第3話 北方研磨工房への左遷
北方公爵領へ向かう馬車は、王都の石畳より荒い道を長く揺れた。
窓の外で春の名残が薄くなっていく。代わりに見えてきたのは、切り立った灰の崖と、朝の光を受けて鈍く光る採石場だった。宝石は王宮の鏡台から生まれるわけではない。泥と粉と怪我の気配の中から掘り出される。
「降りろ」
工房門の前で迎えたのは、ディートハルト公爵その人だった。三十八歳。高い背と無駄のない声。歓迎の花束も、王都らしい建前もない。
「クラリス・ノイマンです。北方研磨工房監査として参りました」
「知っている。王都は、おまえに責任を持たせてここへ捨てた」
あまりに率直で、逆に救われた。
「私も似た認識です」
公爵の口元が、ほんのわずかだけ動いた。笑ったのか、それとも呆れたのか判断できない。
工房の中へ入ると、空気が重かった。作業台はあるのに音が少ない。研磨皿は止まり、箱に詰められた原石には薄い埃が積もっている。働く人たちの顔にも、待たされ続けた色があった。
「王都への納品停止で資金が詰まった」公爵が言う。「賃金も遅れている。局長殿は、祝冠石が偽物なら北方の責任だと言ってきた」
「北方から出た石は、本物だったはずです」
私が即答すると、作業台の向こうにいた中年の女性が顔を上げた。研磨師頭のマルタだと紹介される。四十四歳。疑いと疲れが、そのまま視線になっていた。
「王都の人間はみんなそう言って、結局うちを切るのさ」
「なら、帳簿と在庫を見せてください。石は嘘をついても、切り口と重さまでは誤魔化せません」
マルタは公爵を見た。公爵は短くうなずく。
「好きに使え。だが一つだけ言っておく。ここでは肩書きより、石を見分けられるかどうかだ」
案内された在庫室には、木箱が山積みになっていた。中身は星彩石、紅玉、水晶、そして売り物にならないと判断された曇り石。私は最初の箱を開け、指先で一つ持ち上げる。
曇っているのは石ではなく、保管だ。
湿気を吸った布に包まれていたせいで、表面がくもっているだけの高品質石が混じっていた。
「この箱、全部を不良在庫にしたんですか」
マルタが眉を寄せる。「磨いても光らなかった」
「方法が違います。まず乾かして、粉を替えれば戻る石があります」
王都で私は、出来上がった宝石ばかり見てきた。けれど母は昔、原石の世話も刻印と同じくらい大事だと言っていた。
ここは終わっていない。
私は木箱の蓋を閉じ、公爵へ向き直った。
「北方研磨工房を立て直します。その代わり、王都へ戻れと言われても私は戻りません。ここで、石の流れを最初から洗い直します」
ディートハルト公爵はしばらく私を見ていたが、やがて低く言った。
「なら、必要な鍵は全部渡す」
王都では誰も、私に鍵を渡さなかった。




