルフォンスはしばらく考えてから答えた。


「難しい質問だな。今の我々には、帰還の時期を約束することはできない」


「ええ。分かっているのよ。それでも、何も言えないのはつらいものね」


 私は窓の外へ目を向けた。


 倉庫街には、まだ荷車を片づける人々の姿があった。今日到着した住民たちは、今夜からこの街で暮らすことになる。明日になれば、また別の住民が到着するかもしれない。


 王都にいた頃、私たちは避難民の受け入れについて報告を受ける立場だった。遠方で戦乱や災害が起きれば、地方の行政官から被害状況が届き、必要な支援を検討する。もちろん、それも大切な仕事だったが、実際に故郷を離れた人々の姿を目にする機会は多くなかった。


 今は、私たち自身が王都を離れ、メルキアで暮らしている。


「……私たちも、いつ王都へ帰れるか分からないものね」


「ああ」


 アルフォンスは短く答えた。


 彼が王都で使っていた執務室も、私が長年通っていた訓練場も、今はハインリヒの支配下にある。そこで働いていた人々の中には、私たちとともにメルキアへ逃れてきた者もいれば、王都に残った者もいる。皆が無事に暮らしているのかどうかさえ、簡単には確かめられなかった。


「王都にいた頃は、こんなことになるなんて考えもしなかったわ」


「そうだな。だが、今はここでやるべきことがある」


「ええ。分かってる」


 私は彼の顔を見た。


 アルフォンスは、私が魔法騎士団長として仕事を続けることについて、余計な口出しをしたことがない。軍の任務が危険を伴うことも理解しているはずだが、だからといって私の判断を妨げようとはしなかった。


 以前、団長への昇進を打診された時、私は一度その話を断った。


 由緒ある公爵家の出身であるアルフォンスと、騎士爵家の娘である私では、身分があまりにも違う。二人の関係が公になれば、私の昇進が彼の影響によるものだと受け取られる可能性もあった。


 もちろん、それだけが理由ではなかったが、少なくとも当時の私には、無視できない問題だった。


 結局、その後もさまざまな事情があり、私は団長の職を引き受けることになった。アルフォンスは、私が昇進を断った時も、引き受けた時も、その判断を尊重してくれた。


 だからこそ、私も彼の仕事については信頼している。


 外交交渉の詳しい内容を聞くことはないし、彼もまた、軍の機密に関わることを私から聞き出そうとはしない。互いに知らないことはあるが、それは相手を信用していないからではなく、それぞれの職務に責任を持っているからだった。


 長い年月を一緒に過ごしてきたからこそ、そうした距離の取り方も自然なものになっていた。


「……あなた、本当に無理はしないでね」


「君もな」


「私は大丈夫よ」


「それは、さっきの私と同じ答えじゃないか?」


 私は思わず笑った。


「そうね。言われてみれば、そのとおりだわ」


 アルフォンスも小さく笑い、それから机の上の書類へ目を向けた。


「君がいてくれて助かっているよ」


「それは、仕事の話?」


「両方だな」


 私は彼を見て、少しだけ笑った。


 アルフォンスはそれ以上何も言わず、書類を手に取った。


「さて、そろそろ戻らなければ。まだ確認することが残っている」


「ええ。私も詰所へ戻るわ」


「気をつけて」


「あなたも、夕食くらいはちゃんと食べなさいよ」


「努力するよ」


「努力じゃなくて、食べるの」


 アルフォンスは苦笑しながら頷いた。


 私は彼に軽く手を振り、部屋を後にした。


     *


 日が暮れる頃、私は受け入れ施設の様子をもう一度確認することにした。


 朝から続いていた荷車の出入りは落ち着き、建物の前に集まっていた住民の姿も少なくなっている。共同宿泊所では夕食の配給が終わり、それぞれの家族が割り当てられた寝床の周りで荷物を整理していた。


 私は担当官から、昼間の配給記録について確認を受けた。


 登録の不備が見つかった家族については、修正した内容が受付側の帳簿にも反映されているという。


「ありがとうございます。明日からは、受付と配給の記録を照合する担当を決めることになりました」


「それなら、同じ間違いを見つけやすくなるわね」


「はい。ただ、受け入れ人数が増えれば、また別の問題も出てくると思います」


「その時は、その時に対応するしかないわね。何かあれば連絡してちょうだい」


 私は担当官と別れ、宿泊所の中を歩いた。


 すると、昼間の配給所で見かけた男性が、妻と子供と一緒に座っているのが目に入った。子供は食事を終えたらしく、母親の膝に頭を預けて眠そうにしていた。


「あ、団長さん」


 男性が私に気づき、立ち上がろうとした。


「そのままでいいわ。食事は足りたかしら」


「はい。おかげさまで、家族全員ちゃんと食べられました」


「それはよかった」


「昼間は、本当にすみませんでした」


「もう気にしなくていいわ。記録の間違いも直ったんでしょう?」


「はい。担当の方にも謝っておきました」


 男性は少し照れくさそうに笑い、それから隣に置いていた紙を手に取った。


「明日から、仕事の登録を始めるそうですね」


「ええ。働ける人には、港や倉庫の仕事を紹介する予定だと聞いているわ」


「俺、村では畑仕事をしてたんです。荷物運びくらいならできると思うんですけど、そういう仕事もありますかね」


「港では人手が必要だそうよ。ただ、実際にどこへ配属されるかは、担当の人に相談してみて」


「そうします」


 男性は紙を大切そうに畳んだ。


「いつ村へ帰れるか分からないですけど、ここで何もしないわけにもいきませんから。家族もいますし」


 私は頷いた。


 彼が望んでいるのは、ただ食料を受け取ることだけではない。自分にできる仕事を見つけ、家族とともに暮らしていくことなのだろう。


 もちろん、すべての避難民がすぐに働けるわけではない。高齢者や病人、幼い子供を抱える者には、それぞれ別の支援が必要になる。それでも、働ける人々が街の仕事に加われば、受け入れる側にとっても助けになるはずだった。


 避難民の受け入れは、食料と寝床を用意すれば終わるものではない。元の暮らしを失った人々が、ここで生活を続けられるようにすることまで考えなければならないのだと、私は改めて感じていた。


「明日、いい仕事が見つかるといいわね」


「はい。ありがとうございます」


 私は家族に別れを告げ、建物の奥へ向かった。


 そこでは、数人の女性たちが子供の寝床を整えていた。自分の家族ではない子供の世話を手伝っている者もいるらしく、互いに声をかけながら毛布を運んでいる。


 昼間、木箱を運んであげた年配の女性も、その中にいた。


「あら、団長さん。また来てくれたのかい」


「ええ。困っていることはない?」


「今のところは大丈夫だよ。若い人たちが、いろいろ手伝ってくれるからね」


 女性はそう言って、隣にいた若い母親へ笑いかけた。


「私も、子供の面倒を見るくらいならできるしね。畑仕事は無理でも、役に立つことはあるもんだよ」


「そうね」


 私は笑って答えた。


 女性はその後も、寝床の位置を少し動かしたり、子供が寒くないよう毛布を整えたりしていた。長旅の疲れが残っているはずなのに、周囲の者たちと相談しながら、できる仕事を見つけている。


 彼女たちは、まだ故郷へ帰ることができない。それでも、ここでの生活を少しずつ始めようとしていた。


 私は宿泊所の担当者に夜間の見回りについて確認し、必要な連絡先を伝えてから建物を後にした。


     *


 魔法騎士団の詰所へ戻った時には、すっかり夜になっていた。


 副官が机の上に勤務表を広げ、翌日の予定を確認している。私が戻ったことに気づくと、すぐに書類を持って立ち上がった。


「団長。避難民支援の派遣案をまとめました」


「ありがとう。見せてちょうだい」


 私は勤務表を受け取り、内容を確認した。


 即応予備隊の訓練は予定どおり実施し、受け入れ施設への応援は交代制で行う。南方の警戒任務に就いている隊員については、帰還後の休息時間を確保し、無理な勤務が重ならないよう調整されていた。


 ただし、数名の隊員については、翌日以降の任務と応援の予定が近すぎるように思えた。訓練に参加した直後に市内へ派遣し、その翌朝から南方へ向かわせるようでは、十分な休息を取れないだろう。


「いいと思うわ。ただ、こちらの隊員は明後日から南方へ出る予定でしょう。明日の応援からは外しておいて」


「承知しました」


「それから、夜間の連絡担当を一名決めておきましょう。救護施設から緊急の要請があった時に、誰へ連絡すればいいのか分からないと困るもの」


「では、当直の隊員に兼任させます」


「お願いするわ。受け入れ施設の担当者にも、連絡先を伝えておいてちょうだい」


 副官は勤務表を修正し、私へ確認を求めた。


 私は最後まで目を通し、訓練に必要な人数が確保されていることを確かめた。避難民支援に出る隊員についても、担当する仕事が分かるよう記載されている。


「団長」


「何かしら」


「今後も避難民が増え続けた場合、我々だけで対応できるでしょうか」


 私は首を横に振った。


「それは無理よ。私たちは魔法騎士団なのだから、すべての仕事を引き受けることはできないわ」


「では、どこまで支援を続けるべきでしょうか」


「必要な間は続ける。ただし、私たちにできる仕事を見極めて、行政の担当者たちと協力することね。軍には軍の仕事があるし、彼らには彼らの仕事がある。どちらか一方が無理をすれば、結局は長続きしないでしょう」


「承知しました」


 私は勤務表を副官へ返した。


「明日の訓練は予定どおり。受け入れ施設へ向かう隊員には、朝の点呼が終わってから集合するよう伝えてちょうだい」


「はい」


「それから、今日の搬送訓練で問題になった指揮系統についても、忘れずに確認しておいて。搬送先を指定する者と、実際に担架を運ぶ者が、同じ指示を理解できているか確かめたいの」


「分かりました。訓練担当者へ伝えておきます」


 副官は敬礼し、書類を持って部屋を出ていった。


 私は机の上に残っていた報告書を整理し、翌日の訓練予定と派遣人数をもう一度確認した。


 南方の防衛線では、今も兵士たちが警戒を続けている。メルキアの街では、避難してきた人々が新しい生活を始めようとしており、その受け入れは明日以降も続く予定だった。


 軍の訓練と住民への支援は、どちらも途中で投げ出すわけにはいかない。だからこそ、一部の者だけに負担を押しつけず、毎日続けられる体制を整える必要があった。


 私は最後の書類へ確認済みの印を押すと、夜間当直の隊員へ勤務表を渡し、翌朝の集合時刻を伝えた。


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