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女神の祝福で始まり、終わる世界 ~私を殺した父は、今日も救世主と呼ばれている~  作者: ぶりーさ
1章:世界の楔

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私ともう一人の私

 最奥へと続く通路は、これまでのどの道よりも静かだった。

 壁の内側を抜ける細い道はやがて途切れ、その先には、古い石段がただ下へ、下へと続いている。足音さえ、闇に吸い込まれていくようだった。

「おかしい、何故こんなにも人がいないんだ」

 ローランは辺りを警戒しながら呟く。最後の楔へと近づくにつれて人はおろか、命の気配すら感じない。


 ミラは先頭を歩いていた。

 いつもなら元気に話しかけてくる少女が、後ろを見ない。小さな背中が、灯りの魔力が届くぎりぎりのところで揺れている。

「……ミラ。さっきの、本当に大丈夫なの?」

「うん」

「胸、まだ痛む?」

「ううん。もう、いたくないよ」

 ミラは元気なく答える。シャルロットは、それ以上何も聞けなかった。


 ローランが、シャルロットにだけ聞こえる声で言う。

「副楔が砕けるたびに、あの子は苦しんでいる。偶然だと思うか?」

「……思わない」

「なら、覚悟はしておけ。僕はお前の味方で、お前の意思は尊重している。だが、お前に危害を加えるやつが現れたら、その限りじゃない」

 ローランの声に滲む冷たさに、シャルロットは何も答えられなかった。


 ◇


 やがて石段の終わりに近づく。その先に、扉はなかった。

 暗闇の向こうに、巨大な空洞が広がっている。1歩踏み出した足音が、何秒も遅れて跳ね返ってくる。それほど、その空洞は果てしなく感じた。

 天井は見えない。床も、壁さえも。

 目的の物はそこにあった。旧い文字がびっしりと刻まれた石壁に囲まれた、その中央に──。


 これまで見たどの楔とも比べものにならない。

 大樹の幹にも匹敵する光の杭が、空洞の底から天を貫くかのように屹立している。

 その表面を巡る光は、巨大な心臓を思わせる律動を刻み、呼応するように壁一面の文字が明滅している。光が満ちるたび、岩肌に刻まれた溝の奥までが白く浮かび上がった。


 どこか傲慢で凍てついた重圧が満ちている。


「これが、この神殿の楔の本体……」

 リゼの声が、わずかに掠れていた。

 シャルロットの胸の奥で、眠る力がざわめいている。いや、ざわめいているのではない。怯えているのだ。自分と同じ源から切り出された、あの男の力の塊を前にして。


 ミラが、楔のすぐ手前で足を止め、そして、ゆっくりと振り返った。

「着いたよ、お姉ちゃん」

 いつもと同じ声。いつもと同じ笑顔。

 けれどその笑顔の裏に、いつもと違う何かを感じた。


「ねえ、お姉ちゃん。わたしね、ずっと考えてたの。どうやって言おうかなって」

「……ミラ?」

「わたし、この楔とつながってるの」


 その場にいた誰もが言葉を失い、静寂に包まれる。


「わたしは楔じゃないよ。でも、楔がこわれたら、わたしもこわれる。そういうふうにつくられてるの」

 ミラは自分の胸に、そっと手を当てた。2本目の副楔が砕けたあの瞬間、少女が押さえていた場所。

「さっきね、2本目がこわれたとき、わたしの中の何かも、ぱきんって割れたの。1本目のときも、ちょっとだけ。……だから、たぶん、あれが最後。あれがこわれたら、わたしも、おしまい」

「作られたって……誰に」

 ローランの問いに、ミラは小さく首を振った。


「黒い服の人たち。でも、ほんとうに作ったのは、もっと上の人。お姉ちゃんたちが『あの男』って呼んでる人だよ」

 シャルロットは、言葉を失っていた。

 頭のどこかで、ずっと分かっていた気がする。なつかしい匂い。夢に見る白い坂道。自分の中から、金色の光を引き出せる少女。


「わたしね、お姉ちゃんの写しなの」

 ミラは、まるで秘密を打ち明けるように、少しだけ照れくさそうに言った。

「この世界にも、お姉ちゃんはいるの。あの男が作り直したこの世界のシャルロット。わたしは、その子から作られた写し(クローン)。それが、鏡に映った、もう一人(わたし)」

「……鏡写しの、私」

「うん。だから夢の中の坂道も、海も、ほんとうはお姉ちゃんのもの。わたしは、偽物」

 ──写しのお前は、ここで待っていればいい。

 ミラが語った、黒い服の者たちの言葉。それが今、シャルロットの中でようやく意味を結んだ。


 待っていたのは、楔を壊しに来る者。女神の力を宿した、もう一人の自分(シャルロット)。

「最初から……私たちを待ってたってこと?」

 リゼが剣の柄に手をかける。

「全部、ここに連れてくるため?」


「…………ちがう!」

 ミラが、初めて声を荒げた。

「案内したのは、わたしがしたかったから。お姉ちゃんと、いっしょに歩いてみたかったから。外のお話をしてくれたのも、手をつないでくれたのも、うれしかった。ほんとうに、うれしかったの」

 小さな肩が震えていた。


「でも、ここに来たら、もうだめなの。わたしは楔とつながってるっていったよね」

 その瞬間、楔が大きく脈打った。

 刻まれた文字が一斉に輝き、光の筋が床を走る。それは蛇のように這い寄ると、ミラの足元へと吸い込まれていった。

「ミラ!」

「来ないで!」

 駆け寄ろうとしたシャルロットを、少女の叫びが押し留めた。


 ミラの瞳から、色が抜け落ちていく。──その輪郭が、薄い水面に映った月影のように、大きく揺らいだ。


「──ミラ、お前が代わりになるのだ。代わりが表に出るときというのはどういうときだと思う?女神殺しの魔女(シャルロット)を消せ」


 ミラの口から零れたのは、少女のものとは思えない、平坦な声だった。

「……ごめんね、お姉ちゃん」

 ミラが、手を伸ばした。2人の間には10歩以上の距離がある。それなのに──

 シャルロットの胸の奥の力が鷲掴みにされる。

「──っ、あ……!」

 息ができない。胸から、引きずり出されていく。傷を癒やしてくれたあのときとは違う。根こそぎ奪い去るような、乱暴な引力。

 金色の光が、シャルロットの胸から溢れ出していく。


「シャル!」

 崩れ落ちかけたシャルロットを、ローランの腕が支える。

「やめろ、ミラ! それ以上はあの男(ミクトラン)に感知される!」

 だが、その声は届かなかった。溢れた光は一筋の奔流となって空洞を渡り、ミラの小さな掌へと吸い込まれていく。少女の背後で、光が形を成し始めていた。

 翼のようで、翼ではない。幾重にも重なる、金色の光の輪。

 それは、かつて大神殿の祭壇で、目覚めた女神が纏っていた光に似ていた。

「……ちょっとだけしか、借りられないはずだったのに」

 ミラが、自分の手を見下ろして呟いた。その声だけは、まだ少女のものだった。


「お姉ちゃん、ごめんね。楔がわたしに言ってくるの。この世界の私(シャルロット)に力を返してって」


 胸の奥が、ひどく冷たい。引き抜かれた分だけ、自分の中に穴が空いている。

 それでもシャルロットは、ローランの腕を払って立ち上がった。

「シャル、下がれ。あれはもう、さっきまでの子供じゃない」

「わかってる」

「わかっているなら──」

「わかってるの!」

 自分でも驚くほどの声が出た。シャルロットは、ミラへ向き直った。

 ミラは楔の前に立ったまま、こちらを見ていた。先ほどまでとは違う、無機質な、操り人形のような表情で。


「お姉ちゃん。わたし、お姉ちゃんとたたかいたくない」

「なら──」

「ワタシニチカラヲカエシテ」

 ミラの口から、少女の声と人形の声が交互に零れ、空洞の底で震える。

「本物じゃないのに。それでも、こわれたくないって思っちゃうの。でも──もうわたしじゃなくなる」

 その言葉に、シャルロットの胸の奥で何かが疼いた。

 ──逃げたっていい。泣いてもいい。諦めたくなってもいい。

 あの日、女神が自分に託した言葉。

 ──あなた自身が、生きていていい人だから。

 目の前の少女に、自分はそれを言えるのだろうか。楔を壊さなければ、この世界は終わらない。

 けれど、楔を壊せば、この子は。


「……シャル」

 リゼが、静かに剣を抜いた。

「迷うのは後。今は、生き残ることだけ考えて」

 シャルロットもあのときから覚悟は決めてきたつもりだった。だが、運命は残酷だった。


 ミラの背後で、金色の光輪がゆっくりと回り始める。空気が震え、床に刻まれた旧い文字が、悲鳴のように明滅した。

「ごめんね」

「ワタシハ、アナタ」

 人形(ミラ)から金色の光が、放たれる。

 リゼが前へ飛び出し、剣で光の刃を受け止める。重い。腕ごと持っていかれそうになるのを、歯を食いしばって堪えた。

「さすがは女神の力……近衛なんかとは比べものにならない!」

 ローランが横合いから踏み込む。だが、ミラの周囲を巡る光輪が、その剣をたやすく弾き返した。

 シャルロットは指先に魔力を集め、細い光の糸を伸ばした。近衛の紋様をほどいたときと同じように。

 けれど糸は、金色の光に触れた瞬間、焼き切れるように消えていった。

 それも無理はない。これは、あの男の力でも、この世界の魔力でもない。自分の中から奪われた、女神の力そのものなのだから。


「やつがあの力を完全に掌握すれば、僕たちに抗う術はなくなる!」

 ローランが叫ぶ。



 そのとき、ミラの瞳に一瞬だけ色が戻った。

「……お姉ちゃん、にげて」

 その願いとは裏腹に、少女の手は再びこちらへ向けられていた。


 ──鏡に映った私が、私に刃を向けている。

 ──それでも私は、この子の名前を呼ぶことしかできなかった。

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