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第9話 研磨師頭の古い金庫鍵

 工房の金庫は、三重に鍵がかかっていた。


 最後の鍵を持っていたのはマルタだった。彼女は夕方、作業を終えたあと私を奥の小部屋へ呼び、無言で小さな鉄鍵を差し出した。


「先代に頼まれてた。王都の誰にも渡すなってね」


「どうして今、私に」


「あんたは帳簿だけじゃなくて、石も人も見てるからさ」


 不意にそんなことを言われて、胸の奥が少しだけ熱くなる。


 金庫の中にあったのは金銀ではなかった。古い給与台帳、発送控えの控え、壊れた刻印板、そして母の名前が入った封筒の束。どれも王都にとっては見られたくないものだ。


 最初の封筒には、母からマルタ宛ての手紙が入っていた。


『王都は北方の石だけ欲しがり、工房の名を欲しがらない。もし私に何かあったら、帳簿を残して』


 文字が滲む。母は気づいていたのだ。王宮宝飾局が、正式な刻印登録を曖昧にしたまま工房の技術だけを取り込もうとしていたことを。


 さらに底には、焼け焦げた紙片があった。見本帳から抜かれた頁の控えらしい。欠けてはいたが、二重星刻印の継承条件だけは読める。


『第一継承者 クラリス・ノイマン』


 私は紙片を握りしめた。


「これで、あの人たちが消したかったものがはっきりしました」


 公爵が横から覗き込む。「もう一つある」


 彼が取り出したのは給与台帳の裏に挟まっていた薄い帳面だった。王都からの追加支払いを記した、工房用とは別の小帳簿。そこに、祝冠石納入の数日前、不自然な金額が記されている。


『特別作業費 受取人 ベルトラン代理人』


「王都側の買収金……」


「北方の誰かが口を閉ざすための金だった可能性もある」


 私は小帳簿をめくり続けた。支払いは一度きりではない。何度も少額ずつ、しかし確実に流れている。


 工房が貧しくなったのは、不運だけではなかった。


「全部持っていきます」


 私が言うと、マルタが苦笑した。


「重いよ」


「ええ。けれど、軽い嘘に負けるよりはずっといいです」


 金庫の扉を閉める音が、小さく響いた。


 私はもう、曖昧な記憶だけで戦うわけではない。金庫に眠っていたのは、北方工房の怒りであり、母の沈黙であり、私のために残された証明だった。


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