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【完結】脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【第6章】森の向こうの未来 

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第108話 魔法使いと職人たち


 グリューンヴァルト大森林の開拓候補地に到着して、三日目の朝を迎えた。


 最初の夜には天幕が数張りあるだけだった中央の草地も、今では少しずつ野営地らしくなっている。地面の凹凸が大きかった場所は均され、天幕の間には人が行き来するための通路ができていた。東側に一列で停められた荷馬車の周辺には資材置き場が設けられ、南側の水場へ続く道には、ぬかるみを避けるための踏み板も敷かれている。


 もっとも、整備が進んだのは野営地のごく一部だけだ。周囲には手つかずの草地が広がり、北側には相変わらず見通しの悪い林が続いている。


「三日で結構変わったね」


 私は朝食を終え、タクマと一緒に中央の草地を歩いていた。


「そうだな。最初はどこに寝ればいいのかも分からなかったからな」


「でも、まだまだやることがいっぱいありそう」


「そりゃそうだろ。これから百人以上増えるんだから」


 タクマが顎で示した先では、職人たちが地面に杭を打ち、縄を張っていた。その近くでは警備兵が周囲を見回し、作業場所へ不用意に人が入らないようにしている。


 先遣隊は四十五人いるけれど、その全員が工事に参加できるわけではない。警備や炊事、水汲み、周辺調査にも人手が必要で、実際に整地を担当できる人数は限られていた。


 それでも、作業は少しずつ進んでいる。


 大きな理由の一つが、エステルの土魔法だった。


「エステルさん、こちらの土をもう少し東へ移せますか?」


「はい。どのくらいですか?」


「この杭の高さまでお願いします」


「分かりました」


 職人に指示されたエステルが地面へ手を向けると、盛り上がっていた土がゆっくりと動き、低くなっている場所へ移っていく。


 その様子を見守っていた職人たちは、魔法が終わるとすぐに測量器具を持って作業に取りかかった。高さを確認し、大きな石を取り除き、土を踏み固めていく。


 初日に比べると、ずいぶん手際がよくなっていた。


「エステルさん、こっちもお願いできますか?」


 別の場所から声がかかった。


「はい、今行きます」


「すみません、こちらも少しだけ!」


「ちょ、ちょっと待ってください! 一度に何か所もできませんから!」


 エステルが慌てて声を上げると、職人たちは顔を見合わせた。


「すみません。こっちが終わってからで大丈夫です」


「いや、うちも急ぎじゃないんで」


「だったら、先に班長へ相談してくださいよ!」


 エステルが困ったように言ったところへ、ちょうど一人の職人が歩いてきた。


 がっしりとした体格で、日に焼けた顔には深い皺が刻まれている。先遣隊の職人たちをまとめている男で、名前はブルーノ・ベッカー。四十代半ばの大工で、これまでにも街道沿いの宿場や小さな集落の建設に携わってきたらしい。


「おいおい、何やってるんだ。エステルさんは一人しかいないんだぞ」


 ブルーノが声をかけると、職人たちは揃って頭を下げた。


「すみません、班長。つい便利なもんで」


「便利だからって、あっちこっちから頼んでたら仕事にならんだろうが」


 ブルーノは呆れたように言い、エステルへ向き直った。


「悪かったな。これから魔法を使う作業は、全部俺を通して頼むようにする」


「そうしていただけると助かります……」


「それと、一日にどれくらい使えるんだ? 魔力が切れるまで働いてもらうわけにもいかんしな」


「そうですね。今くらいの作業なら、休憩を挟めばもう少し続けられますけど、ずっと使いっぱなしだと厳しいです」


「分かった。じゃあ、午前と午後で作業する場所を決めよう。途中で休憩も入れる。ほかの連中には、その間にできる仕事を回すから」


 エステルはほっとしたように頷いた。


「ありがとうございます。それなら私もやりやすいです」


「こっちこそ助かってるんだ。無理して倒れられたら困るからな」


 ブルーノは職人たちを呼び集め、作業の順番を決め直し始めた。


 その様子を見ていたタクマが、小さく笑った。


「人気者だな、エステルさん」


「うん。でも、あれだけ頼まれたら大変だよね」


「魔法が使えるからって、何人分も同時に働けるわけじゃないからな」


 私たちも冒険者たちの作業を確認するため、その場を離れた。


     ◇


 翌日、候補地に到着して四日目の午後。


 東側の街道から、一人の騎馬が野営地へ入ってきた。


 警備兵が対応しているのを見て、私はタクマと一緒に近づいた。馬から降りた男は、集結地に残っている伯爵家の担当者からの伝令だという。


「後続の職人・資材班が、明日の昼頃に到着する予定です」


 報告を受けたオリヴァーが頷いた。


「予定どおりですね。道中に問題はありませんでしたか?」


「大きな問題はありません。荷馬車の隊列より先行して参りましたので、現時点では街道を進んでおります」


 話を聞くと、後続班は集結地で安全確認の報告を受けてから出発し、到着予定を知らせるために、伝令だけが前日に馬で先行してきたらしい。


 私たちが候補地に到着した日に送り出した伝令は、片道一日から一日半ほどで集結地へ着いたはずだ。そこから荷馬車で三日かけて来るのだから、明日の到着なら計算も合う。


「では、受け入れの準備を進めましょう」


 オリヴァーはヴィクターとブルーノを呼び、荷馬車の誘導と資材置き場について相談を始めた。


「荷馬車は何台か増えます。東側の通路を空けておきたいのですが、今の広さで足りますか?」


「一度に入れるのは難しいでしょうな」


 ブルーノが地面を見ながら答えた。


「ここはまだ整地が終わっていません。無理に横へ広げるより、一台ずつ入れて荷下ろしした方が安全です」


「分かりました。では、その方法で」


 ヴィクターも頷いた。


「街道側に警備兵を配置し、荷馬車を順番に誘導します。到着後の荷下ろし中も、周辺警戒は続けましょう」


「冒険者の方からも人を出しますよ」


 タクマが言うと、オリヴァーは礼を述べた。


「助かります。荷下ろしには人手が必要でしょうから」


 私たちはその場で担当を分け、翌日の作業を確認した。


 エステルにも、荷馬車を通すために必要な場所だけを優先して均してもらうことになった。ただし、地面の状態を確かめながらの作業になるため、すべての通路を一度に広げることはできない。


 ブルーノは職人たちに指示を出し、東側の資材置き場を整理し始めた。


     ◇


 五日目の昼前、街道の向こうから荷馬車の列が現れた。


 先頭の荷馬車が野営地の入口へ近づくと、ヴィクターの指示で警備兵たちが誘導を始めた。車輪が軟らかい地面へ入り込まないよう、職人が確認した通路を一台ずつ進ませていく。


 荷台には木材や工具、縄、杭などの資材が積まれていた。別の荷馬車には保存食や生活用品も載せられており、到着を待っていた先遣隊から歓声が上がる。


「やっと来たか!」


「おい、そっちの木材は東側だぞ!」


「食料は先に降ろしてくれ! 保管場所を空けてある!」


 あちこちから声が飛び交い、野営地は一気に賑やかになった。


 私はタクマと一緒に荷下ろしを手伝いながら、到着した職人たちの様子を眺めていた。先遣隊の職人たちと顔見知りらしく、久しぶりの再会を喜んでいる者もいる。


 その中から、身なりの整った中年の男がオリヴァーのもとへ歩いてきた。


「オリヴァー様、お待たせいたしました。資材と職人を予定どおりお連れしました」


「ご苦労さまです。道中は問題ありませんでしたか?」


「はい。川の渡河には少々時間がかかりましたが、大きな遅れはありません」


 男は後続班の工事責任者で、名をローレンス・ハルトマンという。伯爵家の工事を取りまとめる立場にあり、今後は開拓地全体の施工計画を担当することになっている。


 ブルーノは先遣隊の現場班長として引き続き職人たちを直接指揮し、ローレンスが工事全体の進捗や資材の配分を管理する。二人は以前から一緒に仕事をしているらしく、挨拶もそこそこに現場の状況を確認し始めた。


「ブルーノ、思ったより進んでいるじゃないか」


「おう。こっちには、とんでもなく腕のいい助っ人がいてな」


「助っ人?」


 ブルーノが中央の草地を指した。


「あそこ、見てみろ。最初は凸凹だらけだったんだぞ」


 ローレンスは整地された場所を見回し、驚いた顔をした。


「これを先遣隊だけで?」


「エステルさんっていう魔導士がいてな。土を動かすのを手伝ってもらってる」


 ちょうど近くにいたエステルが、二人に気づいて歩いてきた。


「あ、ブルーノさん。何かご用ですか?」


「ちょうどいい。こちらが後続班の責任者、ローレンスさんだ」


「初めまして。エステルです」


「ローレンス・ハルトマンです。いや、これは驚きました。土魔法でここまで整地できるとは」


 エステルは少し居心地悪そうに笑った。


「私がやったのは土を動かしただけですよ。測ったり、石を取り除いたり、地面を固めたりしたのは皆さんですから」


「それでも大したものです。土を運ぶ手間が減るだけで、作業はずいぶん変わりますからね」


 ローレンスは地面へしゃがみ込み、表面の状態を確かめた。


「なるほど。踏み固めもしっかりできていますね」


「そこは俺たちの仕事だからな」


 ブルーノが胸を張ると、ローレンスは笑った。


「分かっているよ。では、まず荷下ろしを終わらせよう。詳しい作業計画は、その後で相談したい」


 こうして、後続班を迎えた初日は、資材の整理と人員配置に費やされることになった。


     ◇


 六日目の朝。


 中央の野営地と南側の水場の間では、排水路を設けるための測量が始まっていた。


 ローレンスとブルーノが図面を広げ、職人たちに作業範囲を説明している。私とタクマも、周辺警戒の担当を確認するため、その場に立ち会っていた。


「こちらの草地は、南側へ向かって緩やかに下がっています」


 ローレンスが地面を指した。


「ただ、一部に低くなっている場所がありまして、強い雨が降ると、そこへ水が集まる可能性があります」


「じゃあ、そこに溝を掘ればいいんですか?」


 私が尋ねると、ローレンスは首を振った。


「ただ掘ればいいというものでもありません。水を流す先を間違えると、今度は飲み水を汲む場所へ泥水が入り込んでしまいます」


 彼は南側の水場から少し離れた低地を示した。


「今回は、こちらへ水を逃がすようにします。水を汲む場所とは分けておきたいので」


「なるほど。水が流れる方向まで考えないといけないんですね」


「ええ。地面を平らにするだけなら簡単でも、雨が降ったときのことまで考えると、なかなか難しいものです」


 ローレンスはブルーノへ目を向けた。


「まずは、この区間から始めよう。深さは測量したとおりに。崩れやすいところは補強が必要になる」


「分かった。エステルさんには、最初の掘削をお願いする」


 ブルーノがエステルを呼び、作業範囲を説明した。


「この縄の内側を、指定した深さまで掘ってほしい。土はこっち側へ寄せてもらえるか?」


「はい。少しずつ進めますね」


 エステルが手をかざすと、地面の土がゆっくりと持ち上がり、溝の形ができ始めた。


 職人たちはその後ろから測量を行い、幅と深さを確認していく。大きな石が出てきたところでは作業を止め、人の手で取り除いた。


 しばらくすると、予定していた区間の半分ほどまで掘り進んだ。


 ところが、エステルが次の場所へ魔法を向けたときだった。


「待ってくれ!」


 ブルーノが声を上げた。


 エステルはすぐに魔法を止め、振り返った。


「どうしました?」


「ここは、先に補強した方がいい」


 ブルーノは溝の側面へしゃがみ込み、土を指で押した。


 すると、湿った土がぽろぽろと崩れ落ちた。


「この辺りは土が軟らかい。今のまま掘り進めても、横から崩れて埋まっちまうぞ」


「えっ、そうなんですか?」


「土を動かすことと、掘った形を保つことは別だからな」


 ローレンスも近づき、地面の状態を確かめた。


「ここから先は、木材で側面を押さえながら進めましょう。資材も届いていますし、その方が安全です」


 エステルは頷き、少し離れた場所へ下がった。


「分かりました。補強が終わるまで待ちます」


 職人たちは荷馬車から運んできた木材を並べ、溝の側面を支える準備を始めた。


 板を必要な長さに切り、杭で固定していく。エステルが動かした土を、今度は職人たちが形を保てるように仕上げていくのだ。


 私はその作業を眺めながら、タクマへ話しかけた。


「土魔法って、もっと簡単に工事が進むものだと思ってた」


「俺も。けど、掘っただけじゃ駄目なんだな」


「うん。職人さんたちがいないと、使える場所にはならないんだね」


 タクマは頷き、木材を運んでいる職人たちへ視線を向けた。


「逆に、職人さんたちだけだったら、あの量の土を動かすのに相当かかっただろうしな」


「そうだね。両方必要なんだ」


 私たちは警戒の担当へ戻り、工事が進む間も周囲の確認を続けた。


     ◇


 午後になると、補強が終わった区間から排水路の工事が再開した。


 エステルが土を動かし、職人たちが深さを測り、必要な場所へ木材を入れていく。最初は何度も作業を止めて確認していたけれど、次第に互いの手順が分かってきたらしい。


「エステルさん、次はこの杭まで頼む!」


「はい!」


「少し待ってくれ。先にこっちの板を固定する!」


「分かりました!」


 ブルーノの指示に合わせ、エステルが魔法を使う。職人たちはその後を追いかけるように作業を進めていった。


 途中、エステルが額の汗を拭う場面が増えてきた。


 それに気づいたブルーノが、手を上げた。


「よし、今日はここまでにしよう!」


「えっ、まだできますよ?」


 エステルが驚いた顔をする。


「そうかもしれんが、明日も仕事はあるからな。今日無理して、明日動けなくなったら困る」


「でも、せっかくここまで進んだのに……」


「だからこそだ。続きは明日に回せばいい」


 ブルーノはそう言って、職人たちへ片づけを指示した。


 エステルは少し考えてから頷いた。


「……分かりました。では、今日はここまでにします」


「おう。十分助かったよ」


 職人たちは道具を片づけながら、掘った部分の安全確認を始めた。まだ工事が終わっていない場所には目印を立て、夜間に人が近づかないよう縄を張っていく。


 私とタクマは、完成した排水路の一部を見に行った。


 中央の草地から南側へ向かって浅い溝が伸び、その途中には木材で補強された場所もある。まだ全体の工事は終わっていないけれど、最初の施工区間は形になっていた。


「これで、雨が降っても少しは安心かな?」


 私が尋ねると、タクマは溝の先を見ながら答えた。


「まだ全部じゃないけど、少なくとも中央の野営地に水が溜まるのは減らせるんじゃないか」


「そっか。じゃあ、明日も頑張らないとね」


「俺たちが掘るわけじゃないけどな」


「手伝えることはあるでしょ?」


「まあ、それはそうだな」


 近くでは、ブルーノが完成した区間をもう一度確認していた。


 彼は測量用の杭を見直し、ローレンスへ声をかけた。


「この区間は予定どおりだ。補強も問題ない」


「分かりました。では、明日はその先から進めましょう」


「おう」


 ローレンスが作業記録をまとめている間に、ブルーノはエステルのところへ歩いていった。


「エステルさん、明日もよろしく頼むな」


「……明日は、もう少し早く休憩を入れてください」


「ははは、分かった。そうしよう」


 ブルーノが笑って頷くと、エステルも小さく笑い返した。


 職人たちは最後の道具を荷車へ積み込み、完成した区間の周囲に立てた杭と縄を確認した。ブルーノが作業終了を告げると、エステルも道具を手に取り、職人たちと一緒に野営地へ戻っていった。


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