第95話 帰る場所のない男
先日の街道襲撃事件が片づいてから、数日が経った。
捕らえた十二人の元王国兵たちは、ノヴァグラードの警備兵に引き渡され、現在は取り調べを受けているらしい。奪われた積荷の一部も回収され、被害に遭った商人たちへ返還する手続きが進められているという。
彼らがこれからどうなるのかは、まだ分からない。フロンティア大公国の法に従って裁かれることになるのだろうけれど、戦争によって故郷へ帰れなくなった事情が、どこまで考慮されるのかも私には判断できなかった。
ただ、少なくとも街道での襲撃が止まったことは確かだった。被害に遭った商人たちが安心して仕事へ戻れるようになれば、今回の依頼を引き受けた意味もあったのだと思う。
そんなある日の昼過ぎ、私とタクマは新しい依頼を探すため、冒険者ギルドへ顔を出していた。
以前に比べれば、ギルドの酒場は随分と賑やかになっている。戦争に伴う長期の依頼へ出ていた冒険者たちが戻ってきたことで、空いていた席も埋まり、依頼掲示板の前にも人だかりができるようになった。
もっとも、賑やかになったからといって、すべてが元通りになったわけではない。
戦争から帰ってきた冒険者たちと、ノヴァグラードに残ってスタンピードを迎え撃った冒険者たち。その間には、まだ少しばかりぎこちない空気が残っていた。誰かが露骨に喧嘩をしているわけではないけれど、酒場で交わされる会話の中には、時折、棘のある言葉が混じっている。
それぞれが大変な思いをしたことは分かっているはずなのに、自分たちが経験した苦労を、相手にも理解してほしいと思ってしまうのだろう。戦場へ出た人には戦場へ出た人の事情があり、街に残った人には街に残った人の事情がある。どちらか一方だけが正しかったわけではないからこそ、簡単には気持ちの整理がつかないのかもしれない。
「今日はどうする? 護衛の依頼でも探してみる?」
掲示板を眺めながら尋ねると、タクマは貼り出された依頼書を一枚ずつ確認していた。
「そうだな。しばらく街の近くで仕事をしてもいいかもしれない。最近は国境方面の依頼が増えてるみたいだけど、あんまり遠くまで行くのもな」
「うん。少し落ち着きたい気もするね」
そんな話をしていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「おい、リカ! タクマもいるな!」
振り返ると、執務室へ続く階段のところにバルザックが立っていた。
「ちょうどよかった。二人とも、ちょっと来い」
「えっ、また何かあったの?」
「まあ、事件ってほどじゃねえ。ちょっと相談だ」
そう言いながら、バルザックは私たちの返事も待たずに階段を上がっていく。どうやら、こちらに断る余地はないらしい。
私はタクマと顔を見合わせた。
「……なんだろう?」
「さあ。でも、あの調子だと、何か頼まれそうだな」
「だよねえ……」
私たちは苦笑しながら、そのあとを追いかけた。
執務室に入ると、バルザックは机の上に広げられた書類を何枚かまとめ、私たちの前へ差し出した。
「これを見てくれ」
受け取った書類には、六人分の名前と簡単な経歴が記されていた。年齢や出身地、これまでの職歴などが並んでいるけれど、どの書類にも共通しているのは、以前の職業がマリアベル王国軍の兵士だということだった。
そして、一番上に書かれていた名前には見覚えがあった。
「……コンラート・アイゼンフェルト?」
「おう。前に話した元王国軍の隊長だ」
先日の襲撃事件を報告したとき、バルザックが教えてくれた名前だった。
戦争で部隊を失い、生き残った仲間たちと一緒に仕事を探しているという元軍人。あのときは、そういう人もいるのだと思っただけだったけれど、どうやら彼らは本格的に冒険者として働くことを考えているらしい。
「ギルドに登録したいんだって?」
「ああ。本人を含めて六人だ。護衛でも荷運びでも、仕事があるなら何でもやると言ってる」
「いいことじゃないですか」
タクマがそう言うと、バルザックは難しい顔をした。
「それが、そう簡単でもねえんだよ」
「何か問題があるの?」
「腕の方は心配してねえ。全員が元軍人で、実戦経験もある。魔物相手の経験は確認が必要だが、護衛や野営なら十分にこなせるだろう」
バルザックはそこで言葉を切り、扉の向こうへ視線を向けた。
「問題は、あいつらがマリアベルの元兵士だってことだ」
私はすぐには答えられなかった。バルザックが何を心配しているのか、何となく分かったからだ。
「今のノヴァグラードで、マリアベルの元軍人が歓迎されると思うか?」
「……あんまり、思わないかな」
「だろうな」
バルザックは椅子に深く腰を下ろした。
「今回の戦争で、うちのギルドも随分と振り回された。大公国軍の依頼で長期間街を離れた連中もいれば、人手が足りねえ中でスタンピードを迎え撃った連中もいる。怪我をした奴もいるし、仲間を失った奴だっている」
その言葉に、私は自然と姿勢を正した。
スタンピードの日のことは、今でもはっきり覚えている。
街を守るために大勢の冒険者が戦い、負傷者が次々と運び込まれた。私も治療魔法を使い続けたけれど、すべての人を無傷で帰せたわけではない。タクマもシエラも、ほかの冒険者たちも、あの日は自分たちにできることを必死に続けていた。
あの戦いの原因が、直接マリアベル王国にあったわけではない。それでも、戦争によって大公国の兵力や冒険者たちの配置が変わり、ノヴァグラードの防衛に影響が出たことは確かだった。
もし戦争がなければ、もっと多くの冒険者が街に残っていたかもしれない。そう考える人がいても、不思議ではないだろう。
「連中が直接悪さをしたわけじゃねえ。そんなことは俺だって分かってる」
バルザックは続けた。
「だが、頭で分かってることと、感情で納得できることは別だ。酒が入れば余計にな。『お前らの国のせいで苦労した』なんて絡む奴が出てきても、不思議じゃねえ」
「……うん」
「そこで元軍人が腹を立てて、剣でも抜いてみろ。たちまち大騒ぎだ」
確かに、軍人としての腕が立つからこそ、揉め事になったときの危険も大きい。
冒険者ギルドには、荒っぽい人も少なくない。普段は気のいい人でも、酒が入れば口が悪くなることもあるし、依頼の取り合いで言い争いになることだってある。
そんな場所で、元王国兵というだけで嫌味を言われ続けたら、いつか我慢できなくなる人が出てくるかもしれない。
もちろん、だからといってマリアベル出身者だけが一方的に我慢しなければならないわけではない。けれど、実際にそうした場面が起きたとき、冷静に対応できるかどうかは、ギルドにとって重要な問題なのだろう。
「俺だって、うちの連中が勝手に絡んでいいとは思ってねえ。そこはきっちり締めるつもりだ。ただ、全員の感情まで面倒を見ることはできねえからな」
「それで、登録を迷ってるんだね」
「そういうことだ」
バルザックは頷き、私の顔をじっと見た。
……何だろう。
何となく、嫌な予感がしてきた。
「そこでだ。リカ、お前に頼みがある」
「……私に?」
「ああ。連中と会って、人となりを見てきてくれ」
「えっ?」
「おい、リカ。お前、面接してこい!」
「なんで私なの!?」
思わず大きな声が出てしまった。
タクマは隣で笑いを堪えているし、バルザックに至っては、まるで当然のことを頼んでいるかのような顔をしている。
「だって、ギルドへの登録を決めるのはバルザックの仕事でしょう?」
「そうだな」
「だったら、バルザックが面接すればいいじゃない!」
「俺が会えば、向こうは当然取り繕うだろうが。お前らなら、もう少し普通に話ができる」
「それ、理由になってる?」
「なってる、なってる」
絶対に面倒な仕事を押しつけようとしている。
私が疑いの目を向けると、バルザックは少しだけ真面目な顔になった。
「お前ら、先日の盗賊連中にも冷静に対応しただろ。相手がハインリヒ側の兵士だと分かっても、必要な治療をして、話を聞いて、きっちり引き渡した。ああいう判断ができる奴に見てもらいたいんだよ」
そう言われると、少しだけ断りにくい。
「それに、リカはマリアベルの出身だ。連中の事情も、ほかの奴らより分かるところがあるだろう」
「……それは、そうかもしれないけど」
「タクマ、お前も一緒に行ってくれ」
「俺もですか?」
「ああ。リカだけだと、困ってる奴を見たら何でも引き受けかねんからな」
「ちょっと、バルザック!」
私が抗議すると、タクマがとうとう笑い出した。
「ははっ。まあ、分かりました。俺も一緒に話を聞いてみますよ」
「おい、タクマ!」
「いいじゃないか。話を聞くだけなら、そんなに難しくないだろ?」
「……もう」
結局、私は二人に押し切られる形で、コンラートたちとの面談を引き受けることになった。
もっとも、私自身も彼らのことは少し気になっていた。
先日捕まえた元兵士たちと同じように、戦争で居場所を失いながら、それでも別の生き方を探そうとしている人たちだ。
どんな人たちなのか、実際に会って話してみたいという気持ちはあった。
ただし、それと面接を押しつけられることは、別の話だと思う。
しばらくして、私たちはギルドの奥にある小さな面談室へ案内された。
部屋には机と椅子がいくつか置かれており、普段は商人や依頼主との打ち合わせに使われているらしい。私とタクマが席に着くと、受付の職員に案内されて三人の男が入ってきた。
先頭に立っていたのは、三十代後半ほどの男性だった。
短く整えた茶褐色の髪に、日に焼けた顔。体格は大きすぎるわけではないけれど、肩や腕には長年鍛えられた者らしい力強さが感じられる。着ている服は新しいものではなかったが、汚れは落とされ、革製の装備も丁寧に手入れされていた。
男性は私たちの前で足を止めると、軽く頭を下げた。
「コンラート・アイゼンフェルトです。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「あ、はい。リカです。こちらはタクマ。よろしくお願いします」
「タクマ・イザワです。どうぞ、座ってください」
「ありがとうございます」
コンラートは落ち着いた様子で椅子に腰を下ろした。
後ろにいた二人の男たちも、少し緊張した面持ちで席に着く。一人は三十代ほどの寡黙そうな男性で、もう一人は二十代半ばくらいの若い兵士だった。残る三人は別室で待っているという。
私は改めて、目の前のコンラートを観察した。
先日捕まえた元兵士たちとは、随分と雰囲気が違う。
もっとも、あの人たちは食料も尽きかけ、追い詰められた状態だった。今のコンラートたちと単純に比べるのは、公平ではないかもしれない。
それに、礼儀正しいからといって、必ずしも良い人だとは限らない。
バルザックから頼まれた以上、きちんと話を聞いて判断しなければならなかった。
「まず、皆さんがどんな仕事を希望しているのか、教えてもらえますか?」
私が尋ねると、コンラートは頷いた。
「護衛、荷運び、街道の警備など、我々にできることであれば、仕事を選ぶつもりはありません。軍務では野営や行軍も経験しておりますので、長距離の移動にも対応できます」
「魔物との戦闘経験はありますか?」
今度はタクマが尋ねた。
「小規模な討伐であれば経験があります。ただし、冒険者の方々ほど多様な魔物を相手にしたわけではありません。危険度の高い依頼については、経験を積むまで控えるべきだと考えております」
「なるほど。最初から無理な依頼を受けるつもりはないんですね」
「はい。我々が望んでいるのは、戦場で功績を立てることではありません。仲間たちが食べていける仕事を得ることです」
コンラートは淡々と答えた。
その言葉には、必要以上に自分たちの能力を誇示しようとするところがなかった。むしろ、できることとできないことを区別し、無理のないところから仕事を始めようとしているように見える。
軍人としての経験があるからといって、冒険者としてすぐに活躍できるとは限らない。人間同士の戦いと魔物との戦いでは、求められる知識も違うし、ギルドの依頼には軍務とは異なる決まりもある。
そうした違いを理解したうえで、まずは自分たちにできる仕事から始めようとしているのなら、少なくとも無謀な人たちではなさそうだった。
私は少し安心した。
けれど、話を進めるうちに、一つ気になることがあった。
「……あの、コンラートさん」
「はい」
「皆さんは、グスタフ王の軍に所属していたんですよね?」
「そのとおりです」
「だったら、メルキアへ戻ることもできたんじゃないですか?」
私がそう尋ねると、コンラートはわずかに表情を変えた。
先日捕まえたハインリヒ軍の兵士たちは、王軍の追撃を受け、帰る道を失っていた。けれど、コンラートたちは違う。グスタフ王の側にいたのなら、メルキアへ向かえば、再び王軍へ合流する道もあったはずだ。
タクマも同じことを考えていたらしい。
「王軍は今もメルキアで戦っていると聞いています。そちらへ戻ることは考えなかったんですか?」
コンラートはしばらく黙っていた。
答えを探しているというより、どこまで話すべきか考えているように見えた。
「……考えました」
やがて、彼は静かに口を開いた。
「メルキアへ向かえば、今でも王軍に合流することはできるでしょう。陛下が戦い続けておられることも承知しております」
「では、どうして?」
コンラートは一度、目を伏せた。
「もう、戦いたくないのです」
私は思わず彼の顔を見つめた。
王国軍の隊長を務め、今も父への忠誠を失っていない男が、戦いたくないと言う。その言葉は、私が想像していたものとは少し違っていた。
「……戦うのが、怖くなったんですか?」
口にしてから、少し失礼な質問だったかもしれないと思った。
けれど、コンラートは気を悪くした様子もなく、静かに首を振った。
「恐怖がないと言えば、嘘になります。ですが、それだけではありません」
彼は机の上に置いた自分の手へ、しばらく視線を落としていた。
「私が仕えていたのは、王国西部の領主でした。内戦が始まると、その方はハインリヒ殿下の側につくことを決められました。しかし、私と部下の一部は、グスタフ陛下への忠誠を捨てることができなかったのです」
主君が寝返ったことで、領内の軍勢は分裂したという。
昨日まで同じ旗の下にいた兵士たちが、別々の陣営へ分かれ、互いに武器を向けることになった。コンラートの部隊も戦闘に巻き込まれ、多くの仲間を失ったらしい。
「その戦いで、私は一人の男を斬りました」
コンラートは静かに続けた。
「以前、合同演習で何度も顔を合わせた男です。剣の腕が立つ男で、演習のたびにどちらが勝ったかで言い争ったものです」
「……知り合いだったんですね」
「はい。何度も同じ野営地で食事をし、酒を飲んだこともあります。互いの部隊を率いて模擬戦をしたこともありました」
コンラートはそこで少しだけ言葉を切った。
「ですが、戦場で再会したとき、向こうはハインリヒ軍、私は王軍でした」
私は何も言えなかった。
コンラートは、当時の光景を思い出すように、ゆっくりと言葉を続けた。
「互いに剣を抜き、私が勝ちました」
その声は、驚くほど静かだった。
けれど、だからこそ、彼が何を語っているのかが胸に迫ってきた。
「演習のときと同じ癖がありました。あの男は、踏み込む前にほんの少しだけ左肩が下がるのです。何度も手合わせをしていたので、私はそれを知っていました」
コンラートは、自分の右手へ視線を落とした。
「その癖を知っていたから、斬ることができました」
部屋の中が静まり返った。
隣に座っていた若い兵士も、俯いたまま何も言わない。彼らも、その戦いのことを知っているのかもしれなかった。
私はコンラートの言葉を、頭の中で繰り返していた。
何度も剣を交えたからこそ、相手の癖を知っていた。相手の強さも弱さも理解していたからこそ、戦場で勝つことができた。
けれど、それは本来、互いを高め合うために積み重ねてきた経験だったはずだ。
その経験が、今度は相手の命を奪うために使われてしまった。
剣を振るった瞬間、コンラートはきっと、相手が誰なのか分かっていたのだろう。それでも、戦場で立ち止まることはできなかった。
相手もまた、同じようにコンラートのことを知っていたはずだ。
互いに名前も顔も知っている二人が、どちらかが倒れるまで戦わなければならなかった。そのことが、私にはひどく悲しく思えた。
「……後悔しているんですか?」
私が尋ねると、コンラートは少し考えてから答えた。
「分かりません。あの場で剣を振るわなければ、私が斬られていたでしょう。部下たちを守るためにも、戦う必要がありました」
彼はそこで一度息を吐いた。
「ただ、あの男を斬ったあと、私は自分が何のために戦っているのか、分からなくなってしまったのです」
私は黙って耳を傾けた。
「私は王国を守るために剣を取ったつもりでした。陛下への忠誠も、今なお変わっておりません。ですが、いつの間にか、王国の人間同士で殺し合っていたのです」
コンラートは顔を上げ、私たちを見た。
「戦場では、相手の顔を見て迷っている暇などありません。だからこそ、私はあの男を斬りました。ですが、戦いが終わってから、何度も考えてしまうのです。あの男も、私と同じように、王国のために戦っているつもりだったのではないかと」
その言葉には、誰かを責める響きはなかった。
ハインリヒを憎んでいるとも、グスタフ王が間違っているとも言わない。ただ、自分が経験したことを、どう受け止めればいいのか分からないまま、今日まで生きてきたのだろう。
王国を守るという目的は同じだったはずなのに、従う相手が違うだけで敵になってしまう。どちらにも守りたいものがあり、それぞれに譲れない理由がある。
それでも、戦場ではどちらかが倒れるまで戦わなければならない。
コンラートが語っているのは、そうした戦争の矛盾そのものなのかもしれなかった。
「部隊を失ったあと、私は生き残った者たちを連れて脱出しました。故郷は既にハインリヒ側の支配下にあり、戻ることはできませんでしたが、メルキアへ向かう道は残されていました」
「……でも、戻らなかったんですね」
「はい」
コンラートは静かに頷いた。
「私自身は、軍人として戦ったことを後悔しているわけではありません。ですが、生き残った部下たちに、これ以上私の忠義を押しつけるつもりもありません」
彼は隣に座る二人へ、短く視線を向けた。
「彼らには、戦争とは別の暮らしを取り戻してほしいのです。私も、できることなら、もう同じ国の人間に剣を向けたくありません」
私は胸の奥が少し苦しくなるのを感じた。
コンラートは、父を裏切ったわけではない。
父が今も戦っていることを知りながら、自分は別の道を選んだのだ。
その選択が正しいのかどうか、私には分からない。王国の危機に軍人が戦場を離れることを、責める人もいるだろう。
けれど、私は彼を責める気にはなれなかった。
私自身も、父のことを大切に思っている。
王国がどうなってしまうのか心配だし、父が無事でいてくれることを心から願っている。
それでも、私は王女として王宮へ戻ることを選ばなかった。
理由はコンラートとは違う。私が求めているのは、タクマと一緒に冒険者として生きる自由だ。
けれど、大切な人を思う気持ちと、その人のもとへ戻って役目を果たすことは、必ずしも同じではないのかもしれない。
そんなことを考えていると、隣のタクマが静かに口を開いた。
「……事情は分かりました。話してくださって、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、長い話をしてしまいました」
コンラートは軽く頭を下げた。
私は少しだけ考えてから、バルザックに頼まれた本題を切り出すことにした。
「……あの、コンラートさん。もう一つ、聞いてもいいですか?」
「はい。何でしょう」
「今のノヴァグラードでは、マリアベルの兵士だった人たちを、あまりよく思っていない冒険者もいるんです」
コンラートは静かに頷いた。
「承知しております」
「戦争の影響で、街の冒険者さんたちも大変だったんです。長い間、軍の仕事で街を離れた人もいるし、その間に街を守っていた人たちも、すごく苦労して……」
私は、スタンピードのことや、ギルドの中に残っているぎこちない空気について説明した。
コンラートは途中で口を挟まず、最後まで聞いてくれた。
彼自身も戦争によって故郷を失った人なのだから、ノヴァグラードの冒険者たちが抱えている不満を、簡単に受け入れられるとは限らない。それでも、ここで暮らしてきた人たちにも、それぞれの事情があることを知っておいてほしかった。
「だから、もしギルドに登録しても、嫌なことを言われたり、冷たくされたりするかもしれません。それでも、大丈夫ですか?」
コンラートはすぐには答えなかった。
隣に座る仲間たちへ視線を向け、少し考えてから口を開く。
「……正直に申し上げれば、愉快なことではありません」
「……はい」
「ですが、彼らが我々を歓迎しない理由も理解できます。私たちの国の戦争が、この街に大きな負担をかけたことは聞いておりますので」
その答えを聞いて、私は少し安心した。
けれど、タクマはさらに踏み込んだ質問をした。
「もし、酒場で絡まれたり、わざと挑発されたりしたら、どうしますか?」
「こちらから手を出すことはありません。部下たちにも、そのように言い聞かせます」
「それでも、相手が手を出してきたら?」
「その場合は、必要なだけ身を守ります。そのうえで、ギルドへ報告するつもりです」
コンラートは落ち着いた口調で続けた。
「我々が歓迎されないことは理解しております。しかし、一方的に殴られることまで約束するつもりはありません。こちらにも、守るべき仲間がおりますので」
私は思わず頷いた。
何をされても黙って耐えるというのは、確かに現実的ではない。
相手が怒っている理由を理解することと、理不尽な暴力を受け入れることは別なのだ。
それに、無理に我慢し続けたところで、いつか限界が来てしまうかもしれない。むしろ、何かあったときにはギルドへ相談し、自分たちだけで解決しようとしないことの方が、ずっと大切なのだろう。
「私は、もう仲間を争いで失いたくありません」
コンラートは静かに言った。
「だからこそ、できる限り揉め事は避けたいと考えております」
そのとき、隣に座っていた若い兵士が口を開いた。
「隊長、ですが……」
コンラートが顔を向けると、若い男は少し不満そうな表情を浮かべた。
「俺たちだって、好きで戦争を始めたわけじゃありません。それなのに、どうして俺たちばかりが我慢しなきゃならないんですか」
私は思わず彼の顔を見た。
若い兵士の言葉には、確かに一理あった。
彼ら自身が戦争を始めたわけではないし、ノヴァグラードの冒険者たちに直接迷惑をかけたわけでもない。それなのに、マリアベルの元兵士というだけで冷たく扱われるのは、理不尽だと感じても仕方がないだろう。
コンラートも、すぐには否定しなかった。
「不満があるのは分かる。私だって同じだ」
若い兵士は少し驚いたように顔を上げた。
「だが、ここは我々の故郷ではない。受け入れてもらう以上、まずは信用を得なければならん」
「……はい」
「こちらが誠実に仕事をしていれば、いずれ理解してくれる者も出てくるだろう。もし不当な扱いを受けたなら、私に言え。勝手に剣を抜くようなことだけはするな」
若い兵士はまだ納得しきれない様子だったけれど、やがて小さく頷いた。
「……分かりました」
そのやり取りを見て、私はコンラートが仲間たちから信頼されている理由を、少し理解できた気がした。
彼は、部下の不満を頭ごなしに押さえつけようとはしない。
不満があることを認めたうえで、それでも今は何を優先すべきなのかを説明している。
軍人として部下を従わせることと、生活を共にする仲間として信頼を得ることは、きっと違うのだろう。コンラートは今も隊長と呼ばれているけれど、その立場だけで彼らを動かしているわけではなさそうだった。
もちろん、これだけで全員が問題を起こさないと断言できるわけではない。若い兵士の表情を見ても、納得できない気持ちは残っているようだった。
けれど、少なくともコンラート自身には、無用な衝突を避けようとする意思がある。
そして、そのために仲間たちをまとめることもできる。
私は、バルザックが知りたかったのは、きっとこういうことなのだろうと思った。
「……ありがとうございます。いろいろ聞かせてもらって」
私がそう言うと、コンラートは軽く頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございます。お二人に話を聞いていただけて、少し気持ちが楽になりました」
面談は、それで終わりとなった。
私たちが席を立つと、コンラートたちも立ち上がる。彼は仲間たちを先に扉へ向かわせ、自分もそのあとに続こうとした。
ところが、扉へ向かう途中で、ふと足を止めた。
「……失礼ですが、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「はい?」
振り返ると、コンラートは少し不思議そうな顔で私を見ていた。
「以前、どこかでお会いしませんでしたか?」
「……えっ?」
思わず声が裏返りそうになった。
「私と、ですか?」
「はい。どうにも、お顔に見覚えがあるような気がしまして」
私は内心、少し焦った。
王国軍の士官だったのなら、王宮の式典などで私を見かけたことがあっても不思議ではない。
もっとも、私が王宮を出たのは七年前のことだ。当時はまだ十五歳だったし、今は髪型も服装もまったく違う。王女としての装いをしていない私を見て、すぐに気づく人は少ないはずだった。
それでも、相手が王国軍の元士官だと分かっているだけに、どうしても意識してしまう。
「……私、マリアベル出身なので、どこかですれ違ったことがあるのかもしれませんね」
できるだけ自然に答えたつもりだった。
コンラートはしばらく私の顔を見つめていたけれど、やがて軽く頭を下げた。
「そうかもしれません。妙なことをお尋ねしました」
「い、いえ。大丈夫です」
彼はそれ以上追及することなく、仲間たちを連れて部屋を出ていった。
扉が閉まったところで、私は思わず息を吐いた。
「……びっくりした」
隣でタクマが苦笑している。
「ちょっと焦ってたな」
「だって、いきなりあんなこと聞かれると思わなかったんだもん」
「まあ、元王国軍の士官なら、リカの顔を見たことがあってもおかしくないか」
「うん……でも、七年前だよ? さすがに分からないと思うんだけど」
「どうだろうな。人の顔って、意外と覚えてることもあるから」
タクマはそう言って、私の頭を軽く撫でた。
「まあ、今のところは大丈夫だろ。変に騒がず、普通にしてればいいさ」
「……うん」
私は頷いたけれど、少しだけ気になるものが残った。
コンラートは、どこかで見たことがあると言っただけだ。私の正体を知っているわけではないし、今のところ何かを疑っている様子もない。
それでも、王国軍にいた人たちと関わる機会が増えれば、こうしたことはこれからも起こるのかもしれなかった。
もっとも、今はそれよりも、バルザックへの報告を済ませなければならない。
私たちは面談室を出て、再び執務室へ向かった。
「おう、どうだった?」
部屋に入るなり、バルザックが尋ねてきた。
「ちゃんと話を聞いてきたよ」
「それで、どう思った?」
私は少し考えてから答えた。
「私は、登録しても大丈夫だと思う」
「ほう」
「コンラートさんは、もう争いを起こしたくないって言ってた。仲間の人たちにも、ちゃんと話してくれてたよ」
私は面談で聞いたことを、順を追って説明した。
ただし、コンラートが戦場で知人を斬った話については、詳しく語らなかった。彼が自分の意思で話してくれたことだし、ギルドへの登録を判断するうえで、そこまで伝える必要はないと思ったからだ。
大切なのは、彼がどんな経験をしたかということだけではなく、その経験を経て、今どのように行動しようとしているかだと思う。
タクマも私の意見に同意してくれた。
「コンラートさん自身は、揉め事を避ける理由をちゃんと理解していました。自分たちが歓迎されないことも分かっているようです」
「なるほどな」
「ただ、若い人の中には不満もありそうです。そこは最初に注意しておいた方がいいかもしれません」
バルザックは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「……まあ、そうだろうな。全員が納得してるわけじゃねえか」
「うん。でも、コンラートさんはちゃんと話を聞いてくれる人だと思う」
「分かった」
バルザックは机の上に置かれた申請書を手に取った。
「登録を認めよう。ただし、最初は六人まとめて動いてもらう。護衛や運搬みたいに、こっちでも様子を把握しやすい依頼から始めさせるつもりだ」
「それがいいと思います」
タクマが頷く。
「何か問題が起きたら、コンラート本人から必ず報告させる。もちろん、うちの連中にも余計な喧嘩を売るなと言っておくさ」
バルザックはそう言って、少しだけ笑った。
「腕はあるんだ。うまく馴染んでくれりゃ、こっちとしても助かる」
その言葉を聞いて、私はほっとした。
コンラートたちがこれからどうなるのかは、まだ分からない。
けれど、少なくとも、新しい生活を始めるための入口は開かれたのだ。
その日の夕方、コンラートたち六人の冒険者登録が行われた。
受付の前に並ぶ彼らの姿は、ほかの冒険者たちの目を引いたらしい。使い込まれた装備や立ち姿から、元軍人だと分かる人もいたのだろう。
「おい、あいつら王国兵だってよ」
「今度はこっちで仕事をするつもりか?」
そんな声が、酒場の方から聞こえてきた。
私は思わずそちらへ目を向けた。
声を上げた冒険者たちは、特に何かをする様子はなかったけれど、コンラートたちへ向ける視線は決して友好的なものではない。
その空気を感じ取ったのか、若い元兵士の一人が表情を強張らせた。
けれど、コンラートは静かに首を振る。
「構うな。俺たちは仕事を探しに来たんだ」
「……はい」
若い兵士は小さく頷き、再び受付へ向き直った。
私はその様子を見ながら、バルザックの心配が決して考えすぎではなかったことを実感していた。
登録を認めてもらえたからといって、すぐに歓迎されるわけではない。
彼らが本当にこの街で受け入れられるようになるには、時間が必要なのだろう。仕事を一つずつこなし、約束を守り、周囲の人たちと少しずつ関係を築いていくしかないのかもしれない。
それは、冒険者として暮らし始めた頃の私たちにも、少し似ている気がした。
私とタクマも、最初から何でもできたわけではない。依頼を受けて失敗したこともあれば、ほかの冒険者たちに助けられたこともある。そうした経験を重ねるうちに、少しずつこの街での居場所ができていったのだ。
コンラートたちも、きっと同じなのだろう。
やがて手続きが終わり、彼らはそれぞれの登録証を受け取った。
しばらく手元の登録証を眺めていたコンラートが、仲間たちに何かを話しかける。若い兵士は少し緊張した顔のままだったけれど、隣にいた年長の男がその肩を軽く叩くと、ようやく小さく笑った。
その様子を見て、私は少し安心した。
やがてコンラートが私たちの方へ歩いてきた。
「お二人には、お世話になりました」
「ううん。これから頑張ってね」
「はい。まずは、仲間たちと働ける場所を探してみます」
コンラートは丁寧に頭を下げた。
そのあと、彼は仲間たちを連れて依頼掲示板へ向かっていった。六人で相談しながら依頼書を眺める姿は、少し前まで王国軍の兵士だった人たちとは思えないほど、普通の冒険者たちと変わらなかった。
「……うまくいくといいね」
私が呟くと、隣のタクマが頷いた。
「ああ。最初は大変だろうけどな」
「うん。でも、あの人たちなら頑張れそうな気がする」
もちろん、これから先も嫌な思いをすることはあるだろう。仕事が見つからない日もあれば、ほかの冒険者と意見がぶつかることもあるかもしれない。
それでも、コンラートたちは自分たちの意思で、戦争とは違う生き方を選んだ。
王国軍の隊長だった男が、今度は冒険者として仲間を率いていく。
その道が簡単なものではないことは、きっと彼自身が一番よく分かっているのだと思う。
「さて、俺たちもそろそろ帰るか」
「うん。今日は結局、依頼を探せなかったね」
「ははっ。まあ、バルザックに捕まったからな」
「ほんとだよ。面接なんて、私の仕事じゃないのに」
私が少し不満そうに言うと、タクマは楽しそうに笑った。
「でも、いい人たちだっただろ?」
「……うん。それはそうだね」
私もつられて笑ってしまった。
依頼掲示板の前では、コンラートたちがまだ熱心に仕事を探している。
戦争は終わっていないし、彼らが故郷へ帰れる日が来るのかも分からない。それでも、今はこうして、新しい仕事を探すことができる。
帰る場所がなくなったからといって、これから先もずっと居場所がないとは限らない。
私たちにできることは限られているけれど、せめて彼らがこの街で、自分たちなりの居場所を見つけられたらいいと思う。
そんなことを考えながら、私はタクマと一緒にギルドをあとにした。




