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【完結】脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【第6章】森の向こうの未来 

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第113話 森の抜け道


 開拓地に到着してから、二十二日目の朝。


 昨日の調査で泥だらけになった靴は、結局一晩では乾かなかった。天幕の入口に置いておいたものを手に取ってみたけれど、内側はまだ湿っている。仕方なく予備の靴を履いて炊事場へ向かうと、先に朝食を受け取っていたタクマが、私の足元を見て首を傾げた。


「今日はそっちの靴なのか?」


「昨日のがまだ乾いてないの。沢の近くを歩いたから、結構濡れちゃって」


「今日は尾根に登るんだろ? その靴、滑りやすくなかったか?」


「大丈夫だよ。前にも履いてたし」


「前に尾根へ登ったとき、結構危なっかしかったぞ」


「滑っただけで、転んでないからね」


「まだ転んだとは言ってないだろ」


「言いそうだったから」


 タクマは呆れたように笑い、私の向かいに腰を下ろした。まったく、朝から余計なことを言うんだから。もっとも、足元を心配してくれているのは分かっているので、それ以上は言い返さず、私も朝食に手をつけた。


 今日の朝食は野菜と干し肉の入った温かいスープに、少し硬めのパンだった。クララさんが炊事場を任されるようになってから、同じような材料でも料理に変化がつくようになった気がする。昨日は香草を使った煮込みだったし、今日は干し肉の塩気が野菜によく染みていた。


 こういうところは、さすが元宿屋の料理人だと思う。


 炊事場の向こうでは、職人さんたちが今日の作業について相談していた。盗賊に奪われた工具の影響で、予定していた仕事の一部を入れ替えるらしい。ブルーノさんが木材の山を指しながら説明していて、若い職人さんたちが何度も頷いている。


「工具、まだ足りないんだね」


 私がそちらを見ながら言うと、タクマも振り返った。


「昨日ローレンスさんが言ってただろ。代わりが利かないものもあるって」


「うん。でも、何日も作業が止まるようなことにならなくてよかった」


「それはそうだな。まあ、困ってるのは確かだろうけど」


 私はスープを一口飲んだ。開拓地へ来てから、建物が少しずつ形になっていくのを見るのが楽しみになっていた。昨日まで柱しかなかったところに壁ができたり、ただの広場だった場所に屋根がかかったりするのは、見ていて飽きない。そんな作業が盗賊のせいで遅れるのは、やっぱり腹立たしい。


「そういえば、今日はどこまで調べるんだ?」


 タクマがパンをちぎりながら尋ねた。


「北側の尾根だよ。前に登ったところ」


「それは聞いた。尾根の向こうまで行くのかって話」


「そこまでは聞いてないなあ。巡回に使える道を探すって話だったから、登りやすい場所を調べるんじゃない?」


「なるほど。じゃあ、今日はあんまり奥まで行かないか」


「どうだろうね。行ってみないと分からないかも」


「……お前、今日の予定をほとんど把握してないだろ」


「大体は分かってるよ!」


 失礼な。ちゃんと説明は聞いていた。ただ、森の中のことなんて実際に歩いてみないと分からないし、ヴィクターさんだって細かい経路までは決めていないはずだ。


 ……たぶん。


     ◇


 朝食を終えて集合場所へ向かうと、ヴィクターさんが警備兵たちに指示を出しているところだった。昨日決まった巡回経路の見直しについて、開拓地に残る隊員たちと確認しているらしい。私たちはその間に水筒や荷物を確かめ、少し離れたところで待つことにした。


 今日も同行するのは、私とタクマ、シエラ、コンラートさん、ヴィクターさんの五人だ。昨日と同じ顔ぶれだけれど、目的は少し違う。襲撃現場を調べるのではなく、開拓地の周囲を安全に見回れる道がないか探すのだ。


「お待たせしました」


 ヴィクターさんが戻ってきた。


「今日は北側の尾根へ向かいます。以前確認した場所から街道の一部が見えましたので、巡回に利用できる経路を探したいと思います」


「前に登った斜面は、結構急でしたよね」


 私が言うと、ヴィクターさんは頷いた。


「ええ。あの道を毎回使うのは難しいでしょう。今回は別の登り道を探しながら進むつもりです」


「……少し東側なら、登れそうな場所がある」


 シエラが森の方を見ながら言った。


「では、まずはそちらを確認しましょう」


 私たちは北側の森へ向かった。


 開拓地を出てしばらく歩くと、木々の間隔が狭くなり、地面には落ち葉が厚く積もり始めた。まだ人の手が入っていない場所が多いので、歩くたびに枝を避けたり、木の根をまたいだりしなければならない。


 前に来たときも同じような道を歩いたはずだけれど、今日は少しだけ余裕があった。どの辺りから斜面が始まるのか、尾根がどちらへ伸びているのか、何となく覚えているからだ。


 もっとも、私の記憶がどこまで当てになるかは怪しい。


「リカ、そっちじゃないぞ」


 前を歩いていたタクマが声をかけてきた。


「え?」


「こっち。シエラが曲がっただろ」


 顔を上げると、確かにシエラは少し右側の木々の間へ進んでいた。私は地面ばかり見ていて、曲がったことに気づかなかったらしい。


「……分かってたよ」


「絶対分かってなかっただろ」


「ちょっと確認してただけ」


「何を?」


「地面を」


「そりゃ見れば分かる」


 私は返事をせず、足を速めてタクマの横に並んだ。


 こういうとき、余計なことを言うと大抵もっとからかわれる。長い付き合いなので、それくらいは分かっている。


     ◇


 尾根の手前まで来ると、シエラが足を止めた。前回登った場所より少し東側に、木々の間を縫うような緩やかな斜面が続いている。


「……ここから登れると思う」


 シエラが指した先を見上げると、確かに前の道より歩きやすそうだった。大きな岩が少なく、木の根も斜面を横切るように伸びているので、足を置く場所を選びやすい。


「こっちの方が楽そうだね」


「見た感じはな」


 タクマが答えた。


「ただ、途中がどうなってるかは分からないぞ」


「それは登ってみればいいじゃない」


「まあ、そうなんだけど」


 私は先に足を踏み出した。


 ところが、数歩進んだところで靴の裏が小石を踏み、足元が少し滑った。慌てて近くの木に手をついて体勢を立て直す。


「わっ……!」


「ほらな」


 後ろからタクマの声がした。


「まだ何も起きてないでしょ!」


「今、滑っただろ」


「転んでないから!」


 振り返ると、タクマは笑いを堪えていた。


 まったく、朝から何度この話をするつもりなんだろう。


 シエラもこちらを振り返ったけれど、何も言わずに足元の石を指した。


「……ここ、滑る」


「うん。気をつける」


 私は素直に頷き、今度は足場を確かめながら登り始めた。


 しばらく進むと斜面は緩やかになり、木々の間から少しずつ空が見えるようになった。前回の道より遠回りにはなるものの、急な段差が少ないので歩くのは楽だ。これなら警備兵が巡回するときにも使えそうだった。


 ヴィクターさんとコンラートさんは少し後ろを歩きながら、斜面の状態を確認している。シエラは先に進み、登りやすい場所を探していた。


 私はタクマと並んで歩いていたけれど、途中で斜面の下側に気になる場所を見つけた。


「ねえ、あっちから回った方が楽じゃない?」


 私が指したのは、大きな木の右側だった。木々の間が広く空いていて、地面も比較的平らに見える。


「どれ?」


「あの曲がった木の向こう。こっちより緩やかそうじゃない?」


 タクマは少し身を乗り出して覗き込んだ。


「確かにそう見えるけど、途中が隠れてるな」


「ちょっと見てみようよ」


「いいけど、あんまり離れるなよ」


「分かってるって」


 私たちはヴィクターさんたちに声をかけ、見える範囲で斜面を少し下った。


 ところが、大きな木の裏側へ回ったところで、目の前の地面が急に落ち込んでいた。幅はそれほど広くないけれど、深さは私の背丈よりありそうだ。底には落ち葉が積もり、倒れた枝が何本も引っかかっている。


「あれ?」


 私は思わず足を止めた。


 上から見たときは、こんな窪みがあるなんて分からなかった。


「……駄目だな、こっち」


 タクマが隣から覗き込んだ。


「うん。思ったより深いね」


「だから途中が見えないって言っただろ」


「でも、確認しないと分からなかったでしょ?」


「まあ、それはそうだけど」


 私は窪みの向こう側を見た。そこから先はまた緩やかな斜面になっているようだけれど、この窪みを越えるのは面倒そうだ。魔法を使えば何とかなるかもしれないけれど、警備兵が毎回そんなことをするわけにもいかない。


「巡回には向いてないね」


「そうだな。こっちを通る意味はなさそうだ」


「じゃあ、戻ろうか」


 私はそう言って引き返した。


 少し残念だったけれど、見た目だけでは分からない場所があると知れたのは収穫だと思う。少なくとも、誰かがここを通ろうとしたときに止められる。


「……何か納得してる顔してるな」


 タクマが横から言った。


「だって、調べた意味はあったでしょ?」


「まあな」


「ほら」


「でも、最初からシエラの道を行けばよかったんじゃないか?」


「それは言わない約束!」


 タクマが声を出して笑った。


 私は少しだけ頬を膨らませたけれど、結局つられて笑ってしまった。


 ヴィクターさんたちと合流すると、私は窪みのことを説明した。ヴィクターさんはその場所を確認し、巡回経路の候補から外すことにしたらしい。


「こういう場所は、上から見るだけでは分かりませんからね。確認していただいて助かりました」


「そうですよね!」


 私は思わずタクマを見た。


 ほら、ちゃんと役に立ったじゃない。


 タクマは何も言わず、肩をすくめただけだった。


     ◇


 尾根の上に出る頃には、日がだいぶ高くなっていた。


 木々の間から東側の景色が見え、遠くに街道の一部が伸びているのが分かった。前に登ったときも見た景色だけれど、今日は少し違う場所から眺めているので、見える範囲も微妙に違っている。


「……やっぱり、全部は見えないね」


 私は街道の方を眺めながら言った。


 渡河点の周辺は木々に隠れていて、荷馬車が通っているかどうかまでは分からない。せっかく高いところまで来たのだから、もう少し遠くまで見えるとよかったのに。


「森だからな。木が邪魔なのは仕方ないだろ」


 タクマが答えた。


「分かってるけど、ちょっと残念」


「木を全部切るわけにもいかないしな」


「そんなことしたら、見張り台を建てるより大変そう」


「確かにな」


 私たちは少し笑った。


 ヴィクターさんは街道の見える位置を確認し、周囲の木々や斜面の様子を調べていた。コンラートさんも足元を確かめながら、尾根の端には近づかないようにしている。


「巡回の途中で街道を確認する場所としては、使えそうですね」


 ヴィクターさんが言った。


「ただ、長く留まる場所には向かないでしょう」


 コンラートさんが答える。


「斜面の端は崩れやすいようですし、雨の後は特に注意が必要です」


 私は足元を見た。


 確かに、尾根の端に近いところは土が崩れていて、ところどころ木の根がむき出しになっている。少し踏み外しただけで滑り落ちそうなので、あまり近づきたくない。


「ここに見張り台を建てるのは、やっぱり難しそうですね」


「ええ。以前もそう判断しましたが、今回確認しても変わりませんね」


 ヴィクターさんが答えた。


 私は少し離れた場所へ移動し、尾根の反対側を眺めてみた。


 こちらは前回あまり調べなかった場所だ。木々が密集していて、斜面の先がどうなっているのかよく分からない。


 ただ、しばらく眺めているうちに、少し気になるところがあった。


「……ねえ、シエラ」


「……何?」


「あそこ、木が少なくない?」


 私が指したのは、尾根の北東側へ下っていく斜面だった。


 木々の間に、細長く空いた場所がある。周囲と比べると、そこだけ枝が少なく、地面も何となく平らに見えた。


 シエラが近づいてきて、私の指した方を見た。


「……どこ?」


「あの曲がった木の向こう。ほら、少し奥まで見えるところ」


 シエラはしばらく目を凝らし、それから小さく頷いた。


「……見てくる」


「私も行くよ」


 私はヴィクターさんの方を振り返った。


「少し向こうを確認してもいいですか? 何か道みたいなものが見えるんです」


「道ですか?」


「はい。木の間が細長く空いていて」


 ヴィクターさんは私の指した方向を確認し、頷いた。


「分かりました。ただし、尾根の下までは行かないでください。何か見つけたら、すぐ戻ってきてくださいね」


「はい」


 私はタクマとシエラを連れて、木々の間へ進んだ。


     ◇


 近づいてみると、そこには確かに細い道のようなものがあった。


 幅は人が一人通れる程度で、地面には落ち葉が積もっている。それでも周囲より少し平らになっていて、木々の間を縫うように続いているのが分かった。


「……これ、道なのかな」


 私は足元を見ながら言った。


「獣道じゃないのか?」


 タクマが尋ねる。


「……人も通ってる」


 シエラが答えた。


「分かるの?」


「……枝が折れてる。高いところ」


 シエラが指した場所を見ると、私の肩より少し高い位置で枝が折れていた。確かに、小さな獣が通っただけなら、こんなところの枝は折れないかもしれない。


「……こっちも」


 シエラは別の枝を指した。


 その先端は自然に折れたというより、何かで切られたように見えた。


「誰かが通りやすくしたってこと?」


「……たぶん」


 私は道の先を眺めた。


 細い道は尾根の反対側へ続いていて、途中で曲がりながら木々の陰に消えている。思っていたより奥まで続いていそうだった。


「こんなところに道があったんだ」


「俺たち、前はこっちまで来なかったからな」


 タクマが言った。


「うん。全然気づかなかった」


 少し悔しい。


 前回だって同じ尾根に登ったのに、ほんの少し歩く場所が違うだけで、見えるものが変わってしまう。


 私は道の端にしゃがみ、落ち葉を少しどけてみた。下の土は周囲より硬くなっているように感じる。何度も人が歩けば、こんなふうになるのだろうか。


「ねえ、これって最近できた道なのかな」


「……分からない」


 シエラが答えた。


「古い道かもしれない?」


「……うん。前からあったのかも」


 私は頷いた。


 考えてみれば、この森に人が入ったのは私たちが初めてというわけではないはずだ。昔、狩人や木こりが通っていたのかもしれないし、森の奥に何か用事がある人たちが使っていたのかもしれない。


 そう考えると、道が残っていても不思議ではない。


 ただ、今も誰かが使っているのかどうかは別の話だ。


「これ、どこまで続いてるんだろう」


 私は少し先まで歩いてみた。


 道は緩やかに下っていて、途中で大きく曲がっている。そこから先は木々に隠れていて見えない。


「リカ、そろそろ戻ろうぜ」


 タクマが声をかけてきた。


「もうちょっとだけ」


「さっきもそれ言ってたぞ」


「……言ったっけ?」


「言った」


 私は立ち止まった。


 確かに、少し先が見えると、その先も気になってしまう。もう少し歩けば曲がり角の向こうが見えるかもしれないし、そこまで行けばさらに先が気になるかもしれない。


 でも、今日はこの道を最後まで歩くために来たわけではない。


「分かった。戻ろう」


 そう答えると、タクマが少し意外そうな顔をした。


「素直だな」


「何よ。私だってちゃんと聞くときは聞くよ」


「いつも聞いてくれよ」


「聞いてるってば」


 ……たぶん。


 私たちは来た道を戻り、ヴィクターさんたちのところへ向かった。


     ◇


 見つけた道について説明すると、ヴィクターさんはすぐに現場を確認したいと言った。


 私たちはもう一度その場所へ向かい、道の入口や周囲の地形を一緒に調べた。コンラートさんも枝の状態や地面の様子を見て、人が通れる道であることは間違いなさそうだと頷いた。


「開拓地の近くに、こんな道があったとは……」


 ヴィクターさんは少し驚いた様子だった。


「私たちも、前に登ったときは気づきませんでした」


 私が言うと、ヴィクターさんは頷いた。


「尾根の反対側ですからね。あのときは街道の見える場所を中心に調べていましたし、無理もありません」


 私は少し安心した。


 別に責められたわけではないけれど、前回見落としていたことが気になっていたのだ。


「この道が開拓地の近くまで続いているなら、警備の面でも気になりますね」


 ヴィクターさんが言った。


「逆に、巡回に使える可能性もあります」


 コンラートさんが答える。


「ただ、どこへ続いているか分からない以上、今は判断できません」


 私は道の奥を見た。


 盗賊が使っていた道なのだろうか。


 そんな考えが一瞬浮かんだけれど、すぐに首を振った。道があるというだけで、盗賊と結びつけるのは早すぎる。


 そもそも、私たちはこの森のことをほとんど知らないのだ。


「……ここ、目印つける?」


 シエラが尋ねた。


「そうですね。次に確認するとき、場所が分かるようにしておきましょう」


 ヴィクターさんが答えた。


 タクマが近くの木を指した。


「この木なら分かりやすいんじゃないか? 幹が曲がってるし」


「確かに、目印にはよさそうですね」


 ヴィクターさんは木の位置を確認し、周囲の地形を記録した。ただし、遠くからでも分かるような大きな印はつけなかった。


 道を調べに来たことを、わざわざ誰かに知らせる必要もないからだ。


 私たちはそれ以上奥へは進まず、来た道を戻ることにした。


     ◇


 下りは、登りよりも少し気を遣った。


 特に、最初に私が滑りかけた場所は慎重に通った。タクマが後ろから見ている気配がしたので、余計に転びたくなかったのだ。


「……そんなに見なくても大丈夫だよ」


「何も言ってないだろ」


「見てるじゃない」


「そりゃ、前を歩いてるんだから見えるだろ」


 それはそうだけど、何だか納得がいかない。


 私は少しだけ歩く速度を上げた。


「おい、急ぐなって」


「急いでないよ」


「急いでるだろ」


 ……うるさいなあ。


 それでも、前回より歩きやすい道を見つけられたのは確かだった。ヴィクターさんも、今回の斜面なら巡回に利用できるかもしれないと言っていた。


 もちろん、雨が降ったときのことまでは分からないし、道を整える必要もあるだろう。でも、少なくとも前よりは選択肢が増えた。


 開拓地へ戻った頃には、午後の作業が始まっていた。


 木材を運ぶ人たちの声が聞こえ、炊事場からは夕食の準備をする匂いが漂ってくる。私は少しお腹が空いていた。朝食を食べてからずいぶん歩いたのだから、当然だと思う。


「タクマ、今日の夕飯って何だろうね」


「さあな。クララさんに聞いてみれば?」


「後で聞いてみようかな」


「まだ昼過ぎだぞ」


「いいじゃない。気になるんだから」


 タクマは笑っていた。


 私は別に、おかしなことを言ったつもりはない。たくさん歩いた日は、お腹が空くものなのだ。それに、クララさんの料理はおいしいし。


 私たちはそのままヴィクターさんの天幕へ向かった。今日調べた道について、記録を残しておくためだ。


 ヴィクターさんは地図を広げ、前回確認した尾根の位置と、今日歩いた斜面を照らし合わせた。


「登り道は、こちらの方がよさそうですね」


「うん。途中に窪みがあるところは避けた方がいいと思います」


 私が言うと、ヴィクターさんはその場所にも印をつけた。


 続いて、尾根の反対側に見つけた細い道の位置を確認する。


「この辺りでしょうか」


「もう少し東かな。曲がった木があったところです」


「ああ、そうでしたね」


 ヴィクターさんは地図の上で位置を修正した。


 私も横から覗き込み、指で場所を示す。今日歩いた場所を地図の上で見ると、思っていたより狭い範囲だった。あれだけ歩いた気がしたのに、まだ森のほんの一部しか調べられていないらしい。


 ヴィクターさんは確認した登り道を線で結び、尾根の北東側に見つけた細道の入口へ、小さな印を書き込んだ。


「……あれ?」


 地図を覗き込んでいた私は、ふと気になって指を伸ばした。


「この道、ずっと下っていったら、どこに出るんでしょう?」


「まだ分かりませんね。今日確認できたのは入口だけですから」


「でも、尾根の向こう側って、東の街道に繋がっているんですよね?」


 ヴィクターさんは地図の上で指を動かし、少し考え込んだ。


「地形だけを見れば、その可能性はあります。ただ、途中に谷もありますから、実際に通れるかどうかは別の話です」


 私は地図に書き込まれた小さな印を見つめた。もし街道まで続いているのなら、あの細い道は私たちが思っていたよりずっと長いのかもしれない。あれだけ木々が密集した森の中に、人が歩ける道が続いているというのも、何だか不思議な気がした。


「……次は、あの先も調べてみたいですね」


「ええ。ただし、準備を整えてからにしましょう。今日は入口を見つけただけですから、先の地形も確認しておく必要があります」


「はい。今度はもう少し奥まで歩いてみたいです」


 私がそう答えると、横から地図を覗いていたタクマが口を挟んだ。


「その前に、滑りにくい靴を用意しとけよ」


「もう! まだ言うの?」


 思わず振り返ると、タクマは楽しそうに笑っていた。


 ヴィクターさんも小さく笑いながら、細道の印から先には線を引かず、地図を丁寧に丸めて机の端へ置いたのだった。


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