第102話 集いし開拓者たち
冒険者ギルドの掲示板に、グリューンヴァルト大森林の開拓事業に関する依頼が張り出されたのは、私たちがワルシャリアから戻って数日後のことだった。
長期滞在を前提とした冒険者の募集。仕事内容は魔物の討伐や周辺地域の調査、物資輸送の護衛、開拓地の警備など多岐にわたり、報酬も通常の依頼に比べて安定している。危険な仕事には別途手当がつく予定で、冒険者にとっては悪くない条件だと思う。
ただ、実際にどれだけの応募があるかは分からなかった。開拓予定地は大森林の中で、まだ街どころかまともな道もない場所だ。長期間の野営生活を覚悟しなければならないし、魔物の危険もある。安定した報酬が魅力だとしても、そう簡単に人が集まるとは思えなかった。
……少なくとも、私はそう考えていた。
「……何これ?」
募集が始まって三日目。ギルドへ顔を出した私は、掲示板の前にできた人だかりを見て足を止めた。
いつもなら依頼を探す冒険者が数人立っている程度なのに、今日は十人以上が集まっている。しかも、掲示板の前だけではなく、受付にも何人か並んでいて、エリナたちが忙しそうに対応していた。
「すごいな。みんな開拓事業の募集を見てるのか?」
隣にいたタクマも驚いている。
「……そうみたいだけど」
私たちが近づくと、掲示板の前にいた若い冒険者たちの会話が聞こえてきた。
「おい、見たか? 今回の依頼、あの聖女と英雄が参加するらしいぞ」
「知ってるって! リカさんとタクマさんだろ? 俺も応募しようと思ってるんだ」
「Aランクの冒険者と一緒に仕事ができる機会なんて、そうそうないからな」
「それに、開拓地なら新しい仕事も増えるだろうし。うまくいけば、最初から街の発展に関われるんじゃないか?」
……なるほど。どうやら、私たちが参加することが思った以上に注目されているらしい。
ノヴァグラードでの魔物の大群との戦い以来、街の人たちから「聖女と英雄」と呼ばれることが増えたけれど、正直なところ、まだ慣れない。私としては普通に冒険者の仕事をしているつもりなのに、いつの間にかずいぶん大げさな存在になってしまった気がする。
もちろん、あの戦いが街の人たちにとって大きな出来事だったことは分かっている。私たち自身も必死だったし、無事に街を守れたことには心から安堵した。けれど、だからといって、こうして知らない冒険者たちから憧れの目を向けられると、どうにも落ち着かないのだった。
「……リカ、人気者だな」
タクマが面白そうに笑った。
「タクマもでしょ!」
「まあ、そうなんだけどさ」
「……二人とも、目立つ」
シエラが淡々と付け加える。
「シエラまで……」
そんなやり取りをしていると、受付にいたエリナが私たちを見つけて手を振った。
「あっ、リカ! ちょうどよかった! ギルドマスターが呼んでるよ!」
「……また?」
「うん。応募者のことで話があるんだって」
私は嫌な予感を覚えながら、二階の執務室へ向かった。
◇
「おう、来たか」
執務室へ入ると、バルザックは机の上に積まれた書類を顎で示した。
「見てみろ。開拓事業への応募書類だ」
「……これ、全部?」
「ああ。思った以上に集まってな。まだ募集を始めたばかりだってのに、この調子だ」
私は書類の束を見つめた。ざっと見ただけでも、募集予定人数を大きく上回っていることが分かる。依頼の掲示を始めてまだ数日だというのに、これだけの応募があるとは予想していなかった。
「すごいね。こんなに集まるとは思わなかった」
「お前たちが参加するって話が効いてるんだろうな。特に若い連中の食いつきがいい」
「……それ、喜んでいいのかな」
「いいんじゃないか? 人が集まらないよりは、ずっといいだろ」
タクマがそう言うと、バルザックは頷いた。
「そのとおりだ。ただし、応募した奴を全員連れていくわけにはいかん。開拓地で長期間働けるか、きちんと見極める必要がある」
「うん。それはそうだね」
「というわけで、面接してお前らが決めろ」
「…………」
私はバルザックの顔を見た。
「……また面接?」
「また面接だ」
「なんで私たちがやるのよ!」
「実際に連れていくのはお前たちだろうが。誰と一緒に働くのか、自分たちで確かめておけ」
「それは分かるけど……」
以前、新人冒険者の研修を任されたときも、似たようなことをした覚えがある。あのときは教える側だったけれど、今回は一緒に仕事をする人を選ぶことになるらしい。
しかも、今度は選んだ人たちと長期間行動を共にすることになる。単に依頼をこなせるかどうかだけではなく、集団生活に向いているか、ほかの冒険者たちと協力できるかまで考えなければならないのだから、責任もずっと大きい。
……私、いつからこんなに人を選ぶ仕事が増えたんだろう。
「まあまあ、リカ。バルザックさんの言うことももっともだろ」
タクマは私の隣で苦笑した。
「面接なら俺も手伝うし。人数が多いなら、何日かに分ければいいんじゃないか?」
「おう。そのつもりだ。書類の確認はこっちでもやるから、お前らは候補者と直接話してくれ」
「……分かったよ」
結局、私が断れるような話ではなかった。実際に一緒に働く人たちなのだから、自分たちで確かめておいた方がいいというのも、そのとおりだ。
こうして私たちは、開拓団に参加する冒険者たちの面接を始めることになった。
◇
面接はギルドの会議室を借りて行われた。
応募者は一人ずつ入室し、名前やランク、得意な仕事、開拓事業への応募理由などを話していく。私とタクマが質問し、バルザックが経歴やこれまでの依頼実績を確認するという流れだ。
最初のうちは少し緊張したけれど、何人か話を聞くうちに、応募者によって考えていることがずいぶん違うのだと分かってきた。
Aランク冒険者の仕事を間近で学びたいという若者もいれば、長期の安定した収入を求める者もいる。新しい街ができるなら、そこで冒険者として活動するのも面白そうだと考えている人もいた。中には、いずれ自分もAランクになりたいと、真剣な顔で目標を語る人もいる。
応募の理由は人それぞれだけれど、少なくとも新しい仕事に挑戦してみたいという気持ちは共通しているようだった。
もっとも、私たちへの憧れを隠そうともしない応募者には、少し困ってしまった。
「リカさん! あの魔物の大群を退けたときの魔法、俺も見てたんです!」
「あ、ありがとう……」
「ぜひ一緒に戦わせてください!」
「う、うん。でも今回、戦う仕事ばかりじゃないからね?」
そんなやり取りが続くと、さすがに少し疲れてくる。隣のタクマは楽しそうだったけれど、私は何度目か分からないため息をついた。
そして、次の応募者が入ってきた。
「し、失礼します……」
扉から顔を覗かせたのは、茶色い髪の女性だった。
年齢は私より少し上だろうか。深緑色の外套を羽織り、腰には小さな道具袋をいくつも下げている。派手な装備は身につけておらず、どちらかといえば職人に近い印象だった。
彼女は私たちの前に立つと、緊張した様子で深く頭を下げた。
「エ、エステル・ラヴェルです。よろしくお願いします……」
「こんにちは、エステルさん。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
「は、はい……」
……あまり大丈夫そうには見えない。
私はできるだけ柔らかい声で話しかけた。
「ええと、エステルさんはBランクなんだね。普段はどんな仕事をしてるの?」
「そ、その……護衛や討伐の依頼も受けるんですが、正直、戦うことはあまり得意ではなくて……」
エステルさんは申し訳なさそうに俯いた。Bランクまで昇格しているのだから、冒険者としての経験は十分にあるはずだけれど、どうやら自分の戦闘能力にはあまり自信がないらしい。
「でも、土魔法なら少し自信があります。地形を整えたり、地面を固めたり……あとは、木の根の周りの土を動かしたりするのも得意で……。開拓のお仕事なら、少しはお役に立てるかと思って……」
「採用!」
「早いって!」
タクマが即答したので、私は思わず突っ込んでしまった。
エステルさんは目を丸くしているし、バルザックも呆れたようにタクマを見ている。
「お前なあ。まだ話の途中だぞ」
「あ、すみません。でも、まさに探してた人材じゃないですか!」
タクマは興奮気味に説明を始めた。
「道を造るにも、建物の基礎を整えるにも、土魔法が使える人は必要ですよね。しかも、木の根を傷つけずに地面を動かせるなら、森の中での作業にはすごく向いてると思うんです」
「……まあ、それはそうだが」
「ですよね!」
エステルさんは、自分がそんなに必要とされるとは思っていなかったのだろう。戸惑ったように私たちの顔を見比べている。
「あ、あの……本当に、戦闘はあまり得意ではないんですが……」
「大丈夫です! 今回の仕事は魔物を倒すだけじゃありませんから!」
タクマは満面の笑みで答えた。
……うん。気持ちは分かる。
実際、エステルさんの能力は開拓事業にとって相当ありがたいはずだ。道を造るにも建物を建てるにも、まず地面を整える必要がある。木を伐採したあとに残る根や、起伏のある地面をどう処理するかによって、その後の作業は大きく変わるだろう。
そうした仕事を魔法で補助できる人がいれば、作業の効率はずいぶん違ってくる。しかも、彼女の話を聞く限り、単に大きな力で土を動かすのではなく、細かな調整も得意としているようだった。
ただ、私は少し違うことを考えていた。
「……エステルさん」
「は、はい?」
「先に言っておくけど、たぶんものすごく忙しくなるよ」
「えっ……そ、そうなんですか?」
「うん。経験者として保証する」
私は真剣に頷いた。
ボーマンのログハウスを建てたときの記憶が、今も鮮明に残っている。あのときは少し手伝うだけのつもりが、気がつけば土魔法を使い続けることになっていた。地面を平らにしたら次は基礎、その次は資材の移動と、次から次へと仕事が増えていったのだ。
今回は家一軒ではなく、街を造ろうとしているのだから、考えるだけでも恐ろしい。
「……リカ、脅かすなって」
「脅かしてないよ! 事実を伝えてるだけ!」
タクマが笑いながら言うので、私は思わず言い返した。
エステルさんは私たちのやり取りを見て、少しだけ緊張が解けたようだった。
「……でも、そういうお仕事なら、私にもできると思います」
彼女は小さな声ながら、はっきりとそう言った。
「魔物と戦うのは、どうしても怖くて……。でも、土魔法を使って誰かの役に立てるなら、やってみたいです」
私はその言葉を聞いて、自然と笑顔になった。
冒険者だからといって、全員が魔物と戦うことを得意としているわけではない。もちろん、危険な仕事に対応できる力は必要だけれど、それぞれが持っている能力を生かせる場所があるのなら、それは素晴らしいことだと思う。
「うん。だったら、ぜひ一緒に来てほしいな」
「……はい!」
エステルさんは嬉しそうに頷いた。
こうして、開拓団にとって心強い土魔道士が一人加わることになった。
◇
ただし、面接が順調なことばかりだったわけではない。
応募者たちには、開拓事業の目的についても説明する必要があった。
今回造られる街は、単に大森林を切り開いて新しい土地を増やすためだけのものではない。マリアベル王国で続く戦争によって故郷を離れた人々や、軍を離れた元兵士たちが、新しい生活を始められる場所としても期待されている。
もちろん、開拓地へ来る人がすべてマリアベル出身というわけではない。大公国内から移り住む人もいるだろうし、仕事を求めてやってくる商人や職人もいるはずだ。新しい街ができれば、そこにはさまざまな事情を持った人々が集まることになる。
けれど、戦争によって行き場を失った人々を受け入れる以上、普通の開拓事業とは違う難しさもある。
「……元兵士ってことは、戦争で負けた軍の人間も来るんですか?」
ある若い冒険者が、不安そうに尋ねた。
「そういう人もいると思うよ。ただ、誰でも無条件に受け入れるわけじゃない。犯罪を犯した人まで、そのまま自由にさせるつもりはないから」
私はそう説明した。
以前、マリアベルから流れてきた元兵士たちが盗賊となり、私たちと戦ったことがあった。彼らも戦争によって居場所を失った人々だったけれど、だからといって他人から物を奪っていい理由にはならない。
あのとき捕らえた十二人のことを思い出すと、今でも少し複雑な気持ちになる。
戦争が人を追い詰めることは分かる。けれど、追い詰められた人が皆、盗賊になるわけではない。コンラートさんたちのように、冒険者として新しい道を選んだ人もいるし、家族を守るために必死で働いている人だっているはずだ。
だからこそ、行き場を失った人たちに新しい仕事や暮らしを用意することには意味があると思う。
ただし、それを実現するには、開拓地を守る側にも相応の覚悟が必要だった。新しい住民を受け入れるだけでなく、そこで暮らす人々の安全を守り、問題が起きれば対処しなければならない。誰かを助けたいという気持ちだけで、すべてがうまくいくわけではないのだ。
「……すみません。少し考えさせてください」
そう言って、応募を取り下げる人もいた。
別の応募者は、長期間ノヴァグラードを離れることを改めて考え、家族と相談したいと申し出た。中には、もっと単純に魔物討伐の仕事だと思っていたため、開拓地の警備や住民の保護まで担当すると聞いて辞退する者もいた。
私は無理に引き留めなかった。
現地へ行ってから、こんなはずではなかったと後悔する方が、本人にとっても周囲にとっても大変だからだ。特に今回は、長期間にわたって同じ場所で働くことになる。途中で気持ちが変わることもあるだろうけれど、少なくとも最初の段階では、仕事内容を理解したうえで参加してほしかった。
それに、今回の開拓地はマリアベルとの国境に近いとはいえ、ノヴァグラードにマリアベル出身者が大勢集まっているわけではない。大公国の最東端にあるこの街まで流れてきた人々は、決して多くはなかった。
応募者の大半は、ノヴァグラードや周辺地域で活動している冒険者たちだった。彼らにとってマリアベルの戦争は、話には聞いていても、実際には遠い国の出来事なのだろう。だからこそ、開拓地がどのような役割を担うことになるのか、事前に説明しておく必要があった。
「……思ったより難しいな」
面接を終えたある日、タクマがぽつりと呟いた。
「うん。強い人を選べばいいって話じゃないもんね」
「そうだな。腕が立っても、長く一緒に働けなかったら困るし」
私たちは机の上に並んだ応募書類を見つめた。
今回の仕事で必要なのは、魔物と戦う力だけではない。知らない土地で暮らす覚悟や、ほかの人と協力する気持ちも大切になる。戦闘では頼りになる人でも、集団での生活が苦手かもしれないし、逆に戦うことが得意ではなくても、エステルさんのように開拓地で大きな力を発揮できる人もいる。
そのことを、面接を重ねるうちに少しずつ実感していた。
◇
数日間の選考を終え、最終的に冒険者枠の二十五人を確保することができた。
私とタクマ、シエラの三人。コンラートさんと元部下の五人、合わせて六人。ユリウスとミレイユの二人。そして、新しく加わったエステルさんを含む十四人の応募者たち。
コンラートさんの部下たちからも、全員参加するという返事をもらっている。彼らは以前から一緒に仕事をしてきた仲間同士なので、今回も六人で行動できることを喜んでいるらしい。
こうして、予定していた人数がようやく揃った。
「……終わったあ」
最後の書類を確認し終えた私は、机に突っ伏した。
「お疲れ、リカ」
タクマが笑いながら声をかけてくる。
「もうしばらく面接はしたくない……」
「まあ、そう言うな。おかげでいい人材が集まったじゃないか」
バルザックは満足そうだった。
彼の言うとおり、今回集まった冒険者たちは、それぞれ違った得意分野を持っている。魔物討伐に向いた人もいれば、斥候や護衛に長けた人もいる。エステルさんのように、戦闘以外の能力を生かせる人もいた。
全員が同じ仕事をするわけではないのだから、そうした違いはむしろ強みになるのだろう。開拓地では何が起きるか分からないし、さまざまな状況に対応できる人が揃っていた方が心強い。
「二十五人を一度に動かす必要はないんですよね?」
タクマがバルザックに尋ねた。
「ああ。現地では仕事ごとに班を分けることになるだろうな。周辺の調査、魔物討伐、護衛、警戒。それぞれ必要な人数も違う」
「だったら、得意分野を考えて組み合わせた方がよさそうですね」
「その辺りはお前たちに任せる。もちろん、現地の警備隊とも相談して決めろよ」
「分かりました」
タクマは真面目に頷いた。
……本当に頼もしい。
私は面接が終わっただけで疲れ切っているのに、タクマはもう現地での仕事の進め方を考えているらしい。もちろん、彼だって疲れていないわけではないだろうけれど、新しい街を造るという仕事に、それだけ興味を持っているのだと思う。
けれど、二十五人の冒険者が揃ったからといって、開拓団の準備がすべて終わったわけではなかった。
むしろ、街のあちこちでは、これからが本番という雰囲気になっていた。
◇
職人ギルドでは、ノヴァグラードから派遣する大工や鍛冶職人、木工職人などの調整が進んでいた。開拓地では建物を建てるだけでなく、工具の修理や荷馬車の整備、生活に必要な道具の製作など、さまざまな仕事が発生する。そのため、職人たちも得意分野や経験を考慮しながら人選を進めているらしい。
商人たちは保存食や工具、天幕、荷馬車の手配に追われ、街の外では大きな荷車に資材を積み込む姿も見られるようになった。これから向かう場所には、まだ十分な設備がない。食料や生活用品を簡単に買い足すこともできないのだから、必要なものを事前に揃えておくことが重要になる。
今回の開拓団は、およそ二百人規模になる予定だという。もっとも、その全員がノヴァグラードから出発するわけではない。
行政官や測量士、技術者、職人、警備兵などは、大公国全土から集められることになっている。私たちは各地で準備を終えた人々や物資を合流させながら、開拓予定地へ向かう計画だった。
そのため、ノヴァグラードの街でも準備が進んでいる一方で、遠く離れた街や領地でも同じように人や物資が動いているらしい。
私たちが思っていた以上に、大きな事業なのだと改めて感じる。
そんなある日、バルザックから新しい連絡が入った。
「おう、リカ。開拓地の代官が決まったぞ」
「代官?」
「ああ。現地の行政を任される奴だ。グリューンヴァルト大森林に隣接するハーグレイヴ伯爵領から派遣されることになった」
バルザックは一枚の書類を差し出した。
「オリヴァー・ハーグレイヴ。伯爵家の次男だそうだ」
「へえ……伯爵家の人なんだ」
「そうだ。年は四十くらいらしいな。領地の実務にも関わってきた人物で、今回の開拓事業を任せるには適任だと判断されたんだろう」
私は書類に目を通した。
ハーグレイヴ伯爵領は、グリューンヴァルト大森林に隣接する地域にあるらしい。今回の開拓事業では物資の集積地として使われ、各地から集まる人員や荷馬車も、まずはそこを目指すことになるという。
森林の中へ一度に二百人もの人々を送り込むわけにはいかない。食料や資材を揃え、輸送の手段を確保し、どこから開拓を始めるのかを決める必要がある。そうした準備を進めるうえでも、近隣の領地を拠点として利用できるのは大きいのだろう。
「じゃあ、私たちも最初はハーグレイヴ伯爵領へ向かうんだね」
「そういうことだ。そこで代官と合流して、準備が整ったら森へ入る」
「なるほど……」
「それと、お前宛てに手紙が来てるぞ」
「……私に?」
バルザックは封書を一通差し出した。
差出人はオリヴァー・ハーグレイヴ。まだ会ったこともない相手からの手紙に少し驚きながら、私は封を切った。
内容は、開拓事業への協力に対する挨拶と、今後の連携についての説明だった。文章は丁寧で、必要なことが簡潔にまとめられている。行政の実務を任されるだけあって、仕事のできる人なのだろうという印象を受けた。
……ただし、最後の一文を読むまでは。
『なお、私はあくまで現地行政を預かる代官です。開拓団の指導的立場にあるのはリカ殿であると、公王陛下から伺っております。その点、くれぐれもお忘れなきようお願いいたします』
「…………」
私は手紙を持ったまま固まった。
「……リカ?」
タクマが不思議そうに覗き込んでくる。
「どうした?」
「……これ、読んで」
私は無言で手紙を差し出した。
タクマは文章を読み進め、最後の一文に差しかかったところで口元を押さえた。
「……よかったな。責任者だってさ」
「よくないよ!」
思わず声が大きくなってしまった。
「私、爵位も領地も断ったんだよ!? 冒険者として協力するって話だったじゃない!」
「まあ、そうなんだけどな」
「なんで開拓団の責任者みたいになってるの!?」
タクマはとうとう笑い出した。
バルザックも手紙の内容を知っているらしく、呆れたように肩をすくめる。
「まあ、現地の行政はそいつがやるんだろ。お前は冒険者のまとめ役だと思っておけばいい」
「……だったら最初からそう書いてほしいんだけど!」
「公王陛下が何を伝えたのかは知らんが、向こうもお前を頼りにしてるってことだろ」
「……頼りにされすぎるのも困るんだけど」
私は大きくため息をついた。
せっかく王女としての立場から離れて、自由な冒険者として生きていこうと決めたのに、どうしてこう次から次へと責任のある仕事が回ってくるのだろう。
もちろん、開拓事業に協力すると決めた以上、できることはするつもりだ。けれど、行政官や職人、警備兵まで含めた大勢の人々を率いるとなれば、話は別である。そんな経験はないし、そもそも私は、そういう立場から離れたかったのだ。
……もしかして、私にはそういう運命でもあるんだろうか。
そんなことを考えながら、私はもう一度手紙を見つめた。
オリヴァー・ハーグレイヴ。
まだ会ったこともないのに、何となく手強そうな人だという気がしてきた。
◇
それからさらに数週間が過ぎた頃、ワルシャリアから警備隊が到着した。
開拓団の移動中の護衛と、現地での治安維持を担当する部隊だ。街門から整然と入ってくる兵士たちの姿は、冒険者たちとはまた違った緊張感があった。装備も統一され、隊列を乱さずに進む様子からは、日頃から訓練を重ねていることがうかがえる。
その日の午後、私たちはギルドの会議室で警備隊の隊長と顔を合わせることになった。
「ヴィクター・グレイフォードと申します。今回、開拓団の警備隊を指揮することになりました」
そう名乗ったのは、二十代後半くらいの男性だった。
短く整えられた髪に、きちんと着こなされた軍服。まだ若いけれど、立ち姿や話し方には落ち着きがあり、部隊を率いることに慣れているように見える。
「リカです。こちらはタクマとシエラ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「……よろしく」
私たちが挨拶すると、ヴィクターは丁寧に頭を下げた。
「お三方のご活躍については、ワルシャリアでも伺っております。今回の開拓事業では、ぜひお力をお借りしたいと考えております」
「うん。こちらこそよろしく」
ヴィクターは机の上に地図を広げ、警備隊の役割について説明を始めた。
「我々は開拓団の移動中の護衛、および現地での治安維持を担当します。魔物への対処については、冒険者の皆さんとも緊密に連携したいと考えています」
「警備隊と冒険者の指揮系統は、別になるんですよね?」
タクマが確認すると、ヴィクターは頷いた。
「はい。警備隊の指揮は私が執ります。冒険者の皆さんには、周辺調査や魔物の討伐など、専門的な仕事をお願いすることになるでしょう。ただし、現地では互いに協力しなければ対応できない状況もあるはずです」
「そうですね。こちらも情報共有はしっかりしておきたいと思います」
「ありがとうございます」
ヴィクターは真面目な表情で頷いた。
どうやら、話の通じる人らしい。
軍人というと、どうしても規律に厳しい印象があるけれど、彼は冒険者の仕事も理解しようとしてくれているようだった。少なくとも、最初から自分たちの指示に従えと命令してくるような人ではなさそうだ。
今回の開拓事業では、警備隊と冒険者が同じ場所で活動することになる。魔物が現れれば私たちが対応する場面も多いだろうし、住民同士の争いや物資の管理など、警備隊が中心になって対処する問題もあるはずだ。お互いの役割を理解して協力できる相手であることは、何より大切だった。
私は少し安心した。
……ところが。
「なお、開拓事業全体に関わる重要事項につきましては、リカ殿にもご相談するよう申しつかっております」
「……また?」
思わず口から出てしまった。
ヴィクターが不思議そうに首を傾げる。
「何か問題がございましたか?」
「いや……何でもないよ」
私は力なく笑った。
隣ではタクマが肩を震わせている。
……絶対に笑ってる。
オリヴァーからの手紙だけなら、まだ何かの間違いかもしれないと思えた。けれど、警備隊長まで同じようなことを言うのだから、どうやら本当にそういう扱いになっているらしい。
もちろん、実際の行政や警備はそれぞれの責任者が担当するのだろう。それでも、何か重要なことが起きるたびに私へ相談が来るのだとしたら、結局は大勢の人々に関わる判断を求められることになる。
私は冒険者として協力するだけのつもりなのに、いつの間にかずいぶん大きな役割を期待されてしまっている。
……公王陛下、一体どんな説明をしたんですか。
心の中でそう問いかけても、もちろん答えが返ってくるはずはなかった。
◇
警備隊が到着したことで、開拓団の出発日も正式に決まった。
私たちはノヴァグラードを出発したあと、大公国内のいくつかの街を経由しながら西へ向かうことになる。各地では、すでに準備を進めている職人や技術者、荷馬車などが合流する予定だ。
そして、最終的にハーグレイヴ伯爵領へ到着し、そこでオリヴァーと顔を合わせる。開拓予定地へ入るのは、その後になるという。
つまり、出発したからといって、すぐに大森林へ到着するわけではない。人員と物資を集めながら移動するのだから、普通の旅よりもずっと時間がかかるだろう。人数が増えるほど食料や宿泊場所の確保も大変になるし、荷馬車の速度に合わせて進む必要もある。
それでも、準備は着実に進んでいた。
冒険者たちは装備の点検や荷物の整理を始め、職人たちは工具や資材の確認に追われている。商人たちも、長い行程に備えて保存食や生活用品を積み込んでいた。
街のあちこちで開拓事業の話を耳にするようになり、ノヴァグラード全体が少しずつ出発の日へ向かって動いているようだった。
そして、いよいよ出発を翌日に控えた夜。
私は自宅で荷物をまとめていた。
旅に必要な衣類や日用品、魔法に使う道具などを確認しながら、忘れ物がないかを確かめる。長期間の滞在になる予定なので、普段の冒険よりも荷物は多くなっていた。
「……こんなものかな」
荷物をまとめ終えた私は、部屋の中を見渡した。
この家で暮らすようになってから、ずいぶんいろいろなことがあった。
タクマと出会い、一緒に冒険者として仕事をするようになり、シエラやフリーダ、クルシュたちとも親しくなった。危険な依頼もあったし、魔物との戦いで命の危険を感じたこともある。それでも、仕事を終えて帰ってくる場所があり、気の置けない仲間たちと笑い合える時間があった。
ここは、私にとって大切な場所だった。
王宮を飛び出したあの日、私はただ自由になりたかった。王女として決められた人生ではなく、自分の意思で生きていける場所が欲しかったのだ。
そして今、私はその願いを叶えている。
けれど、自由に生きることと、誰とも関わらずに生きることは違うのだと、最近になって少しずつ分かってきた。
今回の開拓事業だって、私たちだけではできない。コンラートさんたちやユリウス、ミレイユ、エステルさんをはじめ、大勢の人たちが参加する。行政官も職人も警備兵も、それぞれ自分の役割を持って新しい街を造ろうとしている。
その中で、私にもできることがあるのなら、力になりたいと思う。誰かに命じられたからではなく、自分でそう決めたのだから。
「リカ、荷物はまとまった?」
隣の部屋からタクマの声が聞こえてきた。
「うん。だいたい終わったよ」
「よかった。明日は朝早いからな。あんまり夜更かしするなよ」
「分かってるって」
私はそう返事をしてから、ふと鏡に目を向けた。
そこには、いつもどおりの金髪の私が映っている。
七年前、王宮を抜け出したときから続けている髪の色。王女であることを隠すために、私は自分の髪を魔法で金色に変え続けてきた。
今ではすっかり見慣れた姿だけれど、本当の私の髪は茶色だ。
コンラートさんたちが開拓団に加わることになり、これからはマリアベルからの難民や元兵士たちとも関わることになる。彼らの中には、私が王女だったことを知っている人もいるかもしれない。
私はこれまで、自分の正体を隠して生きてきた。それは自由になるために必要なことだったし、今でも王女として王宮へ戻りたいとは思っていない。
けれど、これからもずっと隠し続ける必要があるのだろうか。
王女だったという過去まで、なかったことにしなければならないのだろうか。
私は鏡の中の自分を見つめた。
金色の髪は、いつもどおり綺麗に整っている。七年間、当たり前のように見てきた姿だ。最初の頃は鏡を見るたびに違和感があったけれど、今ではこちらの方が自分らしく感じることさえある。
それでも、髪の色を変えた理由は忘れていない。
あの頃の私は、王女であることを知られたくなかった。自分の名前も立場も捨てて、誰にも縛られずに暮らしたかったのだ。
けれど、今の私は違う。
王宮を離れたことも、冒険者として生きてきたことも、後悔していない。タクマと出会い、たくさんの仲間ができて、自分の意思で進む道を選べるようになった。その七年間は、私にとって何より大切な時間だった。
そして、王女として生まれ育った十五年間も、同じように私の人生の一部なのだ。
王宮で過ごした日々があったからこそ、今の私がいる。父や母に育てられ、ユリアナやボーマンたちに支えられながら過ごした時間まで、なかったことにする必要はない。
私はもう、王宮へ戻って王女として暮らすつもりはない。それでも、リカルティール・マリアベルという名前を捨てなければ、自由に生きられないわけではないのだ。
「リカ?」
隣の部屋から、タクマの声がした。
「あ、うん! 今行く!」
私は鏡から目を離し、部屋の明かりを落とした。
明日、私たちは新しい土地へ向かう。
まだ見ぬ大森林の中で、どんな暮らしが待っているのかは分からない。魔物の危険もあれば、開拓の苦労もあるだろう。大勢の人々が集まるのだから、きっと思いどおりにいかないことも多いはずだ。
それでも、そこには新しい街が生まれ、人々が新しい生活を始めることになる。私もまた、そこで自分の選んだ人生を歩いていくのだ。
王女として生まれた過去も、冒険者として生きている現在も、どちらも私自身なのだから。
私はもう、王女であることから逃げない。




