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女神の祝福で始まり、終わる世界 ~私を殺した父は、今日も救世主と呼ばれている~  作者: ぶりーさ
1章:世界の楔

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水底の少女

 水路の中は、外から見た以上に狭かった。

 膝まで浸かる水は雪解けのように冷たく、足を前へ出すたびに、底に溜まった泥が靴の裏へまとわりつく。苔むした天井は低く、ローランは何度も頭を屈めなければならなかった。


「……ねえ、ローラン。本当にこれ、途中で行き止まりになったりしない?」

「なったら戻る」

「またそれなの?」

 リゼが小さく笑い、掌の上に灯した光を少しだけ強くした。この世界の人間なら誰でも扱える、ありふれた灯りの魔力。それでも、闇に慣れた目には眩しいほどだった。

 シャルロットは二人の後ろを歩きながら、壁に手を添えていた。

 指先に触れる石は、ひどく古い。水路を形づくる石積みは、地上の神殿のものとは明らかに積み方が違っていた。角は丸く削れ、継ぎ目には文字のようなものが刻まれている。


「……この石、神殿より古いわ」

「わかるのか?」

「なんとなく。でも……」

 言いかけて、シャルロットは口を閉じた。

 見たことがない、はずだった。けれど、この文字を自分は知っている。胸の奥のどこかが、そう囁いている。

 ─女神の慈悲と加護が、我が歩む道とともにあらんことを。

 あの日、祭壇の前で唱えた祈りの言葉。それと同じ形が、苔の下から覗いていた。


「あの男(ミクトラン)が生きていた世界の名残、かもしれない」

 シャルロットの呟きに、リゼの足が一瞬だけ止まった。

「……あいつが作り出したこの世界に、そんな未練がましいものが?」

「ええ。彼の中ではずっと心残りになっているのよ。きっと」


 ◇


 どれほど進んだだろうか。

 やがて水路は緩やかに下り、唐突に開けた空間へ出た。

 地下の貯水池だった。円形に広がる水面は鏡のように静まり返り、天井から垂れた細い根が、ところどころで水面に触れている。頭上の隙間からは、地上の光が幾筋か差し込んでいた。

「神殿の真下だな」

 ローランが天井を見上げる。足音や話し声が、石を伝ってかすかに降りてくる。

「上に出る道を探すぞ。――シャル?」

 シャルロットは答えなかった。

 貯水池の中央。水面から突き出た小さな石の台座の上に、誰かが座っていた。

 少女だった。

 年の頃は十二、三といったところだろうか。白い簡素な衣を着て、裸足の足先を水へ浸している。背中まで伸びた髪は、差し込む光の加減で色が定まらず、銀にも、淡い金にも見えた。

 少女は、ぱしゃり、と小さく水を蹴った。それから、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。

「……だれ?」


 リゼが咄嗟に剣の柄へ手をかける。ローランも半歩前へ出た。

 だが少女は怯えるでもなく、ただ不思議そうに三人を見ている。


「それはこっちの台詞だ。こんなところで何をしている」

「なにって……ここ、わたしのお部屋だよ」

「部屋……?」

「うん。上はうるさいから、だいたいここにいるの」

 少女は当たり前のように言って、また水を蹴った。

 シャルロットは、二人の肩越しに少女を見つめていた。

 胸の奥で、何かが小さく脈打っている。あの男(ミクトラン)の気配とは違う。森で感じた、あの冷たい感覚とも少し違う。もっと微かで、もっと近い――。


「あなた、名前は?」

 シャルロットが問うと、少女は少し考えるように首を傾げた。

「……ミラ。みんなはそう呼ぶ」

「ミラ」

 口にした瞬間、なぜか喉の奥が少しだけ詰まった。


「お姉ちゃんたちは、奥に行きたいの?」

「……どうしてそう思うの?」

「だって、上の人たちはみんな外を見張ってるもん。中に入ってくる人なんて、いないよ」

 ミラは台座から立ち上がると、水面に並ぶ飛び石を、まるで遊ぶように渡ってこちらへやってきた。


「奥にはね、光る杭があるんだよ。おっきくて、きれいで……すこし、こわいの」

 三人は顔を見合わせた。

 光る杭。それが何を指しているのか、ここにいる誰もが知っていた。

「……知ってるの? その場所」

「うん。案内してあげよっか?」

「待て」

 ローランがシャルロットの腕を掴んだ。


「出来すぎだ。神殿の地下にたまたま子供がいて、たまたま目的の場所を知っていて、たまたま案内してくれる。罠でなければ何だ」

「わかってる」

 シャルロットは小声で返す。

「でも、あの子からは敵意を感じないの。それに……」

 言葉を探したが、うまく見つからなかった。ただ、この子を置いていってはいけない気がした。理由もなく、そう思った。

 そのとき、頭上から重い足音が響く。金属の擦れ合う音。複数の兵士が、貯水池へ下りる階段をこちらへ向かってくる。

「――隠れて」

 声を上げたのはミラだった。

 少女はシャルロットの手を取ると、迷いのない足取りで壁際の暗がりへ引いていく。そこには、一見しただけでは分からない窪みがあった。

 三人が身を潜めるのと、松明を掲げた兵士たちが姿を現すのは、ほとんど同時だった。

「異常はないか」

「はっ。……ミラ様、またこちらにおいででしたか」

 兵士の視線が、窪みの前に立つ少女へ向けられる。

 ミラ、様。

 シャルロットは息を殺したまま、その呼び方を胸の中で繰り返した。

「うん。ひとりで遊んでたの」

「上で術式の準備が進んでおります。あまり遠くへは行かれませぬよう」

「はーい」

 兵士たちは貯水池を一巡りすると、何事もなかったかのように引き返していった。

 足音が完全に聞こえなくなってから、ローランが低く唸った。

「……ミラ様、だと?」

「えへへ。わたし、ちょっとだけえらいの」

 悪戯が成功した子供のように、ミラは笑った。その笑顔を見たリゼが、ふっと肩の力を抜く。


「まあ、助けてもらったのは事実だしね。シャル、どうする?」

 シャルロットは、まだ握られたままの自分の手を見下ろした。

 小さな手だった。驚くほど冷たいのに、不思議と嫌な感じはしなかった。

「お願いするわ、ミラ。奥まで案内してくれる?」

「うん!」


 ミラはシャルロットの手を引いて歩き出す。その途中で、ふと振り返った。

「ねえ、お姉ちゃん」

「なに?」

「お姉ちゃん、なつかしい匂いがする」


 ──胸の奥で、眠っていたはずの力が、確かに一度だけ跳ねた。

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