第119話 新しい暮らし
ノイハイムという名前が決まってから、二十日ほどが過ぎた。
村の入口には、あの日オリヴァーや職人たちと相談していた木製の案内板が立っている。太い支柱に取り付けられた板には『ノイハイム』という文字が丁寧に彫り込まれており、補給の荷車が到着するたび、御者や護衛の冒険者たちがその名前を確かめるようになった。
案内板が完成したのは、名前を決めてから三日後のことだった。職人たちが手持ちの木材を使って作ってくれたもので、私とタクマも支柱を立てる作業を手伝っている。最初は少し大きすぎるのではないかと思ったけれど、こうして荷車が行き交うようになると、遠くからでも見つけやすい大きさで正解だったらしい。
村の中も、以前とは随分様子が変わっていた。
共同宿舎はさらに二棟増え、食料保管庫には雨を防ぐためのしっかりした屋根が取り付けられた。職人たちの作業小屋も完成し、今では木材の加工や工具の修理がそこで行われている。建設予定地には新しい建物の柱が立ち始め、朝から夕方まで槌を打つ音が絶えることはなかった。
何より大きく変わったのは、人々の暮らし方だと思う。
以前は誰もが天幕を行き来しながら、その日の仕事を確認していたけれど、今では炊事を担当する人、建設作業に出る人、畑を整える人など、それぞれの役割が決まってきた。共同炊事場の近くには洗濯物を干す場所まで作られ、朝になると桶を抱えた住民たちが集まってくる。水場へ向かう道には人の往来で踏み固められた跡ができ、荷車が通る道とは自然に使い分けられるようになっていた。
森の木々にも、少しずつ季節の変化が現れている。朝晩は以前より冷え込むようになり、日当たりのよい場所では葉の色が変わり始めていた。まだ昼間は動くと汗ばむこともあるけれど、これから先は寒さへの備えも必要になるだろう。共同宿舎では隙間風を防ぐための補修が進められ、住居区画の脇には冬に備えて薪が積み上げられていた。
「リカさん、こっちの木材もお願いできますか!」
「はーい!」
職人に呼ばれ、私は積み上げられた木材へ向き直った。
今日も朝から建設作業の手伝いだ。以前ほど大量の木材を運ぶ仕事はなくなったけれど、今度は建物の高い場所へ資材を持ち上げたり、狭い場所へ重い石を移動させたりする仕事が増えている。魔法で持ち上げること自体は簡単でも、建物が組み上がるにつれて作業できる場所が狭くなり、以前より細かな調整を求められることが多くなった。
私は木材を浮かせ、職人たちの指示に合わせてゆっくりと運んだ。組み上げられた柱の間を通すときは、木材がぶつからないように位置を調整しなければならない。力任せに動かせば、せっかく組み立てた部分を壊してしまうし、近くで作業している人に怪我をさせる恐れもある。
「そこで止めてください! ……はい、もう少し右です!」
「このくらい?」
「そうです! そのままゆっくり下ろしてください!」
職人たちが木材を受け止め、所定の位置へ収めていく。固定する準備ができたことを確認してから魔法を解くと、近くにいた作業員が額の汗を拭いながら礼を言ってくれた。
「助かりました。これを人手で持ち上げるとなると、足場を組んで、何人も集めないといけませんからね」
「どういたしまして。次はどれを運べばいい?」
「少し休んでいてください。今度はこっちで加工しないといけないので」
そう言われて作業場を離れると、少し先の道でタクマが荷車の荷物を確認しているのが見えた。彼は職人の代表者と相談しながら木箱の中身を一つずつ確かめ、近くにいた作業員へ運び先を伝えている。
「タクマ、何してるの?」
「お疲れ。次の補給便が来る前に、倉庫の中を整理してるんだよ」
タクマは手元の木箱を示した。
「同じ種類の釘が別々の場所に置いてあったり、使いかけの工具が混ざってたりしてさ。必要なときに探すのが大変らしいんだ」
「それで、全部並べ直してるの?」
「まあな。よく使うものを取り出しやすい場所に置いて、残りは種類ごとにまとめてる。どこに何があるか分かれば、無駄に探し回らなくて済むだろ」
隣にいた職人が苦笑した。
「最初は何でも空いてる場所に置いてたからな。建物が増えて、使う人間も増えたもんだから、今になって困ってるところだよ」
「これだけ作業が重なれば、仕方ないですよ」
「そう言ってもらえると助かる。お兄さんが手伝ってくれて、随分分かりやすくなったよ」
タクマは照れくさそうに笑っていた。
彼は建築の専門家というわけではないけれど、こういう仕事は意外と得意らしい。誰が何を使うのかを聞きながら、職人たちが作業しやすいように道具や資材を整理している。もちろん、木材の加工方法や建物の組み立て方については職人たちの判断に任せており、タクマ自身も分からないことがあれば遠慮なく質問していた。
私には少し面倒そうに思える仕事だけれど、タクマはそれなりに楽しんでいるようだった。
「そうだ、リカ。午後は少し時間あるか?」
「午後? うん、たぶん大丈夫だけど」
「じゃあ、あとで一緒に来てほしいところがあるんだ」
「どこ?」
「それは、あとでのお楽しみ」
タクマはそう言って笑った。
「……何それ。気になるんだけど」
「まあ、楽しみにしててくれ」
それ以上は教えてくれそうになかったので、私は少し首を傾げながら、午後の仕事が終わったら声をかけることにした。
*
昼食を終えて共同炊事場を出たところで、私は小さな男の子に呼び止められた。
「リカお姉ちゃん!」
振り返ると、ルーカスがこちらへ駆け寄ってきていた。本隊が開拓地へ到着したときに知り合った男の子で、最近は村の中でもよく顔を合わせる。母親のクララは夫を亡くしてから一人でルーカスを育ててきた女性で、以前は宿屋の厨房で働いていた。今も母親が仕事をしている間はほかの子供たちと一緒に過ごしていることが多く、今日も少し離れた場所には同じくらいの年頃の子供たちが集まっていた。
「こんにちは、ルーカス。どうしたの?」
「ねえ、前に魔法を見せてくれるって言ったよね?」
「……あっ!」
私は思わず声を上げた。
そういえば、そんな約束をしていた。開拓地へ来てからは仕事が忙しく、盗賊の事件もあったせいで、すっかり後回しになってしまっていたのだ。ルーカスの方はちゃんと覚えていたらしく、期待に満ちた目で私を見上げている。
「ごめんね。ずっと待たせちゃったね」
「ううん! でも、今日なら見せてくれる?」
今日は午後からタクマと会う約束があるけれど、まだ少し時間がある。危なくない魔法を見せるくらいなら、それほど時間もかからないだろう。
「いいよ。ただし、建物の近くじゃ危ないから、少し広いところへ行こうか」
「やった!」
ルーカスは嬉しそうに飛び跳ねると、近くにいた子供たちにも声をかけ始めた。
「みんな! リカお姉ちゃんが魔法を見せてくれるって!」
私は一人に見せるつもりだったのだけれど、気がつけば五人ほどの子供たちが集まっていた。さらに、その声を聞きつけた別の子供までやってきて、いつの間にか小さな見物人の輪ができている。中には仕事の手を休めて様子を見に来た大人もいたので、私は周囲に危険なものがないか確かめてから、広場の端へ移動することにした。
「それじゃあ、みんなはここから見ていてね。魔法を使っている間は、急に近づいちゃ駄目だよ」
子供たちが元気よく返事をしたので、私は片手を前に出して魔力を集中させた。
空中に小さな水の球が現れると、子供たちから歓声が上がった。私はその球をゆっくりと動かし、二つ、三つと数を増やしていく。透明な水の球が午後の日差しを受けてきらきらと光り、子供たちは夢中になって目で追いかけていた。
「すごい! 水が浮いてる!」
「ねえ、触ってもいい?」
「まだ駄目だよ。もう少し待ってね」
私は水の球を一つにまとめ、今度は薄い輪の形に変えた。輪をくるくると回しながら、中心を通るように小さな水滴を飛ばしてみせると、子供たちは大喜びで手を叩いた。最後に水を小さな桶へ落とすと、ルーカスが不思議そうに中を覗き込み、本当に水が入っていることを確かめていた。
「今度は風の魔法を見せるね」
私は地面へ落ちていた木の葉を風で浮かせ、子供たちの頭上をゆっくりと一周させた。葉が一枚ずつ違う方向へ動くように調整すると、子供たちは自分の頭上に来た葉を指さしながら歓声を上げた。
「もう一回!」
「今度はもっと高く!」
「はいはい、順番ね」
私は笑いながら、もう一度木の葉を浮かせた。
普段、魔法を使うときは魔物との戦闘や仕事のためであることが多い。こうして誰かを楽しませるために使うのは久しぶりだったけれど、子供たちが喜んでくれるのを見ると、私まで嬉しくなってしまう。危険な魔法を使わなくても、少し工夫するだけでこれだけ楽しんでもらえるのだから、魔法というのは便利なものだと思った。
「ねえ、リカお姉ちゃん」
ルーカスが手を上げた。
「僕も、大きくなったら魔法が使えるようになる?」
「そうだね。魔法を使うには向き不向きもあるし、勉強や練習も必要だけど、興味があるなら挑戦してみるといいと思うよ」
「リカお姉ちゃんみたいになれる?」
「うーん、どうかな。私と同じ魔法が得意とは限らないけど、ルーカスにも自分の得意なことが見つかるかもしれないね」
ルーカスは少し考えたあと、真剣な顔で頷いた。
「じゃあ、僕も魔法を勉強する!」
「ふふっ、頑張ってね」
そのとき、背後から聞き慣れた声がした。
「随分賑やかだと思ったら、ここにいたのか」
振り返ると、タクマが笑いながら歩いてきていた。どうやら倉庫の整理が一段落したらしく、手にしていた布で額の汗を拭っている。
「タクマ! ルーカスたちに魔法を見せてたの」
「なるほど。すっかり人気者だな」
タクマが子供たちを見渡すと、ルーカスが駆け寄ってきた。
「タクマお兄ちゃんも魔法できる?」
「できるぞ。リカほど上手くはないけどな」
「本当!? じゃあ、見せて!」
「いいけど、リカのを見たあとだと地味だぞ?」
タクマは苦笑しながら私に目を向けたので、私は頷いて子供たちを少し下がらせた。
彼は剣術を得意としているけれど、魔法も中級程度までなら使いこなせる。私のように複雑な魔法をいくつも組み合わせるのは苦手らしいけれど、戦闘中に剣と魔法を使い分ける腕前は、私もよく知っていた。
タクマは片手を差し出し、その上に小さな炎を灯した。炎は指先から少し離れたところで揺らめき、彼が手を動かすと、その動きに合わせてゆっくりと移動する。
「すごい! タクマお兄ちゃんも魔法使いなんだ!」
「一応な。でも、俺は剣の方が得意なんだよ」
「じゃあ、魔法を使いながら剣で戦うの?」
「そういうこと。魔法で相手の動きを止めたり、隙を作ったりするんだ」
タクマは炎を消すと、子供たちが近づいてきても大丈夫なことを確かめてから手を下ろした。
「剣も見たい!」
ルーカスは今度はタクマの腰にある剣へ視線を向けた。
「それはまた今度な。ここで剣を振り回したら危ないし、ちゃんと安全な場所を用意してからだ」
「約束だよ!」
「ああ、約束」
私はそんな二人のやり取りを眺めながら、思わず笑ってしまった。どうやら、タクマにも新しい約束ができたらしい。ルーカスは早くも友達に剣の話を始めていたけれど、タクマが見せると言ったのはあくまで安全な場所での実演であって、剣を教えると約束したわけではない。そのあたりは、あとで念を押しておいた方がよさそうだ。
「それで、リカ。そろそろ時間いいか?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
私は子供たちに別れを告げ、タクマと一緒に広場を離れた。
*
「……ねえ、どこに行くの?」
「もうすぐ着くよ」
タクマに連れられて歩いていくと、建設が進められている住居区画へ出た。
この辺りには最近、小さな家がいくつも建てられている。最初に完成した共同宿舎とは違い、それぞれの建物に入口があり、家族単位で暮らせるようになっていた。まだ建設途中の家も多いけれど、すでに入居している家からは食事の匂いや人の話し声が聞こえてくる。家の前に薪を積んでいる人もいれば、洗濯物を干している人もいて、少しずつ普通の住宅地らしくなってきていた。
「……ここって、住居区画だよね?」
「ああ。実はさ、俺たちが使う家も完成したんだ」
「……えっ?」
私は思わず足を止めた。
「ほ、本当に?」
「本当。今日、オリヴァーさんから引き渡しの連絡があったんだよ」
タクマはそう言って、少し先に建っている一軒の家を指さした。
それは、周囲の建物と同じような造りの小さな木造住宅だった。立派な装飾があるわけでもなく、壁には新しい木材の色が残っている。屋根は雨を防げるように傾斜がつけられ、入口には簡素な扉が取り付けられていた。建物の脇には薪を置くための小さな空間もあり、裏手には水場へ続く道が通っている。
「……これが、私たちの家?」
「そう。冒険者用に建ててる住居の一つを、俺たちに割り当ててくれたんだって」
私は家を見上げた。
「でも、私たちが先に使っちゃっていいの? まだ天幕で暮らしてる人もいるのに」
「そこは俺も聞いたんだけど、家族連れの人たちは共同宿舎への移動が進んでるし、個別住居も順番に完成してるから大丈夫らしい。それに、俺たちはしばらくここで仕事を続ける予定だろ?」
「……うん」
「冒険者が滞在する場所も必要だから、その一つを使ってほしいってさ。今後、俺たちがここを離れることになったら、別の人が使えるようにするらしい」
私は少し安心した。
もちろん、自分たちの家ができるのは嬉しい。けれど、私たちだけが特別扱いされて、ほかの人たちの住む場所が後回しになるのは嫌だった。村の建物は限られた資材と人手で造られているのだから、必要としている人たちにきちんと行き渡るようにしてほしいと思う。
タクマはそんな私の様子を見て、笑いながら扉を開けた。
「まあ、とりあえず中を見てみようぜ」
「うん!」
私は期待に胸を膨らませながら、家の中へ足を踏み入れた。
入口を入ると、小さな居間があった。壁際には簡素な棚が取り付けられ、窓からは午後の日差しが差し込んでいる。奥には寝室として使える部屋があり、その隣には小さな調理場も設けられていた。調理場にはかまどが据え付けられていて、煙を外へ逃がすための設備も用意されている。
広さはそれほどないけれど、二人で暮らすには十分そうだった。まだ家具はほとんど置かれていないものの、寝台や食卓を用意すれば、きちんとした生活ができるだろう。
「……すごい。ちゃんと台所まであるんだね」
「ああ。かまども使えるようになってるらしい。ただ、最初は共同炊事場を使う人が多いだろうって話だったけど」
「それでも嬉しいよ。自分たちで料理できるんだもん」
私は調理場を覗き込み、それから寝室へ向かった。
窓は小さいけれど、風通しは悪くなさそうだ。壁も床も新しい木の匂いがして、まだ誰も暮らしていない家なのだと分かる。壁の隅には木材を組み合わせた跡が残っていたけれど、職人たちが丁寧に仕上げてくれたらしく、手で触れても引っかかるようなところはなかった。
「……なんだか、久しぶりだね」
「何が?」
「二人だけの家って」
私がそう言うと、タクマも頷いた。
「そうだな。森の家を出てから、ずっと天幕生活だったし」
「うん。みんなと一緒に暮らすのも楽しいけど、やっぱり落ち着ける場所があるのは嬉しいな」
「俺もそう思う」
タクマは居間の窓を開け、外の様子を確かめた。
窓の向こうには隣の家と、その先を通る道が見える。子供たちが走っていく声や、どこかで薪を割る音も聞こえてきた。少し離れた場所では建設作業が続いているらしく、槌を打つ音も時折混ざっている。
森の家とは随分違う。
あの家は、ノヴァグラードから少し離れた森の中に建っていた。人が訪ねてくることはほとんどなく、私たちは好きなときに食事を作り、好きなように過ごすことができた。誰にも邪魔されずに暮らせる場所が欲しかった私にとって、あの家はとても大切な場所だった。
一方、ここでは家の外へ出れば誰かと顔を合わせるし、近所の人たちと挨拶を交わすこともあるだろう。困ったことがあれば助け合い、仕事が終われば一緒に食事をすることもある。静かな森の暮らしとは違うけれど、こうして人々と関わりながら暮らすのも悪くないと思えた。
「……それに」
私は寝室の方を見ながら、小さく呟いた。
「これで、夜にわざわざ森まで行かなくてもよくなるね」
タクマが一瞬きょとんとしたあと、吹き出した。
「……まだ気にしてたのか?」
「当たり前でしょ!」
私は思わず声を上げた。
「ユリウスとミレイユに見られたんだよ!? あんな恥ずかしいこと、簡単に忘れられるわけないじゃない!」
「いや、あの二人だって同じようなことしてたんだし、お互い様だろ」
「そういう問題じゃないの!」
タクマは笑いながら私の頭を軽く撫でた。
「まあ、これからは二人でゆっくりできるな」
「……うん」
私は少し照れくさくなりながら頷いた。
それから私たちは、どこに食卓を置くか、寝台はどのくらいの大きさがいいか、荷物をしまう棚は必要かといったことを相談した。森の家にある家具を持ってくるのは難しいので、しばらくは村で作ってもらえるものを使うことになりそうだ。職人たちも忙しいから、すぐに全部揃うわけではないけれど、少しずつ整えていけばいい。
「……そうだ、タクマ」
「ん?」
「今夜から、ここで寝られるの?」
「寝具を運べば大丈夫だと思う。オリヴァーさんにも、今日から使っていいって言われてるし」
「じゃあ、早速荷物を運ぼう!」
「……随分やる気だな」
「だって、楽しみなんだもん!」
私はタクマの手を取って、家の外へ向かった。
*
その日の夕方、私たちは天幕から荷物を運び出した。
もともと持ってきた荷物はそれほど多くなかったので、引っ越し自体はすぐに終わった。寝具や着替え、普段使っている道具を運び込み、職人から借りた小さな食卓を居間へ置くと、それだけで随分家らしくなった。
荷物を片付けていると、隣の家に住む女性が顔を出した。
「あら、今日からこちらに住むの?」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ。何か困ったことがあったら声をかけてね」
女性は笑顔でそう言い、家の前へ戻っていった。
私はその後ろ姿を見送りながら、少し不思議な気持ちになった。森の家では隣人というものがいなかったから、こうして近所の人と挨拶を交わすのは新鮮だった。考えてみれば、これからは食材を分け合ったり、留守にするときに声をかけたりすることもあるのかもしれない。
「……何だか、本当に村で暮らしてるって感じがするね」
「そりゃ、村に家ができたんだからな」
「もう、そういう意味じゃなくて」
タクマが笑うので、私もつられて笑ってしまった。
そのあと、私たちは共同炊事場で夕食を済ませ、新しい家へ戻った。まだ食器も調理道具も揃っていないので、今夜は自分たちで料理を作ることはできない。それでも、帰る場所が天幕ではなく家になっただけで、いつもの道が少し違って見えた。
家の中へ入ると、タクマが扉を閉めた。
「……静かだな」
「うん。外の声は聞こえるけど、天幕とは全然違うね」
私は居間の窓を閉め、寝室へ向かった。
寝台はまだ用意できていないので、今夜は床に寝具を敷いて休むことになる。それでも屋根と壁のある場所で眠れるのはありがたかったし、夜中に雨が降るたび天幕の周囲を気にする必要もなくなる。荷物を置く場所が決まっているだけでも、毎日の支度は随分楽になりそうだった。
「明日は食器を揃えたいな。あと、鍋も欲しいし」
「そうだな。職人さんに棚も頼んでみるか」
「うん。それから、窓に布を掛けたいかも」
「確かに。外から丸見えだしな」
私は窓の方を見て、思わず頷いた。
「……それは困るね」
「何が?」
「……タクマ、分かってて聞いてるでしょ」
「さあ?」
タクマは楽しそうに笑っていた。
私はそんな彼の腕を軽く叩き、それから二人で寝具を広げた。明日も朝から仕事があるので、いつまでも起きているわけにはいかないけれど、家具の置き場所や必要な道具の話はなかなか終わらなかった。
*
翌朝、私たちはオリヴァーに呼ばれて、村の中央にある作業小屋へ向かった。
中ではヴィクターや職人の代表者たちが集まり、今後の村の運営について話し合っていた。私とタクマも冒険者の立場から意見を求められ、空いている席へ座ることになった。
「住居の整備は予定より順調に進んでいますが、これからは村の運営についても考えていく必要があります」
オリヴァーは机に広げた書類を示した。
「食料の配分や資材の管理、警備の巡回、住民の登録など、これまでは開拓団の臨時体制で対応してきました。しかし、今後も人が増えるのであれば、担当者や手続きを明確にしておいた方がよいでしょう」
ヴィクターが頷いた。
「警備についても同様です。現在は建設現場や資材置き場の見回りが中心ですが、住居区画が広がれば巡回経路も見直す必要があります。村の外へ出る道も増えていますので、森との境界をどこまで警戒するかも考えなければなりません」
「食料の管理も大変になってきましたね」
職人の代表者が言った。
「倉庫ができたのはありがたいですが、何をどれだけ使ったのか記録しておかないと、次の補給で足りなくなるものが出てきそうです。今は担当者同士で声をかけ合って何とかしていますが、人数が増えればそれだけでは追いつかなくなるでしょう」
タクマは話を聞きながら、机の上の書類を覗き込んだ。
「担当する人を決めて、困ったときに誰へ相談すればいいのか分かるようにしておくと、少しは楽になるかもしれませんね。資材も、使う人がそれぞれ持ち出すより、管理する人を通した方が数を把握しやすいと思います」
「私もそう考えています」
オリヴァーは頷いた。
「大公国の村落では、住民の代表者や各仕事の責任者を置く形が一般的です。ノイハイムでも、それを参考にした仕組みを整えていきたいと思っています。もちろん、今の人数で大きな組織を作る必要はありませんが、誰か一人に仕事が集中しないようにすることも大切でしょう」
それからしばらく、私たちは今後必要になる仕事について話し合った。
共同炊事場の管理や水場の清掃、建設資材の保管、住民の体調不良への対応など、考え始めると仕事はいくらでも出てくる。私は魔法で手伝えることがあれば協力すると伝えたけれど、オリヴァーは私がいつでも村にいるとは限らないことも考え、住民だけで対応できる仕組みを優先したいと言っていた。
その考えには、私も賛成だった。
私たちは冒険者として開拓に協力しているけれど、将来もずっとここにいるとは限らない。だからこそ、村の人たちが自分たちで暮らしを続けられるようになることが大切なのだろう。
話し合いが終わりかけたところで、ヴィクターが一枚の書類を取り出した。
「それから、次の補給便ですが、今回は新しく移住を希望する人々も同行する予定です」
「移住者?」
私が聞き返すと、ヴィクターは頷いた。
「ハーグレイヴ領で開拓地の話を聞き、こちらで仕事を探したいという人たちです。人数はまだ多くありませんが、今後も増える可能性があります」
オリヴァーが説明を引き継いだ。
「住民の受け入れについても、これからは一定の手続きを設ける必要があるでしょう。住む場所や仕事の割り振りも含めて、準備しておきたいと思っています」
「誰でも自由に入れるようにするわけにはいきませんからね」
ヴィクターが付け加えた。
「以前の盗賊の件もありますし、身元や目的を確認することは必要です。ただ、必要以上に警戒して、働く場所を求めて来た人たちを追い返すことも避けたいと考えています」
私は頷いた。
ノイハイムは、最初にここへ来た人たちだけの場所ではなくなりつつあるらしい。今後も移住者が増えるなら、住む場所や仕事だけでなく、新しい人たちが安心して暮らせるようにすることも考えていかなければならないのだろう。
*
数日後、補給の荷車がノイハイムへ到着した。
いつものように食料や工具を積んだ荷車が何台も並び、その後ろには見慣れない人たちが歩いていた。大きな荷物を背負った男性や、夫婦らしい二人組、まだ若い職人らしい男性もいる。皆、長旅で疲れた様子だったけれど、村の入口に立つ案内板を見つけると、少し表情を緩めていた。
ヴィクターと警備隊員たちは荷車を確認しながら、新しくやってきた人たちの名前や出身地を記録していた。移住者たちは順番に呼ばれ、滞在場所や仕事について説明を受けている。
「ここで働けると聞いたんですが……」
「ええ。まずは滞在場所をご案内します。そのあと、どんな仕事ができるのかお聞かせください」
警備隊員がそう答え、移住者たちを案内していく。
私はタクマと一緒に荷物運びを手伝いながら、その様子を眺めていた。
「……新しい人が来るのって、何だか不思議だね」
「そうか?」
「うん。私たちが最初に来たときは、ここには何もなかったでしょ?」
「ああ。道も建物も、まだほとんどなかったな」
「それが今は、ここで暮らしたいって思って来る人がいるんだもん」
タクマは村の入口へ目を向けた。
そこには、ノイハイムの名前を刻んだ案内板が立っている。荷車を降りたばかりの男性が、その文字を見上げていた。
「……ここが、ノイハイムか」
男性はそう呟き、少し安心したように息を吐いた。
彼の隣にいた若い男性が、村の中を見渡しながら尋ねる。
「思っていたより、ずっと建物がありますね」
「まだ建設途中のところも多いですけど、住む場所は用意されていますよ」
私はそう答え、二人の荷物へ目を向けた。
「よかったら、荷物を運ぶのを手伝いましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。どちらの宿舎に案内されました?」
男性が手元の書類を見せてくれたので、私はタクマと一緒に行き先を確認した。新しく完成した共同宿舎の一つらしく、ここからならそれほど遠くない。
荷物を浮かせると、初めて見る魔法に男性たちは驚いていたけれど、すぐに笑顔で礼を言ってくれた。
「助かります。ここへ来るまで、ずっと荷物を背負っていたものですから」
「それは大変でしたね。宿舎はそんなに遠くないですよ」
私は荷物をゆっくりと運びながら、二人を村の中へ案内した。
途中、建設現場からは槌を打つ音が聞こえ、共同炊事場では夕食の準備が始まっていた。道の脇では子供たちが遊び、住居区画からは洗濯物を取り込む人の姿も見える。新しい家の前で薪を積んでいた男性が私たちに気づき、見慣れない二人へ軽く挨拶をすると、移住者たちも少し戸惑いながら頭を下げた。
「……本当に、人が暮らしてるんですね」
若い男性が感心したように言った。
「ええ。まだ不便なことも多いですけど、少しずつ暮らしやすくなってきていますよ」
「実は、もっと何もない場所だと思っていたんです。森を切り開いたばかりだと聞いていたので」
「最初は本当にそうでしたよ。今ある建物も、ほとんどがこの二か月ほどで造られたものなんです」
私がそう説明すると、男性は驚いたように建設現場へ目を向けた。ちょうど職人たちが新しい建物の柱を組み上げているところで、数人の作業員が声をかけ合いながら木材を運んでいた。
「それなら、これからもっと家が増えるんでしょうね」
「そうですね。今も毎日、少しずつ増えていますから」
そんな話をしているうちに宿舎へ到着したので、私は入口の前で荷物を下ろした。
タクマが扉を開けると、中にいた係の人が新しい住民を迎え入れた。私たちは荷物を運び込み、寝床の場所を確認してから、次の荷車の手伝いに戻ることにした。
「じゃあ、また何か困ったことがあったら声をかけてくださいね」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
男性たちに見送られ、私とタクマは宿舎をあとにした。
村の入口では、まだ荷車から資材を下ろす作業が続いている。職人たちは荷物の行き先を確認しながら木箱を仕分けており、ヴィクターの部下たちは新しく到着した人々の案内に追われていた。
「リカさん! こっちの木箱も運んでもらえますか!」
「はーい! 今行くよ!」
私は職人の声に返事をして、タクマと一緒に荷車の方へ戻った。荷台にはまだ工具や食料の入った木箱がいくつも残っており、タクマが行き先を確認する間に、私は運びやすいよう荷物を種類ごとに浮かせていった。
最後の木箱を食料保管庫へ運び込んだ頃には、共同炊事場から夕食の匂いが漂い始めていた。タクマが職人と一緒に荷物の数を確認し、すべて揃っていることが分かると、今日の搬入作業は終了となった。
「お疲れ、リカ。俺たちも飯にしようか」
「うん! 今日は結構働いたし、お腹空いちゃった」
私はタクマと一緒に倉庫の扉を閉め、夕食を待つ人たちが集まり始めた共同炊事場へ向かった。




