神威を盗みし魔女
街道沿いの宿場町に1軒だけある酒場では、客たちがいかにも退屈そうに安酒の杯を傾けていた。
最も奥まった席にいる女は、灯火が届きにくい位置を選んで座っていた。
粗い布でできた外套の影に半ば顔を沈め、手元の木杯にはほとんど口をつけていない。旅人にしては沈黙が多く、酔客にしては目が醒めすぎている。だがこの手の店では、それ以上に不自然な客などいくらでもいた。
「よう、嬢ちゃんたち」
煤けた革鎧をまとった無骨な冒険者が、酒に赤らんだ顔を向けて女たちに声をかけた。
女──シャルロットは、警戒を解く様子もなく男を見る。
「私たちのこと?」
「そう、嬢ちゃんたちのことだよ。知っているか? この辺りに魔女が現れたって話だ」
賑やかな酒場の喧騒の中、壁に貼ってある羊皮紙を指さした。
手配書には、整った顔立ちに不敵な笑みを浮かべる女の似顔絵が描かれ、その下にいくつかの罪状が記されている。
──名をシャルロット。
──神威を盗みし魔女。
──女神に手をかけ、世界再禍の兆しを孕む者。
──匿う者は同罪である。
「へえ……女神殺しの魔女ねぇ。それで、そんなやつがどうしたの?」
「おいおい、嬢ちゃんたち知らねえのか? この街の北を抜けた森の神殿に神王様がいらっしゃって、地域魔力の安定術式を展開するらしい。ここ数年の世界的な魔力の不安定さがとうとうこの辺りにも来たってわけさ。で、神王様を狙っている魔女がその瞬間を狙ってるっていう話さ」
シャルロットの隣に座っている彼女が杯を置き、初めて真っ直ぐ男を見た。
「ふーん……巻き込まれないようにしないとね。でもさ、得体もしれない人に『北を抜けた森に神殿』があるとか言っちゃって大丈夫なわけ?」
「ま、まあ、地図には載ってないが、この辺りじゃ誰でも知ってる話だからな。とにかく、野次馬根性で見に行くんじゃねえぞ。魔女なんて見た目じゃ分からん。おとなしい顔をしてたって、腹の底にはどんな災いを飼ってるか分かったもんじゃねえ」
その言葉が、氷のように胸へ落ちたが、シャルロットが表情を変えることはなかった。
男たちは踵を返し、次の卓へ向かう。やがて店主の方へ何かを告げ、しばらくして酒場を出ていった。
シャルロットの隣に座っていた女性、リゼが口を開く。
「シャル。次の目的地は決まったね。あいつがいてもいなくても、私たちの目的は達成できそう」
「うん。いこう。リゼ、ローラン」
◇
街道から外れて半日ほど進んだ頃には、頭上を覆う巨木の枝葉が空を狭い裂け目のように切り取っていた。
踏み込むたびに湿った腐葉土の匂いが立ちのぼり、遠くでは名も知らぬ鳥の声が、夕暮れの森を縫うように細く響いている。
先頭を歩くリゼは、低木を剣の鞘で押し退けながら進んでいた。
「……?」
不意に、その足が止まる。
「どうした、リゼ」
「静かにして」
3人は歩みを止めた。風に乗って、森には似つかわしくない音が届いてくる。
鎧の金属が触れ合う音、馬の蹄が地面を打つ音。
明らかに1人や2人ではなかった。ローランは思わずリゼを見る。
「……軍だね」
リゼの声に、ローランも表情を険しくした。
「シャル、何度も言うがあの技が完成するまで、絶対に女神の力を使うな。この世界ではあの男にすぐに感知されてしまう」
「わかってるわ。ローラン。でも大丈夫。目覚めてから数年、この世界の理には順応してきたつもりよ」
「ああ、そうだったな。だが油断はするな。行くぞ、シャル、リゼ」
この世界は、かつては女神が人々に力を貸し与え、その恩恵によって奇跡が成り立っていた世界とは根本から成り立ちが異なる。
ここに生きる者たちは、生まれながらに魔力を宿している。そして、それを行使することで様々な恩恵を得ている。
神王の一瞥を受けていない者は、魔力を用いて他者へ危害を加えることができない。
また、その魔力を奪うことはできないし、生まれながらに魔力が神王に届くこともない。
それが、この世界の理。
かつての世界では、人々が女神の力を奪い合いそれが崩壊のきっかけとなったが、それは、この世界では起こりえない。
にもかかわらず、シャルロットはその理の内側に存在する力──魔力を操り、神王の許しなく戦うことができる、世界の理から外れた存在である。
──故に彼女は、魔女と呼ばれるようになった。
やがて森を抜けると、木々に囲まれた広い窪地の奥に神殿が姿を現した。
正門には神王の紋章を掲げた旗が2本。
その下では、重装の兵士たちが絶え間なく行き交っている。
さらに奥、聖堂の入口には、通常の兵とは明らかに装備の異なる者たちが立っていた。
黒い甲冑を身にまとい、その表面には複雑な紋様が刻まれ、周囲の兵とは一線を画す威圧感を放っている。
「神王直属の近衛……」
リゼが小さく呟いた。
「ビンゴね。私たちの目的の物は、あの中にありそうだね」
「だろうな。しかし、随分と歓迎されてるようだな」
シャルロットは兵の数を数えようとしたが、途中でやめた。
神殿周囲でも相当数の人数がいる。交代要員や、森の中へ出ている哨戒兵を含めれば、さらに増えるだろう。
「……正面から通れると思う?」
シャルロットが聞く。もっとも、その答えは自分でも分かっていそうだった。
「無理だな」
シャルロットは神殿を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……入る方法を探しましょう」
神殿から距離を取ると、3人は来た道を戻らず、そのまま西へ回り込むように森を進んだ。
ひとまず周囲を調べる。今のところ、それ以外に方策はなかった。
「このまま外周を回る」
先頭を行くローランが、振り返らずに言った。
「近づける道が1つだけとは限らない。水場があるなら水路もあるし、あれだけ古い建物なら、崩れた箇所くらいはあるかもしれない」
リゼが枝を避けながら続く。
「見つからなければ?」
「そのとき考える」
「ずいぶん頼もしい作戦だね」
「森の中で200人と戦うよりはましだ」
シャルロットは2人のやり取りを聞きながら歩いていたが、やがて足を緩めた。
「これは……?」
3人が見つけたのは、道から少し外れた獣道だった。
草木に覆われたその先を辿ると、やがて石造りの細い水路が姿を現す。
苔に覆われてはいるものの、その流れは確かに神殿の方角へと続いていた。
ローランがしゃがみ込み、水路の先を覗き込む。
「……なるほど。神殿へ続いてるな」
リゼもその傍らから奥を見る。
「人が通れる?」
「少なくとも途中まではな」
ローランは立ち上がり、神殿の方角を見た。
「よし。入り口はなんとかなりそうだ。決行は夜にするぞ」
「ううん、駄目。今から行く」
シャルロットが即座に否定した。
2人が同時に振り返る。
「何か嫌な予感がするの」
シャルロットは胸元へ手を当てた。
「あの男じゃない。もっと別の何かが……」
胸の奥に眠る力が、明らかに反応していた。脈打つたび、冷たい何かが体の奥を這い上がってくる。
まるで──
神殿の奥にいる何者かが、すでにこちらの存在へ気づいているかのように。




