第99話 森を巡る密約
新しい街を造ってみる気はないか。
ロデリック公王の口から飛び出した言葉に、私はすぐには返事ができなかった。目の前に広げられた地図には、マリアベル王国とフロンティア大公国の国境地帯が描かれている。その中でもひときわ大きな面積を占めているのが、グリューンヴァルト大森林だった。
王宮で地理を学んでいた頃から、その名前はよく知っている。豊富な森林資源を持ちながら、強力な魔物が生息するため開拓が進まず、長い間ほとんど手つかずのまま残されてきた土地だ。そんな場所に新しい街を造る。それも、私たちの手で。
あまりにも大きな話に戸惑いながら、私はもう一度地図へ視線を落とした。そして、ロデリックの提案そのものとは別に、どうしても確認しておかなければならないことがあると気づいた。
「……あの、公王陛下」
「うむ。何だ?」
「その前に、一つ確認させてください。グリューンヴァルト大森林は、マリアベル王国の領土だったはずです」
ロデリックは、当然その質問が来ると予想していたように頷いた。
「そのとおりだ。もっとも、今は少し事情が変わっているがな」
「……事情が?」
「グリューンヴァルト大森林の一部は、正式な取り決めによって我が大公国の領土となった」
「……えっ?」
私は思わず地図を見下ろした。
ロデリックが指し示しているのは、大森林のうち大公国との国境に接する一帯だった。森全体ではないものの、地図上で見ても決して小さくない範囲だ。
領土の割譲。
その言葉が持つ意味は、王女として教育を受けてきた私にはよく分かる。
国境線は、地図に引かれたただの線ではない。その内側に住む人々を誰が治め、誰が守り、どの国の法律が適用されるのかを決めるものだ。たとえほとんど人が住んでいない土地であっても、国が領土を他国へ渡すというのは、極めて重大な政治判断になる。
それに、領土の割譲は、その場で国王同士が合意すれば何の問題もなく終わるという話ではない。国境が変われば、周辺諸国との関係にも影響する。まして、今のマリアベル王国は内戦の最中にあり、王都さえ失っているのだ。
「……誰が、その取り決めを?」
分かっていながら、私は尋ねずにはいられなかった。
「グスタフだ。マリアベル王国の正統な国王として、俺との間で合意を結んだ」
「お父様が……」
私は地図に視線を落とした。
お父様が、王国の領土を他国へ譲った。それも、王都が陥落し、メルキアへ退いたこの状況で。
国王としての判断だと頭では理解できても、娘としてはすぐに受け止められなかった。お父様がどれほど追い詰められているのか、私はまだ十分に分かっていなかったのかもしれない。
「驚くのも無理はない。だが、あいつにもそうせざるを得ない事情があった」
ロデリックは私の反応を確かめると、落ち着いた声で説明を始めた。
「王都マリアベルクを失ったことで、グスタフの置かれた状況は大きく変わった。王国の財政を支えていた機関も、軍需物資を蓄えていた施設も、その多くがハインリヒの手に落ちている。メルキアに残された兵だけで戦い続けるには、何もかもが足りん」
私は黙って耳を傾けた。
王都を失うということは、単に王宮を奪われるだけではない。そこに集められていた財貨や物資、行政を動かす仕組みまで失うということだ。残った領地から税を集めるにしても、戦争が続く中では以前と同じようにはいかないだろう。
しかも、兵士たちは戦い続けている。武器は傷み、矢は消費され、食料や医薬品も必要になる。どれほど優秀な指揮官がいても、補給が途絶えれば軍は維持できない。先ほどボーマンが総司令官として復帰したと聞いたけれど、その手腕を発揮するためにも、兵士たちが戦える環境を整えなければならないのだ。
「そこでグスタフは、俺に支援を求めてきた。あいつとは古い付き合いだ。できることなら助けてやりたい。だがな、リカルティール」
ロデリックはそこで言葉を区切った。
「俺とグスタフが友人であることと、大公国を戦争に巻き込むことは別の話だ」
「……はい」
「俺にはこの国の民を守る責任がある。いくら友人が苦境に立たされているからといって、簡単に兵を送り込むわけにはいかん」
その言葉は、私にも理解できた。
もし大公国の正規軍がグスタフ側に加わって戦えば、ハインリヒにとって大公国は明確な交戦相手となる。戦いが国境を越えて広がる可能性もあるし、兵士だけでなく、彼らの家族や国内の人々にも大きな負担がかかる。
ロデリックはグスタフの友人である前に、一国を預かる公王なのだ。たとえ個人的には友人のために戦いたいと思っていても、それだけで国家を動かすわけにはいかないのだろう。
「では、どのような支援を?」
「武器、食料、医薬品、それに軍を維持するための資金だ。必要な物資を調達するための便宜も図っている。今のグスタフには、兵を増やすこと以上に、手元の軍を戦い続けられる状態に保つことが必要だからな」
「……なるほど」
タクマが小さく頷いた。
「兵隊を送るんじゃなくて、戦うために必要なものを支援するわけですね」
「そういうことだ。もっとも、それでハインリヒが納得するとは限らん。俺たちがグスタフを支援していると知れば、面白くは思わんだろう」
ロデリックは地図の上で、マリアベルの王都とメルキアの位置を順に指した。
「だからこそ、支援の規模も方法も慎重に決める必要がある。俺はグスタフを助けるつもりだが、大公国そのものを戦場にするつもりはない」
私はその言葉の重さを感じていた。
お父様を助けたいと思う気持ちは、私にもある。けれど、そのために大公国の人々を危険にさらしていいわけではない。ロデリックが慎重になるのは当然だった。
もちろん、武器や資金を送るだけなら何の危険もない、というわけでもない。グスタフの軍が戦い続けられるよう支援している以上、ハインリヒ側から見れば大公国は敵対勢力を助けていることになる。直接戦場へ兵を送り込まなくても、政治的な対立を招く可能性は十分にあるのだ。
「それに、我が国は今もグスタフをマリアベル王国の正統な国王として認めている。これは武器や金を渡すこととは別の意味を持つ」
「外交上の支援、ですね」
「うむ。王都を占領したからといって、ハインリヒが自動的に正統な国王になるわけではない。周辺諸国が誰を王国の代表として扱うかは、今後の情勢にも関わってくる」
私は頷いた。
国を治める正統性は、城を一つ奪っただけで決まるものではない。もちろん、現実に領土を支配している勢力の力は無視できないけれど、他国からの承認や支援もまた、王国が存続していくためには重要になる。
お父様は、王都を失ってなお国王であり続けようとしているのだ。
「……それで、お父様は支援の対価として、この森を?」
「ああ。もっとも、俺が無理やり取り上げたわけではないぞ。グスタフの側から持ちかけてきた話だ」
ロデリックは苦笑した。
「未開拓の森とはいえ、王国の領土を手放す決断は簡単ではなかったはずだ。だが、あいつは今、将来の領土よりも、目の前の王国を存続させることを選んだのだろう」
私はしばらく言葉を返せなかった。
お父様は、国を守るために領土を手放した。
矛盾しているようにも聞こえるけれど、今の王国の状況を考えれば、決して理解できない判断ではない。どれほど広い土地を持っていても、国そのものが失われてしまえば意味がないのだから。
ただ、理屈で理解できることと、娘として受け止められることは別だった。王宮にいた頃、私は国の歴史や外交について多くのことを学んだ。領土を巡る争いや、戦争を終わらせるための条約についても、書物の中では何度も目にしている。
けれど、その決断を下すのが自分の父親になるとは、考えたこともなかった。
お父様がどれほど苦しい決断を重ねているのか。その一端を、私はようやく知った気がした。
「……でも、一つ気になることがあります」
タクマが口を開いた。
「何だ?」
「その森って、今まで誰もまともに開拓できなかった場所なんですよね。そんな危険な土地をもらって、大公国にはどんな得があるんですか?」
ロデリックは一瞬目を丸くしたあと、愉快そうに笑った。
「ははは! いい質問だ、タクマ! まさにそこが肝心なところだ!」
彼は地図をこちらへ引き寄せ、グリューンヴァルト大森林の周辺を指でなぞった。
「確かに、今のままではただの危険な森だ。魔物は多いし、まともな街道もない。開拓できなければ、厄介な土地を抱え込んだだけで終わる」
「ですよね……」
「だが、見方を変えれば、これほど可能性のある土地もそう多くはない」
ロデリックは森の中央付近を指した。
「まず、森林資源だ。建築用の木材だけでなく、薬草や魔物由来の素材も期待できる。水も豊富だと報告されているし、開拓が進めば農地を確保できる場所もあるだろう」
私は地図を眺めながら、その説明を頭の中で整理した。
確かに、グリューンヴァルト大森林は危険な土地だけれど、何もない荒野ではない。森の中には様々な資源があり、それを安全に採取できるようになれば、大きな利益を生む可能性がある。
ただし、資源があることと、それを利用できることは別の話だ。木材を切り出すにも、魔物の脅威を取り除き、運び出すための道を造らなければならない。採取した素材を売るためには、商人が安全に行き来できる環境も必要になる。
「それだけではない。我が国は内陸国だ。周辺諸国との交易路は、国を支える重要な生命線になる」
ロデリックは国境沿いに指を動かした。
「ここに新しい拠点ができれば、北東方面への交通や物流を改善できる。将来的には、新たな交易路を整備することも可能だろう」
「……つまり、森の資源だけじゃなくて、街そのものにも価値があるんですね」
タクマがそう言うと、ロデリックは満足そうに頷いた。
「そのとおりだ。街ができれば人が集まる。人が集まれば商売が生まれ、道が整備され、さらに人が集まる。もちろん、そう簡単に進むものではないがな」
私はロデリックが描いている将来の姿を、少しずつ想像できるようになってきた。
森を切り開いて安全な道を通し、そこへ商人や職人が集まる。最初は小さな開拓拠点だったとしても、人々が暮らし始めれば住居や店が増え、やがて一つの街になるかもしれない。
そのためには長い年月と多くの費用が必要になるだろうけれど、成功すれば大公国にとって大きな財産になるはずだ。
ロデリックはそこで、少しだけ表情を引き締めた。
「それに、今のマリアベルでは多くの民が故郷を追われている。大公国にも難民が流れ込んできているが、彼らをいつまでも仮住まいのままにしておくわけにはいかん」
私は、ワルシャリアへ向かう途中に見かけた光景を思い出した。
街道沿いに建てられた新しい住居。資材を運ぶ荷車。慌ただしく働く職人たち。あれらは、戦争によって住む場所を失った人々を受け入れるためのものだったのだろう。
難民たちを受け入れることは、住む場所を用意すれば終わりという話ではない。彼らが仕事を見つけ、生活を立て直し、地域の一員として暮らせるようになるまでには、様々な支援が必要になる。今の大公国にとっても、それは大きな課題になっているはずだ。
「もちろん、難民を危険な森へ放り込むつもりはない。まずは安全を確保し、住居や生活に必要な施設を整える。そのうえで、新しい土地で暮らしたいと望む者たちに、移住の機会を与えるつもりだ」
「……そうなんですね」
私は少しだけ安心した。
開拓という言葉だけを聞けば、何もない土地へ人を送り込んで働かせるような印象もある。けれど、ロデリックは少なくとも、人々が安全に暮らせる環境を整えることの重要性を理解しているようだった。
「とはいえ、これは相当な大仕事だ。森を手に入れたところで、開拓に失敗すれば俺が笑い者になるだけだからな!」
ロデリックはそう言って豪快に笑った。
けれど、私はその笑い声の奥に、別のものを感じていた。
ロデリックは、ただグスタフを助けたいだけではない。王国の危機を利用して利益を得ようとしている、という単純な話でもない。
彼はグスタフを支援するために、自国の資金や物資を動かしている。その一方で、大公国の将来に利益をもたらす土地を手に入れ、そこを新たな発展の拠点にしようとしているのだ。
友情と国家の利益。その両方を成立させるために、今回の取引をまとめたのだろう。
私は改めて、目の前の人物が一国を治める公王なのだと実感した。
「……それで、どうして私たちなんですか?」
今度は私が尋ねた。
森の開拓に価値があることは分かった。大公国がそこへ新しい街を造ろうとしている理由も、ある程度理解できた。
けれど、それほど大きな国家事業なら、もっと適任の人物がいるはずだ。軍の指揮官や領地経営に詳しい貴族、建設を専門とする技術者など、必要な人材はいくらでも考えられる。少なくとも、私たち二人だけでどうにかできる仕事ではない。
「うむ。ようやく本題に戻ってきたな」
ロデリックは楽しそうに笑った。
「まず、開拓の初期段階で最も厄介なのは、魔物の存在だ。どれほど優秀な職人を集めても、作業中に魔物に襲われるようでは仕事にならん」
「……確かに」
「そのためには、周辺の調査と危険な魔物の討伐が欠かせない。しかも、ただ強いだけでは駄目だ。現地の状況を判断し、他の者と協力して動ける冒険者が必要になる」
私は頷いた。
森の中では、何が起きるか分からない。魔物の種類や生息範囲を調べ、危険な場所を見極め、安全な経路を確保する必要があるだろう。場合によっては、開拓に適した場所そのものを探すところから始めなければならないかもしれない。
それに、魔物の討伐が終われば仕事も終わりというわけではない。人々が森の近くで暮らし始めれば、継続的な警戒や安全確認も必要になる。単に強い魔物を倒せるだけでなく、長期間にわたって現地の状況を把握できる冒険者が求められるのだろう。
「そこで、お前たちだ。ノヴァグラードでの働きは十分に聞いている。実力も、周囲からの信頼も申し分ない」
「……ありがとうございます」
「それに、リカルティール。お前にはもう一つ、重要な意味がある」
私は少しだけ身構えた。
「……王女だから、ですか?」
「そうだ」
ロデリックはあっさりと頷いた。
「お前がマリアベル王国の王女であることに、利用価値がないとは言わん。元はマリアベルの領土だった場所に新しい街を造るのだからな。そこに王女が関わっているという事実は、少なからず意味を持つ」
私は黙ってその言葉を聞いた。
王女という立場から逃れたつもりでも、生まれた事実そのものを消すことはできない。私が望むかどうかに関係なく、その身分に意味を見いだす人はいるのだろう。
特に、故郷を失ったマリアベルの人々にとっては、王家の人間が新しい土地で暮らしを支えようとしているという事実が、何らかの安心につながるのかもしれない。反対に、私の存在が余計な政治的な意味を持ってしまう可能性もある。
だからこそ、簡単に受け入れられる話ではなかった。
けれど、ロデリックはそこで言葉を続けた。
「だが、それだけならお前を呼ぶ必要はない。王女の名を借りるだけなら、もっと簡単な方法がある」
「……え?」
「俺が欲しいのは、実際に森へ入り、魔物と戦い、人を守れる冒険者だ」
ロデリックはまっすぐに私を見た。
「そして、その相棒もな」
今度はタクマへ視線を向ける。
「お前たちが王女とその恋人だから声をかけたのではない。二人で数々の依頼をこなし、スタンピードでも街を守り抜いたからこそ、俺はお前たちに期待している」
私は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
王女としてではなく、冒険者として必要とされている。
もちろん、私の身分がまったく関係ないわけではない。それでも、ロデリックが評価しているのは、私たちがこれまで積み重ねてきた実績なのだ。
その言葉には、私たちがノヴァグラードで過ごしてきた日々を認めてもらえたような嬉しさがあった。
「……でも、私たちは冒険者です。街の運営なんて、できません」
私がそう言うと、ロデリックは一瞬きょとんとしたあと、また豪快に笑った。
「ははは! 誰が、お前たちに街の運営を任せると言った?」
「……え?」
「街を造るというのは、何も二人で家を建て、道路を造り、住民を集めろという意味ではないぞ」
タクマが小さく息を吐いた。
「……ですよね。ちょっと安心しました」
「当たり前だ。これは大公国の事業だ。行政の責任は国が負うし、資金や資材、人員の手配もこちらで行う。現地には責任者を置き、建設や物資の輸送、治安の維持についても、それぞれ担当する者を用意する」
ロデリックは地図を指しながら、開拓事業の大まかな構想を説明してくれた。
最初に必要なのは、拠点となる場所の選定と周辺の安全確保。その後、資材を運び込むための道を整え、作業員たちが滞在できる施設を建設する。ある程度の安全が確保できれば、住居や倉庫などを増やし、少しずつ人が暮らせる環境を整えていく。
もちろん、計画どおりに進むとは限らない。魔物の出現状況や地形によっては、予定を変更しなければならないこともあるだろう。だからこそ、現地で柔軟に動ける冒険者の力が必要になるのだという。
それに、開拓地では様々な立場の人々が一緒に働くことになる。行政を担当する者、建設に携わる職人、物資を運ぶ商人、周辺を警戒する兵士や冒険者。そうした人々が協力しなければ、一つの街を造り上げることなどできないだろう。
「お前たちには、そうした初期段階で力を貸してもらいたい。特に、魔物の討伐や危険な地域の調査だな」
「……それなら、私たちにもできることがありそうです」
「うむ。無論、二人だけに任せるつもりはない。必要な冒険者や警備の人員も集める。お前たちには、その中でも重要な役割を担ってもらいたいのだ」
私は少しだけ考え込んだ。
最初に街を造ると言われたときは、何を求められているのか分からなかった。けれど、こうして具体的な説明を聞けば、少なくとも私たちができる仕事は見えてくる。
危険な魔物を討伐し、人々が安全に働ける場所を確保する。森の中を調査し、開拓に必要な情報を集める。それなら、これまで冒険者として積み重ねてきた経験を生かせるはずだ。
もちろん、これまでの依頼よりもずっと大きな責任を伴うことになるだろう。けれど、何もできない仕事を押しつけられるわけではないと分かり、少しだけ気持ちが軽くなった。
「ただし、一つだけ確認させてください」
「何だ?」
「……お父様は、この話をご存じなんですか?」
ロデリックは当然だというように頷いた。
「領土の割譲については、グスタフ本人と取り決めたことだ。開拓を進める構想についても、あいつには伝えてある」
「……そう、ですか」
「もっとも、娘を使って何かしろと頼まれたわけではないぞ。お前たちを呼ぶと決めたのは俺だ」
私は顔を上げた。
「お父様は、私がこの仕事に関わることを望んでいるわけではないんですか?」
「少なくとも、俺にそう頼んできたことはない。あいつは今、自分の戦いで手一杯だろうからな」
ロデリックは少しだけ笑みを和らげた。
「それに、お前はもう王宮を離れ、自分の意志で生きているのだろう? ならば、この話を受けるかどうかも、自分で決めればよい」
「……断っても、いいんですか?」
「もちろんだ」
ロデリックはあっさりと答えた。
「これは命令ではなく、依頼だ。お前たちが断ったところで、俺は別の冒険者を探すだけのこと。もっとも、そう簡単に代わりが見つかるとも思っておらんがな!」
そう言って、ロデリックは愉快そうに笑った。
「自分の意志で危険な場所へ踏み込む者でなければ、開拓など任せられん。嫌々引き受けたところで、いざというときに力を発揮できるとは限らんからな」
私はその言葉を聞きながら、静かに息を吐いた。
王女だった頃、私の進む道は最初から決められていた。何を学び、誰と会い、将来どのような役割を果たすのか。もちろん、すべてが不自由だったわけではないけれど、自分の人生を自分で選べるとは思っていなかった。
だからこそ、私は王宮を飛び出した。
そして今、隣国の公王から、とんでもなく大きな仕事を持ちかけられている。そこには父の戦争や、二つの国の思惑まで関わっているというのに、ロデリックは私たち自身の意志を尊重すると言ってくれているのだ。
かつて王女として与えられていた役割と、今の私が冒険者として求められている役割。その違いを、私は改めて感じていた。
「……タクマは、どう思う?」
私は隣に座るタクマへ尋ねた。
「そうだな……」
タクマは地図を眺めながら、しばらく考え込んだ。
「正直、すごく大きな話だと思う。でも、ちょっと興味はあるかな」
「……興味?」
「ああ。俺、元の世界では住宅に関わる仕事をしてたからさ。人が住む場所を造るって話には、何となく惹かれるんだよ」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「もちろん、俺がやってたのは家を売る仕事だし、森を切り開いて街を造るのとは全然違うけどな。それでも、何もないところに人が暮らせる場所ができていくっていうのは、面白そうだと思う」
私はその言葉を聞いて、少しだけ嬉しくなった。
タクマが以前の世界でどんな仕事をしていたのかは、これまでにも何度か聞いている。けれど、こうして自分の経験と今の世界を結びつけて話す姿を見ると、彼もまた、ここで新しい人生を歩んでいるのだと感じられた。
タクマにとって、元の世界で過ごした時間は決して消えてしまったわけではない。そこで学んだことや経験したことが、今の彼の考え方につながっているのだろう。
「……そうだね。私も、魔物の討伐や調査なら力になれると思う」
私はもう一度、地図に描かれた大森林へ目を向けた。
危険な土地であることは間違いない。けれど、そこに新しい街ができれば、住む場所を失った人々が新しい生活を始められるかもしれない。これまで魔物の脅威によって利用できなかった土地が、人々の暮らしを支える場所になるかもしれない。
そう考えると、少しだけ胸が高鳴った。
ただし、簡単に返事をするわけにはいかない。これは普通の討伐依頼とは違う。大公国とマリアベル王国の関係、そしてお父様が続けている戦争にも関わる話なのだから。
「……もう少し、詳しくお話を聞かせていただけますか?」
私がそう尋ねると、ロデリックは満足そうに笑った。
「ははは! よい顔になったな。そうでなくては面白くない!」
彼は地図を軽く叩き、私たちを見渡した。
「もちろんだ。まだ話していないこともある。何しろ、これだけの事業だ。誰がどのような責任を負い、どういう立場で関わるのかを決めなければならん」
私は頷いた。
確かに、国が進める事業なら、役割や責任を明確にする必要がある。冒険者として依頼を受けるにしても、危険な地域で長期間活動するとなれば、普段の仕事とは勝手が違うだろう。
けれど、ロデリックはそこで、何やら意味ありげな笑みを浮かべた。
「もっとも、お前たちが望むなら、相応の地位を用意することもできるがな」
「……地位、ですか?」
「ああ。せっかく新しい街を造るのだ。そこで重要な役割を果たす者には、それにふさわしい待遇があってもよかろう?」
私は何となく、嫌な予感がした。
隣を見ると、タクマも同じような表情をしている。どうやら、私たちが思っていたよりも、ロデリックの考えている話はまだ先があるらしい。
公王はそんな私たちの様子を楽しむように笑い、再び地図へ視線を落とした。
「では次に、お前たちがどのような立場で、この仕事に関わるかを話そう」
その言葉を聞いた瞬間、私は胸の奥で小さな警鐘が鳴るのを感じた。
どうやら、この話はまだ終わりそうにない。




