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【完結】脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【第6章】森の向こうの未来 

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第114話 森に潜む者たち


 開拓地に到着してから、二十三日目。


 昨日見つけた細い道がどこへ続いているのか、今日はその先を調べに行くことになった。


 朝食を済ませた私は、天幕の前で荷物の確認をしていた。水筒に携帯食料、予備の布、それから小さな薬品袋。いつもの探索より少し長く歩くことになりそうなので、必要なものを一通り揃えておく。


「リカ、縄は持ったか?」


 隣で荷物をまとめていたタクマが尋ねてきた。


「うん。ちゃんと入ってるよ」


「昨日みたいな窪みがあったら、使うかもしれないからな」


「昨日の窪みは、別に落ちたわけじゃないでしょ」


「落ちてからじゃ遅いだろ」


「それはそうだけど……」


 言い返そうとして、やめた。確かに、あの窪みは上から見ただけでは分からなかったし、森の中には似たような場所がいくらでもありそうだ。昨日は足場のいいところを探していたけれど、今日は知らない道を奥まで進むのだから、用心するに越したことはない。


 私は縄を荷物の奥へ押し込み、口をしっかり結んだ。


「それにしても、あの道ってどこまで続いてるんだろうね」


「さあな。途中で途切れてるかもしれないぞ」


「でも、誰かが枝を払って通ってたんでしょ? 何かあるんじゃないかな」


「何かって?」


「それが分からないから調べに行くんじゃない」


 私がそう答えると、タクマは苦笑した。


「楽しそうだな、お前」


「だって、知らない道を見つけたんだよ? 気になるじゃない」


「盗賊が使ってる道かもしれないんだぞ」


「……それは分かってるよ」


 私は荷物を背負い、少しだけ声を落とした。


 三日前、補給便が襲われたことを忘れたわけではない。負傷した護衛の人たちの姿も、道を塞いでいた倒木も、まだはっきり覚えている。あの細道が盗賊と関係しているかどうかは分からないけれど、もし誰かが今も使っているのなら、慎重に調べる必要があるだろう。


 それでも、未知の場所へ行けることに少しわくわくしている自分がいる。


「ちゃんと気をつけるから」


「ならいいけど。今日は勝手に先へ行くなよ」


「昨日だって勝手には行ってないよ。ちゃんと声をかけたでしょ?」


「『もうちょっとだけ』って何度も言ってただろ」


「……覚えてたんだ」


「そりゃ覚えてる」


 私は小さく息を吐いた。こういうところだけ、妙に記憶力がいいんだから。


     ◇


 集合場所では、ヴィクターさんとコンラートさんが地図を広げていた。シエラは少し離れたところで弓の弦を確かめている。


 今日も調査に向かうのは、私たち五人だ。開拓地の警備は残る隊員たちに任せ、オリヴァーさんにも探索の予定を伝えてあるらしい。


「おはようございます」


 私が声をかけると、ヴィクターさんが顔を上げた。


「おはようございます。準備はよろしいですか?」


「はい。昨日より少し多めに食料も持ってきました」


「助かります。今日は細道の先を調べますが、どこまで進めるかは分かりません。無理に奥へ入らず、帰還する時間も考えながら進みましょう」


「分かりました」


 私は地図を覗き込んだ。昨日、ヴィクターさんが書き込んだ小さな印が、北側の尾根の向こうに残っている。その先にはまだ何も描かれていない。


「この辺り、地図だとほとんど空白なんですね」


「ええ。森の中は十分に調査できていませんから」


「じゃあ、今日歩いたところも書き足すんですか?」


「そうですね。目印になる地形があれば記録しておきたいところです」


 私は頷いた。昨日見つけた道が地図の上でどんな形になるのか、少し楽しみだった。


 シエラが弓を背負い直して近づいてきた。


「……準備、できた」


「じゃあ、行きましょうか」


 私たちは北側の森へ向かった。


 昨日見つけた登り道は、二度目ということもあって迷わず進めた。もっとも、昨日私が見つけた窪みの近くでは、タクマがわざわざそちらを見ていたので、少しだけ腹が立った。


「……何?」


「いや、今日はそっちへ行かないんだなと思って」


「行かないよ。昨日ちゃんと調べたもん」


「そうだな。調査済みだな」


 その言い方が何となく気に入らなかったけれど、言い返しているとまたからかわれそうなので、私は前を向いて歩き続けた。


 尾根の上に出ると、昨日と同じように東側の街道が木々の間から見えた。朝の光が森の上に差し込み、遠くの木々が薄く霞んでいる。ここから見る限り、街道に変わった様子はない。


 私たちは昨日の曲がった木を目印に、尾根の反対側へ回った。


「……ここ」


 シエラが立ち止まった。


 落ち葉に覆われた細い道が、今日も木々の間へ続いている。


 昨日は入口を見つけただけで引き返したけれど、今日はその先へ進むことになる。私は少しだけ胸が弾むのを感じながら、シエラの後ろについて歩き始めた。


     ◇


 細道は思っていたより歩きやすかった。


 もちろん、街道のように整備されているわけではない。落ち葉が積もり、木の根が地面を横切り、ときどき枝を避けなければならない。それでも、周囲の森を無理に進むよりはずっと楽だった。


 何より不思議なのは、道らしい形が途切れずに続いていることだ。


 最初は木々の間が少し空いているだけに見えたのに、しばらく歩いても同じ幅の通り道が続いている。誰かが何度もここを通ったのだろうか。それとも、昔から使われていた道が今も残っているのだろうか。


「ねえ、シエラ。これって、どれくらい前からある道なんだろう?」


 私が尋ねると、シエラは足元を見ながら答えた。


「……分からない。でも、古い」


「どうして?」


「……木の根が、道に出てる」


 シエラが指した先では、太い木の根が道を横切っていた。確かに、最近作られた道なら、こんな場所をわざわざ通る必要はなさそうだ。


「じゃあ、昔から使われてた道なのかな」


「……そうかも。でも、今も通ってる」


「それも分かるの?」


「……こっち」


 シエラは少し先へ進み、道の脇に落ちていた細い枝を拾い上げた。枝の一部は折れていて、折れ口がまだ周囲の木肌ほど黒ずんでいない。


「……これは、そんなに古くない」


「へえ……」


 私は枝を覗き込んだ。


 言われてみれば違いがあるようにも見えるけれど、私一人だったら気づかなかったと思う。森の中には折れた枝なんていくらでも落ちているし、それを一つずつ調べようとも思わない。


「シエラって、こういうのよく見つけるよね」


「……慣れてるから」


「私だったら全部同じ枝に見えるなあ」


「俺もだな」


 タクマが隣から言った。


「お前は料理の材料なら見分けられるんじゃない?」


「それは見分けられるけど、枝は食わないからな」


「食べられる木の実とかなら?」


「それなら多少は分かるけど……お前、俺を何だと思ってるんだ?」


「料理の得意な冒険者?」


「間違ってないけどさ」


 私たちがそんな話をしている間も、シエラは道の様子を確かめながら進んでいた。


 ヴィクターさんとコンラートさんは少し後ろを歩き、分かれ道や目印になる場所がないか確認している。道は緩やかに下りながら北東へ曲がっていて、昨日尾根の上から想像していたよりも複雑な地形になっていた。


 途中、細道の脇に大きな岩が現れた。


 岩の片側は苔に覆われているけれど、道に面した部分だけは比較的きれいだった。私は何となく気になって近づき、表面を指でなぞってみた。


「……ここ、誰かが触ってるのかな」


 タクマも岩を見た。


「どうだろうな。雨で苔が落ちただけかもしれないぞ」


「そっか。そういうこともあるよね」


 私は少し残念に思いながら手を引っ込めた。


 何でも人の痕跡に見えてしまうのは、昨日あの道を見つけたせいかもしれない。


 それでも、知らない場所を歩いていると、普段なら気にしないものまで目に入ってくる。曲がった木や苔の生えた岩、地面に残る小さな窪み。どれも特別なものではないのに、道の行き先を探している今は、何かの手がかりに見えてしまうのだった。


     ◇


 しばらく進むと、道は谷に向かって下り始めた。


 木々の間から下を覗くと、斜面の先に細い沢が見える。水の流れる音は聞こえるけれど、ここからでは深さも幅もよく分からない。


「……あそこまで下りるのかな」


 私は足を止め、沢の方を見た。


「道はそっちに続いてるみたいだな」


 タクマが答えた。


「でも、結構下りるね。帰りが大変そう」


「今から帰りの心配か?」


「だって、下りたら登らなきゃいけないでしょ?」


「そりゃそうだ」


 タクマは笑っていたけれど、私は結構真剣だった。森の中を歩くのは嫌いじゃないけれど、急な斜面を登り続けるのは疲れる。魔法で飛んでしまえば楽なのかもしれないけれど、そんなことをしていたら調査にならないし、何より他の人たちを置いていくことになってしまう。


 シエラは少し先でしゃがみ込み、地面を調べていた。私はその様子を見ながら、水筒を取り出して一口飲んだ。


 そのときだった。


 横から吹いた風に、かすかな匂いが混じった。


「……ん?」


 私は水筒を口から離した。


 何かが焦げたような匂いだった気がする。


 周囲を見回してみたけれど、近くに煙は見えない。木々の間から差し込む日差しも変わらず、鳥の声も聞こえている。


「どうした?」


 タクマが尋ねてきた。


「今、何か匂わなかった?」


「匂い?」


「うん。何か焦げたような……」


 タクマは少し鼻を動かした。


「……いや、俺は分からないな」


「そっか。気のせいかな」


 私はもう一度周囲を見回した。


 森の中には、湿った土や木の葉の匂いが漂っている。ときどき花の香りが混じることもあるし、昨日までの雨で腐りかけた枝の匂いが強い場所もあった。


 だから、何か別の匂いを勘違いしたのかもしれない。


 そう思って歩き出そうとしたところで、また横から風が吹いた。


 今度は、はっきり分かった。


「……やっぱり」


 私は立ち止まり、タクマの袖を引いた。


「ねえ、今の。やっぱり焦げた匂いがする」


「本当か?」


「うん。風が吹いたときだけだけど」


 タクマは少し表情を変えた。


「シエラ、ちょっといいか?」


 先を歩いていたシエラが振り返る。


「……何?」


「リカが、焦げた匂いがするって」


 シエラは私の方を見た。


「……どっちから?」


「えっと……あっちかな。風が吹いたときに匂ったんだけど」


 私は谷の向こう側を指した。


 シエラは少し高い場所へ移動し、風の流れを確かめるように顔を上げた。しばらく何も言わずにいたけれど、やがて小さく頷いた。


「……煙の匂い」


「やっぱり?」


「……うん。遠くで、火を使ってる」


 私は思わず谷の向こうを見た。


 木々が密集していて、煙らしいものは見えない。それでも、どこかで誰かが火を使っているのなら、この森の中に人がいるということになる。


「焚き火かな?」


「……分からない」


 シエラが答えた。


「……でも、風はあっちから」


 ヴィクターさんとコンラートさんも近づいてきた。


 私たちは匂いに気づいたことを説明し、谷の向こう側を確認することにした。ただし、ここから先は誰かがいる可能性があるので、できるだけ静かに進む。


 私は荷物の紐を締め直し、シエラの後ろについた。


 さっきまで知らない道を歩くのが楽しかったけれど、今は少し緊張している。


 もし本当に誰かがいるのなら、相手がどんな人なのか分からない。狩人や木こりかもしれないし、開拓地のことを知らずに森を利用している人たちかもしれない。


 もちろん、盗賊の可能性だってある。


 私は一度だけタクマの顔を見た。


 タクマもこちらを見て、小さく頷いた。


 それだけで、少し落ち着いた気がした。


     ◇


 細道は谷の手前で大きく曲がり、沢に沿うように続いていた。


 私たちは道から少し外れ、木々の陰を利用しながら進んだ。シエラが先頭で足場を確かめ、ヴィクターさんとコンラートさんが周囲を警戒している。


 私はタクマの後ろを歩きながら、できるだけ音を立てないように気をつけた。


 ところが、足元の落ち葉に隠れていた細い枝を踏んでしまった。


 ぱきっ。


 思ったより大きな音がして、私は思わず肩をすくめた。


 タクマが振り返る。


「……リカ」


「ご、ごめん」


 私は小声で謝った。


 別にわざとじゃない。ちゃんと足元を見ていたつもりだったのに、落ち葉の下に枝があるなんて分からなかった。


 シエラもこちらを見たけれど、何も言わずに片手を上げた。


 その合図で、私たちはその場に止まった。


 しばらく耳を澄ませていたけれど、周囲から人の声や足音は聞こえない。沢の水音と、風に揺れる葉の音だけが続いている。


「……大丈夫」


 シエラが小さく言った。


 私はほっと息を吐いた。


「……ごめんね」


「……気をつければ、いい」


 シエラはそう答え、再び先へ進み始めた。


 タクマは私の隣に並ぶと、足元を指した。


「落ち葉が厚いところは、枝が隠れてるからな」


「うん。分かった」


「別に怒ってないぞ」


「……分かってるよ」


 私は少しだけ頬を膨らませた。


 分かっているけれど、何となく悔しい。魔物と戦うときなら、もっと大きな音を立てても平気なのに、こういう場面では小さな枝一本が気になってしまう。


 ただ、今は余計なことを考えている場合ではない。


 私は足元を確かめながら、慎重に歩き続けた。


 しばらく進むと、焦げた匂いが少しずつ強くなってきた。


 今度は私だけでなく、タクマも気づいたらしい。


「……確かに匂うな」


「でしょ?」


 私は小声で答えた。


「でも、まだ煙は見えないね」


「……もう少し先」


 シエラが言った。


 彼女は木々の間を覗き込み、少しだけ進む方向を変えた。私たちはその後ろをついていく。


 やがて、前方の木々が少し開けている場所が見えてきた。


 シエラが片手を上げた。


 私たちはその場にしゃがみ込んだ。


「……人がいる」


 シエラが囁いた。


 私は木の幹からそっと顔を出し、彼女の見ている方向を確かめた。


     ◇


 森の奥に、小さな野営地のような場所があった。


 木々に囲まれた窪地のような場所で、地面にはいくつかの荷物が置かれている。粗末な布を張った屋根の下には木箱や袋が積まれ、その近くで小さな火が焚かれていた。


 煙は木々の間を抜けて、ゆっくり上へ流れている。


 私は息を潜めながら、その様子を眺めた。


 人影がいくつか見える。


 火の近くに座っている人が二人、荷物のそばに立っている人が一人。さらに奥にも誰かいるようだけれど、木々が邪魔でよく分からない。


 服装は旅人にも見えるし、荒っぽい仕事をしている人たちにも見える。少なくとも、ここからでは盗賊だと断定できるようなものは見当たらなかった。


「……あれ、何してるんだろう」


 私はタクマの耳元で囁いた。


「さあな。休んでるだけかもしれないけど」


「こんな森の奥で?」


「狩人ならあり得るだろ」


 確かに、それはそうかもしれない。


 ただ、野営地には思っていたより荷物が多かった。木箱や袋だけでなく、布に包まれた細長いものもいくつか置かれている。


 私は少し身を乗り出し、荷物の方をよく見ようとした。


「リカ、出すぎ」


 タクマが小さく声をかけてきた。


「……ごめん」


 私は慌てて木の陰へ戻った。


 少し落ち着こう。


 ここで見つかってしまったら、何のために静かに近づいてきたのか分からない。


 私はもう一度、今度は木の幹からあまり顔を出さないようにして野営地を眺めた。


 そのとき、荷物のそばにいた男が、木箱の一つを動かした。


 下から金属製の箱が見えた。


「……あれ?」


 私は思わず目を凝らした。


 四角い金属製の工具箱だった。取っ手がついていて、表面にはいくつか傷があるように見える。


 どこかで見たことがある気がした。


 私は少し考え、それから三日前の補給便を思い出した。


 あのとき、襲われた荷馬車から工具や金属部品が奪われていた。護衛の人たちは、持ち運びやすいものを中心に盗まれたと言っていたはずだ。


 もちろん、工具箱なんて珍しいものではない。ここにあるものが盗まれた品だとは限らない。


 それでも、気になった。


「……タクマ」


「何だ?」


「あの箱、見える?」


 私は荷物の方を小さく指した。


「どれ?」


「木箱の下にある、金属の箱」


 タクマが目を凝らした。


「……ああ。工具箱みたいだな」


「うん。三日前に襲われた荷馬車から、工具が盗まれたでしょ?」


 タクマは私の方を見た。


「……まさか、あれが?」


「分からない。でも、ちょっと気になって」


 私はもう一度野営地を見た。


 工具箱のそばにいた男は、何かを探しているのか、荷物の中をかき回している。やがて別の男に声をかけられ、箱の蓋を閉じた。


 距離があるので、何を話しているのかは聞こえない。


 私はヴィクターさんの方へ向き直り、見つけたものについて小声で説明した。


「工具箱ですか」


「はい。盗まれたものかどうかは分からないんですけど、補給便の荷物に似たものがあって……」


 ヴィクターさんは木の陰から慎重に野営地を確認した。


 コンラートさんも少し位置を変え、荷物の方を見ている。


「……確かに、工具箱のようですね」


 ヴィクターさんが囁いた。


「ただ、ここからでは同じものか判断できません」


「そうですよね」


 私は頷いた。


 それでも、こんな森の奥に人が集まり、荷物を持ち込んでいることは確かだった。


 もし盗賊たちなら、ここが隠れ家なのかもしれない。


 そう考えると、急に胸の奥が落ち着かなくなった。


     ◇


 私たちはしばらく野営地の様子を観察した。


 火の近くにいた男たちは、ときどき立ち上がって荷物を運んだり、何かを話したりしている。武器らしいものを持っている人影も見えたけれど、狩人や護衛なら武器を持っていても不思議ではない。


 私はできるだけ顔を覚えようとしたものの、距離があるうえに木々が邪魔で、はっきりとは分からなかった。


 魔法で何とかできないだろうか。


 そんな考えが浮かんだ。


 遠くを見るための魔法を工夫すれば、もっと詳しく調べられるかもしれない。あるいは、魔力を使って周囲の様子を探ることができれば……。


 でも、すぐに思い直した。


 私の魔法は、戦闘や治療では役に立つけれど、こういう場面で相手に気づかれず調べる方法となると、簡単には思いつかない。下手に光や魔力の反応を出してしまえば、こちらの存在を知らせることになってしまう。


 今は無理をしない方がいい。


「……もう少し近づけば、顔が見えるかもしれませんね」


 私はヴィクターさんに囁いた。


「そうですね。ただ、あの辺りは木が少ないので、こちらも見つかりやすくなります」


 ヴィクターさんは野営地の周囲を見ながら答えた。


「それに、見えている人数がすべてとは限りません。今はここまでにしましょう」


「……分かりました」


 私はもう一度、工具箱の方を見た。


 できれば、あれが盗まれたものなのか確かめたかった。もしそうなら、開拓地で困っている職人さんたちに返せるかもしれない。


 でも、ここで不用意に近づいて誰かを危険にさらすわけにはいかない。


 私たちは野営地の位置と周囲の地形を確認し、来た道を引き返すことにした。


 シエラが先に立ち、私たちは一人ずつ木々の間を抜けていく。


 野営地が見えなくなるまで、私は何度か後ろを振り返った。


 誰かが追ってくる様子はなかったけれど、しばらくは声を出す気になれなかった。


     ◇


 細道を戻り、尾根の上まで登ったところで、ようやく一息ついた。


 私は水筒を取り出して水を飲み、近くの木に背中を預けた。谷へ下るときはそれほど気にならなかったけれど、帰りの登りはやっぱり疲れる。


「……ほら、言ったでしょ」


 私が呟くと、タクマが首を傾げた。


「何が?」


「帰りは登らなきゃいけないって」


「ああ、あれか」


 タクマは笑った。


「まあ、確かに結構登ったな」


「でしょ?」


 私は少し得意になったけれど、すぐに自分でもおかしくなった。


 別に予言したわけではない。下りたら登るのは当たり前なのだから。


 コンラートさんは周囲を警戒しながら、ヴィクターさんと小声で話していた。野営地にいた人たちの人数や荷物の量について、確認したことを整理しているらしい。


 私は少し離れたところで休みながら、さっき見た工具箱のことを考えていた。


「……ねえ、タクマ」


「ん?」


「あの人たち、やっぱり盗賊なのかな」


「分からないな。でも、あの場所に荷物を集めてるのは気になる」


「うん。私も」


 私は水筒の蓋を閉めた。


 もし盗賊だったとしても、あそこにいた全員が補給便を襲った人たちとは限らない。逆に、あそこが単なる休憩場所で、本当の拠点は別にあるのかもしれない。


 考え始めると、分からないことばかりだった。


「……早く確かめたいけど、勝手に行くわけにもいかないよね」


「そりゃそうだ。相手の人数も分からないしな」


「うん」


 私は立ち上がり、荷物を背負い直した。


 開拓地へ戻れば、オリヴァーさんたちと相談できる。今は見つけたことを正確に伝える方が大事だろう。


     ◇


 開拓地へ戻った頃には、午後の作業がだいぶ進んでいた。


 職人さんたちは相変わらず忙しそうに動いていて、木材を運ぶ音や槌を打つ音が響いている。昨日盗まれた工具の影響はあるものの、できる作業を進めているらしい。


 私たちはヴィクターさんの天幕へ向かい、オリヴァーさんとローレンスさんにも来てもらった。


 地図を広げると、昨日書き込んだ細道の入口がすぐに見つかった。


「今日は、ここから先を歩きました」


 私は地図の上に指を置いた。


「道は北東へ下っていて、途中で谷に沿うように曲がっていました。沢が見える場所まで進んだんですけど、その先で煙の匂いがして……」


 説明しながら、歩いた経路を指でたどる。


 昨日までは地図の上に何も描かれていなかった場所だけれど、実際に歩いたあとだと、木々の位置や斜面の形が少し思い浮かぶようになっていた。


「それで、こちらの辺りに野営地がありました」


 私は指を止めた。


 ヴィクターさんがその位置を確認し、地図に小さな印をつける。


「複数の人影を確認しています。ただし、正確な人数は分かりません」


「盗賊でしょうか?」


 オリヴァーさんが尋ねた。


「まだ断定できません。ただ、荷物の中に工具箱らしいものがありました」


 ヴィクターさんが答えると、ローレンスさんが顔を上げた。


「工具箱ですか?」


「はい。三日前に襲われた補給便から奪われたものかもしれません」


 私はそう答えた。


「ただ、遠くから見ただけなので、同じものかどうかは分からないんです」


「そうですか……」


 ローレンスさんは少し考え込んだ。


 盗まれた工具が見つかれば、作業の遅れを取り戻せるかもしれない。けれど、まだ確かなことは何も分かっていない。


 オリヴァーさんは地図を見つめ、ヴィクターさんに尋ねた。


「明日以降、どう動くべきでしょうか」


「まずは警備の配置を確認したいと思います。相手が盗賊だった場合、こちらが動いたことに気づかれる可能性もありますから」


「分かりました。必要な人数については、改めて相談しましょう」


 私は地図に書き込まれた野営地の印を見た。


 昨日見つけた細道は、思っていたよりずっと奥へ続いていた。そして、その先には確かに人がいた。


 あの人たちが何者なのか、まだ分からない。


 でも、三日前の襲撃と関係しているのなら、放っておくわけにはいかないだろう。


「……あの、もう一ついいですか?」


 私は地図を覗き込んでいたオリヴァーさんに声をかけた。


「何でしょう?」


「野営地の近く、木が少なくて、少し開けていたんです。だから、近づくとこちらが見つかりやすいと思います」


 私は野営地の印の手前を指した。


「もし次に調べに行くなら、この辺りから先は慎重に進んだ方がいいと思います」


「なるほど。重要な情報ですね」


 オリヴァーさんが頷き、ヴィクターさんも地図を確認した。


「確かに、接近する方向は考える必要がありますね」


 私は指を少し動かし、私たちが身を隠していた木々の位置を示した。


「私たちは、ここから見ていました。大きな木が何本かあって、向こうからは見えにくかったと思います」


「分かりました。そこも記録しておきましょう」


 ヴィクターさんは野営地の印の手前に、私が示した場所を書き加えた。


 私はその位置をもう一度確認し、指を地図から離した。


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