第121話 敗走する王軍
マルクたち六人がノイハイムへやってきてから、数日が過ぎた。
彼らは引き続き警備隊の監督下で暮らしていたけれど、建設現場や倉庫での仕事にも慣れ始めている。最初は警戒していた職人たちも、六人が指示に従って真面目に働いていることが分かると、少しずつ普通に接するようになっていた。
ただ、正式な移住が認められたわけではないので、宿舎の割り当てや行動できる範囲には制限が残っている。本人たちも事情は理解しているらしく、不満を口にすることはなかったけれど、いつまでここにいられるのか分からない状態が続いていることには、少なからず不安を感じているようだった。
そんなある日の朝、ハーグレイヴ領から定期便の荷馬車が到着した。
荷馬車には食料や日用品のほか、建設に必要な釘や工具も積まれている。ちょうど私は村の外周で排水路の整備を手伝っていたので、荷物の受け取りには立ち会わなかったけれど、荷下ろしを手伝っていたタクマによると、今回はオリヴァー宛の書状も届いていたらしい。
「マルクさんたちの件、返事が来たみたいだぞ」
昼食のとき、タクマがそう教えてくれた。
「もう? 思ってたより早かったね」
「ああ。オリヴァーさんが、午後にヴィクターさんたちと相談するって言ってた」
六人の扱いについては、オリヴァーがハーグレイヴ領へ報告を送っていた。正式に受け入れられるかどうかは、その返答を待って決めることになっている。
「いい返事だといいな。あの人たち、もう村の仕事にも慣れてきたみたいだし」
「そうだな。職人さんたちも、結構助かってるって言ってたよ」
私たちは村の警備にも協力しているので、午後の話し合いに参加することになった。
*
午後、管理用の作業小屋へ行くと、オリヴァーとヴィクター、コンラートがすでに集まっていた。
机の上にはハーグレイヴ領から届いた書状が広げられており、オリヴァーは私たちが席に着くのを待ってから話し始めた。
「先日報告した六人について、正式な回答が届きました。結論から申し上げると、全員の移住を認めてよいとのことです」
「よかった!」
思わず声を上げると、オリヴァーが微笑んだ。
「ただし、無条件というわけではありません。本人たちが大公国での生活を希望し、法や村の決まりを守ることが前提になります」
ヴィクターが書状へ目を落とした。
「王軍からの脱走兵を受け入れることについて、大公国側では問題にならないのでしょうか?」
「その点についても説明がありました」
オリヴァーによると、大公国ではマリアベル王国の戦争が長引くにつれ、兵士や避難民が国境を越えてくることを以前から想定していたらしい。国境に近い領地には、流入者の事情を確認したうえで、人間性や安全面に問題がなければ受け入れてよいという方針が伝えられているという。
「戦争が続けば、軍を離れる人間も出てくる。そうした人々をすべて追い返すのではなく、大公国の住民として暮らせるのであれば受け入れる、という考え方のようです」
「なるほど。国として、ある程度は準備していたわけですね」
タクマが感心したように言った。
「ええ。もちろん、誰でも無条件に受け入れるという意味ではありません。軍を離れた事情や、それまでの行動について確認する必要はありますし、問題があれば領主側の判断を仰ぐことになります」
オリヴァーは書状を机に置いた。
「ただ、ノイハイムのような新しい開拓地では、まだ受け入れの決まりが十分に整っていません。今後も同じような人々がやってくる可能性を考えると、今回の件を機に規則を作っておいた方がよいでしょう」
ヴィクターとコンラートも頷いた。
「警備の立場からも、その方が助かります。受け入れのたびに対応を変えるわけにはいきませんし、警備隊員によって判断が違っていては混乱の原因になります」
「私も賛成です。特に元軍人の場合は、一般の移住者とは違う問題が起きる可能性があります」
コンラートはそう言うと、少し考えてから続けた。
「まず、以前の軍での立場を、ここへ持ち込ませないことです」
「立場って、階級とか?」
私が尋ねると、コンラートは頷いた。
「はい。軍では上官の命令に従うのが当たり前ですし、長く同じ部隊にいた者同士であれば、軍を離れたあとも以前の関係が残ることがあります。しかし、ここではそうではありません。以前の役職や先任後任の関係を理由に、ほかの住民へ命令することは認めるべきではないでしょう」
「確かに、それは困るね」
村では職人が作業を指示することもあれば、警備隊員が安全のために移動を制限することもある。そこへ以前の軍での立場を持ち込まれたら、誰の指示に従えばよいのか分からなくなってしまう。
それに、元軍人同士だけでなく、一般の住民に対してまで軍での立場を振りかざす人が現れれば、村の中で余計な争いが起きるかもしれない。
ヴィクターも同意した。
「警備隊に加わる場合も同じです。指揮権は現在の役職に従うもので、以前どこの軍に所属していたかは関係ありません。経験を評価することと、以前の立場をそのまま認めることは別ですから」
オリヴァーは二人の意見を聞き、手元の紙へ書き留めた。
「では、旧所属軍での役職や立場を理由として、ほかの住民に命令したり、服従を求めたりすることを禁止しましょう」
続いて、タクマが手を上げた。
「一つ気になるんですけど、もし王軍の人間がここまで来て、元の部隊へ戻れって命令したらどうなるんですか?」
「それについては、大公国側の方針も明確です」
オリヴァーは書状の一部を指で示した。
「正式に移住を認められた者は、大公国の法に従う住民として扱われます。王軍の命令に従う義務はありませんし、村としても旧所属軍のための活動は認めません」
「じゃあ、受け入れるときに、もう軍には戻らないって約束してもらうんですね」
「ええ。旧所属軍との関係を断ち、軍務へ復帰しないことを宣誓してもらいます」
オリヴァーは、村では分かりやすく「除隊の宣誓」と呼ぶことにすると説明した。もちろん、本人が宣誓しただけで王軍から正式に除隊を認められるわけではないけれど、大公国で暮らすための意思を確認する手続きとして必要なのだという。
私は話を聞きながら、マルクたちの顔を思い浮かべた。
彼らは王軍から逃げてきた人たちだ。戻るつもりがないからこそ、ここまで逃げてきたのだろうけれど、改めて軍との関係を断つと宣誓するのは、少し重たいことなのかもしれない。
「それと、もう一ついいかな?」
私が声をかけると、オリヴァーが顔を上げた。
「何でしょう?」
「ちゃんと住民として受け入れるなら、いつまでも脱走兵として扱うのは違うと思うんだ。決まりを守って普通に暮らしているなら、ほかの人たちと同じように接してあげたいなって」
オリヴァーは頷いた。
「そのとおりですね。正式に受け入れる以上、彼らにも住民としての権利と義務があります。元軍人だからといって特別な待遇を認めることも、必要以上に不利な扱いをすることも避けるべきでしょう」
「それなら、村の人たちにも説明しておいた方がよさそうですね」
タクマが言うと、ヴィクターも賛成した。
「警備隊からも周知します。受け入れが決まった後まで、理由もなく監視を続けるわけにはいきませんから。ただし、今後も何か問題が起きた場合は、ほかの住民と同じように対応することになります」
話し合いではそのほかにも、持ち込んだ武器の申告と管理、村の中での軍事組織の結成禁止、過去の重大な違反行為の確認などが決められた。オリヴァーはそれらを整理し、今後同じような人々が訪れた場合にも使えるよう、正式な規則として残すことにした。
ひととおり話がまとまったところで、コンラートが口を開いた。
「オリヴァー殿。一つお願いがあります」
「何でしょう?」
「今決めた規則ですが、私たちにも適用してください」
私は思わずコンラートを見た。
「コンラートさんたちにも?」
「はい。私も、部下だった五人も、元は王軍の兵士です。事情は違いますが、以前の軍での立場を持っていることに変わりはありません」
コンラートは落ち着いた様子で続けた。
「新しく来た者だけに規則を守らせて、私たちが例外になるのはおかしいでしょう。私たちも同じ手続きを踏むべきだと思います」
オリヴァーは少し考えてから頷いた。
「分かりました。では、皆さんにも同じ手続きをお願いすることにします」
「ありがとうございます」
コンラートは短く頭を下げた。
彼は以前、王軍の隊長だった人だ。今でも元部下の五人から頼りにされているけれど、その立場を利用して何かを要求するようなことはない。むしろ、自分たちも新しい規則に従うべきだと申し出たことで、村での立場をはっきりさせようとしているのだろう。
私はその姿を見ながら、コンラートが警備隊の仕事を任されている理由が、少し分かった気がした。
*
翌日、マルクたち六人は管理用の作業小屋へ呼ばれた。
オリヴァーは彼らに、ハーグレイヴ領から正式な回答が届いたことを伝えた。
「皆さんの移住が認められました。今後はノイハイムの住民として暮らしていただくことができます」
マルクたちはしばらく言葉を失っていた。
やがて、一人が隣の仲間へ顔を向け、別の男が小さく息を吐いた。マルクも驚いたようにオリヴァーを見つめていたが、ようやく口を開いた。
「……本当に、ここに住んでいいんですか?」
「はい。ただし、正式に受け入れるにあたって、守っていただく決まりがあります」
オリヴァーは昨日まとめた規則を説明した。
六人は真剣な表情で話を聞いていた。軍での立場を利用してほかの住民に命令しないこと、武器を勝手に持ち歩かないこと、村の決まりを守って働くことなどについては、特に異議もなかった。
ただ、旧所属軍との関係を断ち、今後王軍の軍務へ復帰しないことを宣誓するという説明になると、六人の間に少し沈黙が生まれた。
マルクの隣にいた若い男が、ためらいがちに尋ねた。
「……それは、もう王軍の兵士ではないと、自分たちで認めるってことですか?」
「そういうことになります。ただし、王軍側が正式に除隊を認めるという意味ではありません。大公国で暮らすにあたって、皆さん自身の意思を確認するためのものです」
オリヴァーが説明すると、男は俯いた。
彼らは自分たちの意思で軍を離れた。それでも、これまで所属していた場所との関係を断つと、改めて口にすることには戸惑いがあるのだろう。
マルクは仲間たちを見渡した。
「俺たちは、戻らないと決めてここまで来たんだろう」
誰もすぐには答えなかったけれど、やがて一人が頷き、ほかの男たちもそれに続いた。
「……ああ。そうだな」
「戻ったところで、どうなるかも分からないしな」
「それに、ここで暮らせるなら、その方がいい」
マルクはオリヴァーへ向き直った。
「分かりました。俺たちは王軍には戻りません。ここで働いて、村の決まりを守って暮らします」
オリヴァーは頷き、宣誓の手続きを進めた。
六人は一人ずつ名前を告げ、旧所属軍との関係を断つことと、大公国の法およびノイハイムの規則に従うことを宣誓した。途中で言葉に詰まる者もいたけれど、誰も取り消そうとはしなかった。
最後にオリヴァーが住民登録の書類へ記入すると、六人の正式な移住が認められた。
「これからは、ノイハイムの住民として暮らしていただきます」
マルクは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
ほかの五人も、それに続いて頭を下げた。
手続きが終わると、マルクが少し遠慮がちに尋ねた。
「あの……それで、明日の仕事はこれまでどおりでいいんでしょうか?」
オリヴァーは少し笑った。
「ええ。職人たちからも、引き続き手伝ってほしいと聞いています。仕事の割り振りについては、担当者と相談してください」
「分かりました。よろしくお願いします」
マルクはほっとしたように頷いた。
その日の午後には、コンラートと元部下の五人も同じ宣誓を行った。
こちらは迷う様子もなく、コンラートが代表して意思を伝えたあと、全員が手続きを済ませた。彼らはすでにノイハイムでの生活を選んでおり、改めて確認することにためらいはなかったようだ。
これで、村に暮らす元王軍の兵士たちは、全員が同じ規則のもとで生活することになった。
*
それから数日後、マルクたちへの聞き取りが改めて行われた。
正式な受け入れは済んでいるので、今度は彼らの身元を確認するためではない。今後も王軍から離れた兵士が流入する可能性があるため、どのような事情で軍を離れる者が増えているのかを把握しておく必要があったのだ。
聞き取りにはオリヴァーとヴィクター、コンラートが参加し、私とタクマも同席した。
マルクは机を挟んで向かい側に座り、ほかの五人も近くの椅子に腰を下ろしている。以前の聞き取りでは、六人とも緊張した様子で質問に答えていたけれど、今回は正式な住民になったこともあってか、少し落ち着いているように見えた。
「まず、皆さんが所属していた部隊の状況について、もう少し詳しく聞かせてください」
オリヴァーがそう切り出すと、マルクは頷いた。
「分かりました。ただ、俺たちは軍に入ってからそれほど長くありませんし、上の方で何が起きていたのかまでは分かりません」
「構いません。皆さんが実際に見聞きしたことだけで結構です。分からないことについては、無理に答える必要はありません」
マルクは少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
彼らの部隊は、主に物資の運搬や後方拠点の警備を担当していたという。戦場の最前線へ出ることは少なかったけれど、王軍が後退を始めてからは、部隊の移動が頻繁になっていたらしい。
「最初のうちは、次の拠点へ物資を運べばよかったんです。ところが、途中から行き先が何度も変わるようになりました」
「行き先が変わる?」
ヴィクターが尋ねた。
「はい。ある場所へ向かうよう命令されて出発したのに、途中で別の場所へ行けと言われることがありました。ようやく到着しても、そこにはもう別の部隊がいなかったり、倉庫が空になっていたりして……」
マルクは困ったように首を振った。
「俺たちには、何が起きているのか分からなかったんです」
「そうした変更は、誰から伝えられていたんだ?」
コンラートが尋ねると、マルクは少し考えてから答えた。
「ほとんどは、俺たちをまとめていた人からです。ただ、その人も上から命令されたことを伝えているだけだったと思います。詳しい理由を聞いても、分からないと言われることが多かったので」
コンラートは頷き、続けて補給の状況を尋ねた。
「最初はまだ何とかなっていました。けれど、だんだん食料の配給が減っていって、最後の方は次の補給がいつ届くのかも分からなくなっていました」
「配給が減ったというのは、具体的にはどの程度だった?」
「一日の食事が二回になったこともありましたし、配られる量も少なくなっていました。運搬中に食べるための保存食も、以前ほど支給されなくなっていました」
マルクの隣に座っていた男が、話を補足した。
「途中で立ち寄った拠点でも、食料が足りないと言われたことがありました。俺たちが運んでいた荷物も、予定していた場所へ届けられなくなって、別の部隊へ渡すことになったんです」
「その部隊も食料が不足していたの?」
私が尋ねると、男は頷いた。
「そう聞きました。ただ、本当にどのくらい足りなかったのかまでは分かりません」
私はその話を聞きながら、補給が滞るということが、兵士たちの生活にどれほど影響するのかを考えていた。
軍が大勢の兵士を動かすには、食料だけでなく、武器や防具、治療に使う薬など、さまざまな物資が必要になる。けれど、どれだけ兵士がいても、必要なものが届かなければ十分に活動することはできない。
「装備の方はどうだった?」
コンラートが尋ねた。
「それも足りていませんでした。壊れたものを直して使ったり、使えるものを別の部隊から回してもらったりしていましたが、それでも不足することがありました」
マルクは自分の手元へ視線を落とした。
「俺たちが運んでいた荷物にも、修理が必要な装備が混ざっていました。届け先で直すと聞いていたんですが、結局そのまま別の場所へ運ぶことになったものもあります」
「負傷者の扱いは?」
「十分とは言えなかったと思います」
今度は別の男が答えた。
「俺たちの部隊にも足を痛めた奴がいたんですが、しばらくそのまま移動させられていました。治療を受けられる場所へ行けば診てもらえると言われていたのに、途中で行き先が変わってしまったんです」
「治療する人がいなかったの?」
私が尋ねると、男は首を振った。
「全くいなかったわけじゃありません。ただ、負傷者が多かったみたいで、順番が回ってこなかったんです。結局、同じ部隊の仲間が肩を貸して歩かせていました」
私は思わず眉を寄せた。
傷の状態にもよるけれど、無理に歩き続ければ悪化することもある。治癒魔法を使える人がいれば手当てできたかもしれないけれど、王軍のすべての部隊に十分な数の魔導士がいるわけではないのだろう。
「命令を出していた人たちは、状況を説明してくれなかったの?」
タクマが尋ねた。
マルクは少し考えてから答えた。
「説明はありました。ただ、何日か待てば補給が来るとか、次の場所へ移動すれば落ち着くとか、そういう話ばかりでした。実際には何も変わらなくて、また別の場所へ移動することになったんです」
「それが何度も続いたのか」
「はい。最後の方は、命令が変わっても驚かなくなっていました」
マルクは膝の上で手を組んだ。
「敵と戦うより、何も分からないまま待っている時間の方が長かったんです。次にどこへ行くのかも、いつ飯が届くのかも、誰も教えてくれませんでした」
部屋の中が静かになった。
私は、王宮にいた頃に見かけた兵士たちのことを思い出していた。彼らはいつも決められた場所に立ち、命令を受ければ迷わず動いていた。私にとって王軍とは、そういう人たちが集まっている組織だった。
けれど、目の前のマルクたちが語っているのは、命令を待っても先の見通しが立たず、食料が届くかどうかさえ分からない日々だった。
コンラートはしばらく考えてから、再び口を開いた。
「兵士が姿を消すようになったのは、いつ頃からだ?」
「俺たちが部隊を離れる少し前です。最初は一人か二人でしたが、何日かすると別の奴もいなくなっていました」
「その者たちは、どうなった?」
「分かりません。捕まったという話も聞きませんでしたし、どこへ行ったのかも知りません」
マルクはそこで言葉を切り、仲間たちへ目を向けた。
「ただ、残った連中の間でも、逃げた方がいいんじゃないかって話は出るようになっていました。誰かがいなくなるたびに、次は自分たちもそうするべきなんじゃないかって」
「それで、お前たちも離れたのか?」
「……はい」
マルクは頷いた。
「最初から逃げようと思っていたわけじゃありません。軍に入った以上、命令に従うものだと思っていましたし、俺たちにできる仕事があるなら続けるつもりでした。でも、何日待っても状況が変わらなくて、仲間の一人が倒れたときに、このままじゃ全員どうなるか分からないと思ったんです」
ほかの五人も黙って話を聞いていた。
彼らがどのような気持ちで軍を離れたのか、私にはすべてを理解することはできない。それでも、少なくともマルクたちにとっては、簡単に決められることではなかったのだろう。
コンラートは頷いた。
「分かった。話してくれてありがとう」
聞き取りが一段落すると、ヴィクターが手元の記録を見ながら口を開いた。
「少なくとも、彼らのいた部隊では、補給と指揮の両方に問題が起きていたようですね」
「そうだろうな。ただ、これだけで王軍全体の状況を判断することはできん」
コンラートはそう答えた。
「部隊によって状況は違うはずだ。補給が届いている場所もあれば、まだ十分に統制が取れている部隊もあるだろう。後方で起きている混乱が、すべての部隊に広がっているとは限らない」
「それでも、同じような部隊がほかにもあれば、今後さらに人が流れてくる可能性がありますね」
オリヴァーの言葉に、ヴィクターが頷いた。
「今後、同じように軍を離れた者が来た場合は、所属部隊や離脱した時期、最後にいた場所、移動経路などを確認して記録しましょう。本人が実際に見聞きしたことも残しておけば、警備上の判断にも役立ちます」
「そうですね。ハーグレイヴ領へ報告する際にも、情報を整理しておいた方がよさそうです」
オリヴァーはそう言って、手元の紙に必要な項目を書き加えた。
ヴィクターは、聞き取った内容を記録する際には、本人が直接見たことと、ほかの兵士から聞いた話を分けておいた方がよいと提案した。噂だけで判断すると、実際には起きていないことまで事実として扱ってしまうかもしれないからだ。
コンラートもその意見に賛成し、今後の聞き取りには可能な範囲で協力すると申し出た。
これから先、ノイハイムへどれだけの人がやってくるのかは分からない。けれど、同じような事情を抱えた人たちが訪れたとき、今回の経験が役立つことになるのだろう。
*
聞き取りを終えたあと、私はタクマと一緒に村の中を歩いていた。
建設現場では職人たちが屋根の骨組みを組み立てており、少し離れた場所では新しい移住者たちが薪を運んでいる。いつもと変わらないノイハイムの風景だったけれど、私は先ほど聞いた話が気になっていた。
「……私、王軍のことを知ってるつもりだったのかもしれない」
そう呟くと、タクマがこちらを見た。
「どういうこと?」
「お父様が率いてる軍だし、王宮でも兵士の人たちはよく見かけてた。でも、あの人たちが普段どんな生活をしてるのか、ちゃんと考えたことなかったなって」
王宮にいた頃、私は兵士たちが訓練する姿や、決められた場所を警備する姿を何度も見ていた。けれど、彼らが任務を終えたあとにどこで休み、何を食べ、どんなことを考えながら働いているのかまでは、ほとんど知らなかった。
もちろん、王軍には兵士たちの生活を支えるための仕組みがあることも知っていた。食料や装備を運ぶ人たちがいて、怪我をした兵士を治療する人たちもいる。それでも、実際に補給が届かなくなったとき、兵士たちがどんな状況に置かれるのかまでは想像できていなかったのだ。
「まあ、俺も軍のことは詳しくないけどさ」
タクマは少し考えてから続けた。
「マルクさんたちみたいな人も、きっとたくさんいるんだろうな。自分から戦争を始めたわけじゃなくて、命令された仕事をしてるうちに、どうにもならなくなった人たちが」
「うん……」
私は頷いた。
父やアルフォンスたちが今どんな状況に置かれているのかは、まだ分からない。マルクたちが語ったのも、王軍の一部隊で起きていたことにすぎないし、メルキアの状況について詳しい話が聞けたわけでもない。
それでも、王軍の兵士たちが厳しい状況に置かれていることは分かった。今まで届いていた知らせだけでは、こうした一人ひとりの事情までは知ることができなかったのだ。
「気になるか?」
タクマが尋ねた。
「……うん。やっぱり気になるよ」
「そうだよな」
「でも、今すぐ何かできるわけじゃないし、もう少し状況を知りたいな。マルクさんたちの部隊だけが大変だったのか、それともほかの場所でも同じようなことが起きてるのか、それも分からないし」
タクマは頷いた。
「ヴィクターさんたちも、これから情報を集めるって言ってたしな。少しずつでも分かることは増えるんじゃないか?」
「うん。私も、ちゃんと知っておきたい」
今の私にとって、ノイハイムは自分で選んだ暮らしの場所だ。ここでの生活を大切にしたいという気持ちは変わらないし、王女として王国へ戻るつもりもない。
けれど、だからといって、生まれ育った国で起きていることを何も知らずにいていいとは思えなかった。父や王国の人々がどうしているのか、知ることができるなら知っておきたい。
そんなことを考えていると、タクマが建設現場の方を指さした。
「そういえば、午後はあっちの屋根を手伝うんだったよな?」
「あ、そうだった! もう職人さんたちが作業を始めてるね」
「急がないと、また昼飯のあとにのんびりしてたって言われるぞ」
「それ、タクマが昨日言われてたやつでしょ?」
「いや、あれはちょっと休憩が長くなっただけで……」
「はいはい。じゃあ今日はちゃんと働こうね」
「お前もな」
私たちはそんな話をしながら、建設現場へ向かった。
*
それから数日が過ぎ、マルクたちは正式な住民として働き始めていた。
仕事内容はこれまでと大きく変わらないけれど、宿舎の割り当てや仕事の記録には正式に名前が載るようになった。職人たちも、彼らを特別扱いすることなく、ほかの働き手と同じように仕事を頼んでいる。
ヴィクターは新しい受け入れ規則を警備隊員たちへ説明し、今後同様の人々が現れた場合の対応を確認していた。村の入口では交代で周辺を見張り、不審な集団が近づいてきたときは、まず安全を確保したうえで武器を置かせ、事情を確認することになっている。
元軍人の受け入れについては、村の住民たちにも説明が行われた。最初は不安を感じていた人たちも、六人が正式に移住を認められたことや、今後はほかの住民と同じ決まりに従って暮らすことを聞き、少しずつ納得しているようだった。
もちろん、すべての人がすぐに親しくなったわけではない。それでも、一緒に仕事をしていれば顔を合わせる機会も増えるし、困ったときに手を貸してもらうこともある。マルクたちも、そうした日々のやり取りを通じて、少しずつ村の暮らしに馴染んでいった。
ある朝、私とタクマが建設現場へ向かっていると、マルクたちが倉庫の前に集まっているのが見えた。
「おはよう、マルクさん!」
私が声をかけると、マルクが振り返った。
「おはよう。今日も建設の手伝いか?」
「うん。今日は屋根の材料を運ぶ予定なんだ」
「そうか。俺たちは倉庫の整理だ。昨日、新しい資材が届いたからな」
マルクはそう言って、仲間たちへ声をかけた。
「おい、そろそろ始めるぞ。先に荷車を持ってこよう」
五人は頷き、それぞれ道具を取りに向かった。彼らは以前から同じ班で働いていたこともあってか、作業を始めるときの連携もよく、誰が何を運ぶのかを相談しながら準備を進めている。
その様子を見て、タクマが小さく笑った。
「なんか、すっかり村の人って感じだな」
「そうだね」
最初に現れたときの彼らは、武器を持ち、疲れ切った顔で水を求めていた。それが今では仕事の予定を確認し、ほかの住民と同じように朝から働いている。まだ村へ来てからそれほど時間は経っていないけれど、少なくとも今の生活には少しずつ慣れてきたようだった。
マルクが荷車を引いて戻ってくると、近くにいた職人が声をかけた。
「マルク! その荷車、こっちでも使いたいから、終わったら戻してくれよ!」
「分かった! 先に倉庫の荷物を運んでくる!」
マルクはそう答え、仲間たちと一緒に倉庫へ向かった。
「さて、俺たちも行くか」
タクマが言った。
「うん。今日は運ぶものが多いって言ってたし、早く始めよう」
私たちも建設現場へ向かうと、職人たちがすでに木材の寸法を確認し、屋根の組み立てに使う材料を並べていた。私は作業の順番を聞いてから、指定された木材を魔法で持ち上げ、タクマと一緒に運搬を始めた。




