第123話 森の向こうの戦火
ノイハイムでの開拓が始まってから、百日余りが過ぎていた。
朝、タクマと一緒に建設現場へ向かうと、職人たちはすでにその日の作業を始めていた。新しい住居の骨組みには壁板が取り付けられ、何人かの住民が職人の指示に従って資材を運んでいる。少し離れた場所では別の家の基礎工事も進んでいて、以前よりも同時に動いている現場が増えていた。
「おはよう! 今日は何を手伝えばいい?」
私が声をかけると、作業を取り仕切っていた職人が振り返った。
「おう、リカさん。今日はこっちは大丈夫だよ。人手も足りてるからな」
「えっ、そうなの?」
「ああ。昨日のうちに材料も揃えたし、今日は俺たちだけで進められる。重いものを運ぶ必要が出たら、また声をかけるよ」
私は少し驚いて、作業をしている人たちを見回した。
以前なら、朝になると私とタクマが何を手伝うか確認し、その日の作業に加わるのが当たり前だった。特に大きな木材を運ぶときには私の魔法が便利だったし、人数が足りない現場ではタクマも頼りにされていた。作業の予定を立てるときにも、私たちが手伝えることを前提に考えられていたことが多かったと思う。
けれど、今では職人たち自身が作業の順番を決め、必要な人員を集められるようになっているらしい。私たちがいなくても仕事を進められるよう、道具や資材の置き場所にも工夫がされていて、作業の進め方も少しずつ変わっていた。
「私たち、仕事がなくなっちゃった?」
冗談半分で尋ねると、職人は笑った。
「そんなことはないさ。ただ、何でも二人に頼ってたら、いつまで経っても村が回らないからな。必要なときは遠慮なく頼むよ」
「そっか。それならよかった」
隣で話を聞いていたタクマも、感心したように現場を眺めていた。
「確かに、最近は俺たちがいなくても作業が進んでますよね」
「そりゃあ、いつまでも開拓を始めたばかりの頃と同じじゃ困るからな」
職人はそう言ってから、作業をしている仲間に声をかけた。壁板を運んできた住民が取り付け位置を確認し、別の職人が寸法を測っている。私たちが話している間にも、作業は滞ることなく進んでいた。
「じゃあ、ほかのところを見てこようか」
「そうだな。手が足りないところもあるだろうし」
私たちは職人に挨拶して、村の中を歩き始めた。
共同の水場では、住民たちが水桶を洗い、排水路に溜まった落ち葉を取り除いていた。水場の清掃や点検は当番制になっていて、最近では担当者が自分たちで必要な道具を用意するようになったという。以前は何か問題が起きるたびに人を集めて対処していたけれど、今では日常的な手入れをすることで、大きな問題が起きないようにしているらしい。
倉庫の前では、マルクたちが届いた荷物を確認していた。食料や工具の数を記録する係も決まっているらしく、荷車から下ろされた木箱を一つずつ開け、中身を確かめてから保管場所へ運んでいる。
「おはよう、マルクさん!」
「おはよう。今日は建設の手伝いじゃないのか?」
「うん。今日は人手が足りてるんだって」
「そうか。こっちも今のところ大丈夫だぞ。荷物の数を確認したら、午後は倉庫の整理をする予定なんだ」
マルクはそう答えると、手元の記録用紙へ目を戻した。以前は何をすればいいのか職人たちに尋ねていた彼も、今では自分たちの仕事を把握して動いている。ほかの五人もそれぞれ役割を分担していて、荷物を運ぶ者と数量を確認する者が声を掛け合いながら作業を進めていた。
さらに歩くと、村の外周ではヴィクターの部下たちが巡回の交代をしていた。警備隊の配置もすっかり定着していて、コンラートが若い隊員たちに注意事項を伝えている姿も見える。森に面した場所には見張りのための設備も整えられ、巡回の経路や交代時間についても、警備隊の中で管理されるようになっていた。
私たちが手伝わなくても、村のあちこちで人々が仕事を進めている。もちろん、まだ建てなければならない家もあるし、畑だって十分に広がったわけではない。それでも、最初にここへ来た頃のように、何をするにも全員で相談しなければならない状況ではなくなっていた。
「なんだか、少し変な感じだね」
私が言うと、タクマは笑った。
「俺たちの出番が減ったからか?」
「うん。でも、嬉しいことなんだよね」
「そうだな。俺たちがいなくても、ちゃんと村が動いてるってことだから」
私は頷いた。開拓を始めた頃は、少しでも早く住む場所を整えようと、毎日のように魔法を使って資材を運んでいた。あの頃は目の前の仕事を終わらせることで精一杯だったけれど、こうして村の人たちが自分たちで仕事を進めている姿を見ると、これまでやってきたことが少しずつ形になっているのだと実感できる。
私たちは次に手伝える仕事がないか探しながら、村の通りを歩いていった。
*
午後になると、オリヴァーから連絡があり、私たちは管理用の作業小屋へ向かった。
小屋にはヴィクターとコンラートも集まっていて、オリヴァーの隣ではローレンスが書類を整理していた。机の上にはハーグレイヴ領から届いた書状が置かれており、どうやら村の運営について新しい知らせがあったらしい。
「皆さん、お忙しいところありがとうございます」
オリヴァーは私たちが席に着くのを待ってから、話を始めた。
「先ほど、ハーグレイヴ領から定期便が到着しました。これまで提出してきた開拓状況の報告について、領主家から回答が届いています」
「何か決まったの?」
私が尋ねると、オリヴァーは頷いた。
「はい。今後、ノイハイムは継続的に住民が暮らす開拓集落として扱われることになりました。必要な物資や人員についても、引き続きハーグレイヴ領から支援を受けられます」
「おお、それはよかったですね」
タクマが言うと、ヴィクターも安心したように頷いた。
これまでは開拓団の活動拠点として、住居や倉庫、警備設備などを整えてきた。けれど、家族を連れて移り住んできた人たちも増え、今ではここで暮らし続けることを前提に生活している人がほとんどだ。そうした状況を受けて、ハーグレイヴ領も今後の運営を正式に支援する方針を決めたのだという。
「もちろん、これですべての手続きが終わったわけではありません」
オリヴァーは書状を机に置き、説明を続けた。
「住民の数や開拓の進み具合に合わせて、今後も必要な整備を進めていくことになります。ただ、少なくとも当面の運営については、領主家から継続して支援を受けられることが決まりました」
「それなら、今後の予定も立てやすくなりますね」
ヴィクターの言葉に、オリヴァーは頷いた。
「ええ。それから、私についても引き続き代官としてノイハイムの運営を任せるとの指示をいただいています」
「じゃあ、オリヴァーさんもこのまま村に残るんだね」
「はい。まだまだ仕事は山積みですから、戻るわけにはいきませんね」
オリヴァーは少し笑った。
最初に開拓団を率いて森へ入った頃、彼は何かを決めるたびに周囲の意見を聞き、慎重に判断を重ねていた。もちろん、今でもヴィクターや職人たちと相談することは多いけれど、最近では必要な報告を受けると、その場で方針を決めることも増えている。経験を重ねるうちに、どの仕事を自分で判断し、どの仕事を担当者に任せればよいのか、少しずつ分かってきたのだろう。
「まず、住居の建設は引き続き進めます。新しく移住する人もいるでしょうし、共同宿舎から移りたい家族もまだ残っていますから」
オリヴァーが説明すると、ローレンスが別の書類を広げた。
「食料については、ハーグレイヴ領からの補給を続けながら、畑の拡張を進める予定です。ただ、今の畑だけで住民全員の食料を賄えるわけではありませんので、当面は補給に頼ることになります」
「警備の方も、現状の人数で巡回は維持できています」
ヴィクターが続けた。
「ただし、周辺の調査範囲を広げる場合には、人員の配置を見直す必要があります。魔物への警戒も続けなければなりませんし、まだ安心できる段階ではありません」
「訓練については、こちらで予定を組んでいます」
コンラートも報告した。
「新しく加わった者たちも仕事には慣れてきていますが、警備に参加させるかどうかは、本人の希望と適性を確認してから判断するつもりです」
オリヴァーはそれぞれの報告を聞き、必要な部分をローレンスに記録させた。
話し合いの内容は、以前と比べて随分と具体的になっていた。最初の頃は、どこに家を建てるか、水をどう確保するか、魔物が出たらどうするかといった問題ばかりだったけれど、今では住居の建設予定や食料の在庫、警備隊の配置について、それぞれの担当者が報告できるようになっている。
何か問題が起きたときに全員で集まって対処するだけではなく、問題が起きないように日頃から準備を進めることもできるようになった。まだ小さな村ではあるけれど、こうした仕組みが整ってきたことは、これから住民が増えていくうえでも大切なのだと思う。
「こうして話していると、本当に村になってきたんだなって思うね」
私が言うと、タクマも頷いた。
「最初は森しかなかったですからね」
「そうだね。道を作るところから始めたんだもんね」
オリヴァーは少し懐かしそうに笑った。
「皆さんには随分と苦労をかけました。もっとも、これからも苦労は続くと思いますが」
「それは間違いないでしょうね」
ヴィクターが答えると、部屋の中に小さな笑い声が広がった。
*
村の運営について一通り話し終えたところで、ヴィクターが別の書類を取り出した。
「それから、王国側の状況についても報告があります」
私は思わず顔を上げた。
ヴィクターは私たちの反応を確かめてから、書類を机の中央へ置いた。
「ハーグレイヴ領に届いた情報によると、マリアベル王軍は現在もメルキア方面に戦力を集めているようです。一部の部隊では後退や再編成が続いているとのことですが、詳しい兵力までは確認できていません」
「まだ戦いが続いてるんだね……」
「はい。ただ、現時点でメルキアが敵軍に包囲されたという情報はありません」
私は少しだけ息をついた。
「それから、グスタフ王の生存も確認されています。少なくとも、この報告が作成された時点では、メルキアに王軍が駐留しており、外部へ通じる街道も一部は使われていたようです」
父が生きていると聞いて、胸の奥にあった不安が少し和らいだ。王都を失ってからも王軍を率い、メルキアで戦い続けていることは分かっていたけれど、こうして無事を知らせる情報が届くと、やはり安心する。
もっとも、それは報告が作成された時点での話であり、今も同じ状況が続いているとは限らない。私は続きを聞こうと、ヴィクターへ目を向けた。
「ただし、報告が届くまでには時間がかかっています」
ヴィクターは説明を続けた。
「現在も同じ状況が続いているとは限りません。また、王軍がどの程度の戦力を維持しているのか、今後どのように動くつもりなのかについても、まだ詳しいことは分かっていません」
オリヴァーも頷いた。
「ハーグレイヴ領としても、王国の戦況については引き続き情報を集める方針です。ただ、こちらから積極的に軍を動かすような状況ではありませんし、ノイハイムとしても、まずは村の安全を確保することが優先になります」
「そうですね」
タクマが答えた。
私はもう一度、机の上の書類へ目を向けた。
父が生きていることが分かり、少し安心した。けれど、メルキアには今も王軍が集まり、戦いに備えているらしい。マルクたちが話していた補給の混乱が解消されたのかも分からないし、王都を奪ったハインリヒの軍が今後どう動くのかも不明だった。
以前、タクマへ話したことを思い出す。
もしメルキアが包囲され、父たちも街の人々も逃げ場を失ったら、そのときは助けに行きたい。
今のところ、そこまでの状況にはなっていないようだった。少なくとも、届いている情報ではメルキアはまだ包囲されておらず、外へ通じる道も残っている。今すぐ何かを決める必要はないけれど、今後の戦況については引き続き気にかけておかなければならないだろう。
私はそう考えながら、ヴィクターの説明に耳を傾けた。
*
会議が終わり、ほかの人たちがそれぞれの仕事へ戻っていく中、オリヴァーが私とタクマに声をかけた。
「リカさん、タクマさん。少しよろしいでしょうか」
「うん。どうしたの?」
「改めて、お二人にお礼を申し上げたくて」
私は少し驚いた。
「えっ、どうしたの、急に?」
「いえ、こうして村の運営に見通しが立ってきたので、今のうちにお伝えしておこうと思いまして」
オリヴァーは少し照れたように笑った。
「最初に森へ入ったときは、正直なところ、ここまで順調に進むとは思っていませんでした。候補地の調査から始まって、道の整備や川を渡る場所の変更、野営地の設営、魔物への警戒まで、次から次へと判断しなければならないことがありましたから」
「確かに、いろいろあったね」
私が答えると、タクマも笑った。
「川を渡る場所を変えたときなんか、結構大変でしたよね」
「ええ。あのときは予定を組み直す必要もありましたし、集結地への連絡にも時間がかかりました。でも、あそこで無理をしなかったおかげで、その後の行程を安全に進められたと思っています」
オリヴァーはそう言ってから、私たちを見た。
「お二人が冒険者として協力してくださったことは、開拓を進めるうえで本当に大きな助けになりました。改めて、ありがとうございます」
「そんな、私たちだけじゃないよ」
私は慌てて首を振った。
「ヴィクターさんたちが警備をしてくれたし、職人さんたちが家を建ててくれたし、食事を作ってくれた人たちもいたでしょ? みんなで頑張ったから、ここまで来られたんだと思う」
「そうですね。俺たちだけじゃ、家一軒建てられなかったでしょうし」
タクマがそう付け加えると、オリヴァーも頷いた。
「ええ。本当にその通りです。ここまで来られたのは、皆さんがそれぞれの仕事を引き受け、協力してくださったおかげです。最初の頃は何をするにも私が判断しなければと思っていましたが、今では皆さんが自分で考えて仕事を進めてくれるようになりました」
オリヴァーは穏やかな表情で続けた。
「私自身も、皆さんに随分と助けられました。まだ分からないことも多いですが、これからも一緒に村を作っていければと思っています」
最初に会った頃の彼は、若いながらも責任感が強く、何事にも慎重に取り組もうとしていた。今でもその姿勢は変わっていないけれど、以前よりも周囲に仕事を任せられるようになり、必要なときには自分で決断することも増えている。
きっと、開拓団を率いてきた経験が、彼自身にとっても大きなものになったのだろう。
「私たちも、この村で暮らしてるんだから。これからもできることは手伝うよ」
私がそう言うと、タクマも頷いた。
「そうですね。まだ建てなきゃいけないものもたくさんありますし」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
オリヴァーは笑顔で頭を下げた。
私たちも挨拶を返し、作業小屋をあとにした。
*
夕方、私とタクマは村の外れにある少し高い場所を歩いていた。
ここからはノイハイムの様子を見渡すことができる。最初に森を切り開いた場所にはいくつもの家が並び、建設途中の建物の周囲では職人たちが片付けを始めていた。共同の炊事場からは夕食の準備をする煙が上がり、倉庫の前では荷物を運び終えた住民たちが明日の予定を確認している。
少し離れた場所には畑も広がっていた。まだ十分な収穫が得られるほどではないけれど、住民たちが少しずつ土地を耕し、作物を育て始めている。水路の整備も進められていて、畑の近くでは数人の住民が道具を片付けているところだった。
「最初にここへ来たときは、本当に何もなかったよな」
タクマが言った。
「うん。森を調べて、道を作って、川を渡って……大変だったね」
「最初の頃は、ちゃんと村になるのか少し心配だったけどな」
「そうなの?」
「そりゃそうだろ。森の中に百人くらいで入って、何もないところから村を作るんだぞ。しかも、魔物までいるんだから」
「ふふっ、確かにそうだね」
私は笑いながら、眼下に広がる家々を眺めた。
最初に候補地を調べたときには、ここにこれほど多くの人が暮らすことになるとは想像していなかった。道を作り、家を建て、家族を迎え入れ、今では新しい住民が仕事を探して村へやってくることもある。何もなかった場所に人が集まり、それぞれの暮らしが生まれていく様子を、私たちはずっと近くで見てきたのだ。
もちろん、開拓が終わったわけではない。これからも住居を増やさなければならないし、畑を広げて食料を確保する必要もある。魔物への警戒だって続けなければならないだろう。それでも、村の人たちは自分たちで仕事を進め、明日の予定を立てられるようになっていた。
「ちゃんと村になってきたね」
「ああ。まだまだこれからだけどな」
「うん」
私は頷いたあと、昼間に聞いた王国の情報を思い出した。
「……お父様たち、まだメルキアにいるんだね」
タクマは私の方を見た。
「そうらしいな。まだ逃げ道もあるみたいだし、今すぐどうこうって話じゃないんだろ?」
「うん。でも、心配なのは変わらないよ」
「そりゃそうだよな」
タクマは頷き、少し考えてから続けた。
「シエラの方は、何か分かったのか?」
「ううん。まだみたい。もう少しかかるって言ってたよ」
「そうか。じゃあ、そっちの情報も待つしかないな」
「うん」
私は村の向こうに広がる森へ目を向けた。
この森を越えた先では、今も戦争が続いている。父たちがどんな状況に置かれているのか、これから何が起きるのかは分からないけれど、少なくとも今の私には、詳しい情報を集めながら状況を見守ることしかできなかった。
それでも、ここでの暮らしが大切だという気持ちは変わらない。ノイハイムには、私たちが一緒に働き、笑い合いながら過ごしてきた人たちがいる。森の中に作ったこの小さな村は、いつの間にか私にとって、帰る場所の一つになっていた。
「何か分かったら、また一緒に考えよう」
タクマが言った。
「うん。ありがとう」
私たちはしばらく村を眺めていたけれど、やがて下の方から声が聞こえてきた。
「リカさん! タクマさん!」
振り返ると、建設現場で働いている職人がこちらへ手を振っていた。
「明日の作業のことで、ちょっと相談があるんだが!」
「はーい! 今行くよ!」
私は返事をして、タクマと一緒に坂を下り始めた。
「明日も建設の手伝いかな?」
「どうだろうな。今日は仕事がないって言われたばかりだけど」
「ふふっ、そうだったね」
建設現場へ戻ると、職人は明日使う木材の置き場所について相談したいのだと説明してくれた。大きな材料を先に運んでおけば作業が進めやすいらしく、朝のうちに私の魔法で移動させられないかという話だった。
「それなら大丈夫だよ。どの木材を運べばいい?」
「こっちの長いやつだ。明日は壁を立てる予定だから、先に揃えておきたいんだよ」
「分かった。じゃあ、朝一番に来るね」
タクマも職人と一緒に材料の置き場所を確認し、通路を塞がないよう運ぶ順番について相談を始めた。私も明日の作業で必要になる木材を確かめながら、職人たちと予定を決めていった。
【第6章 森の向こうの未来 終わり】




