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第12話 元婚約者の買い戻し提案

 元婚約者が北方へ来たのは、雨の午後だった。


 レナードは王都にいた時と同じように整った姿で、けれど靴の先だけが泥を嫌そうにしていた。工房の石粉が舞う空気に、明らかに居心地の悪そうな顔をしている。


「クラリス。少し話そう」


 私は帳簿から顔を上げた。「ここで結構です」


 彼は周囲の職人たちを見回し、声を潜める。


「王都での誤解は、整理できる。君が北方工房の管理不備を認めれば、局長も私も動ける。婚約の件も考え直していい」


 あまりに都合のいい言葉に、逆に笑いそうになった。


「考え直す?」


「君は本来、表に立つより私を支える方が向いている。北方で意地を張る必要はない」


「つまり、私に全部かぶれと言いたいんですね」


 レナードは否定しなかった。代わりに柔らかい声音を作る。


「クラリス、君は賢い。ここで引けば傷は浅い」


「浅くなるのは私の傷ではなく、あなたたちの罪でしょう」


 沈黙が落ちた。


 その時、奥から公爵が現れた。濡れた外套のまま、まっすぐこちらへ来る。


「話は終わったか」


 レナードの表情がわずかにこわばる。「これは個人的な話です」


「ここは北方公爵領の工房だ。工房を売る相談なら個人的ではない」


 静かな声なのに、空気が一段冷えた。レナードは一瞬だけ私を見た。助け船を期待したのかもしれないが、私は帳簿を閉じるだけにした。


「レナード様」私は立ち上がる。「私はもう、買い戻される品ではありません」


 彼が眉をひそめる。


「君は昔から言い方がきつい」


「きつく聞こえるのは、あなたが本当の意味を直視したくないからです」


 レナードはしばらく黙っていたが、やがて最後の札を切るように言った。


「セリーヌこそ王宮宝飾にふさわしい。君は職人の娘で、令嬢の顔ではない」


 胸のどこか、もう痛まない場所を狙われた気がした。


「ええ。だから私は、顔ではなく仕事で立ちます」


 公爵が工房の扉を開けた。


「出口はあちらだ」


 レナードは何か言いたげだったが、結局何も残せずに去った。雨音だけが大きくなる。


 私はようやく息を吐いた。すると公爵が机の上に、磨き途中の小石を置く。


「ひびは入っていない」


「慰めですか」


「事実だ」


 そのぶっきらぼうさが、今の私にはちょうどよかった。


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