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【完結】脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【第6章】森の向こうの未来 

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第97話 公王からの招待


 フロンティア大公国の公王から招待状が届いた翌日、私とタクマは、いつものように冒険者ギルドへ足を運んでいた。


 もっとも、今日は依頼を探しに来たわけではない。ワルシャリアへの出発日程について、大公家から正式な連絡が届いたと、バルザックに呼び出されたのだ。


「出発は三日後だ。大公家の馬車が迎えに来るそうだぞ」


 執務室の机に広げられた書類を指さしながら、バルザックが説明する。


「道中の護衛も向こうが用意する。宿泊先も手配済みだそうだから、お前らは身の回りの荷物だけ持っていけばいい」


「へえ……ずいぶん手厚いんだな」


 タクマが感心したように言うと、バルザックは肩をすくめた。


「公王陛下の客人だからな。街道の途中で何かあったら、大公家の面目にも関わるんだろうよ」


 確かに、それはそうかもしれない。私たちは冒険者として招かれたけれど、招待したのは大公国の統治者だ。移動中の安全を確保することも、正式な招待の一部なのだろう。


 それにしても、公王から直接招かれるなんて、今でも少し不思議な気分だった。


「……ところで、服装とかって指定されてないの?」


 私が尋ねると、バルザックは書類を確認した。


「特に書いてねえな。普段の格好で構わんだろ」


「そうなのかなあ……」


 私は少し悩んだ。


 王宮で暮らしていた頃なら、公王との面会には当然、相応の服装が必要だった。正式な謁見ともなれば、衣装だけでなく髪型や装飾品まで細かく決められていたものだ。何を着るか自分で決めることさえできず、侍女たちが用意してくれた衣装に袖を通すのが当たり前だった。


 けれど、今の私は冒険者だ。王女として招かれたわけではないのだから、わざわざ昔のような格好をする必要もないのかもしれない。


「リカは、いつもの服でいいんじゃないか?」


 タクマが言った。


「俺たちは冒険者として呼ばれたんだろ? それなら、冒険者らしい格好で行くのが自然だと思うけど」


「……うん。そうだよね」


 私は頷いた。公王に会うからといって、王女だった頃の自分に戻る必要はない。今の私は、ノヴァグラードの冒険者リカなのだから。


 それからバルザックと出発までの予定を確認し、私たちはギルドをあとにした。


 三日後の朝、ギルドの前には大公家の紋章をつけた馬車が停まっていた。


 私たちが普段利用する乗合馬車よりもずっと立派な造りで、車輪や車体もしっかりしている。長距離の移動を想定しているのか、荷物を積む場所も十分に確保されていた。馬車のそばには護衛と思われる兵士たちが数人立っており、私とタクマが近づくと、そのうちの一人がこちらへ歩いてきた。


「ノヴァグラードの冒険者、リカ殿とタクマ殿でいらっしゃいますな?」


「はい。そうです」


「お待ちしておりました。ワルシャリアまでの道中、護衛を担当いたします。どうぞよろしくお願いいたします」


 兵士は丁寧に頭を下げた。私は少しだけ緊張したけれど、相手が普通に接してくれたので、すぐに気持ちが落ち着いた。


 ところが、馬車へ乗り込もうとしたところで、見覚えのある人影に気づいた。


「……シエラ?」


 ギルドの入口近くに、シエラが立っていた。いつもの旅装に身を包み、肩には小さな荷物を担いでいる。


「おはよう、シエラ。見送りに来てくれたの?」


「……違う」


「え?」


「……私も行く」


 私は思わず瞬きをした。


「ええっ!? シエラも?」


「……うん」


 シエラはいつものように淡々と頷いた。


「でも、招待されたのは私とタクマだけだよ? 馬車も二人分しか用意されてないと思うんだけど……」


「……知ってる」


「じゃあ、どうするの?」


「……大丈夫。うまくついてく。こういうのは得意」


 シエラはそう言って、ほんの少しだけ笑った。私はタクマと顔を見合わせる。


 シエラが優秀な斥候であることは、これまで何度も一緒に仕事をしてきた私たちが一番よく知っている。森の中で魔物の気配を探ることも、相手に気づかれずに移動することも、彼女にとっては慣れた仕事だ。けれど、今回は森の中を歩くわけではない。馬車で何日もかけて移動するのだから、そう簡単な話でもないと思うのだけれど。


「……どうやってついてくるの?」


 私が尋ねると、シエラは少し考えるような顔をした。


「……内緒」


「ええっ!?」


 タクマが思わず笑った。


「まあ、シエラなら本当に何とかしそうだな」


「タクマまでそんなこと言うの?」


「いや、だってシエラだぞ?」


「……それは、そうだけど」


 私は思わず納得しかけてしまった。


 シエラは必要以上に自分のことを話さないし、いつも気づけば近くにいる。彼女がどうやって移動しているのか、私たちが知らないことも多かった。それに、彼女が私のことを心配してくれているのも分かる。


「……じゃあ、ワルシャリアで会える?」


「……うん。着いたら知らせる」


「分かった。無理はしないでね?」


「……大丈夫」


 シエラは短く答えると、私たちに軽く手を振り、そのまま人混みの中へ歩いていった。


 私は彼女の後ろ姿を見送りながら、少しだけため息をついた。


「……本当に大丈夫かなあ」


「まあ、心配するだけ無駄かもしれないな」


 タクマは苦笑した。


「シエラが自分から行くって言ったんだ。何か考えがあるんだろ」


「うん……そうだね」


 私は頷いた。こうして、私とタクマは正式な招待客として馬車に乗り、シエラは別の方法でワルシャリアを目指すことになった。


 馬車がノヴァグラードの門を抜けると、街の建物が少しずつ遠ざかっていった。


 しばらくすると周囲には畑や牧草地が広がり、街道沿いには小さな農村が点在するようになる。ノヴァグラードの周辺は何度も歩いているけれど、こうして馬車の窓から眺める景色は、また少し違って見えた。


 街道には商人の荷馬車が行き交い、時折、軍の物資を運ぶ輸送隊ともすれ違う。以前よりも、ずいぶん交通量が増えているような気がした。


「……なんか、荷馬車が多いね」


 私が言うと、タクマも窓の外へ目を向けた。


「ああ。軍の輸送隊も結構いるな」


 ちょうどそのとき、反対方向から大きな荷馬車が何台も連なってやってきた。荷台には木箱や樽が積まれ、周囲を兵士たちが警戒している。


「あれは国境方面への補給物資です」


 向かいに座っていた護衛兵が説明してくれた。


「マリアベルの内戦が続いておりますので、我が国も国境の警戒を緩めるわけにはまいりません。食料や装備、医薬品などを各地へ送っております」


「……そうなんですね」


「もっとも、現在は大規模な戦闘が起きているわけではありません。主な任務は国境警備と補給、それから避難民への対応です」


 私は頷いた。


 戦争というと、どうしても兵士たちが戦場で剣を交える光景を想像してしまう。けれど、実際には戦っていない場所でも、たくさんの人が動いているのだ。食料を運ぶ人、武器を整備する人、兵士たちの宿泊場所を用意する人。負傷者を治療する人もいれば、避難してきた人々の世話をする人もいる。


 戦争が続いている限り、そうした仕事がなくなることはないのだろう。


「……大変なんだね」


 私が呟くと、護衛兵は少しだけ苦笑した。


「ええ。ですが、国境の向こうで何が起きるか分かりませんからな。備えを怠るわけにはまいりません」


 私は窓の外を眺めた。遠くには、秋の収穫を終えた畑が広がっている。農村では人々が普段どおりの生活を続けているように見えるけれど、そのすぐそばの街道では、戦争に備えるための物資が絶えず運ばれていた。


 平和な風景と戦争の影響が、同じ場所に存在している。そのことが、何とも不思議な気持ちだった。


「そういえば、リカ。大公国の公王って、元冒険者なんだよな?」


 しばらく街道を進んだところで、タクマが思い出したように尋ねてきた。


「うん。でも、冒険者から公王になったわけじゃないよ。フロンティア大公家には、若い王族が一定期間、冒険者として活動する伝統があるの」


「王族なのに?」


「そう。王宮の外で暮らして、いろいろな人と接しながら経験を積むんだって。将来、国を治める立場になる人にとっては、大切なことだから」


「なるほど。王族の社会勉強みたいなものか」


「そういうこと。ロデリック公王も若い頃は冒険者だったし、今は嫡男がワルシャリアの周辺で活動しているらしいよ」


 タクマは感心したように頷いた。


「へえ。跡継ぎまで冒険者をやってるのか」


「うん。もちろん、ずっと冒険者でいるわけじゃないよ。いずれは王宮に戻って、公務を担うことになるんだと思う」


「じゃあ、リカとは逆だな」


「……え?」


「いや、向こうは王族になるために冒険者をやってるけど、リカは王族をやめたくて冒険者になったんだろ?」


 私は思わず笑ってしまった。


「……確かに、そうかも」


 タクマの言うとおりだった。同じ冒険者でも、そこへ至る理由は人それぞれだ。将来のために経験を積もうとする人もいれば、私のように自由を求めて飛び出してきた人もいる。


「でもね、タクマ。この国では冒険者って、結構大切にされてるんだよ」


「そうなのか?」


「うん。公王家がそういう伝統を持ってるから、冒険者ギルドとの関係も深いの。私がノヴァグラードを選んだ理由の一つでもあるんだ」


 私は少し懐かしくなった。


 七年前、王宮を飛び出した私は、どこへ行けば自由に暮らせるのか、必死に考えていた。そのときに調べた国の一つが、フロンティア大公国だった。


 冒険者ギルドの活動が盛んで、身分に関係なく実力を評価されやすい。もちろん、すべてが理想どおりというわけではなかったけれど、少なくとも私が新しい人生を始めるには、悪くない場所だと思ったのだ。


 そして実際、ノヴァグラードでの七年間は、私にとってかけがえのないものになった。


「……結果的には、いい国を選んだと思ってるよ」


 私がそう言うと、タクマは微笑んだ。


「そうだな。俺もここに来られてよかったよ」


 私は少し照れくさくなって、窓の外へ視線を戻した。


 その日の夕方、私たちは街道沿いの宿場町へ到着した。


 大公家が手配した宿に荷物を預け、夕食まで少し時間があったので、タクマと二人で町を歩いてみることにした。


 宿場町は思っていたよりも賑やかだった。街道沿いには商人向けの店や食堂が並び、荷馬車の修理をする職人たちの姿も見える。けれど、町の中心から少し離れたところへ行くと、様子が変わった。


 広場の一角に、簡素な建物や天幕がいくつも並んでいたのだ。


「……あれ、何だろう?」


 私が尋ねると、タクマが周囲を見渡した。


「避難してきた人たちの住まいじゃないか?」


 近づいてみると、そこにはマリアベルから逃れてきた人々が暮らしていた。


 共同の炊事場では女性たちが大きな鍋を囲み、子供たちがその周囲を走り回っている。少し離れたところでは、男の人たちが木材を運び、簡単な小屋を組み立てていた。大公国の役人らしい人が書類を持って歩き回り、住民たちと何かを相談している姿も見える。


 私はしばらく、その光景を眺めていた。


「……こんなところまで、避難してきてるんだね」


「マリアベルから比較的近い街道沿いだからな。ここで受け入れてる人も多いんだろう」


 タクマが言った。


 私たちが立ち止まっていると、近くで荷物を運んでいた男性が声をかけてきた。


「旅の方ですか?」


「あ、はい。ワルシャリアへ向かう途中なんです」


「そうですか。ここは少し騒がしいでしょう。今、避難してきた人たちの住まいを増やしているところでして」


 男性はそう言って、積み上げられた木材を指さした。


「私は元々、マリアベルで農業をしていたんですがね。戦争で村を離れることになりまして。今はこうして、荷運びや建物の手伝いをしています」


「……そうだったんですね」


「まあ、何もしないで世話になるばかりというのも落ち着きませんからな。仕事をもらえるだけでもありがたいですよ」


 男性は少し笑った。その表情には疲れが見えたけれど、決して暗いだけではなかった。彼はここで新しい生活を始めようとしているのだ。


 少し離れたところでは、年配の女性が子供たちに食事を配っていた。子供たちは楽しそうに話しながら器を受け取り、女性も笑顔で何かを言っている。


 避難民という言葉から、私はどうしても苦しんでいる人々の姿を想像してしまっていた。もちろん、故郷を離れなければならなかったことは、きっとつらい出来事だったのだろう。


 けれど、ここにいる人たちは、ただ助けを待っているだけではなかった。新しい場所で仕事を見つけ、家族を養い、少しずつ暮らしを立て直そうとしている。私はそのことに、少しだけ安心した。


「……避難できたら終わり、ってわけじゃないんだな」


 タクマが静かに言った。


「うん。帰れる場所がある人ばかりじゃないものね」


 私は頷いた。


 コンラートたちのことが、ふと頭に浮かんだ。彼らも戦争によって、以前の暮らしへ戻ることが難しくなった人たちだ。けれど、ノヴァグラードで新しい仕事を始め、少しずつ自分たちの居場所を作ろうとしている。


 ここにいる人々も、きっと同じなのだろう。


 私たちは男性に礼を言い、宿へ戻ることにした。


 翌朝、馬車は再びワルシャリアへ向けて出発した。


 旅が進むにつれて、街道沿いの町や村も少しずつ大きくなっていく。大きな倉庫や荷馬車の集積所が増え、商人たちの往来もさらに賑やかになってきた。


 ある町では、街道の脇で新しい建物を建てている現場が見えた。そこには木材や石材が整然と並べられ、職人たちが忙しそうに作業をしている。


「……へえ」


 タクマが興味深そうに窓の外を見た。


「どうしたの?」


「あの建物、結構うまく段取りしてるなと思って」


「段取り?」


「ああ。見てみろよ。柱や梁になる木材が、ある程度加工された状態で運ばれてきてるだろ?」


 私は言われた方へ目を向けた。確かに、現場の脇には同じような長さの木材が何本も並べられている。


「現場で全部加工するんじゃなくて、先に寸法を揃えて持ってきてるんだ。あれなら、組み立てるときの手間が減る」


「……そういうものなの?」


「うん。材料の加工と現場での組み立てを分ければ、作業する人たちも効率よく動けるからな」


 タクマは少し楽しそうに説明してくれた。


 彼は元の世界で住宅関係の仕事をしていたらしい。だから、こういう建物の作り方や工事の進め方を見ると、自然と気になってしまうのだろう。


「……タクマって、そういうところも見てるんだね」


「まあ、仕事柄かな。ああいうのを見ると、つい気になっちゃうんだよ」


 私は思わず笑った。


 タクマは剣の腕もずいぶん上達したけれど、こうして話していると、元の世界で仕事をしていた頃の彼が少し見えるような気がする。私にとっては何でもない建設現場でも、タクマにはいろいろなことが分かるらしい。それは魔法や剣とは違う、彼が持っている知識なのだろう。


「……役に立つこともあるかもしれないね」


 私が言うと、タクマは少し照れたように笑った。


「どうだろうな。俺は設計士でも大工でもなかったから、専門的なことは分からないけど」


「でも、何も知らないよりはずっといいと思うよ」


「まあ、それはそうかもな」


 そんな話をしながら、馬車は街道を進んでいった。


 数日後、私たちはようやくワルシャリアへ到着した。


 遠くに大きな城壁が見えてきたとき、私は思わず馬車の窓へ身を乗り出した。


「……わあ!」


 ノヴァグラードよりもはるかに大きな都市だった。高い城壁が街を囲み、その向こうには石造りの建物が幾重にも連なっている。街の中央には大きな城がそびえ立ち、いくつもの塔が青空へ伸びていた。


 城門へ続く街道には商人の荷馬車が列を作り、旅人や職人たちが忙しそうに行き交っている。


 私はその光景を眺めながら、少し懐かしい気持ちになった。


「……実はね、私、ワルシャリアには一度来たことがあるんだ」


 隣に座るタクマがこちらを見る。


「へえ、そうなのか?」


「うん。まだ小さかった頃、お父様たちと一緒に公式訪問したの。でも、馬車に乗っていたこととか、大きなお城を見たことくらいしか覚えてないんだよね」


 タクマは少し笑った。


「じゃあ、今回はゆっくり見られるといいな」


「うん。あの頃は自由に歩き回れなかったからね」


 私は頷いた。


 幼い頃の訪問では、王族として決められた場所へ案内され、決められた人たちと挨拶を交わしていたはずだ。けれど、当時の私はまだ小さかったので、細かいことはほとんど覚えていない。ただ、広い城の廊下を歩いたことや、見上げるほど大きな扉があったことは、何となく記憶に残っていた。


 城門をくぐり、馬車が市街地へ入ると、私は改めて街の大きさに驚かされた。


 広い石畳の道には荷馬車が行き交い、その両側には商店や工房が立ち並んでいる。市場には各地から運ばれてきた商品が並び、商人たちの威勢のいい声が響いていた。


 街の一角には大きな倉庫がいくつもあり、荷物を運ぶ人々が絶えず出入りしている。別の場所では、避難民の登録や仕事の斡旋を行っているらしく、役人たちが書類を手に忙しそうに働いていた。


「……すごい街だな」


 タクマが感心したように言った。


「うん。ノヴァグラードとは全然違うね」


 私は窓の外を眺めながら答えた。


 マリアベルクも大きな王都だったけれど、ワルシャリアは少し雰囲気が違う。マリアベルクでは、王宮を中心に歴史ある建物や貴族の屋敷が並び、街全体に王家の威厳を感じさせるところがあった。


 一方、ワルシャリアは商人や職人たちの活動が目立ち、街そのものが大きな仕事場のように感じられる。もちろん、ここにも立派な貴族の屋敷や公王の居城はあるのだけれど、それ以上に、人々が忙しく働いている姿が印象に残った。


「……活気があるね」


「そうだな。商業が盛んな街なんだろうな」


 タクマが頷く。


 やがて馬車は、街の中心部にある大きな建物の前で停まった。そこは大公家が管理する迎賓館だった。


 石造りの落ち着いた建物で、正面には美しく手入れされた庭が広がっている。入口では侍従たちが私たちを出迎えてくれた。


「ようこそ、ワルシャリアへ。お部屋をご用意しておりますので、どうぞこちらへ」


 私たちは案内に従い、建物の中へ入った。


 迎賓館の内部は、豪華すぎず、それでいて上品な造りだった。広い廊下には絵画や花が飾られ、床には厚い絨毯が敷かれている。窓からは庭園が見え、静かな雰囲気が漂っていた。


 私はその光景を見ながら、少し落ち着かない気持ちになった。


「……なんだか、昔に戻ったみたい」


 思わず呟くと、タクマがこちらを見る。


「王宮にいた頃を思い出す?」


「うん。こういう建物って、何となく似てるところがあるから」


 私は苦笑した。


 王宮で暮らしていた頃は、こうした場所が当たり前だった。けれど、七年間も冒険者として生活していると、今では立派な廊下や丁寧な侍従の対応に、かえって緊張してしまう。


 タクマは部屋の調度品を興味深そうに眺めていた。


「……さすがに立派だな。家具もかなりいいものを使ってるみたいだ」


「タクマ、そういうのも分かるの?」


「いや、詳しいわけじゃないけどさ。造りがしっかりしてるのは分かるよ」


 私は少し笑った。彼は本当に、建物や家具を見るのが好きらしい。


 しばらくして、侍従が翌日の予定を伝えに来た。


「明日の午前中、公王陛下との面会が予定されております。お時間になりましたら、こちらからご案内いたします」


「分かりました。ありがとうございます」


 私は丁寧に礼を言った。


 いよいよ明日、公王ロデリックと会うことになる。


 その日の夕方、私とタクマは迎賓館の庭を少し散歩することにした。街の中心部にあるとは思えないほど静かな庭園で、色とりどりの花が咲き、石畳の小道が続いている。


「……シエラ、ちゃんと着いたかな」


 私が呟くと、タクマが周囲を見渡した。


「どうだろうな。でも、着いたら知らせるって言ってたし」


「うん。そうなんだけど……」


 そのときだった。


「……着いたよ」


「ひゃっ!?」


 突然、背後から声がした。


 振り返ると、そこにはシエラが立っていた。いつもの旅装に身を包み、何事もなかったかのような顔をしている。


「シ、シエラ!? いつの間に!?」


「……さっき」


「さっきって……どこから来たの!?」


「……普通に」


「絶対、普通じゃないと思う!」


 タクマが吹き出した。


「ははっ。本当に来たな」


「……言ったでしょ」


 シエラは少しだけ得意そうに笑った。


 私は思わずため息をついた。


「……もう。心配してたんだからね」


「……大丈夫だった」


「それは見れば分かるけど!」


 シエラは相変わらずだった。


 どうやって馬車についてきたのか、どこで休んでいたのか、何を食べていたのか。気になることはいくらでもあったけれど、彼女は詳しく話そうとしなかった。ただ、私たちが無事に到着したことを確認できて、安心したようだった。


「……明日は公王様に会うんだよ」


 私が言うと、シエラは頷いた。


「……知ってる」


「シエラはどうするの?」


「……近くにいる」


「……近く?」


「……うん。何かあったら、すぐ行く」


 私は少しだけ困ったように笑った。シエラがそう言うなら、本当にどこか近くにいるのだろう。


 ただし、彼女は正式な招待客ではない。公王との面会に同席するわけではなく、あくまで自分の判断で私たちを見守ってくれるつもりらしい。


「……ありがとう、シエラ」


「……うん」


 シエラは小さく頷くと、また静かに庭の木々の方へ歩いていった。


 私はその後ろ姿を見送りながら、思わず呟いた。


「……本当に、どうやって移動してるんだろう」


「さあな。今度、教えてもらうか?」


「絶対、教えてくれないと思う」


「だろうな」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


 その夜、私はなかなか寝つけなかった。


 久しぶりに王族と正式な場で会うことになるからだろうか。それとも、幼い頃に訪れたことのある街へ戻ってきたせいだろうか。理由はよく分からなかったけれど、少しだけ昔のことを思い出していた。


 父と一緒に馬車へ乗ったこと。大きな城の中を歩いたこと。知らない大人たちに挨拶をしたこと。そして、誰かに頭を撫でられたような、そんな曖昧な記憶。


 あれは、誰だったのだろう。考えてみても、思い出せなかった。


 翌朝、私とタクマは迎賓館から馬車に乗り、公王の居城へ向かった。


 城は街の中心にそびえ立ち、近づくにつれて、その大きさがよく分かった。高い城壁と立派な門をくぐり、広い中庭を通って建物の前へ進む。


 私は窓の外を見ながら、少しだけ懐かしさを覚えた。


「……あのお城、何となく覚えてるかも」


「そうなのか?」


「うん。たぶん、昔もここを通ったんだと思う」


 タクマが微笑む。


「じゃあ、少しずつ思い出すかもしれないな」


「そうだね」


 私は頷いた。


 城の中へ案内されると、広い廊下には歴代の公王たちの肖像画が並んでいた。その中には、鎧をまとった公王や、戦場で兵士たちを指揮する姿を描いた絵もある。


 さらに進むと、少し変わった展示が目に入った。壁には使い込まれた剣や弓が飾られ、古い革鎧や旅装束も丁寧に保存されている。


「あれが、王族が冒険者として活動していた頃の装備だよ」


 私は壁に飾られた剣や革鎧を指さした。


「前に話しただろう? フロンティア大公家の伝統」


「ああ、あれか。こうして実物が残ってるんだな」


 タクマは興味深そうに展示を眺めた。


「はい。こちらは歴代の王族が冒険者として活動された際に使用された品々でございます」


 案内役の侍従が、少し誇らしそうに説明した。


「現在もその伝統は続いておりまして、公王陛下のご嫡男も、ワルシャリア周辺を中心に冒険者として活動されております」


「へえ、跡継ぎまで本当に冒険者をやってるんだな」


 タクマが感心したように言った。


「うん。王宮の外で経験を積むことを大切にしているんだよ」


 私はそう答えながら、改めて展示された装備を眺めた。


 王族として生まれた人が、若い頃に王宮を離れ、冒険者として外の世界を経験する。それは、私が王宮を飛び出した理由とは少し違うけれど、何となく興味を惹かれる話だった。


 やがて、大きな扉の前へ案内される。


「公王陛下がお待ちでございます」


 侍従がそう告げると、扉がゆっくりと開かれた。


 その向こうには、広い部屋があった。壁には大公国の紋章が飾られ、大きな窓から明るい光が差し込んでいる。


 そして、部屋の奥には、一人の男性が立っていた。


 五十代ほどだろうか。背が高く、がっしりとした体格をしている。髪には少し白いものが混じっていたけれど、その姿勢はまっすぐで、長年武器を扱ってきた人のような雰囲気があった。


 豪華な装飾品を身につけているわけではない。けれど、その場に立っているだけで、自然と目を引くような存在感がある。


 私は一目で、この人がロデリック公王なのだと分かった。


「よく来てくれた。ノヴァグラードの冒険者たちよ」


 ロデリックは穏やかに笑った。私たちが礼を取ろうとすると、彼は軽く手を振る。


「そう堅くなるな。今日は冒険者として招いたのだからな」


 その言葉に、私は少しだけ驚いた。王族との正式な面会なら、もっと堅苦しい挨拶から始まるものだと思っていたからだ。けれど、ロデリックは私たちを見ながら、どこか楽しそうにしている。


 そして、私へ視線を向けた。


「久しいな、リカルティール」


「……えっ?」


 思わず声が漏れた。隣のタクマも驚いたように私を見る。


 ロデリックは楽しそうに笑った。


「ははは。驚いたか? 最後に会ったときは、まだ私の腰ほどの背丈しかなかったというのに、ずいぶん立派になったものだ」


「……もしかして、私が小さい頃に?」


「そうだ。グスタフがお前を連れて訪ねてきたとき以来だな。覚えておらんか?」


 私は慌てて記憶を探った。


 幼い頃、父と一緒にワルシャリアを訪れたことは覚えている。大きな城の中を歩いたことも、知らない大人たちに挨拶をしたことも、何となく記憶に残っていた。けれど、目の前の男性と話したことがあったかどうかは、どうしても思い出せなかった。


「ご、ごめんなさい。あまり覚えていなくて……」


「ははは! それほど幼かったのだから、無理もあるまい!」


 ロデリックは豪快に笑った。


 その笑い声を聞きながら、私はふと、昨夜思い出しかけていた曖昧な記憶を思い返した。大きな手で頭を撫でられたこと。誰かが楽しそうに笑っていたこと。もしかすると、あれはこの人だったのかもしれない。


 けれど、そんな懐かしさを感じる一方で、私は別のことにも驚いていた。


 ロデリック公王は、私がリカルティールだと知っている。それも、今の私を見て初めて気づいたという様子ではない。最初から、私が誰なのか分かっていたのだ。


「……あの、公王様」


「うむ?」


「どうして、私がここにいるって……?」


 ロデリックは少しだけ笑みを深めた。


「その話も、これからゆっくりしようではないか」


 そう言って、彼は私たちに椅子を勧めた。


「まずは座るといい。遠路はるばる、よく来てくれた」


 私はタクマと顔を見合わせた。


 公王からの招待状が届いた理由は、まだ分からない。けれど、どうやらこの人は、私たちが思っていた以上に多くのことを知っているらしい。


 私は少し緊張しながらも、勧められた椅子へ腰を下ろした。


 こうして、フロンティア大公国の公王ロデリックとの会談が始まろうとしていた。


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