救世主、そして神
金色の光が、空洞を裂いた。
リゼが剣を立てる。受け止めた瞬間、刃が悲鳴のような音を上げた。足元の石畳が砕け、リゼの身体ごと後ろへ押し流される。
「っ……重い! このままじゃ!」
「下がれ、リゼ!」
ローランが入れ替わるように踏み込んだ。狙うのはミラ本人ではない。
力の発生源である、その背で回る光の輪だ。
ローランは構える手に力を籠め大きく振りかぶる。しかしその刃は届かない。
輪の1つがわずかに傾いただけで、ローランの剣は弾かれ、彼自身も床を転がっていく。
そして光の輪は、3つに増えていた。
「ワタシニ、カエシテ」
平坦な声が、空洞の底で反響する。
ミラの手がこっちを向くたびに、胸がきしむ。見えない手で心臓を掴まれて、少しずつ引っ張り出されていくようだった。
このままじゃ、全部持っていかれる。
「ミラ! このままじゃダメ……力を止めるのよ!」
シャルロットは、自分も力を引き出した。指先ではなく、掌いっぱいに。残された女神の力を、正面からぶつける。
金色と、金色。
2つの光は、ぶつからなかった。
触れた瞬間、2つは溶け合うように混ざり、そのままミラの側へと流れていった。
「……え?」
シャルロットは、自分の掌を見つめた。
「なぜ……?」
「シャル、力を使うな! すべて奪われるぞ!」
「わかってる。でも、ここで使わなかったら、私はきっと一生後悔する」
「ローラン。私の意思は尊重するって言ったわよね。……だったら、今だけは止めないで!」
「ぶつけるんじゃない。……届かせるの」
シャルロットは掌を開いたまま、ミラへ差し出した。奪い合うのではなく、手渡すように。
ミラの背で4つ目の輪が開いた。
空洞が震えた。床に刻まれた旧い文字が、端から順に焼き切れていく。楔の律動が乱れ、光の杭そのものが軋むように揺れた。
光輪が増えていくにつれて、力が増していくのを感じる。まるで、ミクトランが世界を破壊したときのように。
「……おねえ、ちゃん」
少女の声だった。
ミラの頬に、細い罅が走っていた。陶器が割れるように。その隙間から、金色の光が涙のように零れ落ちている。
「なんか、へん……なの……うちがわから……あふれて、とまらない……」
入りきらないんだわ。あんな小さな身体に、あれだけの力。
内側から、壊れかけてる。
「ミラ! もういい、手を離して!」
「はなせ、ないの……ワタシハ、アナタ……ちが、う……わたし、は……」
2つの声が、1つの喉の中でぶつかり合う。
◇
時を同じくして。
王都。白と黒の城塞の一室で、ミクトランは書類から顔を上げた。
窓の外は夕暮れ。民の祈りの声が、風に乗ってかすかに聞こえてくる。いつもどおりの、穏やかな夕方──のはずだった。
「……これは」
遠くからでも分かる。忘れるはずがない。
女神の力。この手で奪って、それでも奪いきれなかったもの。
それが今、あの神殿の底で燃え上がっている。しかも、魔女のほうからではない。
「ミラ、なのか?」
呟いた声に、わずかな驚きが滲む。
あの写しには、楔の番人としての役目しか与えていない。引き出せる女神の力は、ほんの僅かなはず。
だがしかし、その力は奪えなかったものに匹敵しつつある。
「器が同じであれば、奪う側に引っ張られていくというのか……」
想定はしていなかった。だが、理屈は分かる。
ミクトランは、指先で机を1度だけ叩いた。
このまま暴走すれば、楔ごと神殿が崩れる。副楔はすでに2本失われた。本体まで失えば、この地の継ぎ目は裂ける。
それは許されない。
──そして、もう1つ。
あの神殿には、あの娘がいる。
殺してしまえば話は早い。だが、それでは力が先に核へ流れる。譲渡が終わるのを待つ間に、この世界のほうが先に崩れかねない。
だから、写しを使う。すべては奪えずとも、世界を繋ぎ止めるだけの力があれば、それでいい。
「……迎えに行かなければなりませんね」
穏やかな声。民の前で話すときと、何一つ変わらない。
神王は、席を立った。
◇
空気が、凍った。
暴れ狂っていた金色の奔流が、ぴたりと止まる。宙を舞っていた光の粒が、その場で静止する。
リゼの吐く息が、白くなった。
「……なに、これ」
コツ。
石段の上から、靴音が降ってきた。
コツ。コツ。
急がない。迷いもしない。まるで自分の家の庭でも歩いているように。
ローランが、シャルロットの前に立った。剣を握る手が、白くなるほど強張っている。
「……チッ……来たか。楔を通って移動してきたのか……?」
闇の向こうから、その男は現れた。
白い外套。整えられた髪。民に向けるのと同じ、柔らかな微笑み。
あの日と、何も変わらない顔。
あの男。
「お父、さま……」
声が、かすれた。
ミクトランは、シャルロットを見なかった。
その視線は、まっすぐに楔の前の少女へと向けられていた。
「ミラ」
名を呼ばれた瞬間、少女の身体がびくりと跳ねる。光の輪の回転が、わずかに鈍った。
「よく働きました。ですが、少々喰らいすぎですね」
ミクトランが片手を上げる。
それだけで、ミラの周囲に渦巻いていた金色の光が、凍りついたように形を固めた。暴れていた力が、無理やり鎖に繋がれていく。
「あ、ぐ……っ」
ミラが膝をつく。頬の罅が、1つ増えた。
「やめて!」
叫んだのは、シャルロットだった。
自分でも、なぜそう言ったのか分からなかった。目の前の少女は、たった今まで自分に刃を向けていたはずなのに。
そこでようやく、ミクトランがこちらを向いた。
冷たい目だった。何の感情もなく、物でも確かめるように、こちらを見ている。
「久しぶりですね、シャルロット」
穏やかな、優しい声で。
「あなたを……君の中の女神を壊した日。……覚えていますか?」
胸の奥で、女神の力が震えた。
「……ごめん、シャル。これは無理かも」
リゼが口を開く。初めて聞く、諦めの声だった。
ミクトランの背後で、ミラがゆっくりと立ち上がる。その背には、鎖に繋がれた金色の光輪。
あの男と、ミラ。
2人が、こっちを見ていた。
──逃げない。逃げられない。
──この人の前でだけは、もう二度と。




