第122話 守るべき場所
ノイハイムでの暮らしが始まってから、三か月ほどが過ぎようとしていた。
村には新しい家がいくつも建ち、共同宿舎で暮らしていた家族の中にも、自分たちの家へ移る人たちが出てきている。以前は資材が積まれていただけの場所にも建物が並び始め、朝になると、それぞれの家から仕事へ向かう人たちが通りへ出てくるようになった。まだ建設途中の家も多いけれど、最初にここへ来た頃と比べれば、随分と村らしい景色になっている。
私とタクマが暮らしている小さな家も、周囲に新しい建物が増えたことで、最初の頃とは景色が変わっていた。家の前を通る人も多くなり、朝食を取っていると外から挨拶の声が聞こえてくることもある。以前は森の中に家がぽつんと建っているような感じだったけれど、今ではすぐ近くに隣人が暮らしているのだ。
「今日も建設の手伝いだっけ?」
朝食の片付けをしながらタクマが尋ねた。
「うん。午前中は新しい家の壁を組み立てるんだって。午後はまだ決まってないけど、資材の運搬になるんじゃないかな」
「最近、建てる家が増えたよな」
「そうだね。家族で来た人たちも多いし、共同宿舎だけじゃ足りなくなってきたみたい」
私たちは食器を片付けると、いつものように家を出た。
建設現場へ向かう途中、倉庫の前ではマルクたちが荷車に木材を積んでいた。六人は正式な住民として受け入れられてからも、変わらず村の仕事を手伝っている。最近では職人たちから直接仕事を頼まれることも増え、村の中で顔を見かける機会も多くなった。
「おはよう、マルクさん!」
「おはよう。今日はこっちの現場か?」
「うん。そっちは朝から忙しそうだね」
「昨日届いた木材を運んでるんだ。家を建てる方が早くて、倉庫がすぐ空になるよ」
マルクは笑いながら答えると、仲間たちに声をかけて荷車を押し始めた。最初に村へ来たときは疲れ切っていた六人も、今ではほかの住民と同じように仕事の予定を立て、朝から忙しく働いている。
その姿を見送ってから、私たちも建設現場へ向かった。
*
午前中の作業が一段落した頃、ヴィクターが現場へやってきた。
「リカさん、タクマさん。少しよろしいでしょうか」
「どうしたの?」
「国境付近の情報について、いくつか報告が集まっています。お二人にも共有しておこうと思いまして」
私たちは作業を担当していた職人に声をかけ、ヴィクターと一緒に管理用の作業小屋へ向かった。
小屋の中にはオリヴァーもいて、机の上には何枚かの記録用紙が広げられていた。以前、マルクたちから王軍の状況を聞き取ったときに作った記録の仕組みが、その後も使われているらしい。
「最近、ハーグレイヴ領から届く荷物に合わせて、商人や移住希望者からも話を聞くようにしています」
ヴィクターはそう説明し、記録用紙の一枚を私たちの前へ置いた。
「ただ、現時点では直接確認できていない情報も多いので、その点はご承知おきください」
「うん。分かってるよ」
記録には、王国側で軍の移動が続いているという話や、メルキア方面へ物資を運ぶ荷車が増えているという話が書かれていた。また、王国から大公国へ逃れてくる人が増えているらしいという情報もあったけれど、どれも詳しい事情までは分からない。
「この話をした商人は、実際に王軍を見たの?」
私が尋ねると、ヴィクターは首を振った。
「いいえ。別の商人から聞いた話だそうです。ですから、まだ噂の段階ですね」
「じゃあ、メルキアに物資が集まってるって話も?」
「こちらは荷車を見た者がいるようですが、積荷の中身までは確認できていません。王軍向けの物資だというのも、現時点では推測です」
私は記録を読み返した。
マルクたちが話していた補給の混乱と関係があるのかもしれないけれど、今ある情報だけでは何とも言えない。軍の移動が続いているという話も、王軍がさらに後退しているのか、それとも別の理由で部隊を動かしているのかは分からなかった。
「こうして情報を集めておけば、何か変化があったときに気づきやすくなると思います」
オリヴァーが言った。
「ただ、ノイハイムは国境からも離れていますし、ここに届くまでに時間がかかる情報もあります。詳しい戦況を知るには、まだ十分とは言えませんね」
「そうだね……」
私は頷いた。
王軍が苦しい状況に置かれていることは、マルクたちの話からも分かっている。けれど、彼らが所属していたのは後方で物資の運搬や警備を担当する部隊であり、王軍全体の動きについて詳しいことを知っていたわけではない。今回集まった情報も、そこから先の状況を判断するには足りなかった。
何より、父たちがいるはずのメルキアについて、確かな情報がほとんどないことが気になっていた。王軍が今どこで戦っているのか、父やアルフォンスたちがどのような状況に置かれているのか、それを知る手がかりさえ見つかっていない。
「今後も情報は集めていきます。何か重要な変化があれば、お二人にもお伝えしますね」
「ありがとう、ヴィクターさん」
私は礼を言って作業小屋を出たけれど、建設現場へ戻る途中も、メルキアのことが気になっていた。
*
昼食を終えたあと、私は村の外周へ向かった。
シエラは午前中から森の見回りに出ていたけれど、そろそろ戻ってくる頃だと聞いていた。村の入口近くでしばらく待っていると、木々の間から見慣れた姿が現れた。
「シエラ!」
声をかけると、シエラは足を止め、こちらへ顔を向けた。
「リカ。どうしたの?」
「ちょっと相談したいことがあるんだけど、今いいかな?」
「うん。大丈夫」
シエラは見回りで確認したことを警備隊員へ簡単に報告すると、私と一緒に村の外れへ歩いた。
周囲に人がいないことを確かめてから、私は話を切り出した。
「最近、王国の方がどうなってるのか、もう少し詳しく知りたいんだ」
シエラは私を見た。
「……メルキアのこと?」
「うん。マルクさんたちから王軍の話を聞いたでしょ? 今日もヴィクターさんから少し情報を教えてもらったんだけど、やっぱり詳しいことは分からなくて」
「そうなんだ」
「お父様たちがどうしてるのかも気になるし、王軍が今どんな状況なのか、知っておきたいんだ」
シエラは少し考えてから、小さく頷いた。
「分かった。私も調べてみる」
「本当?」
「うん。知り合いに聞いてみるね」
「ありがとう。でも、無理はしないでね。今すぐ王国へ行ってほしいとか、危ない場所に入ってほしいってことじゃないから」
私はそう伝えてから、もう少し詳しく説明した。
「普段の見回りとか、知り合いから話を聞く機会があったら教えてほしいんだ。シエラなら、私たちが知らないことを聞けるかもしれないし」
「うん。ただ、少し時間はかかると思う」
「それは大丈夫だよ」
「それに、王宮の中のことまでは分からないかも」
「分かったことだけで十分だよ。何も知らないより、ずっといいから」
シエラは頷くと、少しだけ首を傾げた。
「……リカは、王国に戻りたいの?」
「ううん。今は考えてないよ」
私は首を振った。
「ノイハイムでの生活は好きだし、これからもここで暮らしていきたいと思ってる。でも、お父様たちのことを何も知らないままでいるのは嫌なんだ」
「……そっか」
シエラはそれ以上尋ねず、私の言葉を受け止めるように頷いた。
彼女は以前から私の事情を知っているし、王宮を離れて冒険者として暮らしてきたことも知っている。だからこそ、今の私が王国のことを気にしている理由も、細かく説明しなくても分かってくれたのだと思う。
「何か分かったら、教えるね」
「うん。お願いね」
シエラは小さく微笑むと、午後の見回りの準備をするため、警備隊の詰所へ戻っていった。
私はその背中を見送ってから、タクマの待つ建設現場へ向かった。
*
午後の仕事を始めようとしたところで、ルーカスが私たちを見つけて駆け寄ってきた。
「リカお姉ちゃん!」
「あ、ルーカス。こんにちは!」
「今日は魔法使うの?」
「今日は木材を運ぶから、少し使うと思うよ」
「じゃあ、また大きい石を浮かせて!」
「石は運ばないよ。今は木材の仕事だからね」
「えー!」
ルーカスは残念そうな顔をしたけれど、すぐにタクマの方へ向き直った。
「タクマお兄ちゃん! 剣は?」
「剣?」
「この前、見せてくれるって言ったじゃん!」
「ああ、そうだったな」
タクマは思い出したように頷いた。
「約束したもんな。じゃあ、今日の仕事が終わったら、少しだけ見せてやるか」
「ほんと!?」
「ああ。ただし、危ないからちゃんと離れて見ること。それと、お母さんにも一緒に来てもらうんだぞ」
「分かった!」
ルーカスは嬉しそうに頷くと、母親を呼びに走っていった。その後ろ姿を見送りながら、私はタクマへ顔を向けた。
「ちゃんと約束覚えてたんだね」
「そりゃ覚えてるよ。あんなに楽しみにされてたら、忘れられないだろ」
「ふふっ、そうだね」
私たちは職人たちと一緒に午後の作業を進め、予定していた木材の運搬を終えたあと、村の外れにある広い場所へ向かった。
そこにはルーカスと母親のクララが待っていた。クララは私たちに気づくと軽く頭を下げ、その隣ではルーカスが待ちきれない様子でタクマを見つめている。
「すみません、タクマさん。息子がどうしても見たいと言いまして」
「いえ、俺が約束したことですから。危なくないようにしますので、少し離れて見ていてください」
タクマは周囲に人がいないことを確認すると、ルーカスたちに十分な距離を取ってもらった。私も二人の近くに立ち、万が一にも子供が飛び出したりしないよう気をつけることにした。
それからタクマは剣を抜き、ゆっくりと構えを取った。
「じゃあ、ちょっとだけな」
タクマは足を踏み出し、剣を振り下ろした。
続けて体の向きを変えながら横へ剣を払い、もう一度構えを整える。派手な魔法を使うわけでも、何かを斬るわけでもないけれど、その動きは無駄がなく、見ている私にも綺麗だと思えるものだった。
タクマは普段から剣を使っているけれど、こうして一つひとつの動きを見せてもらうと、改めて彼の技術の高さが分かる。力任せに振り回しているわけではなく、足の運びや体の向きを変える動作が自然につながっていて、剣の重さをほとんど感じさせなかった。
「すごい!」
ルーカスが目を輝かせた。
「もう一回!」
「じゃあ、あと一回だけな」
タクマは笑いながら、今度は少しゆっくりと同じ動きを見せた。ルーカスは一つひとつの動きを真剣に見つめ、最後にタクマが剣を鞘へ収めると、大きな拍手を送った。
「かっこいい! 僕もやってみたい!」
「もう少し大きくなってからな。それに、剣は危ないから、勝手に触っちゃ駄目だぞ」
「うん!」
クララも息子に頷き、タクマへ礼を言った。
「ありがとうございました。しばらく、この話ばかりしそうです」
「はは、それは光栄ですね」
タクマが少し照れたように笑うと、私は横から口を挟んだ。
「よかったね、タクマ。ファンが一人増えたよ」
「お前、そういう言い方するなよ」
「だって、すごく喜んでるじゃない」
私たちが笑っている間も、ルーカスは興奮した様子でクララに剣の動きを説明していた。どうやらタクマが最後に見せた構えが特に気に入ったらしく、何度も手を動かして再現しようとしている。
クララが危ないから周りをよく見なさいと注意すると、ルーカスは慌てて手を下ろした。
やがて二人が家へ戻っていくと、私たちも自分たちの家へ向かった。
*
夕方、家に戻った私は夕食の準備を始めた。
タクマは水を汲んできてくれたあと、野菜を切るのを手伝っている。最初の頃は包丁の扱いにも少し不安があったけれど、最近では頼めば大抵のことをしてくれるようになった。私も彼に任せられる仕事が増えたおかげで、以前より夕食の準備が楽になっている。
「そういえば、今日シエラと話したんだ」
私がそう言うと、タクマが顔を上げた。
「シエラと?」
「うん。王国のことを、もう少し詳しく調べてもらえないかってお願いしたの」
「メルキアのことか」
「そう。今日ヴィクターさんから聞いた話も、まだ分からないことが多かったでしょ? シエラなら何か情報を聞けるかもしれないと思って」
タクマは切っていた野菜を皿へ移し、少し考えてから頷いた。
「そうか。シエラなら、王国の方にも知り合いがいるんだろうしな」
「うん。でも、危ないことはしなくていいって伝えたよ。分かる範囲で教えてもらえれば十分だから」
「それならいいと思う」
私は鍋を火にかけながら、少し迷ってから続けた。
「……やっぱり、お父様たちのことが気になるんだ」
タクマは黙って私の話を聞いていた。
「王宮を出てから、ずっと自由に暮らしてきたし、今もここでの生活が好きだよ。でも、王国で戦争が続いてて、お父様たちがどうしてるのか分からないのは、やっぱり落ち着かなくて」
「そりゃそうだろうな」
タクマはそう言ってから、私を見た。
「リカは、王国へ戻りたいと思ってるのか?」
「ううん。それは違うよ」
私は首を振った。
「王女に戻りたいわけじゃないし、今の生活をやめたいとも思ってない。タクマと一緒にここで暮らしていきたいって気持ちは、変わってないよ」
「うん」
「でも……」
私はそこで少し言葉を止めた。
メルキアには父がいる。ユリアナやアルフォンスたちも、おそらく一緒にいるはずだ。王宮にいた頃に世話になった人たちもいるだろうし、戦争から逃れてきた人々も暮らしているのかもしれない。
もし、その人たちが危険な状況に置かれたら、私はどうするのだろう。
今の私には、王国の軍を率いる権限もなければ、戦争を終わらせる方法も分からない。王宮を出てから身につけてきた魔法や、冒険者として積んできた経験も、大勢の兵士が戦う場所でどこまで役に立つのかは分からなかった。
それでも、目の前で誰かが助けを必要としているなら、自分にできることを探したいと思う。これまで冒険者として暮らしてきた中でも、そうして人を助けてきたし、その気持ちは王国を離れた今も変わっていなかった。
「もしメルキアが包囲されて、お父様たちも街の人たちも逃げ場を失ったら……そのときは、私は助けに行きたい」
タクマは何も言わず、私の言葉を待っていた。
「行って、私に何ができるかは分からないけど。でも、何もせずにここで待ってるのは、きっと嫌だと思う」
「……そうか」
「王女として戻るんじゃなくて、冒険者として。助けられる人がいるなら、助けたいんだ」
私はタクマの顔を見た。
彼はしばらく考えていたけれど、やがて小さく頷いた。
「分かった。そのときが来たら、ちゃんと相談してくれ」
「うん。もちろん」
「一人で勝手に飛び出すなよ?」
「……そんなことしないよ」
「今、ちょっと間があったぞ」
「気のせいだって!」
「いや、絶対あっただろ」
タクマが呆れたように言うので、私は思わず笑ってしまった。
「もう、そんなに信用ないかな?」
「信用してるよ。ただ、お前って誰かが困ってたら、先に体が動くところあるだろ」
「それは……否定できないかも」
「だろ?」
タクマは少し笑ったけれど、すぐに真面目な表情へ戻った。
「俺も、リカが家族を助けたいって思うのは分かる。だから止めるつもりはないけど、危ない場所へ行くなら、何ができるのか一緒に考えたいんだ」
私はその言葉を聞いて、改めて頷いた。
これまで私は、冒険者として自分の判断で行動することが多かった。もちろん、仲間と相談して依頼を受けることもあったけれど、自分一人でできると思えば、誰かに頼る前に動いてしまうこともあったと思う。
でも、今はタクマと一緒に暮らしている。もし私が危険な場所へ行くことになれば、彼も心配するだろうし、私が戻ってこなかったときに困るのは、きっとタクマなのだ。
「うん。分かった。もしそういう状況になったら、絶対にタクマに相談する。一人で勝手に決めたりしないよ」
「約束な」
「約束」
タクマはようやく安心したように笑った。
私も少し気持ちが落ち着き、火にかけていた鍋の様子を確かめた。話しているうちに野菜も柔らかくなってきたようで、そろそろ味を整えれば夕食にできそうだった。
「そういえば、さっきからいい匂いしてるな」
「もう少しでできるよ。お皿、並べてくれる?」
「了解」
タクマは食器棚へ向かい、私は鍋の味を確かめながら、夕食の仕上げを始めた。
*
翌朝、私たちはいつもの時間に起きて朝食を取った。
昨夜は少し遅くまで話していたけれど、朝になると村の仕事が待っている。タクマが食器を片付けている間に、私は今日の作業で使う道具を確認し、忘れ物がないか確かめた。
家を出ると、通りにはすでに何人もの住民が歩いていた。
倉庫の方ではマルクたちが荷物を運び始めており、少し離れた家の前ではクララがルーカスを呼んでいる。ルーカスは昨日の剣の話をまだしているらしく、私たちを見つけると大きく手を振った。
「タクマお兄ちゃん! 昨日の剣、すごかった!」
「おう、ありがとな!」
「また見せてね!」
「機会があったらな!」
タクマが手を振り返すと、クララがルーカスを呼び戻した。どうやら朝の手伝いをする約束だったらしく、ルーカスは少し残念そうにしながらも、母親のところへ走っていった。
村の入口近くでは、シエラが見回りへ出発するところだった。
私が顔を向けると、シエラもこちらに気づき、軽く頷いた。私も頷き返すと、彼女はいつもどおり森へ向かって歩いていった。
「さて、今日は何から始めるんだっけ?」
タクマが尋ねた。
「新しい家の壁を組み立てるんだって。木材を運ぶの、手伝ってほしいって言われてるよ」
「じゃあ、先に職人さんのところへ行くか」
「うん!」
私たちが建設現場へ着くと、職人たちはすでに木材を並べ、組み立てる順番を確認していた。今日は壁の骨組みを立てる予定らしく、何人かの職人が図面を広げ、木材の長さや取り付ける位置について話し合っている。
「おう、リカさん、タクマさん! ちょうどよかった。こっちの木材を運んでもらえるか?」
「分かった! どこに置けばいい?」
「向こうの壁の横だ。長いのから順番に頼む!」
私は指定された木材の前に立ち、周囲に人がいないことを確認してから魔法で持ち上げた。タクマは設置場所へ先回りし、職人たちと一緒に置く位置を確かめている。
「リカ、こっちだ! もう少し右!」
「この辺?」
「ああ、そこでいい!」
タクマの合図に合わせて木材をゆっくり下ろすと、職人たちがすぐに次の材料を取りに動き始めた。私は続けて運ぶ木材を確認し、タクマと声を掛け合いながら、壁の組み立てに必要な材料を順番に運んでいった。




