第92話 戻ってきた冒険者たち
冒険者ギルドの扉を開けた途端、懐かしい喧騒が耳に飛び込んできた。
受付の前には順番待ちの列ができ、依頼掲示板には何人もの冒険者が集まっている。併設された酒場からは威勢のいい笑い声が聞こえ、昼間だというのに酒杯を傾けている者までいた。互いの肩を叩いて再会を喜ぶ者、長旅の苦労話を聞かせる者、久しぶりの依頼選びに頭を悩ませる者と、その様子は実にさまざまだった。
少し前までの閑散とした光景が嘘のようで、私は思わず足を止めてしまった。
「ずいぶん賑やかになったね」
「ああ。軍の仕事に出てた連中が戻ってきたって話は聞いてたけど、ここまで違うとはな」
隣に立つタクマも、驚いたようにギルドの中を見渡している。
マリアベル王国で内戦が始まって以来、フロンティア大公国は国境方面の警戒を強めていた。大公国軍だけでは広い国境地帯の警備や物資輸送に十分な人員を割けず、冒険者ギルドにも護衛や警備の依頼が大量に持ち込まれるようになった。ノヴァグラードからも多くの冒険者が長期の仕事へ出ていき、普段なら賑わっているはずの酒場でさえ、空席が目立つ日が続いていたのだ。
けれど、今はその状況が変わりつつある。
マリアベル王軍が王都マリアベルクを失い、メルキアまで撤退したことで、戦線は大公国の国境から遠ざかった。大公国軍は警戒態勢を段階的に縮小し、それに伴ってギルドを通じて発注されていた軍務依頼も順次終了している。各地へ派遣されていた冒険者たちは、ようやくノヴァグラードへ帰ってこられるようになったのだった。
もちろん、戦争そのものが終わったわけではない。お父様の率いる王軍は今もメルキアで態勢を立て直そうとしているし、ハインリヒが占領した王都の状況も気にかかる。それでも、長く街を離れていた人たちが無事に戻ってきたことは、素直に嬉しかった。
「おっ、リカじゃねえか!」
受付へ向かおうとしたところで、酒場の方から大きな声が飛んできた。
振り返ると、奥のテーブルに座っていた大柄な男がこちらに手を振っている。日に焼けた顔と、肩から腕にかけて残る古い傷には見覚えがあった。以前、このギルドで何度か顔を合わせたことのある冒険者だ。
「あ、久しぶり! 戻ってきたんだね」
「おう、昨日な。いやあ、長かったぜ。毎日毎日、荷馬車の護衛ばっかりでよ。魔物と戦う方がまだ退屈しねえってもんだ」
男は豪快に笑いながら立ち上がり、隣に座っていた仲間たちにも声をかけた。どうやら、彼らも同じ軍務依頼から戻ってきたばかりらしい。
「おい、こいつらだよ。例の聖女様と英雄様ってのは!」
私は思わず顔をしかめた。
「……ちょっと、その呼び方はやめてよ」
「聞いたぞ、リカ。お前、聖女様になったんだって?」
男は面白そうに私の顔を覗き込み、それから隣のタクマへ視線を移した。
「しかもタクマは英雄様だとよ! なんだなんだ、俺たちが留守にしてる間に、ずいぶん偉くなったじゃねえか!」
その言葉に、周囲のテーブルからも笑い声が上がった。
「おいおい、本当なのかよ!」
「タクマって、俺たちが出発した頃はまだB級だったよな?」
「それが今じゃA級で英雄様だって? 大出世じゃねえか!」
どうやら、軍務から帰還した冒険者たちの間でも、私たちの噂は広まっているらしい。もっとも、実際にノヴァグラードの防衛戦を経験していない彼らにとっては、昔から知っている冒険者が突然そんな大層な呼び名で呼ばれるようになったことが、面白くて仕方がないのだろう。
私自身、聖女と呼ばれるたびに困っているくらいだから、その気持ちは少し分かる。
「もう、私は別に聖女になったつもりなんてないんだから。今までどおりリカでいいよ」
「ははは! そういうところは変わんねえな!」
男はますます楽しそうに笑った。
「俺も英雄なんて柄じゃないんだけどな。普通にタクマで頼むよ」
タクマも苦笑しながらそう答えると、男は嬉しそうに彼の肩を叩いた。
「分かってるって! いやあ、でも驚いたぜ。帰ってきたら街中でお前らの名前を聞くんだからよ。何があったのかと思ったら、スタンピードを撃退したって話じゃねえか!」
その反応は、正直なところ少し気楽だった。
防衛戦のあと、街の人たちは私たちに随分と感謝してくれるようになった。もちろん、助けた人たちが元気に暮らしている姿を見るのは嬉しいし、感謝されること自体が嫌なわけではない。ただ、以前から顔を知っている人にまで改まった態度を取られると、どう接していいのか分からなくなることがある。
だから、こうして以前と変わらず気安く話しかけてもらえると、むしろ安心するのだった。
ところが、そんな私の気持ちとは裏腹に、近くの席から不機嫌そうな声が上がった。
「おい。お前ら、あのとき街にいなかっただろ」
声の主は、革鎧を身につけた若い冒険者だった。彼の顔にも見覚えがある。スタンピードの際、ノヴァグラードの防衛に参加していた一人で、戦闘が終わったあとには治療所にも顔を出していたはずだ。
先ほどまで笑っていた男が、怪訝そうに眉を寄せた。
「あん? なんだよ、いきなり」
「だから、あの防衛戦を見てねえだろって言ってんだ」
「見てねえよ。俺たちは軍の仕事で外にいたんだからな。それがどうした?」
若い冒険者は一度だけ私たちへ目を向け、それから男を睨んだ。
「だったら、軽々しく笑い話にするんじゃねえよ。こっちは本当に死ぬところだったんだぞ」
酒場の空気が、少し変わった。
「……おいおい。別に防衛戦を馬鹿にしたわけじゃねえだろ。知り合いが聖女だの英雄だの呼ばれてるから、ちょっとからかっただけじゃねえか」
「その二人がどれだけ働いたか、お前らは知らねえだろうが」
若い冒険者の声が大きくなるにつれ、周囲の席からも視線が集まり始めた。
「あのとき、前線じゃ何人も倒れたんだ。タクマがいなきゃ突破されてた場所だってあったし、リカが治療してくれなきゃ助からなかった奴も大勢いる。俺だって世話になったんだぞ。それを、何も知らねえ奴に笑われたくねえんだよ」
「だからって、俺たちが何か悪いことしたのかよ!」
大柄な男も椅子を蹴るように立ち上がった。
「こっちだって遊びに行ってたわけじゃねえ。大公国軍の依頼を受けて、危ねえ街道を何度も往復してたんだぞ。お前らが大変だったのは分かるが、だからって俺たちが楽してたみてえに言われる筋合いはねえ!」
「誰も逃げたなんて言ってねえだろ!」
「だったら、そんな喧嘩腰で突っかかってくんな!」
互いの声が大きくなり、周囲の冒険者たちも次々と立ち上がり始めた。止めようとしている者もいれば、面白半分に様子を見ている者もいる。さっきまで再会を喜び合っていた酒場が、あっという間に険悪な雰囲気になってしまった。
私は慌てて二人の間に割って入ろうとした。
「ちょ、ちょっと待って! 私たちは別に気にしてないから!」
「そうそう。俺たちのことで喧嘩する必要なんてないだろ」
タクマも隣から宥めようとするけれど、二人ともなかなか引き下がらない。というより、私たちが気にしていないと言っても、防衛戦に参加した冒険者の方は納得できないらしい。
「リカ、あんたらが気にしてなくても、こっちは気になるんだよ。あのときのことを知らねえ奴に、笑われたくねえんだ」
そう言われてしまうと、返す言葉に困ってしまった。
彼が怒っているのは、自分のためだけではないのだろう。あの防衛戦では、本当に多くの人たちが命を懸けて戦った。負傷者も出たし、助けられなかった人だっていた。私たちが必死に守ろうとした街を、彼らもまた必死に守っていたのだ。
その記憶を、何も知らない相手に軽い冗談として扱われたように感じたのかもしれない。
けれど、軍務に出ていた人たちにも、それぞれの事情がある。彼らが引き受けた護衛や警備の仕事だって、大公国の人々の暮らしを支えるために必要なものだったはずだ。
どちらか一方が悪いとは、私には思えなかった。
「お前ら、朝っぱらから何を騒いでやがる!」
そのとき、ギルドの奥から聞き慣れた怒鳴り声が響いた。
バルザックだ。
大柄なギルド長が姿を現した途端、言い争っていた二人は揃って口を閉じた。周囲で様子を見ていた冒険者たちまで、何事もなかったかのように椅子へ座り直している。
「帰ってきたと思ったら、今度は身内で喧嘩か。ずいぶん元気が余ってるみてえだな」
「いや、ギルド長。俺たちは別に……」
「言い訳は後だ」
バルザックは帰還した男へ視線を向けた。
「お前らが軍の仕事をきっちりこなしてきたのは分かってる。だが、こいつらが街で何を経験したのか知らねえなら、少しは言葉を選べ。お前らにとっちゃ冗談でも、笑えねえ奴はいるんだよ」
「……へい」
「それから、お前もだ」
今度は防衛戦に参加した冒険者へ顔を向ける。
「こいつらだって好きで街を離れてたわけじゃねえ。軍の依頼を受けて、必要な仕事をしてきたんだ。あのとき街にいなかったからって、責められる筋合いはねえだろうが」
「……分かってますよ」
「分かってるなら、くだらねえ喧嘩をするな。そんなに元気が余ってるなら、依頼を二つ三つ余計に受けてこい」
その言葉に、周囲から小さな笑い声が漏れた。
帰還した男は気まずそうに頭をかき、防衛戦に参加した冒険者も不満げながら椅子へ腰を下ろす。完全に納得したわけではなさそうだけれど、少なくともこれ以上言い争うつもりはないらしい。
私はようやく肩の力を抜いた。
「……びっくりした」
「俺たち、何もしてないのにな」
タクマが苦笑する。
すると、バルザックがこちらを見て鼻を鳴らした。
「お前らも少しは自覚しろ。あの防衛戦で助けられた連中にとっちゃ、聖女だの英雄だのって呼び名は冗談じゃねえんだよ」
「でも、私はそんなつもりじゃ……」
「分かってる。だからって、周りの気持ちまで同じとは限らねえだろ」
それは、確かにそうだった。
バルザックによれば、軍務から冒険者たちが戻り始めた頃から、似たような小競り合いが何度か起きていたらしい。街に残って防衛戦を経験した者と、外で軍務を果たしていた者。同じギルドに所属していても、経験した出来事があまりに違っていたのだ。
「ま、そのうち落ち着くだろうがな。お前らも変に気負わず、今までどおりにしてりゃいい」
そう言い残して、バルザックは仕事へ戻っていった。
私たちは顔を見合わせ、揃って小さく息を吐いた。
「おうおう、朝から人気者は大変だな!」
今度は別の方向から、よく通る声が飛んできた。
振り返ると、フリーダが片手を上げながら歩いてくる。その隣にはクルシュもいて、二人とも私たちの様子を見て笑っていた。
「フリーダ! 見てたなら助けてよ!」
「ははっ! いやあ、面白かったからついな。あんたら、喧嘩の原因になってんのに、一番困った顔してんだもんよ」
「笑い事じゃないよ……」
「まあまあ。フリーダも、あまりからかわないでください」
クルシュが苦笑しながら窘めると、フリーダは悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「リカさんもタクマさんも、お疲れさまでした。帰ってきた方々には、まだ防衛戦のことが十分伝わっていないのでしょうね」
「そうみたい。私たちも、こんなことになるとは思わなかったよ」
「仕方ありませんよ。実際に経験した人と、話だけで聞いた人では、受け取り方が違いますから。防衛戦に参加した方々も、あのときは本当に大変でしたしね」
クルシュの言葉に、私は頷いた。
あの防衛戦を経験した人たちにとって、スタンピードは単なる過去の出来事ではないのだろう。街にはまだ修理を終えていない建物もあるし、負傷から回復していない人だっている。私たちが普段の生活へ戻りつつあるからといって、すべてが元どおりになったわけではない。
そんなことを考えていると、フリーダが酒場の方へ目を向け、満足そうに笑った。
「ま、何にせよ人が戻ってきたのはいいことじゃねえか。酒場も賑やかになったし、ようやくいつものギルドって感じだな」
「フリーダ、まだ昼前ですよ」
「分かってるって。今すぐ飲むとは言ってねえだろ?」
「昨日も同じことを言って、結局夕方まで飲んでいたでしょう」
「昨日は昨日だろ! 今日はまだ一滴も飲んでねえぞ!」
「それを威張られても困ります」
あまりにもいつもどおりのやり取りに、思わず笑ってしまった。クルシュは呆れたように息を吐いているけれど、その表情はどこか楽しそうだった。
フリーダの酒癖については、今さら私たちが何か言うまでもない。本人もそれなりに反省することはあるのだけれど、どういうわけか翌日には元に戻ってしまう。それでも、いざ仕事となれば頼りになる冒険者なのだから、バルザックも頭が痛いだろう。
「そういやタクマ、帰ってきた連中はあんたがA級になったのも知らねえ奴が多いんじゃねえか?」
フリーダが思い出したように尋ねた。
「ああ、そうみたいだな。さっきも驚かれたよ」
「そりゃそうだろ。出発した頃はB級だった奴が、帰ってきたらA級で英雄様だ。あたしだって笑うわ」
「フリーダまで……」
「ははっ! 悪い悪い。でも、あんたが強くなったのは本当だろ? だったら堂々としてりゃいいじゃねえか」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
彼がA級へ昇格するまでには、ハーケンやボーマンとの厳しい修行があった。最初は剣の握り方さえ、この世界の戦い方に合わせて覚え直さなければならなかったのに、今では私と肩を並べて危険な依頼へ向かえるほどになっている。
その努力をずっと近くで見てきた私としては、タクマの実力が評価されることが嬉しい。ただ、本人が英雄と呼ばれることに慣れていないのも、よく分かっていた。
それからしばらく近況を話し、私たちは依頼掲示板へ向かった。
戻ってきた冒険者が増えたこともあって、掲示板の前は随分と混み合っている。依頼書を一枚ずつ確認している者もいれば、報酬額を見比べながら仲間と相談している者もいた。長期の軍務を終えたばかりの冒険者たちは、しばらく街の近くで仕事をしたいらしく、比較的安全な依頼には人が集まっているようだった。
以前は軍の護衛や警備に関する依頼が多かったけれど、今は魔物討伐や商隊護衛など、普段の仕事が目立つようになっている。
もっとも、よく見ると少し気になることがあった。
「ねえ、タクマ。街道警備の依頼、こんなに多かったっけ?」
「ん? ……確かに多いな」
掲示板には、街道の巡回警備や商隊の護衛に関する依頼が何件も並んでいた。中には、野盗の調査や討伐を求めるものまである。
魔物の活動が活発になる時期には護衛依頼が増えることもあるけれど、今回は少し様子が違うようだった。依頼書に記された被害の内容も、魔物による襲撃ではなく、武装した人間によるものが目立っている。
「エリナに聞いてみようか」
「そうだな。最近の状況も分かるかもしれないし」
私たちは受付へ向かった。
エリナは山積みになった書類を整理しながら、次々と訪れる冒険者たちの対応に追われていた。以前よりも受付の仕事が増えているらしく、机の上には依頼書や報告書が何束も積まれている。
「あ、リカ! タクマさんも。ちょっと待っててね!」
エリナは手元の書類を片づけ、隣の受付職員に何かを頼んでから、ようやくこちらへ顔を向けた。
「お待たせ! 今日は依頼を探しに来たの?」
「うん。それもあるんだけど、ちょっと気になることがあって」
「なになに?」
「最近、街道警備の依頼が増えてない? 野盗討伐も結構あるみたいだし」
「ああ、そのことね。そうなのよ。ここ最近、国境方面の街道で襲撃事件が増えててさ」
エリナは困ったように眉を寄せた。
「商隊が武装した集団に襲われたり、辺境の集落で食料を奪われたりって報告が届いてるの。今のところ大規模な被害は少ないみたいだけど、同じ街道で何度も襲撃が起きてる場所もあるんだって」
「そんなに増えてるんだ……」
「うん。大公国軍の警戒態勢が縮小されたから、以前ほど兵士が巡回していない地域もあるみたい。それで商人さんたちも、護衛を増やしたがってるのよ」
「なるほどな。軍が引き上げた分、警備が手薄になってるのか」
タクマが納得したように頷いた。
軍が国境警備を縮小したことは、戦争の危険性が遠ざかったという意味では喜ばしいことなのだろう。けれど、それまで兵士たちが守っていた街道や集落まで、すぐに別の警備体制へ切り替えられるわけではない。
特に大公国の辺境部は集落同士の距離が離れている場所も多く、巡回の回数が減れば、それだけ人目の届かない時間が増えてしまう。
「それだけじゃないのよ。最近はマリアベルから流れてくる人たちも増えてるらしくて……」
その言葉に、私は思わず聞き返した。
「マリアベルから?」
「うん。内戦で部隊を失った兵士とか、軍から脱走してきた人たちが、国境を越えて大公国へ入ってきてるみたいなの。王軍がメルキアまで後退した影響もあるんだろうね」
私は胸の奥が少し重くなるのを感じた。
マリアベル王国の内戦は、今も続いている。王都を占領したハインリヒ軍と、メルキアへ撤退したお父様の王軍。その戦いの中で、多くの兵士が命を落とし、生き残った人たちも行き場を失っているのだろう。
軍に所属している間は、食料も寝る場所も与えられる。けれど、部隊が壊滅したり、指揮官を失ったりすれば、その日の食事をどうするかさえ自分たちで考えなければならなくなる。
しかも、故郷が敵の支配地域になっていれば、帰ることさえ難しい。
「でも、そういう人たちがみんな野盗になってるわけじゃないんだよね?」
「もちろん! ちゃんと手続きをして冒険者になろうとしてる人もいるし、仕事を探してる人もいるよ。ただ、中には武器を持ったまま集団で移動してる人たちもいるみたいで、各地で警戒が強まってるんだって」
「そっか……」
少し安心したものの、複雑な気持ちは消えなかった。
かつて王国を守るために戦っていた兵士たちが、今は他国で生きる場所を探している。戦争に負けたからといって、その人たちの人生まで終わるわけではないのに、現実には新しい暮らしを始めることさえ難しいのだ。
「元兵士が混じってるなら、普通の野盗より厄介かもしれないな」
タクマが掲示板へ視線を向けながら言った。
「集団で戦う訓練を受けてるだろうし、武器の扱いにも慣れてるはずだ。商人を襲うにしても、地形や逃げ道を考えて動くかもしれない」
「そうだね。もし本当にそうなら、普通の商人じゃ逃げるのも難しいかも」
そのとき、背後から声がかかった。
「そのとおりだ」
振り返ると、先ほど喧嘩を仲裁していたバルザックが立っていた。どうやら、私たちの話が耳に入ったらしい。
「最近の野盗は、どうにも動きが妙でな。街道をよく調べたうえで襲ってるらしい。荷馬車を止める場所も、逃げ道も考えてるって話だ」
「軍人だった人が混じってるってこと?」
「まだ分からねえ。だが、その可能性はあるだろうな」
バルザックは腕を組み、険しい表情を浮かべた。
「戦争で部隊を失った連中が流れてくるのは、仕方のねえことだ。帰る場所がなくなった奴もいるだろうし、食うに困ってる奴だっているだろう。だが、だからって大公国の商人や住民を襲っていい理由にはならねえ」
その言葉には、ギルド長としての責任が滲んでいた。
バルザックは、冒険者たちが無事に戻ってきたことを喜んでいる一方で、新たに生まれた問題にも目を向けている。ギルドに所属する冒険者たちの仕事を確保するだけでなく、街や周辺地域の安全を守ることも、彼の大切な役目なのだろう。
「今はまだ小規模な被害が中心だが、放っておけば大きくなるかもしれねえ。軍の巡回が減った分、ギルドにも仕事が回ってくるだろうよ」
「……なるほど」
タクマはそう言って、もう一度掲示板を見た。
私も彼の視線を追う。
その中に、一件の依頼が目に留まった。
大公国辺境部の街道で、商人の荷馬車が武装集団に襲われたというものだった。商人は逃げ延びたものの、積荷の一部を奪われている。しかも、同じ街道では似たような被害が続いており、襲撃者の人数も正確には分かっていないらしい。
「ねえ、タクマ。これ、どうかな?」
私が依頼書を指さすと、タクマは内容を確認した。
「襲撃者の調査と、必要に応じた討伐か。悪くないと思う。まずは現地で話を聞く必要がありそうだけど」
「うん。シエラにもお願いしようよ。こういう調査なら、あの子がいてくれると助かるし」
「そうだな。三人で行こう」
私たちは依頼書を持って受付へ戻り、エリナに受注を申し出た。
「この依頼、私たちで受けたいんだけど」
「あ、さっき話してた街道襲撃の件ね。ちょっと待って、確認するから」
エリナは依頼書を受け取り、受付の記録と照らし合わせた。襲撃者の人数が不明なこともあって、依頼には一定以上の冒険者ランクが求められているらしい。
「うん、リカたちなら問題ないよ。ただ、相手が何人いるか分かってないから、そこは気をつけてね。無理に討伐まで進めなくても、まず調査結果を持ち帰ってくれればいいから」
「分かった。ありがとう、エリナ」
「気をつけて行ってきてね。二人とも、最近は何かと目立つんだから」
「それ、さっきの話を蒸し返してない?」
「ふふっ、どうだろうね?」
エリナは楽しそうに笑いながら、依頼の手続きを済ませてくれた。
その様子を見て、私は少しだけ安心する。街の人たちから聖女と呼ばれるようになっても、エリナは以前と変わらず接してくれる。受付で顔を合わせるたびに気軽に話しかけてくれるし、時にはこうしてからかってくることもある。
私にとっては、その方がずっとありがたかった。
「おっ、仕事決まったのか?」
手続きを終えたところで、フリーダが再び顔を出した。
「うん。街道で商人を襲ってる野盗の調査だよ」
「野盗か。だったら、あたしたちも一緒に行ってやろうか?」
フリーダは気軽にそう言ったけれど、すぐにバルザックが口を挟んだ。
「お前らは駄目だ。別の依頼を任せてるだろうが」
「ちぇっ。分かってるよ。ちょっと言ってみただけだろ」
「だったら最初から言うな。お前らにはお前らの仕事があるんだよ」
バルザックに睨まれ、フリーダは肩をすくめた。
クルシュはそんな彼女を横目で見ながら、私たちに向き直る。
「リカさん、タクマさん。お気をつけて。何か分かったら、私たちにも教えてくださいね」
「うん。ありがとう」
「ま、あんたら三人なら大丈夫だろ。けど、油断すんなよ! 元兵士が相手だったら、思ったより面倒なことになるかもしれねえからな」
フリーダはそう言って、私の肩を軽く叩いた。
普段は豪快で酒のことばかり話しているように見えるけれど、危険な依頼については決して軽く考えない。彼女も長年冒険者として生きてきたのだから、その言葉には十分な重みがあった。
私たちは翌日から調査へ向かうことにして、ギルドを後にした。
外へ出ると、ノヴァグラードの街はいつもどおりの賑わいを見せていた。市場には商人たちの声が響き、荷車が石畳の上をゆっくりと進んでいる。通り沿いの店では職人たちが仕事に励み、買い物を終えた人々が立ち話をしていた。
冒険者が戻ってきたことで、宿屋や酒場も忙しくなっているのだろう。以前よりも街を行き交う人が増え、あちこちから活気のある声が聞こえてくる。
少し前まで、街の人たちは戦争とスタンピードの影響に怯えていた。大勢の冒険者が軍務に出ていき、残された人々は魔物の襲撃に備えながら暮らしていたのだ。それが今では、こうして普段の生活を取り戻しつつある。
私は、そのことが嬉しかった。
けれど、今日ギルドで聞いた話が頭から離れない。
マリアベル王軍がメルキアへ撤退したことで、大公国の国境警戒は縮小された。その結果、冒険者たちがノヴァグラードへ戻ってきた。
私たちの暮らす街に平穏が戻り始めたのは、祖国が戦争で追い詰められたからでもあるのだ。
「……なんだか、変な気分だね」
私が呟くと、タクマがこちらを見た。
「何が?」
「冒険者のみんなが戻ってきたのは嬉しいんだけど、その理由を考えると、素直に喜んでいいのかなって」
タクマは少し考えてから、静かに答えた。
「喜んでいいんじゃないか。戻ってきた連中が無事だったのは、間違いなくいいことだろ」
「……うん」
「ただ、戦争が終わったわけじゃないからな。今度は別の形で影響が出てきてるんだと思う。軍が国境から引けば、その分だけ警備が薄くなる場所もあるだろうし、戦争で居場所を失った人たちが流れてくるのも止められない」
私は頷いた。
王都マリアベルクは、今もハインリヒ軍に占領されている。お父様はメルキアへ撤退し、王国を守るために戦い続けている。王宮で暮らしていた頃には、王国の兵士たちが戦争に敗れて他国へ逃れることになるなんて、想像したこともなかった。
けれど、今はそれが現実になっている。
兵士たちにも家族がいて、故郷があり、帰るべき場所があったはずだ。そのすべてを失ってしまった人たちは、これからどうやって生きていくのだろう。
もちろん、だからといって野盗になっていいわけではない。今日エリナやバルザックが話していたように、武器を持った集団が商人や住民を襲えば、今度は何の関係もない人たちが苦しむことになる。
私は王女として何かをするつもりはない。七年前に王宮を出たときから、その気持ちは変わっていなかったし、今さら王族の立場に戻りたいとも思わない。
それでも、祖国で起きていることを何も感じずにいられるほど、マリアベルは私にとって遠い国ではなかった。
「とりあえず、明日の依頼を頑張ろうか」
私がそう言うと、タクマは穏やかに笑った。
「ああ。まずは何が起きてるのか、確かめないとな。襲撃者が本当に元兵士なのかも、まだ分からないんだし」
「そうだね。決めつけるのはよくないよね」
「それに、シエラがいてくれれば調査も進めやすいだろ。帰ったら予定を相談しよう」
「うん。あの子なら、きっと引き受けてくれると思う」
私たちは翌日の準備について相談しながら、家へ向かって歩き始めた。
戦争がどんな形で終わるのか、今の私には分からない。お父様たちがこれからどうするつもりなのかも、遠く離れたノヴァグラードにいる私には知りようがなかった。
けれど、冒険者としてできることはある。
明日はシエラと一緒に、街道で起きている襲撃事件を調べに行く。相手が何者なのか、どうして商人を襲うようになったのか、それを確かめることが最初の仕事になるだろう。
久しぶりに賑わいを取り戻したギルドの光景を思い出しながら、私はタクマと並んで歩いた。
ノヴァグラードには、少しずつ以前の日常が戻ってきている。
けれど、その街道の向こうでは、戦争によって居場所を失った人々が、今も新しい生き方を探しているのだった。




