第120話 国境を超えた兵士達
ノイハイムに新しい移住者がやってきてから、数日が過ぎた。
共同宿舎に入った人たちは、それぞれの経験に応じて村の仕事を手伝い始めている。職人として働いていた人は建設現場へ向かい、力仕事に慣れている人は資材の運搬を担当するなど、オリヴァーたちが相談しながら仕事を割り振っていた。
新しい人が増えたことで、共同炊事場は以前より賑やかになっている。食事の時間になると、最近やってきた人たちが古くからいる住民に仕事のことを尋ねたり、村の暮らしについて教えてもらったりする姿を見かけるようになった。最初は遠慮がちだった人たちも、何日か一緒に働くうちに顔見知りが増えたらしく、今では自分から挨拶を交わすようになっている。
もっとも、人が増えれば、それだけ仕事も増える。新しい住居を建てるための木材が必要になるし、食料を保管する場所や生活用水の確保も考えなければならない。建設作業に加えて、完成した建物の補修や周辺の整備も続いており、村のあちこちで職人たちが忙しそうに働いていた。
この日も私は朝から建設現場を手伝い、午後には村の外周にある排水路の整備へ向かう予定だった。先日の雨で水が溜まりやすい場所が見つかったため、地面を掘り直して水の流れを変えることになったのだ。大きな石を取り除いたり、土を運んだりする作業なら魔法で手伝えるので、職人たちからも声をかけられていた。
「リカ、そろそろ昼にしないか?」
作業場へやってきたタクマが、私に声をかけた。
「もうそんな時間?」
「ああ。職人さんたちも休憩に入るってさ」
私は持ち上げていた石材を指定された場所へ下ろし、近くの職人に作業を終えてよいか確認した。固定する位置に問題がないことを確かめてから魔法を解くと、タクマと一緒に共同炊事場へ向かった。
「そういえば、この前来た人たち、もう仕事を始めてるんだね」
「そうだな。建設の経験がある人もいたらしくて、職人さんたちが喜んでたよ。昨日も新しい家の壁を組み立てるのを手伝ってた」
「これからもっと人が増えるのかな?」
「どうだろう。オリヴァーさんも受け入れの準備を進めてるみたいだけど、住む場所や食料のこともあるからな。いきなり大勢来られても困るだろうし」
「そっか。村が大きくなるのは嬉しいけど、準備も必要だもんね」
そんな話をしながら歩いていると、村の入口の方から警備隊員が走ってくるのが見えた。彼は私たちに気づくと、足を止めて声をかけてきた。
「リカさん、タクマさん! ちょうどよかった!」
「どうしたの?」
「村の外で、不審な集団が見つかりました。ヴィクター隊長から、お二人にも警戒に加わってほしいとの連絡です」
私はタクマと顔を見合わせた。
「不審な集団って、盗賊?」
「まだ分かりません。ただ、武器を持った男が六人、開拓道を歩いてきたそうです」
盗賊の事件からは、まだそれほど時間が経っていない。あのときは大きな被害を出さずに済んだけれど、村には子供や家族連れも暮らしているのだから、武装した集団が近づいてくれば警備隊が慎重になるのも当然だろう。
「分かった。すぐに行くよ」
私たちは昼食を後回しにして、警備隊員の案内で村の入口へ向かった。
*
六人の男たちが見つかったのは、村の入口から少し離れた開拓道だった。
現場に到着すると、警備隊員たちが道を塞ぐように立ち、その向こうに見慣れない男たちが集まっているのが見えた。男たちは武器を地面へ置き、警備隊員から距離を取って座っている。道の脇には剣や短槍がまとめられており、近くにはそれを見張る隊員も配置されていた。
近づくにつれて、彼らの様子がはっきりと分かってきた。服は泥や埃で汚れ、ところどころ擦り切れている。外套を羽織っている者もいたけれど、どれも長い間手入れされていないように見えた。足元の靴も傷んでおり、一人は布を巻きつけて補強している。
何より気になったのは、その服装だった。
色や形には多少の違いがあるものの、私には見覚えがあった。マリアベル王国軍の兵士たちが身につけている軍服だ。王宮にいた頃は、警備や訓練のために城内を行き来する兵士たちを何度も見かけていたので、特徴的な意匠には心当たりがある。
「……王軍の兵士?」
私が小さく呟くと、タクマも男たちを見た。
「そうなのか?」
「うん。たぶん間違いないと思う」
王都が陥落してから、王軍はメルキアへ退いたと聞いている。ここはすでに大公国の領内だし、王軍の兵士がこんな場所にいる理由は思いつかなかった。
そのとき、男たちの前に立っていたヴィクターがこちらを振り返った。
「来ていただいて助かります。現在、事情を確認しているところです」
「抵抗はなかったんですか?」
タクマが尋ねると、ヴィクターは頷いた。
「最初は少し警戒していたようですが、武器を置くよう求めると従いました。水を分けてほしいと言われたので、それは先に渡しています」
男たちの傍らには水の入った桶が置かれており、何人かは手にした器から少しずつ水を飲んでいた。私たちの姿を見ると顔を上げたけれど、立ち上がろうとする者はいない。
ヴィクターは男たちへ向き直った。
「もう一度確認する。その軍服はマリアベル王国軍のものだな?」
先頭に座っていた男が頷いた。
三十歳くらいだろうか。短く切った茶色の髪に、日に焼けた顔をしている。ほかの男たちと同じように疲れ切っていたけれど、質問に答えるときは周囲の仲間にも目を配っていた。
「……そうだ。俺たちは王軍にいた」
「いた、というのは?」
男はしばらく黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。
「……部隊を離れた。命令を受けたわけじゃない」
ヴィクターの表情がわずかに険しくなる。
「つまり、脱走したということか?」
「そうなる」
男は否定しなかった。
「俺たちは、とにかく東へ逃げてきた。国境を越えたことは分かっているが、ここがどこの領地なのかも知らなかった」
「どうして、この道へ?」
「森の近くを歩いていたら、荷車の通った跡を見つけたんだ。道をたどれば人のいる場所へ出られると思った」
男はそこで言葉を切り、傍らの仲間たちへ目を向けた。
「食料も尽きかけていた。もう何日も、まともな食事をしていない」
私は改めて六人の顔を見た。確かに、彼らは疲れ切っていた。頬がこけている者もいれば、座ったまま目を閉じている者もいる。武器を持っていたとはいえ、今すぐ戦えるような状態には見えなかった。
ただし、だからといって警戒を解いてよいわけではない。以前の盗賊たちも、最初から自分たちの正体を明かしていたわけではなかった。目の前の男たちが本当に王軍から逃げてきたのか、それとも別の目的を持っているのかは、まだ分からないのだ。
「名前を聞かせてもらおう」
ヴィクターが尋ねると、男は顔を上げた。
「マルク・ヴァイスだ」
「六人の代表者ということでいいのか?」
「代表者というほど立派なものじゃない。もともと同じ班で動いていた連中で、ここまで俺がまとめてきただけだ」
「分かった。では、マルク。もう少し詳しく話を聞かせてもらいたい」
ヴィクターは近くの警備隊員に指示を出し、男たちを引き続き監視できる位置で待機させることにした。村へ入れるかどうかはまだ決めず、オリヴァーへ報告するとともに、王軍に詳しいコンラートにも来てもらうという。
私とタクマも、そのまま現場で待機することになった。
*
コンラートが到着したのは、それからしばらくしてのことだった。
彼はヴィクターから事情を聞くと、男たちの前へ進み出た。六人の軍服や地面に置かれた武器を一通り確認してから、マルクに向かって口を開く。
「マリアベル王国軍にいたそうだな。所属していた部隊を聞かせてもらえるか?」
マルクが部隊の名前を答えると、コンラートは少し考えてから頷いた。
「名前は知っている。だが、俺のいた部隊とは別だな」
「……あんたも王軍に?」
「ああ。以前は隊長を務めていた」
マルクは驚いたようにコンラートを見た。
「それなら、俺たちが何をしたか分かるだろう」
「分かる。だからこそ、事情を確認している」
コンラートは落ち着いた声で答え、所属部隊の任務や最後に受けた命令、部隊を離れた時期などを順番に尋ねていった。マルクが答えに迷うこともあったけれど、そのたびに仲間の一人が補足し、六人の話は少しずつ整理されていく。
彼らは軍に入ってからそれほど長くないらしく、王軍の中でも後方の物資運搬や拠点警備を担当していたという。戦場の最前線で戦った経験は少なく、普段は上官から指示された仕事をこなすことが中心だったようだ。
しかし、戦況が悪化するにつれて補給が遅れるようになり、部隊の移動も繰り返された。行き先が変更されることも多く、兵士たちは次にどこへ向かうのか分からないまま命令を待つことが増えていたという。
「最後は、食料の配給も減っていた」
マルクはそう説明した。
「何日か待てば補給が来ると言われていたが、結局届かなかった。上の連中も何が起きているのか分かっていないようだった」
「それで部隊を離れたのか?」
「……ああ」
コンラートはしばらくマルクを見つめた。
「命令を受けずに軍を離れれば、脱走になる。それは理解しているな?」
「分かっている」
「捕まれば処罰される可能性もある」
「……それも分かっている」
マルクは俯いたが、やがて顔を上げて続けた。
「だが、あのまま残っていても、どうにもならなかった。俺たちは、ただ命令を待っているだけだったんだ。いつまで待てばいいのかも分からなかったし、次に食料が届く保証もなかった」
コンラートはすぐには答えなかった。
彼自身も、かつては王軍の兵士だった。今はノイハイムで警備に協力しているけれど、ここへ来るまでにはさまざまな事情があったはずだ。ただ、目の前の六人とコンラートでは、部隊を離れた経緯が同じとは限らない。
「理由があったとしても、軍を離れた事実は変わらん」
コンラートは静かに言った。
「だが、今ここで何をするつもりなのかは、別の話だ。お前たちは、この先どうするつもりだ?」
マルクは答えに詰まり、しばらくして困ったように首を振った。
「……分からない」
「分からない?」
「ここまで逃げてこられるとも思っていなかった。とにかく東へ行けば、王軍から離れられると思ったんだ」
彼は周囲を見渡した。
「ここがどんな場所なのかも知らない。村があると分かったときは、水と食料を分けてもらえるかもしれないと思っただけだ」
私はその言葉を聞きながら、男たちの様子を見つめた。
彼らはノイハイムへ移住するためにやってきたわけではない。仕事を探していたわけでも、誰かを頼ってきたわけでもなく、王軍から逃げ続けた末に偶然ここへたどり着いたのだ。マルクの答えを聞く限り、これからどうするかを考える余裕さえなかったのだろう。
コンラートはヴィクターへ向き直った。
「話の内容に大きな矛盾は見られません。所属部隊についても、私の知る範囲では不自然な点はありません。ただし、本人たちの話だけで、すべてを確認できたわけではありません」
「分かりました。ありがとうございます」
ヴィクターは頷き、オリヴァーへ報告するために警備隊員を呼んだ。
*
オリヴァーが現場へ到着すると、ヴィクターとコンラートから事情の説明を受けた。私はタクマと一緒に少し離れた場所で待機していたけれど、六人の扱いについて相談することになり、話し合いに加わることになった。
「王軍からの脱走兵、ですか……」
オリヴァーは難しい顔をした。
「事情は分かりました。しかし、簡単に村へ受け入れるわけにはいきませんね」
「はい。現時点で敵意は見られませんが、武器を持っていたことも事実です」
ヴィクターが答えた。
「それに、王国軍から離れた兵士を大公国領内で保護するとなれば、今後問題になる可能性もあります」
「そうですね」
オリヴァーは腕を組み、少し考え込んだ。
ノイハイムは大公国の開拓事業として造られた村だ。ここで暮らす人々の安全を守ることはもちろん、誰を受け入れるのかについても、オリヴァーには責任がある。困っている人を助けたいという気持ちだけで、すべてを決められるわけではないのだろう。
「……ただ、あの状態で追い返すのも難しいですね」
タクマが言った。
「食料も尽きかけているようですし、今から森へ戻しても危険だと思います」
「私もそう思う。怪我をしている人もいるみたいだし、せめて休ませてあげたいな」
オリヴァーは私たちを見てから、ヴィクターへ目を向けた。
「警備隊の監督下であれば、一時的に滞在させることは可能でしょうか?」
「場所を限定し、武器を預かったままにするのであれば対応できます。ただし、警備隊員を配置する必要があります」
「分かりました」
オリヴァーは頷いた。
「では、まずは一晩、村で休んでもらいましょう。正式な受け入れについては、事情を整理したうえでハーグレイヴ領へ報告し、判断を仰ぐことにします」
方針が決まると、オリヴァーはマルクたちの前へ進み出た。
「私は、この開拓地の管理を任されているオリヴァー・ハーグレイヴです」
マルクたちは慌てて姿勢を正そうとしたが、オリヴァーはそれを制した。
「皆さんの事情は聞きました。今夜は村で休んでいただいて構いません。ただし、いくつか条件があります」
彼はヴィクターへ目を向けてから続けた。
「武器は警備隊が預かります。滞在場所と行動できる範囲も指定しますので、許可なく移動することは認められません。また、皆さんを正式な住民として受け入れるかどうかは、今後の確認が必要です」
マルクは仲間たちと顔を見合わせた。
「……それでも、ここに置いてもらえるのか?」
「今夜は、です。明日以降については、皆さんの状態や事情を確認しながら判断します」
マルクは深く頭を下げ、ほかの五人もそれに続いた。
「……ありがとうございます」
ヴィクターが警備隊員に指示を出し、六人を共同宿舎へ案内することになった。私はその前に、彼らの怪我を確認させてもらうことにした。
「少し足を見せてもらってもいい?」
靴に布を巻いていた若い兵士へ声をかけると、彼は戸惑いながら頷いた。
靴を脱いでもらうと、足にはひどい靴擦れができていた。ほかの男たちにも小さな傷や打撲があり、長い逃亡生活で疲労が溜まっているようだった。私は必要なところへ治癒魔法を使い、傷の手当てをしていった。
「……あんた、治癒魔法が使えるのか?」
マルクが驚いたように尋ねた。
「うん。私は魔導士だからね」
「そうか……助かる」
男たちは何度も礼を言ってくれたけれど、私は無理をせず、まずは食事を取って休むように伝えた。
手当ての間、彼らは私のことを村の魔導士だと思っているらしく、王国での身分を尋ねてくることもなかった。リカルティールという王女の名前くらいは知っている者もいるかもしれないけれど、軍歴の浅い彼らが王宮で私の姿を見たことはないだろうし、目の前にいる茶髪の冒険者がその本人だとは微塵も思っていないようだった。
そもそも、王女が国境を越えた森の開拓村で、建設作業を手伝いながら暮らしているなど、普通は考えもしないだろう。私は今の生活を隠しているつもりはないし、彼らの反応を見ても、正体を疑われる心配はなさそうだった。
タクマも警備隊員と一緒に水や食事を運ぶ準備を手伝っていた。六人が宿舎へ案内されていくのを見送りながら、私は少しだけ胸の奥が落ち着かないのを感じていた。
彼らが着ていたのは、私が生まれ育った王国の軍服だった。父が今も率いているはずの王軍から、兵士たちが逃げ出している。その事実が何を意味するのか、私にはまだ分からなかった。
*
翌朝、私は共同炊事場でタクマと朝食を取っていた。
昨日の六人については、すでに村の中でも話題になっている。王軍の兵士が逃げてきたという話に驚く人もいれば、警備を強化した方がいいのではないかと心配する人もいた。もっとも、ヴィクターが事情を説明し、六人が武装解除された状態で監督下に置かれていることも伝えられていたので、大きな混乱にはなっていない。
「昨日の人たち、少しは休めたかな?」
私が尋ねると、タクマは頷いた。
「今朝、警備隊の人に聞いたけど、みんなちゃんと眠れたらしい。食事も取れたってさ」
「そっか。よかった」
「ただ、まだどうなるかは分からないみたいだな」
「うん。オリヴァーさんも慎重に判断するつもりみたいだしね」
王軍の脱走兵という立場を考えれば、それも仕方のないことだろう。昨日の様子を見る限り、六人がすぐに危険を及ぼすとは思えなかったけれど、村の安全を守るためには、もう少し時間をかけて確認する必要がある。
そんな話をしていると、共同炊事場の入口にヴィクターが現れた。
「タクマさん、リカさん。少しよろしいですか?」
「はい。どうしました?」
「昨日の六人についてですが、今朝、マルクから申し出がありまして」
「申し出?」
「何か仕事を手伝わせてほしい、とのことです」
私は少し驚いた。
「もう働けるの?」
「本人たちは問題ないと言っています。もちろん、無理をさせるつもりはありませんが、何もせずに食事だけいただくのは申し訳ないそうです」
ヴィクターは少し苦笑した。
「オリヴァー殿とも相談し、監督下でできる作業を任せることにしました」
六人は建設現場で資材運搬や薪割りなどを手伝うことになった。武器は引き続き警備隊が預かり、作業中も担当者が様子を見る。自由に村を歩き回れるわけではないけれど、働くこと自体は認められたらしい。
私はタクマと一緒に、彼らが作業する予定の場所へ向かった。
建設現場では、マルクたちが職人から説明を受けていた。
「こっちの木材を、あそこの作業場まで運んでくれ。長さごとに分けてあるから、混ぜないようにな」
「分かった」
「それから、無理に一人で持とうとするなよ。怪我をされても困るからな」
「ああ。気をつける」
マルクは頷き、仲間たちへ声をかけた。
六人は手分けして木材を運び始めた。軍で物資運搬や陣地の整備を経験していたためか、力仕事には慣れているようだった。職人の指示を確認しながら、黙々と作業を進めていく。
最初は周囲の住民たちも少し距離を取っていたけれど、しばらくすると一人の職人がマルクへ声をかけた。
「おい、そっちの木材はもう少し奥に置いてくれ。次に使うやつだから」
「ここでいいか?」
「ああ、そこだ。助かる」
マルクは短く頷き、木材を置いた。
それだけのやり取りだったけれど、昨日まで武器を持って森の道を歩いていた男たちが、今日は村の建設作業を手伝っている。私はその様子を眺めながら、彼らがここで働くことをどう感じているのか、少し気になった。
*
昼の休憩になった頃、タクマがマルクへ声をかけた。
「お疲れさまです。仕事はどうですか?」
マルクは運んでいた木材を下ろし、額の汗を拭った。
「思っていたより、やることが多いな」
「まだ建設途中ですからね。毎日こんな感じですよ」
「そうか。……だが、こういう仕事は嫌いじゃない」
マルクは近くの作業場へ目を向けた。
「軍でも陣地を作ったり、物資を運んだりはしていた。剣を振るうより、こういう仕事の方が落ち着く」
「そうなんですね」
「ああ。少なくとも、今日は何をすればいいのか分かっているからな」
タクマはその言葉を聞き、少し考えるような顔をした。
「……昨日までは、そんな余裕もなかったんですか?」
マルクは苦笑した。
「昨日どころか、ここしばらくは明日どこへ行くのかも分からなかった。命令が変わるたびに荷物をまとめて、移動して、また待たされる。その繰り返しだった」
彼はそこで言葉を切った。
「……すまない。愚痴を言っても仕方ないな」
「いえ。大変だったんですね」
タクマはそれ以上、無理に話を聞こうとはしなかった。
私は二人の会話を聞きながら、王軍の状況が気になっていた。マルクたちが所属していたのは王軍の一部隊にすぎないので、彼らの話だけで軍全体の状況を判断することはできない。それでも、補給が滞り、命令が混乱しているという話は気にかかった。
父やアルフォンスたちは、今どうしているのだろう。
王都が陥落してから、王軍がメルキアへ退いたことは聞いている。けれど、その後の詳しい状況については、私たちのところまで届く情報も限られていた。マルクたちが知っているのも、自分たちの部隊で起きたことが中心なのだろう。
私はマルクに何か尋ねようかと思ったけれど、結局やめた。彼らはようやく逃亡生活を終え、休める場所を見つけたばかりだし、今すぐ王軍のことを詳しく聞き出す必要はない。
それに、私が王国の事情を気にする理由を、彼らに説明することもできない。私が元王女だとは思っていない以上、突然王軍の内情について詳しく尋ねれば、かえって不思議に思われるかもしれない。
ここでは私は王女ではなく、一人の冒険者として暮らしている。だからこそ、今は彼らの事情を無理に聞き出すより、ノイハイムで落ち着いて過ごせるようにすることを優先したかった。
「リカ、そろそろ俺たちも飯にしようぜ」
タクマに声をかけられ、私は顔を上げた。
「あ、うん。そうだね」
私たちはマルクたちに声をかけ、共同炊事場へ向かった。
*
それから数日が過ぎた。
六人は引き続き警備隊の監督下で働き、建設現場や倉庫の仕事を手伝っていた。最初のうちは住民たちも警戒していたけれど、彼らが職人の指示に従って真面目に働いていることが分かると、少しずつ声をかける人も増えていった。
もちろん、全員がすぐに信用したわけではない。子供たちを近づけないようにしている親もいたし、夜間の警備について心配する声も残っていた。ヴィクターも警戒を緩めることはなく、六人の行動を確認しながら、問題がないか慎重に見守っている。
オリヴァーは彼らの事情をまとめ、ハーグレイヴ領へ報告を送っていた。正式な受け入れについては、まだ回答を待っている状態だった。
ある日の午後、私は村の中央にある作業小屋へ資材を届けに行った。
中ではオリヴァーとヴィクター、コンラートが話し合っていた。
「今のところ、問題は起きていません」
ヴィクターが報告している。
「作業中も指示に従っていますし、許可された範囲を離れようとした者もいません。ただし、まだ数日ですから、判断を急ぐべきではないでしょう」
「そうですね」
オリヴァーが頷いた。
「コンラートさんは、どう見ていますか?」
「現時点では、彼らの説明に大きな矛盾は見られません。仕事ぶりも真面目です。ただ、軍を離れた理由がすべて事実かどうかまでは分かりません」
コンラートは落ち着いた声で続けた。
「信用できるかどうかを判断するには、もう少し時間が必要でしょう」
「分かりました。引き続き、今の条件で滞在してもらうことにします」
私は三人の話を聞きながら、オリヴァーが慎重に判断していることに安心した。困っている人を助けることは大切だと思うけれど、村には多くの人が暮らしていて、その安全を守らなければならない。六人を受け入れることが、ほかの住民たちにとってもよい結果になるのか、きちんと確かめる必要があるのだろう。
作業小屋を出ると、ちょうど建設現場の仕事を終えたマルクたちが歩いてくるところだった。彼らは道具を片付け、共同炊事場へ向かっているらしい。
マルクが私に気づき、軽く頭を下げた。
「リカさん。今日もお疲れさまです」
「お疲れさま。仕事はもう終わったの?」
「ああ。今日は倉庫の屋根を直す手伝いをしていた。明日は薪を運ぶことになっている」
「そっか。忙しいね」
「何もせずにいるよりは、ずっといい」
マルクはそう言って笑った。
その表情は、最初に会ったときよりも随分穏やかになっていた。少し離れたところでは、ほかの五人が職人たちと話しており、明日の作業について相談しているらしく、時折笑い声も聞こえてきた。
マルクはそんな仲間たちを見てから、私へ向き直った。
「……俺たちは、いつまでここにいられるんだろうな」
「それは……オリヴァーさんたちが確認してるところだと思う」
「ああ。分かっている。急かすつもりはないんだ」
彼は少し困ったように笑った。
「ただ、ここへ来たときは、こんな場所があるとも思っていなかった。水をもらって、一晩休めれば十分だと思っていたんだ」
「うん」
「それが、今は仕事までさせてもらっている。……できることなら、もう少しここにいたいと思っているよ」
私は頷いた。
「そうなれるといいね」
「ありがとう」
マルクはもう一度頭を下げ、仲間たちのところへ戻っていった。
私はその後ろ姿を見送りながら、少し考えた。彼らはまだ正式な住民ではないし、これからどうなるのかも決まっていない。それでも、ここで働き、食事を取り、ほかの人たちと話すようになったことで、少しずつ村の暮らしに馴染み始めている。
そのとき、背後からタクマがやってきた。
「リカ、ここにいたのか」
「あ、タクマ。お疲れさま」
「お疲れ。今、マルクさんと話してた?」
「うん。ここにもう少しいられたらいいなって」
「そうか」
タクマは共同炊事場へ向かう六人を見た。マルクたちは職人たちと一緒に歩き、夕食の献立について何か話しているようだった。最初に現れたときのような張り詰めた様子はなく、仕事を終えた人たちの中に自然と混ざっている。
「少しは落ち着いたみたいだな」
「うん。最初はどうなるかと思ったけど」
「まだ正式に住めると決まったわけじゃないけどな」
「そうだね。でも、あの人たちもここで普通に暮らせるようになるといいな」
タクマは頷いた。
「そうだな。とりあえず、俺たちも飯にしようぜ」
「うん!」
私たちは共同炊事場へ向かった。入口では食事を受け取る人たちが列を作っており、マルクたちもその最後尾に並んでいた。近くにいた職人が彼らへ声をかけると、マルクが笑いながら何か答えている。
私とタクマも列の後ろへ並び、順番が来るのを待つことにした。




