第93話 戦争の落とし子
街道へ向かう道すがら、私は隣を歩くシエラの横顔を眺めていた。
銀色の髪を後ろでまとめ、いつもの軽装に身を包んだ彼女は、穏やかな足取りで歩きながらも、時折、道の先や林の奥へ視線を向けている。特別に警戒しているようには見えないけれど、周囲の様子を確かめることは、もはや彼女にとって習慣になっているのだろう。
昨日、ギルドで受けた依頼について話したところ、シエラは二つ返事で同行を引き受けてくれた。相手の人数も潜伏先も分からない調査依頼となれば、彼女の力は欠かせない。
「それで、今日はまず襲撃現場を確認するんだよね?」
「ああ。依頼書に場所は書いてあったけど、実際に見てみないと分からないことも多いだろうしな」
タクマはそう答えながら、持参した依頼書を取り出した。
ノヴァグラードから少し離れた辺境部の街道で、商人の荷馬車が武装集団に襲われたという。幸い、商人自身は逃げ延びたものの、積荷の一部を奪われており、同じ街道では似たような被害が何度か報告されていた。
依頼内容は襲撃者の調査と、必要に応じた討伐または捕縛。ただし、相手が何者なのか分からない以上、最初から戦うつもりで向かうのは危険だった。
「まず現場を見て、それから被害に遭った商人に話を聞こう。痕跡が残ってれば、シエラに追ってもらうことになると思う」
「分かった」
シエラは短く頷いた。
「ただ、襲撃から何日か経ってるんだよね。足跡とか残ってるのかな?」
「場所次第。雨は少なかった。残ってるかもしれない」
「そっか。じゃあ、期待してるね」
「うん」
相変わらず言葉は少ないけれど、頼もしい返事だった。
シエラと一緒に依頼へ向かうのは、何も今回が初めてではない。けれど、最近は戦争やスタンピードの影響で慌ただしい日々が続いていたため、こうして三人で街の外へ出るのは久しぶりだった。
以前なら、魔物の討伐や素材採集のために森へ向かうことも珍しくなかった。依頼を終えたあとはギルドで報告を済ませ、時間があれば皆で食事をする。そんな当たり前の冒険者生活が、随分と遠い昔のことのように感じられる。
もっとも、今回の相手は魔物ではなく人間だ。
タクマもその点を気にしているらしく、道中で何度か依頼書を確認していた。
「できれば、相手が何者なのか確かめてから動きたいな。捕まえられるなら、その方がいい」
「うん。私もそう思う」
私は頷きながら、隣を歩くタクマの顔を見た。
彼が初めて商隊護衛の依頼を受けたとき、私たちはまだ別々に行動していた。あの依頼でタクマは盗賊に襲われ、仲間を守るために初めて人間を斬った。
魔物との戦いとは違う。相手が自分と同じ人間であるという事実は、彼にとって簡単に受け入れられるものではなかった。無事に帰ってきたあとも、タクマはしばらくその出来事を引きずっていたし、私もどう声をかければいいのか分からなかったことを覚えている。
あれから随分と時間が経ったけれど、あの経験まで消えてしまったわけではないはずだ。
「……タクマ、大丈夫?」
「ん?」
「今回も、人間が相手になるかもしれないから。前のこと、思い出したりしないかなって」
タクマは少し驚いたように私を見たあと、穏やかに笑った。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」
「本当に?」
「ああ。できることなら、もう人を殺したくはない。あのときのことも、忘れたわけじゃないからな」
彼はそこで一度言葉を切り、私の目を見た。
「でも、もしリカに危険が及ぶようなら、俺は躊躇するつもりはないよ。もちろんシエラだってそうだ。守るために戦わなきゃいけないときは、ちゃんと戦う。だから安心してくれ」
その言葉には、以前のような迷いは感じられなかった。
人の命を奪うことを何とも思わなくなったわけではない。むしろ、その重さを知っているからこそ、できる限り別の方法を選ぼうとしているのだと思う。
けれど、守るべき人が危険に晒されたときには、必要な決断から逃げない。それが、今のタクマなのだろう。
「……うん。ありがとう」
私がそう答えると、タクマはいつものように微笑んだ。
「まあ、まずは調査だ。相手がどんな連中なのかも分かってないんだから、今から物騒なことを考えても仕方ないだろ?」
「ふふっ、そうだね」
私は少しだけ彼との距離を詰め、並んで街道を歩いた。
そのやり取りを聞いていたシエラは、何も言わずに私たちを見ていたけれど、やがて小さく頷いて再び前を向いた。彼女もまた、危険な依頼を共にする大切な仲間だ。三人で無事に帰ってくることを、私は改めて心の中で願った。
街道を進むにつれ、周囲の景色は少しずつ変わっていった。
ノヴァグラードの近くでは荷馬車や旅人と頻繁にすれ違っていたけれど、辺境へ向かう道に入ると、その数も減っていく。道の両側には畑や牧草地が広がり、やがて低い丘と林が目立つようになった。
目的の場所へ到着したのは、昼前のことだった。
「この辺りだな」
タクマが依頼書と周囲の地形を見比べる。
街道は緩やかに曲がっており、片側には木々の生い茂る林が続いている。反対側は低い斜面になっていて、荷馬車が通るには十分な道幅があるものの、曲がり角の先までは見通せない。
私は少し離れた場所まで歩き、振り返ってみた。
「確かに、ここなら向こうから来る荷馬車には気づかれにくそうだね」
「ああ。道を塞がれたら、荷馬車じゃ簡単に引き返せないだろうな」
タクマは街道の幅を確かめるように左右を見渡した。
荷馬車は人が歩くように素早く向きを変えられない。前方を塞がれた場合、後ろへ下がるにも時間がかかるし、馬が暴れれば荷台ごと横転する危険もある。曲がり角の先に障害物を置かれるだけでも、商人にとっては十分な脅威になるだろう。
私たちがそんなことを話している間に、シエラは街道の端へしゃがみ込んでいた。
「……ここ」
呼ばれて近づくと、彼女は地面に残された細い溝を指さした。
「車輪の跡?」
「うん。深く沈んでる。急に止まったか、動けなくなった」
言われてみれば、そこだけ車輪の跡が不自然に深くなっている。道の表面は乾いていたけれど、荷馬車の重みで押し固められた部分には、まだわずかな凹凸が残っていた。
シエラはその先へ視線を移し、今度は林の縁を調べ始める。
「枝が折れてる。人が通った」
「こんな小さな跡まで分かるんだ……」
私には、ただの藪にしか見えなかった。
けれどシエラは、折れた枝の向きや地面に残った足跡を一つずつ確かめながら、何人かが林の中から街道へ出てきた可能性を指摘した。
もちろん、襲撃者のものだと断定できるわけではない。街道沿いの林には狩人や旅人が入ることもあるし、襲撃から時間が経っている以上、別の人間が通った痕跡も混じっているだろう。
それでも、シエラは周囲の痕跡を照らし合わせながら、少しずつ人の動きを読み取っていく。
「こっちにも足跡。道を挟んでる」
シエラが示したのは、街道の反対側にある斜面だった。
そこには人が踏み込んだような跡がいくつか残されており、街道へ向かって下りてきた形跡があった。
「つまり、林から出てきた連中とは別に、こっちにも人がいたってことか」
「たぶん」
タクマは曲がり角の方を見たあと、少し考え込んだ。
「偶然ここで荷馬車を見つけて襲ったにしては、位置がよすぎる気がするな。最初からここで待ち伏せしてたのかもしれない」
私も同じことを考えていた。
街道の曲がり角で進路を塞ぎ、林と斜面の両側から人が出てくれば、商人は逃げ道を失ってしまう。しかも荷馬車を置いて逃げることになれば、積荷はそのまま奪われてしまう。
ただの行き当たりばったりの襲撃とは、少し違うように思えた。
「とりあえず、商人さんにも詳しく話を聞いてみようか」
「ああ。現場の様子と証言が合えば、もう少し分かることがあるかもしれない」
私たちは街道沿いにある小さな宿場へ向かった。
そこは旅人や商人が休憩するための場所で、数軒の宿屋と食堂、馬を休ませるための厩舎が並んでいた。大きな集落ではないけれど、街道を利用する人々にとっては重要な中継地点なのだろう。
被害に遭った商人は、宿場の一角で荷馬車の修理を待っていた。
私たちが冒険者ギルドから派遣されたことを伝えると、商人はほっとしたような表情を浮かべた。
「ようやく調べに来てくれたんですか。いや、本当に助かりますよ。あんな連中が出るんじゃ、安心して商売もできませんから」
中年の商人はそう言って、私たちを宿屋の食堂へ案内してくれた。
話を聞くと、襲撃が起きたのは数日前の昼過ぎだったという。
商人は生活物資を積んだ荷馬車で街道を進んでいたところ、曲がり角の先で武装した男たちに進路を塞がれたらしい。
「最初は道を尋ねられるのかと思ったんです。ところが、剣を抜いて荷馬車を止めろと言われましてね。慌てて引き返そうとしたら、後ろにも別の連中が出てきたんですよ」
「後ろにも?」
「ええ。林の中から何人も現れて、逃げ道を塞がれました。馬も驚いて暴れるし、もうどうにもならなくて……」
商人は当時のことを思い出したのか、苦い顔をした。
幸い、彼自身は荷馬車を捨てて逃げ延びることができた。けれど、積荷の一部は奪われ、荷馬車も乱暴に扱われたせいで修理が必要になってしまったという。
「襲ってきた人たちは、何人くらいいたの?」
「正確には分かりません。前に三人ほどいて、後ろにも何人か……十人はいたかもしれませんね。もっと多かった可能性もあります」
「その人たちは、何か話してた?」
タクマが尋ねると、商人は少し考え込んだ。
「そうですね……一人、指示を出している男がいました。ほかの連中は、その男の言うことを聞いていたようです。怒鳴り合ったり、勝手に動いたりする様子はありませんでした」
「なるほど」
「それと、妙だったのは積荷です。高価な品物もあったんですが、連中は食料を優先して持っていったんですよ」
「食料?」
「ええ。保存食や穀物です。もちろん金目の物も持っていかれましたが、食料の袋を何人もで運んでいました。あれだけの人数で食べるつもりなんでしょうかね」
私はタクマと顔を見合わせた。
普通、野盗が商人を襲うなら、できるだけ高く売れる品物を奪おうとするはずだ。もちろん食料にも価値はあるけれど、重くてかさばる穀物を優先して持っていくというのは、少し気になる。
「食料そのものが必要だったのかもしれないな」
タクマが小さく呟いた。
私は頷いたけれど、すぐに商人の方へ視線を戻した。
襲撃者にどんな事情があったとしても、この人が被害を受けたことに変わりはない。積荷を奪われただけでなく、荷馬車の修理費もかかっているし、予定していた商売も滞ってしまっている。
「怖い思いをしたんだね。怪我がなくてよかったけど、荷物まで奪われちゃったら大変だよね」
「本当にそうですよ。荷馬車を直しても、また襲われるかもしれないと思うと、次の仕事を受けるのも怖くてね」
商人は疲れたように息を吐いた。
「どうか、あの連中を何とかしてください。私だけじゃありません。この街道を使ってる商人は、みんな困ってるんです」
「うん。まずはできるだけ調べてみるね」
私はそう答えた。
商人から聞いた話は、現場で見つけた痕跡ともおおむね一致していた。
襲撃者は複数の場所に人を配置し、荷馬車が通りかかるのを待っていた。しかも、一人の指示に従って行動していたらしい。偶然集まった野盗というより、ある程度まとまった集団として動いているように思えた。
商人と別れたあと、私たちは再び襲撃現場へ戻った。
「どう思う?」
私が尋ねると、タクマは少し考えてから答えた。
「少なくとも、無計画に襲ってるわけじゃなさそうだな。見張りを置いて、荷馬車を止める場所を決めて、逃げ道まで塞いでる。誰かが全体を指示してたって話も気になる」
「軍人だった人が混じってる可能性もあるかな?」
「あると思う。ただ、それだけで決めつけるのは早いな。経験のある野盗だって、同じようなことはできるだろうし」
確かに、そのとおりだった。
私たちはまだ襲撃者の姿さえ見ていない。分かっているのは、武装した集団が計画的に商人を襲い、食料を中心に積荷を奪っているということだけだ。
そこで、シエラが静かに口を開いた。
「林の中、調べる」
「うん。お願いしてもいい?」
「任せて」
シエラはそう答えると、先ほど見つけた足跡の方へ歩いていった。
私たちも彼女のあとに続き、街道から林の中へ入る。
木々の間には低い草が生い茂り、地面には落ち葉が積もっていた。ところどころに獣道のような細い通り道があるものの、少し進むだけで街道の姿は見えなくなってしまう。
シエラは先頭を歩きながら、時折立ち止まって地面を確かめていた。
「ここ、踏まれてる」
彼女が指さした場所を見ると、落ち葉が不自然に押しつぶされている。
「何人も通ったの?」
「たぶん。重い荷物を持ってたかもしれない」
「どうして分かるの?」
「足跡が深い。歩幅も短い」
なるほど、と私は頷いた。
言われてみれば、周囲の足跡よりも地面が深く沈んでいるように見える。けれど、私一人だったら、そんな違いには気づかなかっただろう。
シエラはさらに、枝の折れ方や草の倒れた向きを確認しながら進んでいく。足跡が途切れた場所でも、周囲の小さな変化を手掛かりにして進む方向を判断していた。
しばらく歩いたところで、タクマが小声で呼びかけた。
「シエラ、少し待ってくれ」
シエラが足を止める。
「この先に人がいる可能性もある。俺たちは少し離れて待つから、様子を見てきてもらえるか?」
「分かった」
シエラは頷くと、木々の間へ静かに姿を消した。
私たちは近くの倒木に身を寄せ、周囲を警戒しながら待つことにした。
林の中は静かだった。時折、鳥の鳴き声が聞こえ、風が枝葉を揺らしている。街道からそれほど離れていないはずなのに、荷馬車の音も人の声もほとんど届かない。
「シエラって、本当にすごいよね」
私は小声でタクマに話しかけた。
「ああ。俺たちだけだったら、ここまで追ってこられなかったと思う」
「私なんて、足跡があるって言われても、どれがそうなのか分からないもん」
「俺も似たようなものだよ。ああいうのは経験が必要なんだろうな」
タクマはそう言って、シエラが消えた方向を見た。
彼女は普段あまり多くを語らないけれど、斥候としての腕前は確かだった。私たちが気づかない危険を先に察知してくれることも多く、これまで何度も助けられている。
やがて、木々の間からシエラが戻ってきた。
「少し先に、野営の跡がある」
「人はいた?」
「今はいない。焚き火の跡と、荷物を置いた跡がある」
「じゃあ、そこを調べてみようか」
私たちはシエラの案内で林の奥へ進んだ。
そこは木々に囲まれた小さな空き地で、地面には踏み固められた場所がいくつもあった。中央には焚き火の跡が残され、周囲には木箱や袋を置いたと思われる窪みがある。
シエラによれば、ここは長期間滞在するための野営地ではなく、襲撃後に一時的に集まる場所として使われていた可能性が高いという。
「焚き火も小さい。長くいたわけじゃない」
「なるほど。襲った荷物をここまで運んで、いったん集まったのかもしれないな」
タクマは周囲を見渡しながら言った。
確かに、街道から直接大勢で移動するより、林の中に一度集まった方が人目につきにくい。そこから別の場所へ移動すれば、追跡される危険も減らせるだろう。
私たちは手分けして野営地を調べ始めた。
焚き火の近くには食料の包み紙が落ちており、木箱を引きずったような跡も残されている。使い古された布切れや、壊れた革紐のようなものも見つかった。
そのとき、シエラが地面から小さな金具を拾い上げた。
「リカ。これ、分かる?」
差し出されたのは、鈍い銀色をした留め具だった。
私はそれを受け取り、表面に残された模様を確かめた。
「……これ」
見覚えがあった。
王宮で暮らしていた頃、兵士たちが身につけていた装備に、似た形の金具が使われていたはずだ。
「マリアベルの軍装品に似てる」
タクマが私の手元を覗き込んだ。
「王国軍のものってことか?」
「ううん、まだ分からない。でも、形はよく似てると思う。昔、王宮で見た兵士たちの装備に、こういう留め具が使われてたの」
金具は古びていて、表面の模様も一部が擦り減っていた。王国軍の装備だったとしても、いつ、どこで手に入れたものなのかは分からない。
戦場で拾われたものかもしれないし、軍から流出した装備を誰かが使っている可能性もある。それでも、胸の奥に小さな不安が生まれた。
さらに周囲を調べていたシエラが、古びた布切れを見つけた。
色褪せていたけれど、その色合いにも見覚えがある。王国軍の兵士たちが身につけていた衣服を思い出させるものだった。
「……偶然かな」
私が呟くと、タクマはすぐには答えなかった。
「偶然かもしれない。でも、可能性としては考えておいた方がよさそうだな」
「うん」
私は金具をもう一度見つめた。
王宮で暮らしていた頃、兵士たちはいつも当たり前のようにそこにいた。門を守り、廊下を巡回し、式典では整然と列を作っていた。私が外出するときには護衛として付き添い、王宮へ戻れば何事もなかったかのように持ち場へ戻っていく。
彼らがどこから来て、どんな暮らしをしているのか、当時の私はほとんど考えたことがなかった。
けれど、今は違う。
王国では内戦が続き、多くの兵士が戦場で命を落としている。生き残った人たちの中には、部隊を失い、故郷へ帰ることもできず、他国へ逃れてきた者もいるのだ。
もし、この金具の持ち主がそうした兵士の一人だったとしたら。
私は考えかけて、首を振った。
まだ何も分かっていない。ここで勝手に事情を決めつけるわけにはいかなかった。
「シエラ、この人たちがどこへ行ったか、分かりそう?」
「調べてみる」
シエラはそう答えると、空き地の端へ向かった。
しばらく地面を確認していた彼女は、やがて一つの方向を指さした。
「こっち。何人も通ってる」
「追える?」
「うん。ただ、慎重に」
その言葉に、タクマも表情を引き締めた。
「分かった。ここからは相手の拠点に近づくかもしれない。無理に進まず、危険だと思ったらすぐに戻ろう」
私たちは頷き合い、シエラのあとを追った。
林の奥へ進むにつれ、木々はさらに密集していった。足元には太い根が張り出し、ところどころに小さな窪地もある。道らしい道はなく、シエラがいなければ方向を見失ってしまいそうだった。
途中で彼女は何度か立ち止まり、周囲の様子を確かめた。
やがて、少し先の木々を見つめたまま、片手を上げた。
「……人の気配」
私たちはすぐに足を止めた。
「近いの?」
「たぶん。ここで待ってて」
シエラはそれだけ言うと、再び木々の間へ姿を消した。
私はタクマとともに身を低くし、周囲の音に耳を澄ませた。
しばらくすると、かすかに人の声が聞こえてきた。風に紛れているため内容までは分からないけれど、複数人が話しているようだった。
やがてシエラが戻ってくる。
「見つけた。武装した男たちがいる」
「何人くらい?」
「見えたのは八人。天幕の中にもいるかもしれない」
「……結構いるな」
タクマは小さく呟いた。
シエラによれば、林の奥に小さな窪地があり、そこに簡素な天幕がいくつか張られているという。焚き火のそばには食料の入った袋や木箱が置かれ、武器を手入れしている男の姿もあったらしい。
さらに、周囲には見張りが配置されているとのことだった。
「どうする?」
私が尋ねると、タクマは少し考えた。
「まずは様子を見よう。ここにいる連中が本当に襲撃犯なのか、まだ確定したわけじゃないからな」
「うん。私もそう思う」
「シエラ、気づかれずに近づけそうな場所はあるか?」
「ある。こっち」
私たちはシエラの案内で、窪地を見下ろせる場所へ移動した。
木々の陰から覗くと、確かに複数の男たちが野営しているのが見えた。
装備は統一されていない。革鎧を着ている者もいれば、古びた金属製の胸当てを身につけている者もいる。剣や槍を持った男たちは、いずれも旅人というより戦いに慣れた者たちのように見えた。
焚き火のそばでは、二人の男が食料の袋を開け、中身を確かめている。別の男は剣の手入れをしており、少し離れた場所では見張りらしい人物が周囲を警戒していた。
その動きには、どこか統一されたものがある。見張りの交代も決まった手順で行われているようで、無秩序な野盗の集まりには見えなかった。
「……軍人だった人たちなのかな」
私は小声で呟いた。
「可能性は高そうだな。ただ、まだ断定はできない」
タクマはそう答えながら、男たちの様子を注意深く観察していた。
そのとき、風に乗って男たちの会話が聞こえてきた。
「……食料が足りねえ」
「分かってる。だが、次も同じ場所じゃ危ねえぞ」
「だったらどうするんだよ。いつまでもここにいるわけにもいかねえだろ」
私は思わず息を潜めた。
声は途切れ途切れにしか聞こえないけれど、どうやら食料の不足について話しているらしい。
さらに、別の男の声が続いた。
「……帰れるもんなら、とっくに帰ってる」
その言葉に、胸の奥が締めつけられた。
帰れない。
それが何を意味するのか、今の私にはまだ分からない。けれど、彼らの装備や行動、そして先ほど見つけた金具を思い出すと、どうしてもマリアベルの兵士たちの姿が頭に浮かんでしまう。
もし彼らが、戦争で部隊を失った兵士たちだったとしたら。
王国を守るために剣を取った人たちが、今は他国の街道で商人を襲い、食料を奪って生き延びようとしているのだとしたら。
私は、その現実をどう受け止めればいいのだろう。
けれど、どんな事情があったとしても、彼らが商人を襲っているのなら放っておくわけにはいかない。宿場で話を聞いた商人の顔が浮かんだ。積荷を奪われ、荷馬車を壊され、次の仕事を受けることさえ怖がっていた人だ。
彼のような被害者を、これ以上増やすわけにはいかなかった。
「リカ」
タクマが小さく声をかけてきた。
私は彼の方を向く。
「相手の人数と見張りの位置を、もう少し確認しよう。別の商隊が襲われる前に対処したいけど、無理に飛び込む必要はない」
「……うん。分かった」
シエラも静かに頷いた。
私たちは身を隠したまま、野営地の様子を観察し続けた。
男たちが何者なのか、どうしてここにいるのか、まだ確かなことは分からない。それでも、彼らの背後にマリアベルの戦争があるのだとしたら、それは決して遠い国の出来事ではなかった。
王都が陥落し、王軍が撤退したことで、ノヴァグラードには冒険者たちが戻ってきた。その一方で、戦争によって居場所を失った人々もまた、国境を越えて流れ込んできている。
同じ戦争が生み出した、まったく異なる二つの光景。
私は窪地に集まる男たちを見つめながら、昨日のギルドの賑わいを思い出していた。
戦争は、戦場から遠ざかったからといって、終わるわけではないのだ。




